ファン・ニャット・フイ

PHAN  NHAT  HUY

Profile & Message

2014年 ホーチミン市の銀行学院に入学

2018年:     卒業準備のためメディア企業でインターン

2019年3月:    技能実習生として来日し、愛知県の会社に入社

2019年12月 JLPTN3を取得

2020年12月: 独学でN2を取得

2022年:     TikTokで日本語学習をテーマとしたチャンネルを開設。

        年末にN1を取得

今後も自分のTikTokチャンネルを通じて、1人でも多くの人に日本語を勉強する刺激を与えたり、自分が持っている知識を皆さんにシェアしたりできたらと思います。これからはもっともっと多くの技能実習生が、自分の日本語能力に自信を持って、日本で生活したり仕事をしたりできることを心から望んでいます。 

予期せぬ事態での決断

2018年に、大学の必要な単位をすべて取得した後、卒業資格を得るため、数ヶ月ホーチミン市にあるメディア企業でインターンシップをしていました。

当時、私の実家の近くには、日本で働いている知人が何人かいて、日本ではかなりのお金を稼げると言っていたので、母と妹も私に大学卒業後、日本で働くための方法を見つけることを勧めていました 。 しかし、大学で身につけた知識を活かせる仕事をしたいとも思っていたので、インターン先の会社のすぐ隣に送り出し機関があるにもかかわらず、なかなか思い切って情報を聞きに行けませんでした。

卒業の日

そんな時、突然家族が事件の被害に遭って、莫大な借金を背負ってしまいました。 母からその知らせを聞いたとき、私はとても混乱し、どの選択をすればよいのかわからなくなり、行き詰まりを感じました。

私は、一方ではベトナムに残り、大学で身につけた知識を活かせる仕事をしたいと強く思っています。しかしその一方で、私は家族の借金を返済する責任も背負っています。 当時のベトナムの新卒者の平均給与を考えると、この借金を完全に返済するにはおそらく何年もかかります。 もし、日本に働きに行って高い給料をもらえば、家族の多額の借金を返済する期間はかなり短縮されるでしょう。

ある日の休憩時間に、インターンシップ先のすぐ隣の送り出し機関へ、自分に合った求人があるか、日本へ行くためにどれくらいのお金が必要かを聞きに行ってみました。いくつかの求人を紹介してくれましたが、当時のベトナムの給料より、かなり高めだったので、大学を卒業するまで待たず、早速手続きをして、日本へ行くことにしました。 その頃は借金に追われ、家族からも毎日「早く日本へ行って」と言われたので、将来について真剣に考える余裕がありませんでした。

学生時代にアルバイトで貯めたお金と、車などを売って得たお金、友人や知人からも少し借りて、全財産をまとめて送り出し機関に支払いました。在留資格認定が降りるまでの期間を経て、2019年3月に正式に入国し、金属プレス加工の仕事に就きました。

母と妹とタンソンニャット空港にて

借金返済に追われた日本での生活

入国して最初の月は、勉強のために組合にいたのですが、なぜか股関節の片側がずっと痛み続ける謎の症状があったので、3、4回病院に行かなければなりませんでした。日本語があまりできなかったので、自分でクリニックに行けませんでしたが、誰かに頼むのも迷惑かなと思い、最初はずっと痛みを我慢していました。しかしその後、痛みが耐えられないほどになったので、やむをえず組合の技能実習生管理のお姉さんに頼んで、病院へ連れて行ってもらいました。

丸1ヶ月間、彼女は3 ~ 4 つの病院に私を連れて行ってくれましたが、どこに行っても症状の原因がわからないと言われました。 もしかしたら長期の入院と多額の費用が必要な難病ではないかと不安で、非常に混乱していました。私はいつも頭の中で、「ここに来るために多額のお金を借りて、まだお金を返していないのに、今病気になってしまったらどうしよう…」と考え、不安で押しつぶされそうでした。 幸いなことに、4回目に愛知県の大きな病院に行ったところ、腎臓結石があることが分かりました。 その診断結果と治療法についての説明を聞いたとき、将来に影響を及ぼすほど治療が難しい病気ではなかったので、本当に安心しました。

