チャン・ビック・タオ

 TRAN  BICH  THAO

Profile & Message

2009年       貿易大学を卒業

2009年2010年   ハノイの貿易会社で勤務

2010年〜2012年 東京福祉大学日本語別科で日本語を学ぶ

2012年4月 目白大学大学院に進学

2014年3月 東京の大手企業に勤務、書類業務を担当

2019年4月 同じ会社で経理の仕事に転職

2021年11月 夫が設立した会社で経理と人事業務をサポート

2022年6月 同じ会社で総務業務を担当

2024年7月 夫の会社に専念するため、退職

2024年11 宅地建物取引士資格 取得

「新しい自分を受け入れるまでには、私自身も多くの時間が必要でした。しかし、健康上の問題をきっかけに立ち止まり、自分の体をより大切にし、その声に耳を傾けることを学びました。この経験はまた、自分に新たな挑戦を与えるとともに、一つの道に縛られる必要はないということを教えてくれました。私たちは自らの力でチャンスを生み出し、選択していくことができるのです。」

留学の決断

2009年、貿易大学を卒業後、ハノイにある日本の製造業の貿易部門で働き始めました。大学で学んだ専門知識を活かせる仕事でしたが、1年間働く中で、自分には「読む」「書く」という能力はあっても、「話す」や「コミュニケーション」の面で大きな課題があることに気づきました。また、日本での勤務経験のある同僚たちと比べて、日本語に直接触れる機会が少なかったため、自信を失ってしまいました。そこで、ベトナムでの仕事を辞め、日本でコミュニケーション能力を向上させ、大学院に進学しようと決めました。

FTUを卒業 – 文廟で偶然福田元首相に会う

当時、進学先の選択肢は2つありました。1つは貿易大学と提携している大学院に進学すること、もう1つは1年〜1年半、日本語学校に通いながら大学院受験を目指す方法でした。私は日本語のスキル向上を優先し、後者を選びました。結果的に、この選択が私の人生を大きく変えることになりました。日本語学校に通い始めて半年後、貿易大学で一緒に学んでいた友達と再会したのです。当時は特に親しく話すこともなく、ただ一緒に通学する程度の関係でした。しかし、その後日本語学校で再会したことで親しくなり、最終的には結婚することになりました!

労働組合での仕事と最初の挑戦

1年半の日本語学校を終えた後、私は目白大学大学院に入学しました。この大学院には、ベトナムと深い関係を持つ教授がいることを知っていたため、進学先に選びました。目白大学大学院卒業後、私は東京にある大手の労働組合に就職しました。

入社当初から、私は多岐にわたる業務を任されました。技能実習生の受け入れや入国手続き、翻訳、さらには発生した問題への対応など、幅広い仕事に携わり、多くの人々と出会う機会がありました。毎日遅くまで残業し、帰宅が夜8時や9時を過ぎることもありましたが、それでも全力で仕事に取り組むことが楽しかったのです。

そんな順調な日々が半年経った頃、妊娠が発覚しました。外での業務が体調に影響を及ぼすのではないかと心配した上司たちは、仕事範囲を見直し、業務内容を調整してくれました。その結果、以前のように外出して多くの人と会う機会は減り、会社内での手続きや書類作成を中心とした業務へとシフトしました。

出産後、1年間の育児休暇を経て、私は1日6時間の短縮勤務で職場に復帰しました。しかし、育児と仕事の両立は決して簡単ではありませんでした。子どもが病気になると、1週間ほど休むこともありました。また、ちょうど私が復職した時期に夫の仕事がとても忙しくなり、頻繁にベトナムへの長期出張が重なりました。2ヶ月近く帰ってこないこともあり、その間は私と子どもが二人三脚で日本での生活を支えていました。

私の毎日は、朝早起きして子どもを保育園に送るところから始まりました。その後、6時間働いてから子どもを迎えに行き、食事の準備やお風呂、家事をこなすという慌ただしいものでした。子どもが元気なときは問題ありませんでしたが、病気になるとさらに負担が増し、一人で看病しながら日々の家事をこなすだけで精一杯でした。忙しさに追われる毎日の中で、自分の健康に気を配る余裕もなく、毎日ただ仕事と家事をこなすことに必死でした。

