ドン・ フォン ・タオ

DOAN   PHUONG    THAO

Profile & Message

2008年9月-2010年3月 ドンズー日本語学校で日本語を学ぶ

2010年4月-2012年3月 広島YMCA専門学校で日本語を学ぶ

2012年4月-2016年3月 福井県立大学でビジネス経済学を専攻

2016年4月-2023年6月 日本のトップ10に入る大手物流会社で勤務

2019年12月-2020年3月 1人目の育児休暇取得

2022年12月-2023年3月 2人目の育児休暇取得中に

近所の法律事務所にパートとして勤務

2023年7月~ ベトナムの派遣会社でリモート勤務を開始し

市場調査を担当。4か月後にフリーランスに転向

もし今の働き方が家庭とのバランスを取れていないと感じるのであれば、思い切って環境を変えてみてください。年齢に関係なく、恐れずに変化を受け入れましょう。努力し続ける人には必ずチャンスが訪れます。新しい挑戦が新しい機会をもたらしてくれるでしょう。疲れたときは息抜きをして、生活を楽しみ、自分自身を大切にしてください 

思わぬ方向転換

2008年に高校を卒業後、ハノイ法科大学に合格しましたが、偶然ドンズー日本語学校の留学プログラムを知りました。論文と面接の試験に合格し、日本語を学ぶために方向転換して、1年半以上かけて日本への留学準備をしました。

ベトナムで日本語の勉強をしてJLPTまで取得しており、ドンズー日本語学校の先輩たちの紹介もあったので、来日後はアルバイトを見つけるのに苦労しませんでした。最初のアルバイトはショッピングモールの清掃で、お給料は良かったのですが日本語をあまり使わないので、生活に慣れた後は日本語を使うため、ファストフード店のキッチンで働くことにしました。このアルバイトはお給料が低かったのですが、日本語の聞き取りと会話力を向上させる機会が多くなりました。その後、ユニクロでのアルバイト面接にも挑戦し、採用され、接客の仕事もしました。

アルバイトでの経験を通して日本語のコミュニケーション能力を高めることに加えて、学校のボランティア活動や、福井県での作文やスピーチコンテストにも積極的に参加しました。学業にも力を入れ良い成績を取り、課外活動へも積極的に参加したおかげで、大学4年間は多くの恩恵を受けました。4年間の学費免除や、学校推薦の奨学金を3年間連続で受けることができました。奨学金のおかげで、大学生活では経済的な不安をあまり感じずに過ごすことができました。

大学のカタログでセミナー紹介

担当教授とゼミの友達と卒業の記念写真

 大学4年生になると、多くの同級生と同じように就職活動を始めました。当時、大阪で働いている恋人がいて、結婚を考えていたため、関西地域の会社を中心に就職先を探していました。大阪周辺で約20社に応募しましたが、なかなか希望通りには行きませんでした。内定をもらっても東京勤務を要求されることがありました。大阪だけにこだわると良い機会を逃すと感じ、全国に支店を持つ会社も視野に入れることにしました。その後、全国に支店を持つ大手のB2B運送会社から内定をもらいました。大阪で働くことも可能でしたが、そのタイミングで夫が埼玉に転勤となったので、私も会社に関東地区の支店で働きたいという希望を伝え、2016年から夫婦で関東での生活を始めました。

2017年に結婚

大企業での学び

私の会社は大規模で、典型的な日本企業なので、新入社員の研修が非常にしっかりしていました。最初の3ヶ月間は業務をせず、研修と業界に関連する資格試験の勉強だけに専念し、その間も通常通りの給与が支給されました。大企業なので、仕事のプロセスが大体決まっている感じです。この期間に、ビジネスマナーや日本人の働き方について多くを学びました。しかし、大企業であるため、すべてが高度に専門化されており、自分が担当している業務や現場だけを知ることが多く、全体を把握するのは難しいです。多くの部門を経験するにはかなりの時間を要することになります。

入社初期は、会社の保税倉庫での勤務を担当しており、倉庫の外の仕事についてはほとんど知りませんでした。出産後、保税倉庫での勤務が大変だと会社が配慮してくれ、駅に近い別の部門に異動させてくれました。この異動によって、新しい仕事を経験し、より多くの顧客と接する機会が得られました。

2019年に第一子が誕生

 新しい部門で、上司から顧客のコスト削減をサポートするプロジェクトを任されました。私たちのチームは、パートナーである日本の大手コンビニエンスストアの要望に応じて、コストを10%削減する方法を見つけることでした。