工場で働いている様子

家族の借金を返済するために来日しているため、入社して最初の1年半くらいはお給料が入ったら食費をほんの少しだけ残して、残りはすべてベトナムに送金し、借金返済に当てました。私が毎月送っているお金の半分は家族の借金の返済に、そして残りの半分は日本への渡航費や航空券代を貸してくれた人への返済に使われます。

2020年の初めまではある程度順調でしたが、コロナのパンデミックの影響で工場での仕事はかなり減り、月給は6〜7万円くらいしかありませんでした。 ちょうどこの時、出国費用のためにお金を貸してくれた人に急用ができて、追加で送金しなければならなかったので、お金を実家に送った後、手元に残ったのはたったの900円でした。次の給料日までの10日間、この900円でなんとかやりくりしなければなりませんでした。スーパーに行って一番安いお肉を買い、友達からもらったインスタントラーメンと一緒に食べました。 当時のことを思い返してみると、本当にご飯を食べるお金もなく大変でした。なぜそれを乗り越えることができたのかが本当に不思議なくらいです。

10日間を900円でやりくり。。。

日本語勉強に熱中する日々

日本に来た主な目的は借金を返済することでしたが、それでも日本語はしっかり勉強しようと決意しました。入国して2ヶ月後にはJLPTN4の試験に申し込んで、独学で受験勉強するための本を買いました。そして、N4の合格結果を受け取ったあとすぐに、N3の試験に申し込んで、また受験勉強のための本を買いました。

2020年の初めに、コロナの影響で仕事が急激に減り、お金をすべて実家に送金し、やることが何もなくなったので、日中の自由時間はすべてN2の受験勉強に費やしました。オンラインコースに申し込むためのお金がなかったので、当時の私の勉強方法は、本屋さんで買った教科書を何回も読み返すことと、日本の映画を見たり、日本の音楽を聴いたりすることでした。たくさんの種類の本があると、今日何を勉強するか迷ってしまうので、N4からN1までずっと1つだけの教材(総まとめというJLPT受験対策のシリーズ)を使っていました。

コロナの影響で仕事が減ったときは、勉強する時間がたくさんありました。しかし、コロナが落ち着き仕事が再び安定して来ると、残業することもあり、勉強する時間を確保するために色々と工夫が必要になりました。日勤の日は、帰宅後、ご飯と後片付けをするともうすでに夜の9〜10時くらいになり、一緒に住んでいる友達が寝る時間になってしまうので、迷惑にならないよう、共用のダイニングルームで勉強をしていました。夜勤の日は、仕事から帰ってきてから寝る前の時間に少し勉強しました。

 会社にいる時もできるだけ隙間時間を利用して勉強しています。たとえば、10分間の短い休憩があるときは、語彙と漢字を勉強しますし、1時間のお昼休憩のときは、食事を20分で終わらせて、残りの40分くらいは勉強をしました。

 夜勤の時は深夜12時に休憩に入りますが、ほとんど寝ずにその時間を勉強に充てています。会社には夜勤の人のための休憩室があるのですが、その時間帯は同じ勤務の人が部屋で寝ていることが多いので、迷惑にならないように更衣室で勉強をしました。

 スキマ時間は必ず日本語の勉強をする姿勢が社内で話題となり、よく日本人の上司や同僚に励まされていました。班長もできるだけ日本語勉強のために良い環境を整える協力をしてくれました。以前N2の試験の時には、定時まであと30分ありましたが、私がその日の作業をすでに終わらせたので、残りの時間は休憩室に行って勉強していいよと言ってくれたりしました。図書券をくれた同僚もいます。また、日本語のコミュニケーション力を上達させるために、会社にいる時にはできるだけ社内の人と会話をして、わからない日本語の使い方などを聞いています。