最初の感情混乱の時期:長男が1歳になり、夫が出張続きの日々

感情の混乱とバランス

 ある日、突然、自分の心身が極度に疲れていると感じました。健康診断を受けた結果、身体的には問題ないということでしたが、精神的には次第に気分が落ち込んでいくのを感じました。毎朝目を覚ますたびに、体も心も重だるく、暗い気持ちが続いていました。ある朝には、無力感に押しつぶされそうになり、声を上げて泣きたくなることがありました。実際に泣き崩れ、感情を解放することもありました。その状態が約1年間続き、どうすればこの状況から抜け出せるのか分からないまま過ごしていました。

そんな状態で過ごしてからほぼ1年が経った頃、やっと自分の感情を押し殺して仕事に追われ続けるのは限界だと思うようになりました。何とかして自分を解放しなければと決意し、会社に自分の状況を伝え、仕事量を減らしてもらうようお願いしました。具体的には週に3〜4日だけ出勤し、残りの日は休養を取って、感情を整え、自分のための時間を作ることにしました。幸いにも、会社は私の状況を理解してくれ、提案通りに休養を取ることができました。

休養中、私は何か新しいことに挑戦すれば気分が改善されるかもしれないと思い、資格取得に挑戦することを決めました。新しいことに集中することで、日常のルーティーンから抜け出し、気持ちをリフレッシュできると考えたのです。もともと数字が得意だったこともあり、簿記の資格を目指すことにしました。また、その頃、夫が将来独立して会社を立ち上げたいと考えていたので、この資格が役立つだろうとも思いました。結果的に、約8ヶ月間の独学を経て、簿記3級と2級を立て続けに合格することができました。

私が患った病気は、自律神経失調症です。この病気は、しばしば「仮病」と誤解されることがあります。一見すると健康そのもので、周囲の人には病気だとは気づかれません。しかし、精神的な調子が崩れると、体が常に疲れやすくなり、やる気が起きず、まるで自分の体ではないような感覚に陥ることがあります。

簿記3級の試験を受けて合格したのは、ちょうど体調がよく、元気だった時期でした。その後、気分も上向きだったことから、新しい挑戦として転職を決意しました。これまで学んだことを活かせる機会を求め、建設業界でベトナムと関係のある企業の経理職に応募しました。その結果、無事に採用されました。しかし、現在の会社を辞める理由として「経理の仕事を試してみたい」と伝えたところ、会社から「経理部に異動するのはどうか」と提案されました。長年勤めてきた会社での慣れ親しんだ環境や、優遇された労働条件を考慮した結果、転職はせず、そのまま残ることを決めました。

その後、新しい仕事を任され、自分がやりたいと思っていたことに挑戦できるようになりました。学び続ける環境が整ったことで、健康状態や気分も大きく改善しました。時々、体調が優れない日もありますが、以前のように気分が大きく落ち込むことは少なくなり、2~3日で元気を取り戻せるようになりました。

新しい仕事に挑戦できたことで、心が安定した時期

 順調に過ごしていると感じていましたが、2人目の子供を出産した後、再び長期間にわたる気分の落ち込みが始まりました。妊娠中は元気だったものの、出産後に長い休養を取ることになり、その間に簿記1級の試験に挑戦することを決めました。子供の世話をしながら試験勉強を続け、合格を目指して努力していました。

しかし、試験の2ヶ月前にコロナワクチンを接種した際、副作用がひどく長期間体調が回復しない状態が続き、最終的には試験を受けることができませんでした。

せっかく努力していたのに、体調不良のせいで試験を受けられなかったことで、自分の無力さを感じさせられました。その結果、再び気分が落ち込み、以前と同じように暗く絶望的な気持ちに陥りました。

