チャン・  テ  ・アイン

TRAN   THE   ANH

Profile & Message

2013年 技術師範大学 電気・自動化専攻 卒業

2014年 ベトナム労働・傷病兵・社会省と日本の財団との連携プログラムで

                                 技能実習生として来日

2015年 日本語学習者向けページ「ケーキを食べるように簡単な日本語学習」開設

環境のせいにせず、とりあえず自分なりに努力すれば、いくら困難なことでも自分の意識を強くするきっかけになる。

母さんからの一言

 若くて傲慢な経験の無い新卒エンジニアであった私は、就職活動も一切せずに、3年生の時に開いた小さな電気部品店で毎日を過ごしていましたが、資金も無く、あまり稼げていない状態でした。

 お正月が近づいてきたある日、「お前、日本に行かないかい?」と、母さんから声を掛けられました。様々な考えが頭に浮かびましたが、資金がないまま今のお店を経営していても仕方ないと思ったし、海外へ留学に行けることに興奮し、それ以上深く考えずに同意しました

留学プログラム?!

 お正月が終わり、父さんが手続きを全て済ましてくれ、まず20日間の研修コースに通い始めました。しかし、そこでは達成できそうにない様々な目標が設けられていました。日本語のひらがな・カタカナ、様々な名詞、動詞、形容詞のリスト等を全て覚えることや、基準に達する為の筋力トレーニングを毎日行なう(?)ことなどです。

手続きの際に両親から、「これはベトナム労働・傷病兵・社会省の留学プログラムで、通常は省の役人と繋がりがないと参加できないんだよ。」と聞かされていて、将来の色々な展望を頭の中で描いていましたが、実際に参加してみると、これは留学プログラムではなく技能実習生の派遣プログラムだと分かりました。(その時初めて技能実習生がどんなものかを知りました。)

想像していたものとは違いましたが、「まあ、海外に行けるし、大変だけどお金を稼げばいいや。」と素直に受け入れ、会社の採用面接日まで一所懸命勉強することにしました。

派遣先がどんな会社かもはっきりとは分かっておらず、建設現場で足場を組立てる仕事らしいとしか聞いていませんでした。先輩たちからは、“すごく大変な仕事だぞ”と言われましたが、「実際にやってみなければ分からないや」と思い、積極的に取り組むことにしました。

日本語を勉強した日々

日本語の勉強はかなり大変でした。先生が日本語を話すと、まるで鳥が囀っているかのようで、私には全く理解できませんでした。そして、新しい単語を学ぶ際には、喉が痛くなるほど口を開け、クラス全員で揃って大きな声で読み上げなければならず、「もっと楽な勉強方法があるのではないか?」と常に考えていました。

当時は先生からの宿題だけで毎日パンパンな状態でしたが、漢字(象形文字)が好きだったので、漢字の勉強に集中していました。「今は漢字を勉強しなくてもいいよ」と先生が言ったのにもかかわらず、漢字ではない授業中にもこっそりと漢字の勉強をして、授業中に私用を行なったということで何回か漢字の本を没収されそうにもなりました。

最初は難しいと思った日本語ですが、勉強し始めると意外とすんなり頭に入ってきて、教えられたこと以外についても自分で調べるようになりました。日本語の漢字とベトナム語の単語(具体的には漢越語)は、発音と意味の面で共通点が多いことに気づき、その共通点を発見できて以降、新しい言葉を覚える際にも暗記する必要がなくなり、以前よりずいぶん楽になりました。

日本語の勉強に慣れてくると、4ヶ月で「みんなの日本語」の25課まで勉強することが遅いと感じ、より早いペースで勉強するスケジュールを立ててみました。その結果、同じ期間で「みんなの日本語」の50課まで勉強出来て、漢字も約1,000文字ぐらい覚える事が出来ました。日本語(特に漢字)を積極的に勉強したので、世界で最も難しいと言われる日本語を自分も使いこなせるだろうと自信がつきました。

採用試験では、日本語能力に関しては非常に優秀な点数を取れましたが、体力の方はあと少しで落ちそうなくらいギリギリでした。総合評価の結果、合格となり、4ヶ月経ってようやく日本に行くことが決まりました。

日本の第一印象は、どこも凄く綺麗で、素晴らしいと思いました。来日後、1ヶ月間研修センターで過ごした後、次の3年間を思いながら新しい生活、新しい仕事に取り組むワクワクした気持ちで入社しました。

危険な仕事

出社1日目。長さ3.6メートル、重さ13.6キロの足場用の金属製板2本を肩に載せ、2階まで何度も繰り返し運びました。重くて苦しくて、喉が渇き、肩がやけどのように赤くなり、足もボロボロ。「なんてこった、悪夢じゃないよね?これを3年間もやらなきゃならないのか?!」と、思っていたことを今でもはっきりと覚えています。

しかし、実はそれはまだまだ楽な日でした。その後はもっと大変で、足場板を30~40メートルの高層まで運ぶことが当たり前になりました。雨の日も、風の日も、そして雪の日も休むことなく仕事は続き、一歩でも足を滑らせると、人生が終わるようなことが、ほぼ毎日繰り返されました。