 そうやって日中のスキマ時間を活用してコツコツと勉強を続けた結果、2020年12月にはN2を取得し、昨年の12月にはN1を取得できました。

TikTokチャンネルの開設

2022年5月2日は、私の人生において記念すべき出来事があった日となりました。その日、試しに自分が制作したビデオをTikTtokにアップロードしましたが、まさかそれが20万フォロワーになるチャンネルの始まりとは思いませんでした。

実は当初はTikTokチャンネルを作るつもりは全くありませんでした。ある日、仕事から帰ってきたのが午前3時だったのですが、N1の試験まであともう少ししか時間がなかったので、寝ずにそのまま6時まで過去問で勉強をしました。たまたまその日、後ろにカメラを置いて、自分の勉強する姿を撮ってみたら、ビデオがなかなか良さそうだったので、編集してTikTokにアップしてみました。嬉しいことに、動画がトレンド入りし、皆さんからたくさんのいいねやコメントをいただきました。自分が作った動画に想像以上の反響があり、自分の勉強への姿勢やエネルギーがたくさん拡散されているのを見て、日本関連のコンテンツをより多くの人に届けるためのTikTok チャンネルを作ろうというアイデアを思いつきました。

私のチャンネルを作り始めたときの主な目的は、自分の学習に対する意欲を視聴者と共有し、それによって多くの人の日本語を勉強するモチベーションを高めることです。そして、このチャンネルを通じて、自分の独学の経験と日本語の知識を多くの人にシェアできればとも思っています。

私も技能実習生だったので、日本語が話せない技能実習生がどれだけ大変かをよく理解しています。 でも、仕事から疲れて帰ってきて、30分〜1時間机に座って日本語を勉強するように言われても、勉強する気になれず、ただTikTokをサーフィンしたりビデオを見たりすることがよくあります。だったら、その習慣を利用して、短くてわかりやすい日本語学習の動画を作れば、スクロールしている時に、偶然私の動画が再生され、日本語の学習に興味が持てるかもしれないと思いました。そして、机に座って勉強しなくても、ビデオを見るだけで1つの単語、新しい言い回しを知ることができます。

チャンネルを始めたばかりの頃は、撮影する時間があまりなかったので、常に頭の中にアイデアがたくさんあったにもかかわらず、クリップを 2〜 3 日ごとに投稿するだけでした。 撮影や編集に慣れてきたら徐々に投稿頻度を増やしました。

TikTokの動画はあまり見ませんが、撮影や編集はとても好きです。仕事が忙しくて自分の時間が取れない日もありますが、それでもビデオを撮ったり編集したりしてから仕事に行く日もよくあります。

動画をたくさん作れば作るほどTikTokのトレンドに入り、フォロワーも増え、褒めてくれるコメントもある一方、批判コメントも前より多くなりました。最初は批判コメントを読むたびに、悲しい気持ちになることが多かったです。しかし、SNSに投稿をするということは、こういった賛否両論を避けられないことだと思うようになったら、だんだんと慣れてきました。誠実なコメントや提案は認めますが、不親切なコメントは無視するか削除することにしています。

日本語学習動画を作ることは私にとって、今まで習った知識を復習したり新しいことを調べたりする良いきっかけにもなりました。文法解説の動画やよくある日本語の話し方などについての動画を作る時には、とても真剣に下準備をしていました。間違えた知識を伝えると、私のチャンネルをフォローする人もそのまま同じ間違いをしてしまうからです。

何かのトピックについて動画をあげると、他のトピックについてもっと知りたいというコメントやメッセージが届きます。まだ知識がないトピックがあれば、調べてもっと学ぼうという意欲が生まれます。

私はほとんど夜勤勤務だったので、最初はチャンネルのフォロワーとのやり取りは主に動画でした。 TikTokで他のチャンネルを見ていると、多くの人がライブ配信機能を使って交流を深めているのですが、どの時間帯でライブをすればいいかなかなか思いつきませんでした。

