チャン・テ・アイン

TRAN  THE  ANH

Profile & Message

2014年9月  :  技能実習生として来日

2015年1月  :  日本語学習者向けページ「ケーキを食べるように簡単な日本語学習」を開設

2017年9月    帰国後、株主として送り出し機関に入社

2017年12月:  JLPT N1に合格

2018年11月:  日本語教育センターを設立したが、半年後に倒産

2019年8月  :  オンラインでの日本語教育事業に切り替える

2023年11月:  日本で実際に使える言葉に特化した学習教材の編集へと事業拡大

3年間の技能実習生活の中で、仕事がいくら大変でもちゃんと日本語を勉強しようと努力したからこそ、今までの困難を乗り越えられたと思います。数年間にわたって貯めたお金の全てがなくなってしまった時でさえも、日本語能力だけは裏切りませんでした。

帰国後、多数の仕事オファー

8年前、2016年の終わりごろ、私がVOICE OF ASEAN SEMPAIシリーズで、実習生として働きながら自分で日本語を勉強した経験を共有させていただきました。

前回の話: VOICE OF ASENAN SEMPAI VOL 11 

その時からすでに8年の月日が経ち、私は母国に戻り、様々な経験を積みました。今日は再びVOICE OF ASEAN SEMPAIを通じて皆さんとお話できる機会を得ることができ、とても嬉しく思います。私の旅が皆さんにとって、何か有益な情報となることを期待しています。

来日前の面接

技能実習生の時

実習生として日本にいた3年間の最後の期間に、一週間をかけて、日本中を旅することにしました。その時はいつまた戻って来れるか分からないと思ったので、全国を巡ることにしました。大阪、京都、名古屋、奈良、神戸... 日本の美しい風景と生活を満喫するためだけに行ってきました。今まではネットでしか見れない風景を自分の目で見ることができて、とても感動しました。

日本での旅

その旅で国に持って帰るための貯金を少し使ってしまいましたが、日本での日々の最後の素晴らしい思い出になったので、本当に価値がある経験だと思っています。2017年9月26日、日本に入国してからちょうど3年が経ち、私はベトナムに帰国して、新しい人生の旅を始めました。

2017年、日本から帰国した直後はかなり順調なスタートを切りました。なぜなら、日本での滞在中に私はFacebookページ「Học tiếng Nhật dễ như ăn Bánh」を通じて、かなり大きなコミュニティと安定した個人ブランドを築いていたからです。これについては、以前VOICE OF ASEAN SEMPAIに登場した際に共有したことがあります。私はさまざまな企業から仕事のオファーを受けましたが、その中で特に興味を持っていたのは、A社とB社という2つの新しい企業でした。どちらも日本市場に人材を送り出す業界です。

戻ってきたばかりで、まだ経験は何もなく、ビジネスやベトナム市場について全く理解がないような状態だったので、「成長するチャンスが簡単に訪れるものだな」と安易に思っていました。両方の会社とも私が投資者として、ビジネスを始めるために共同出資するように招待しました。私はどちらを選ぶかかなり悩みましたが、B社に出資することにしました。

その企業での主な仕事はまず、教育センターを構築することです。入社して間もなく、すぐ教育センターのセンター長のポジションを任されました。その時点で、センターには既に約30人の学生がいました。そのころ、日本語能力と在日ベトナム人コミュニティーを持つ個人ブランドを築いていたことを除けば、私はまったくの初心者でした。どのように教育センターを運営すればいいか、学生にどの教育プログラムを提供すれば良いか、そして、部下をどうやって育成するか、学生が効果的に学ぶためにはどうすればよいのか、全くわかりませんでした。起業したばかりの会社では、誰かを見て学ぶ機会もありませんでした。

2017年12月、私はN1に合格しました。日本で一生懸命に日本語を勉強した努力が報われたので、とても喜びました。ただし、私が会社の教育センターで主要な役割を果たしている立場にいて、以前と同じ難しい課題に直面しているということには変わりありませんでした。

教育センターのセンター長として赴任してしばらくの間、おそらく上司はこのままだと、私が十分に能力を発揮できないと気づいたそうです。そして、私を市場開発部門に異動させ、新しい顧客を見つけたり、今までの顧客をサポートしたりする業務を任せました。