4人家族になった時

 そんな中、私が出会ったのが、日本に住むベトナム人向けの心理カウンセリングプログラム「Tomorrow Care」でした。このプログラムは、日本の心理学プログラムを学んだベトナム人カウンセラーによって提供されているもので、私にとっては初めての心理カウンセリング体験でした。日本で受けたカウンセリングは、医師が簡単に質問して薬を処方するだけで、感情や心理的な問題の根本的な解決には至らないと感じていました。一方で、ベトナムのカウンセリングサービスでは、文化や環境の違いから、十分に理解してもらえないことが多かったのです。

「Tomorrow Care」でカウンセリングを受けたことで、私は心がとても楽になり、気持ちが軽くなりました。自分の気持ちを理解してくれる人と話すことが、これほどまでに癒しになるとは思いませんでした。友達や家族と話すのとは全く異なり、彼らが私の状況を理解することはできても、どうしてそのような状態に陥ったのかを深く理解するのは難しいと感じていました。その点で、私の気持ちを深く理解し、寄り添ってくれるカウンセラーとの対話は、私にとって大きな救いでした。

今では、気分はだいぶ良くなり、時々気分が落ち込むことがあっても、短期間で回復するようになりました。問題が起きたときには誰に相談すればいいか、そして何をすべきかが明確になり、自分の感情を以前よりうまく処理できるようになりました。

5人目の家族を迎える幸せ

新しい挑戦を乗り越えて

 今年の7月、私は長年勤めてきた団体の仕事を辞め、夫の会社を成長させることに全力を注ぐ決意をしました。

夫の会社は2021年末に設立され、日本でベトナム人の方々に対して、不動産の購入や賃貸をサポートする事業を展開しています。会社の規模を拡大し、市場のニーズに応えるためには、夫以外に1~2人の宅建士資格を持つスタッフが必要だと感じ、私自身が資格を取得してサポートすることを決めました。宅建士の資格は日本の国家資格で、合格率が低く、学ぶべき内容も膨大なため、集中して学習する必要があります。しかし、3人の子供を育てながら、会社の仕事を完全に中断することもできないため、毎日確保できる学習時間は2~3時間程度に限られます。さらに、週末は子供たちが家にいるため、夫が仕事に行っている間はほとんど勉強ができない状況でした。

どこでも隙間時間を活用して勉強をしていた

夫が子どもの世話をしている間も公園で勉強

学習時間が限られる中で、4月に勉強を始めたばかりの頃と、7月に子供たちが次々と病気になり頻繁に病院に通う必要があった時の2回、気分が落ち込むことがありました。十分に勉強が進められず、焦りを感じ、自分が停滞しているような気持ちに陥りました。

それでも、この資格が夫の仕事にとって非常に重要であることを理解していたので、気分が落ち込んだ際には、積極的に医師に相談し薬を処方してもらったり、心理カウンセリングを予約して自分を整える時間を持ちました。こうして気分を調整し、必要な時に休養を取りながら勉強を続けました。その結果、苦しい6ヶ月間の勉強を乗り越え、11月末に無事合格することができました。合格の知らせを受け取った時、夫とお互いに抱き合い、嬉しさと感動でいっぱいになりました。会社がようやく新たなステージへと進めることを嬉しく思うと同時に、自分自身がこの試練を乗り越えたこと、そして自分の健康や気持ちにこれまで以上に敏感になれるようになったことを誇らしく思いました。

メッセージ

 自分の経験を通じて、必要な時には助けを求めること、自分のために時間を取ること、そして学び続けることの重要性を深く実感しました。人生には誰しも困難な時期がありますが、自分を大切にし、良い未来を信じる心さえあれば、必ず乗り越えられると確信しています。

新しい自分を受け入れるまでには、私自身も多くの時間が必要でした。しかし、健康上の問題をきっかけに立ち止まり、自分の体をより大切にし、その声に耳を傾けることを学びました。この経験はまた、自分に新たな挑戦を与えるとともに、一つの道に縛られる必要はないということを教えてくれました。私たちは自らの力でチャンスを生み出し、選択していくことができるのです。

東京、 12/2024