異動後初めての担当プロジェクトだったので、全体を見直し、調査して多くの提案を準備するよう努めました。自社が顧客に提供している項目を再評価するだけでなく、自社がプロジェクトで他のパートナーに支払っているコストについても検討しました。これにより、自社のコストを削減できる項目があるかどうかを調べ、顧客のコスト削減を実現しつつ、自社の利益に影響を与えないようにしました。

検討の過程で、自社がパートナーの貨物を運ぶために契約している配送コースに多くの非効率な点があることに気付きました。特に、トラックの配送コース(配送コストはコースの距離に基づく)は、コースを設定した当初と比べ、多くの店舗が閉店しているにもかかわらず、ルートがずっと変更されていなかった点が問題でした。

コスト削減のために、まずは現在も営業している店舗の位置を全て確認し、運搬トラックが通る必要のあるルートを再設計しました。これにより、閉店した店舗を通る無駄な距離を削減し、より効率的な運搬ルートを作成しました。

情報を徹底的に調べ、今取引している会社との間で非効率的だと感じた点を率直に議論した結果、顧客の要望通りコストを10%削減することに成功しました。このプロジェクトの成功により、上司から高く評価され、自分自身も新しいスキルを多く学ぶことができました。

第二子出産と新しい働き方の模索

 2022年に第二子を妊娠し、出産しました。育児休暇中、母が子どもの世話を手伝ってくれたおかげで、時間がたくさん取れたので、運転免許を取得するための勉強をし、会社の許可を得て近くの法律事務所でアルバイトもしました。

日本の法律では、育児休暇中に育児手当を受け取っていても、月に一定時間までであれば、アルバイトをしても育児手当には影響しません。そのため、育児休暇中の時間を活用して、近くの法律事務所で週に数時間のアルバイトをし、新しい体験をすることに決めました。

実際に法律事務所での6ヶ月間の勤務は、多くの知識を得る機会となりました。その中でも特に、外国人のビザに関する知識は、後にフリーランスとして求人紹介の仕事を始める際に大いに役立ちました。この部分については、後ほど詳しくお話ししますね。

第二子の育児休暇が終わり会社に復帰しました。子どもが一人しかいなかった時には感じなかった問題点が、この頃から見えてきました。コロナ禍の後、多くの会社が完全または一部のリモート勤務を導入している中、私の会社は依然として従来の勤務形態を維持していたため、相変わらず毎日往復3時間かけて会社に通う必要がありました。

昇進やより多くの成長の機会を得るためには、残業をしたり、他の部門や地域への転勤を受け入れる必要があります。一方で、残業がなく、安定した仕事を望む場合は、8時間の勤務を6時間にする時短勤務に切り替えたり、急ぎの業務対応が求められないポジションに異動することになります。しかし、これには昇進の機会がほとんどなく、勤務時間が8時間から6時間に減ることで、給与も大幅に減少するというデメリットがあります。

日本には祖父母のサポートがなく、夫婦だけで小さな子どもを育てているため、キャリアを追求するための残業や転勤を伴う仕事をすることが難しいです。しかし、時短勤務にして残業がなくなったとしても、給料が下がり、キャリアがあまりない仕事となってしまうならば、この会社にこだわる必要がないのではないか?それと同じくらいの給与なら、家の近くにもたくさんあるのではないかと思いました。そこで、いくつかの選択肢を比較検討した結果、フルタイムの仕事を辞めて、自分と家族に合った新しい働き方を見つけることに決めました。

2023年に4人家族になる

フリーランスとしての新たな挑戦と成長

 フルタイムの仕事を辞めたばかりの頃、育児休暇から戻った友人の代わりにベトナムの人材派遣会社で営業職として働きました。友人の紹介で即採用されたものの、会社は新入社員に対する研修が全くありませんでした。自分で全ての情報を調べ、業界団体や企業のリストを作成し、電話でアポを取り、契約を結ぶなど、一人で行う必要がありました。約4ヶ月の勤務で4~5社の顧客を紹介し、20人のベトナム人に仕事を紹介した後、自分には合わないと感じて退職することを決めました。それでも、この仕事を通じて貴重な経験と新しい人脈を得ることができました。

人材派遣会社を退職後、フリーランスとして働くことに決めました。4ヶ月間で得た業界団体や支援機関とのネットワークを活用し、短期の通訳案件や企業の人材を探すサポートを行いました。また、並行してインターネットでフリーランス向けの求人サイトを探し、契約ベースの短期の仕事を見つけることにも取り組みました。