この社内異動によって、仕事が少しやりやすくなった気がしました。今まで身につけた日本語能力とコミュニケーション能力も以前の部署より活かせました。ただし、それはただの私の思い込みでした。実際には、新しい部署に移動してから1年たっても、私は一人も新しいお客様を見つけることができませんでした。原因はいろいろありますが、正直言うと一番の原因は私の経験不足に違いありません。

これをきっかけに、私は自分の能力について再び深く考えました。私は本当にこのまま人材派遣業界で働くか、次に何をすべきかを真剣に考えはじめました。

起業と失敗

2018年11月、帰国してから1年以上経った頃、私は二人の友達と話し合い、すでに多くのフォロワーがいる”Học tiếng Nhật dễ như ăn Bánh"「日本語を学ぶことはケーキを食べるのと同じくらい簡単だ」というFacebookページのコンセプトを考え、オフラインの日本語学習センターを設立することに決めました。この決断は、私がまだその派遣会社に勤めている時から行われました。つまり、私は前の会社の仕事をやりながら、新しい会社の設立にも力を入れていて、とても大変な時期でした。

私たち3名それぞれが少しずつ融資して、新しい会社を設立するのになんとかなりそうな資金を集められました。私たちは ”Học tiếng Nhật dễ như ăn Bánh"「日本語を学ぶことはケーキを食べるのと同じくらい簡単だ」というFacebookページを主なメディアとして活用し、学生を募集することにしました。多くのフォロワーがいるページなので、沢山の学生を集められるかなと期待していました。

日本語教育センターを設立

しかし、実際はそれほど甘いものではありません。初期の設立費用には6か月分の賃貸料と施設費が含まれていましたが、その頃の私たちは計算方法がよく分からず、投資した資金全額を使い果たしてしまい、運営資金がまったくありませんでした!

その結果は、おそらくお察しの通りです。私たちの事業うまくいかず、大きな損失を被りました。そして、失敗に気づいたあと、一緒にやっていた二人の友達事業から手を引くことにしました。

しかし、その事業は私が設立したページ・私の個人ブランドに基づいて展開したものなので、私は誰にも責任を押し付けられず、結果としては初期の出資を差し引いても相当な借金を抱えました。この失敗は本当に深刻で、その時はいつになったら立ち直れるかわかりませんでした。なぜなら、その金額は日本で3年間苦労して節約したお金に相当するからです。しかし、日本から持って帰ったお金のほとんどが家計を支えるために使ってしまっていたので、手元にお金はありませんでした。

時間を少し戻しまして、2018年7月、私は知り合いの会社のイベントに招待されました。この会社は私が帰国した時に仕事のオファーをいただいたA社だったのでした。この時点で、A社は以前より非常に成長し、強力なプラットフォームを構築していました。このイベントで、私は今の妻と出会いました。その頃彼女はA社で教師をしていました。私がまだB社の教育センター長を務めていた時には、彼女にはたくさん手伝ってもらいました。教育のプログラムや募集など、いろいろとアドバイスをもらいました。それをきっかけに、私たちは付き合うことになり、私が友達と一緒に設立した会社が潰れそうになった一番辛い時に、結婚をしました。新婚の二人は大きな借金に、苦笑いしかできませんでした。

当時、私のB社での月給は1200万ドンでした。このままB社での仕事を続ければ、何も使わず食べずに生活を送っても、借金を返済するのに4年間もかかります。

再び困難な状況に直面し、自分自身で決断しなければならない時期が続きました。妻は『ビジネスをしなければお金持ちになれないでしょう』と言いました。何もビジネスをせず、普通の会社員の給与のままでは、借金を完済するのはずっと先になるでしょう。引き続きB社にいながらビジネスをやるとしても、集中する事は難しいと思い、全ての戻り道を断つべきだ。と考え、私は思い切って、B社で働いた仲間に申し訳ないと思いながらも会社を退職して、独自のビジネスの方向を模索することにしました。

もうダメだ、もう引き返す道はない、変わるか死ぬか、それが当時の私の考えでした。日本にいる間、ちょっとした個人ブランドがあることで、自分に自信満々だった私は、帰国しても成功するだろうと考えていましたが、最終的には大きな失敗と向き合うことになりました。これは、帰国初年度に私が非常に多くのお金と引き換えに学んだ重要で貴重な教訓です。