たくさんの人から、私と一緒に漢字を学びたいとメッセージをいただきましたが、なかなか個別に対応ができないので、思い切って仕事が休みの土曜日にライブ配信をしてみました。最初のライブ配信はやり方に慣れておらず、交流も少なかったため、視聴者数は大体20名くらいにしかいませんでした。それでも週に1回のライブ配信を継続しようとしました。

ところがある日突然、私が以前アップした動画に反対意見がある人が、自分のチャンネルに私の動画と指摘を述べた動画をアップしました。指摘した動画に対応するため、その動画で紹介した日本語を教えてくれた日本人に直接説明してもらいました。その影響で、前よりも私の動画が多くの人に注目され、いつも20名しか視聴者がいないライブ配信も、急速に500名を超えました。その後のライブ配信では、視聴者数は若干減ったものの、初回よりも大きな注目を集めました。

ライブ配信に参加してくれる方々の時間を無駄にしないために、毎回ライブ配信前は念入りに準備をします。たとえば、漢字についてのライブ配信では、10個くらいの漢字を用意し、読み書きの方法を丁寧に共有します。文法に関するライブ配信では、その表現の使い方を説明した後に、視聴者をランダムに当てて、その文法を使う文章を作ってもらいます。そして、その表現と他に似ている表現はどう使い分けるかなども説明して、皆さんの質問に答えたりしています。

ライブ配信中に時々、答えがわからない質問があるのですが、その時はメモを取っておき、後で詳しく調べて、改めて動画でシェアするようにします。

TikTokチャンネルを作り、ライブ配信を通じて多くの人と一緒に日本語を勉強していく中で、自分が本当に日本語を教える仕事に興味を持っていることに気づきました。日本語を真面目に勉強したい技能実習生は多くいますが、1人で勉強する場合、モチベーションがないため、簡単に挫折してしまいます。一緒に勉強する仲間やグループがあると、勉強を継続できます。

皆さんと一緒に勉強すればするほど日本語がもっと好きになり、日本語教育に関わる仕事がしたいと思うようになりました。そして昨年の12月、将来の方向性について悩み、考えた末、新たな方向性を模索するために現在の仕事を辞めることにしました。

以前やっていた仕事は金属プレスの仕事で、夜勤も多く大変だったので、長く続けられる仕事ではないと思っていました。

長い間、ずっと仕事とTikTokチャンネルの運営を両立するために頑張ってきましたが、最近は自分が本当にやりたいことに集中する時期だと感じ始めています。現在は仕事を辞めて、2つの進路を検討しているところです。 1つは留学ビザに切り替えて日本に滞在し、日本語教育を学ぶこと、もう1つはベトナムに戻って日本語教育関連の仕事をすることのどちらかです。まだ答えは決まっていませんが、どちらを選んでも、近い将来やりたいことは、日本語と日本語教育にもっと深く関わっていくことだと思っています。

メッセージ

 家族の借金を返済するために、日本で働くことを決意してから5年以上が経ちました。最初は苦しい状況に迫られた故の決断でしたが、その出来事のおかげで、私と日本の縁が始まり、新しい言語を学ぶきっかけとなり、今はその言語が大好きになりました。

長年にわたる日本語学習への絶え間ない努力のおかげで、私は徐々にN4からN1までレベルを上げ、資格を取得し、自信を持って職場でコミュニケーションを取ったり、会社の同僚と良好な関係を築くことができました。

今後も自分のTikTokチャンネルを通じて、1人でも多くの人に日本語を勉強する刺激を与えたり、自分が持っている知識を皆さんにシェアしたりできたらと思います。これからはもっともっと多くの技能実習生が、自分の日本語能力に自信を持って、日本で生活したり仕事をしたりできることを心から望んでいます。

愛知県、2024年1月