しばらくの間、仕事を探し、経験を積むことに一生懸命取り組んだ結果、さまざまな仕事を経験することができました。弁護士のための通訳や技能実習生・特定技能の通訳のように、顧客から連絡があるときにだけ行く仕事もあれば、川崎市役所での仕事のように、月2回の月給制で、ベトナム市場に関するマーケティング分析をしている日本企業での安定した仕事もあります。最近では、日本のHR企業のソーシャルメディアのコンテンツ作成を行う仕事も引き受けています。

また、日本とベトナムの人材紹介会社に、人材を紹介するサポートもしています。基本的に、自分の能力と時間が許す限り、どんな内容の仕事でも引き受けます。さまざまな仕事の内容は、異なる経験をもたらしてくれるとともに、仕事を探す過程で得た多くの経験や知識は、コミュニティに共有するのに役立ちます。

市役所での仕事

正社員の仕事を辞めてフリーランスとして働くようになってから、これは本当に自分の今の生活に合った働き方だと感じています。仕事の時間を自由に調整できるので、家族の世話をしっかりと行うことができ、自分のための時間も増え、さらにさまざまな仕事を経験することができます。収入も悪くありません。もちろん、正社員として働いていた時に比べると、フリーランスとしての収入は月ごとに大きく変動することがあります。多くの仕事を受ける月は、以前よりも高い収入を得られることもありますが、逆に仕事が少ない月は、せいぜい10万円程度の収入になることもあります。しかし全体的には、月ごとにバランスを取りながら、安定させることができていると感じています。委託業務を受けると長続きしないと思われがちですが、仕事をうまくこなすと、次の機会が来ることが多いです。2〜3件の良好な取引先を維持できれば、収入もそれほど不安定にはならないでしょう。

メディアで紹介された時

フリーランスとして働くようになってから、自由な時間が増えたので、仕事探しや短期雇用の経験、失業保険の申請方法、育児支援制度、子育ての実体験についての情報を自分のFacebookやグループなどでシェアしています。多くの母親たちから、良い反応をいただいています。

2023年9月に、自分のシェアする内容をもっと多くの母親たちに届けるために、TikTokチャンネルを立ち上げ、短い動画を作成して経験や知識を共有し始めました。チャンネルを始めた初期には、動画の撮影や編集にかなり労力がかかりましたが、フォロワーが増えず、時には挫折しそうになることもありました。しかし、これが新しいスキルを学ぶためのチャンスだと、自分を励ましながら毎日続けてきました。毎日少しずつ頑張れば、必ず閲覧回数が増えると信じています。

動画の制作を続けてきた結果、現在私のTikTokチャンネルは約7000人のフォロワーがいて、いくつかの動画がトレンド入りし、高いビュー数を得ることができました。このTikTokチャンネルを作ったことで、新しい仕事の機会もやってきました。具体的には、4つのHR企業から人材の紹介やリクルーティングの依頼を受けました。また、ある日本のHR企業からは、ソーシャルメディアプラットフォームのアカウント作成やコンテンツのアイデア出しに関する仕事も受けました。

今後は、英語と中国語のスキルを向上させるために、もっと時間を割こうと思っています。これらの言語を習得することで、さらに多くの魅力的な仕事の機会が得られると感じているからです。また、デジタルマーケティングについても独学し、現在の仕事と、TikTokチャンネルを通じて、日本のベトナム人コミュニティをサポートするために活用したいと考えています。これにより、特に母親たちが新しい環境で最大限の能力を発揮できるよう支援していきたいと思っています。この知識とスキルの向上が、コンテンツ作成をより良くするだけでなく、個人ブランドを持続的に発展させる助けになると期待しています。これにより、コミュニティへの貢献とともに、将来的には自分自身にとっても、多くの仕事の機会を得ることに繋がることを願っています。

メッセージ

 この記事を通して、日本で生活し、働いているすべての方々、特に女性の皆さんにメッセージを送りたいと思います。ベトナムの女性たちは、家庭的であるだけでなく、才能に溢れ、強い意志を持っています。もし今の働き方が家庭とのバランスを取れていないと感じるのであれば、思い切って環境を変えてみてください。年齢に関係なく、恐れずに変化を受け入れましょう。

努力し続ける人には必ずチャンスが訪れます。新しい挑戦が新しい機会をもたらしてくれるでしょう。疲れたときは息抜きをして、生活を楽しみ、自分自身を大切にしてください。

時には、仕事に全力を注ぎ、目標達成のために集中することもあります。しかし、また別の時には、家族とキャリアの両方に気を配る必要があることもあります。これが、新しいことに挑戦し、学び、成長する機会を与えてくれるのです。

皆さんが常に強くしっかりとした意志を持ち、自分の仕事の方向性と家庭の状況に適した道を見つけられることを願っています。

東京、 7/2024