ゼロからのスタート

冷静に考え直して、妻と私はさまざまなビジネスアイデアを試してみましたが、その時点で有望なものは見当たりませんでした。

そしてある日、私は自分が実習生としての、数年にわたり言葉や仕事に苦しむ経験から、日本語ができないまま働く皆さんが直面する難しさや苦労を非常によく理解していることに気づきました。

私は他の企業の実習生が言葉の不足からくるいじめに遭う様子を多く見てきました。もし私が彼らの問題を解決するのに何かいい方法を提供できれば、どうなるでしょう。

当時の市場では、遠隔学習をサポートするプログラムやツールがまだ多くはなかったため、日本に行くとほとんどの学習者は自己学習をするしかありませんでした。各地で開催される外国人向けの日本語講座もありましたが、ほとんどが週末に行われていました。そして、実習生の皆さんは週末だけ休暇がとれるため、ほとんどの人が参加できませんでした。日本語を早く上達させるためには、週末だけの学習では足りないでしょう。毎日という継続性が必要です。ベトナムにもオンライン学習を提供するところがありますが、ほとんどがビデオ講座という形式でした。しかし、動画だけで学習する場合には、モチベーションをなかなか維持できないので、途中でやめる人が結構います。お金を支払ってビデオ講座を購入しても、数日でやめてしまった人が多く、非常に無駄だと感じていました。

このビデオ講座の問題点を改善するために、先生と直接に勉強できるオンラインクラスを展開したらどうかと思いつきました。そして、早速夫婦で仕事を分担し、思いついたアイデアを実行してみました。私は広報とマーケティングを担当し、妻は勉強プログラムの構築・教師と学生の募集・クラスの管理を担当しました。担当者がいなかったので最初の数日は非常に難しく、夫婦でほぼ夜昼を問わず働き、一緒に授業の計画を立て、ビジネスの戦略を考えました。

そして、幸運が訪れました。多くの人がオンライン講座を必要としていたのです。その時、妻が長男を妊娠中でしたが、あまりにも多くの人の申し込みが有り、その対応に一生懸命でした。今でも記憶に残っているのは妻が分娩室に入る直前まで電話で講座に興味を持っている人の対応をしていたことです。

妻にはとても感謝しています。

努力が報われて、そして多くの実習生たちからのサポートと励ましのおかげで、やっと私たち夫婦はその大きな借金を返済できました。そして、事業が軌道に乗って、やっと新しいスタッフを採用するための資金も集まりました。

皆さんのニーズにあう講座を提供できたので、2019年と2020年は比較的順調に事業を展開できました。私たちの学習プログラムは、実習生が学んだ日本語を素早く仕事や日常生活に使えることに焦点を当てました。彼らが早く仕事環境に慣れ、多くの人が日本でより良い生活を築く為の手助けができました。チームは拡大し続け、ピーク時には私たちは約250人の非常勤講師(オンライン勤務)と約30人のフルタイムのスタッフを雇っていました。

BANH会社

事業は順調なまま続くかと思われましたが、その後、コロナが流行りだしました。

コロナと円安の影響

最初の段階では、私たちは社会的隔離と在宅勤務を除いて、ビジネスに対するパンデミックの大きな影響を感じませんでした。オンラインビジネスの強みにより、私たちは社会的隔離と在宅勤務の影響を受けずに、パンデミックの中でも発展し続けられました。しかし、この状況は長くは続きませんでした。

社会的隔離とパンデミックが続く中、多くの留学センターや人材派遣会社などが止むを得ず活動を中止しなければなりませんでした。技能実習生は国を離れることができず、出国前でも以前と同じく教育センターに集まって勉強することができなくなりました。その状況下で、多くの送り出し機関が、労働者向けにオンライン教育プログラムに取り組みはじめました。そして、多くの人々がオンライン学習が新しい時代に適応するための良い方法であることに気づきました。

これにより、私たちのオンライン学習市場が縮小し始めました。また、労働者が入国できないことにより、新規顧客がなくなり、コースの募集がますます難しくなりました。

コロナが終息しても、状況はそれほど改善されませんでした。オンライン学習市場が新しく形成され、競争は非常に激しいものになりました。しかし、その頃の私はまだ自分のビジネスにとても自信を持っており、競争が激化していることに気づけませんでした。その後も困難な日々が続きましたが、なんとか会社の活動を維持しようと、必要最小限の人員で、2023年の中ごろまで運営し続けました。