また、仕事を始めたばかりの時は仕事の事があまり分からなかったので、よく周りの人に叱られ、頭にきて、諦めようとしたことが沢山ありました。1年間は何とか我慢して逃げようと思ったことまでありました。

積極的に考えて、積極的に行動

しかし、時間が経つにつれて、少しずつ積極的に考えるようになり、この生活から何を得られるかを考えました。毎月手取り8万円しかないので、決して給与(お金)は良くないですが、毎日日本語でコミュニケーションできるチャンスは本当に宝物だと思うようになりました。

知識を身に付ければきっと今よりたくさんのお金を稼げると信じて、より一生懸命に勉強するようになりました。建設現場は離れたところが多く、ほぼ毎日朝4時に起きて仕事に出て、夜も毎日8時~9時までです。しかし、車で移動する時間もそれなりに長いので、その時間を活用する為、いくら疲れていても居眠りを我慢し、日本語を勉強し続けています。そのおかげで、周りの人の言ったことがだいたい分かるようになり、自信を持ってコミュニケーションできるようになりました。

「仕事のことを勉強しろよ。これは勉強してもお金にはならないだろう」と、周りから言われることもありますが、気にせず勉強を続けています。

「ケーキ」を作る

2015年1月のある日曜日、日本語の単語を並べて詩を作りました。思った以上に良くできたので、調子に乗った私は後輩や周りの人たちに共有する為、Facebookのページを作りました。「飴を食べるように簡単な中国語学習」というページの真似をして、「ケーキを食べるように簡単な日本語学習」というページの名前にしました。  

ページを作成して数カ月後、やっと勇気を出して、漢字の勉強方法を教える最初の動画制作に着手しようとしましたが、その時偶然、音楽を使ってラップで英語を教えようとしている欧米人の動画を見ました。簡単だけど面白く、「これなら、自分もできるじゃないか」と思い、良く使われる漢字の50の部首についての詩を作り、詩が完成すると、メロディに合わせて読み上げて意味を説明する動画を作成しましたが、あまりにも疲れていたので、動画が完成した後、Facebookページにアップロードするとすぐに眠ってしまいました。

朝起きて、何気なくページを見てみると、動画の閲覧回数が何万回にものぼり、いいねとシェアの件数も数千件以上になっていて、宝くじに当たったかのように驚きながら喜びました。

直観的で、分かりやすく、覚えやすいと、皆さんから評価を頂いたのが嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

その後、最初の動画の発想を活かし、音楽を通じて如何に日本語の知識を伝えるかを考えはじめました。そして、「お母さんの日記」というベトナムでは誰もが知っている歌のメロディに合わせて、手や眉毛、目など、体の部分について日本語で説明する動画を作成しましたが、最初の動画と同じく、新しい日本語学習方法として多くの人から好評を得ました。そのようにして、「ケーキ」はどんどん成長しています。

「ケーキ」から生まれるやる気

ページを運営するようになり、生活も色々と変わって来ました。

制作した動画が多くの人の好評を得たことで、ページを運営し、発展させることに益々やる気が高まりました。また、見てくれた人からもメッセージを沢山もらい、その中には感謝の気持ちを伝えてくれるものもあり、本当にうれしい限りです。

ファンが増えれば増えるほど、プレッシャーもそれなりに感じるようになってきましたが、より良いものを作る為に、より多くの役に立つ情報を届ける為に、日々努力して勉強するようになりました。

このように役に立つ情報を皆さん届けることによって、自分が意味のあることをしていると思え、考え方が積極的になりました。自分の大変な仕事に文句を言ったり、世が不公平だと弱音を吐いたりするよりも、自分なりに頑張って勉強をして、得た知識を共有することで、日本語を勉強し始めた若者にいい刺激を与えることの方がずっといいと思っています。

また、ページが大きくなるとともに、自分の成長も日々感じています。ページを通じて、多くの人と友達になり、たくさんのアドバイスをもらいました。そして、私と同じく、自分の知識や情熱で、より親切で勉強しやすい日本語学習環境を作りあげたいと思っている仲間とも出会えました。これからは、一人ぼっちではなく、沢山の仲間と力を合わせ、自分の知識を皆さんに共有できるようになったことが一番の幸せです。

メッセージ

技能実習生の期間はまだ半分しか経っておらず、足場を組立てる大変な仕事は後1年半続けなければなりません。しかし、積極的に考えれば、あと1年半も日本を体験し、日本で勉強することができます。仲間たちと一緒に、ページを通じて何かすごいことをやりたいと思っています。

このストーリーを通じて、伝えたいことは一つだけです。もしも自分が期待していない環境に置かれても、時間を無駄にせず、諦めず、文句を言わないで、小さいことからでいいので、自分の夢を実現するために少しずつ努力していきましょう。努力がきっと報われて、いつかあなたに成功が訪れるでしょう。

埼玉、2016年3月