円とベトナムドンの為替が160まで下がり、これにより受講生が支払わなければならない授業料は2019年の時点と比べると30%以上増加しました。これが私たちの募集活動が困難となった大きな要因です。この時期、競争はますます激しくなり、当社のクラスの生徒募集も減少しました。この時期に世界的な財政危機、政治的および経済的リスクが多くの企業に影響を与え、人々の仕事と生活に悪影響を与えました。この課題は共通していますが、問題はこの困難をどのように解決するかです。

素晴らしい同僚たちが私と共に、様々な困難を乗り越え、一緒に働いてくれました。もし引き続き彼らと一緒に働くことができなくなってしまったら、非常に残念なことです。そうならないためにも、やはりこのままではダメだ、何か新しいことにチャレンジして、この困難な状況から脱出しなければならないと考えました。その結果、新しい分野に踏み出すことにしました。それは日本語を勉強するための本の出版です。

日本に働きに行った人々は、自分の目標に適した日本語の教材を見つけるのに苦労しているそうです。留学生はまだしも、昔の私のような技能実習生が特に自分の目標に合う教材の選びにかなり悩んでいるそうです。

ほとんどの技能実習生が、日本に行く前には「みんなの日本語」の20課から25課ぐらいまでしか進んでおらず、会話能力も高くはありません。職場で必要な専門用語もたくさん覚えなければなりませんが、受け入れる企業や組合によってしっかり教えてあげるところもあれば、そうでないところもあります。仕事をうまくこなし、日本での生活を少しでも楽にするためには、自分で努力し、日本語の勉強をしなければなりません。

日本には外国人がよく使う日本語の教材がたくさん出版されています。「みんなの日本語」や「JLPT対策」の本などです。ベトナム語で日本語の文法を解説するウェブサイトもあります。しかし、私たちが目指したのは、技能実習生の皆さんの全てのニーズを満たせるALL IN ONE教材です。会話の勉強はもちろん、日本語の文法や語彙のベトナム語解説を含めたものを作りました。さらにはベトナムの技能実習生がよく働く分野の専門用語(分野ごと)やJLPT N3-N2-N1の知識も記載しました。

初めての学習教材 "ALL IN ONE"

これまでに本を書いた経験はありません。しかし、情熱とベトナムの実習生に日本語を教えた7年間の経験があります。これを基に、アイディアを実現するためチーム一丸となり努力しました。そして幸運なことに昨年11月1年間かけて作成した書籍が発売され、人事派遣業界や実習生の多くから注目を浴びました。

教材の販売は始まったばかりで、期待通りに皆さんからご好評いただけるかどうかはまだわかりません。これからは皆さんのフィードバックを参考にし、改善を重ね、より多くの実習生に届けられるように精一杯頑張ります。

ベトナムテレビ局のインタビュー

メッセージ

 あっという間ですが、帰国してからもう7年ほど経ちました。振り返ってみると、初めの頃は自分の力を過大評価し、その結果生まれた失敗を経験しました。しかし、日本での3年間で得た貴重な経験や日本語のスキルを活かすことで、徐々に自分に適した方向に進むことができました。

3年間の技能実習生活の中で、仕事がいくら大変でもしっかりと日本語を勉強しようと努力したからこそ、今までの困難を乗り越えられたと思います。数年間にわたって貯めたお金の全てがなくなってしまった時でさえも、日本語能力だけは裏切りませんでした。

現在、オンライン学習の方法は以前よりもかなり発展しています。だから十分な意欲があれば、実習生のみなさんがN3~N2、さらにはN1を取得するために自己学習することは、以前ほど難しいものではありません。

毎日たったの30分、通勤中や寝る前に少しだけ読むのを積み重ねれば大きな成果につながります。そして確実に、皆さんの日本語スキルは向上し、生活や仕事がますます円滑になるでしょう。そしていずれかはN2やN1の資格を取得し、日本での仕事や生活が順調に進んで行くでしょう。そんな皆さんのお話が聞けることを楽しみにしています。

ハノイ、2023年11