ヴゥ・ ヴァン・ カイン
VU VAN CANH
ヴゥ・ ヴァン・ カイン
VU VAN CANH
Profile & Message
2012年6月 ハノイ工業大学卒業
2012年7月~2014年12月 キャノンベトナムで品質管理担当
2015年7月~2017年3月 留学生として来日
2017年7月~2022年3月 半導体関連企業で勤務。
副業としてメルカリ、ラクマ、Amazonで物販ビジネスを開始。
2022年4月 CM Tech合同会社を設立し、Amazon Japan・Amazon USで販売
「人生の道を進むたびに、1つひとつの経験が学びとなります。楽な道はないですが、すべての試練は成長のチャンスです。自分の可能性を信じましょう。成功はすべて、行動することから始まります。
私には、最初から十分な資金も、豊富なビジネス経験もありませんでした。ただ持っていたものは『挑戦する勇気』と『決して諦めない心』です。もし、今あなたが迷っていたり、失敗を恐れていたりするならば、まずは一歩踏み出してみましょう!その道は決して楽ではありませんが、それだけの価値があるはずです。そして数年後には、あなた自身がこの場所。」
日本への第一歩
ベトナムでは日本語を全く学ばず、ハノイ工業大学で機械工学を専攻していました。 卒業が近づいたころ、キャノンが大学で採用活動を行っていたので、応募したところ、最初の選考をすぐに通過しました。卒業後、キャノンに入社し、バクニン支社で品質管理の仕事に就きました。
歴史ある日本企業で働く中で、プリンターの製造プロセスについて体系的な研修を受け、多くの専門知識を身につけました。仕事は順調で収入も安定しており、毎年昇給もしていました。特に私は昇給率の高い社員の1人で、月収は約900万〜1,000万VND(約6万円)に達していました。当時としては決して低くない金額でした。
しかし、収入は悪くなかったものの、ハノイで家や車を買うといった大きな目標を達成するのは難しいと感じていました。地方出身者として都市でキャリアを築く中で、より良いチャンスを求め、新たな道を模索し始めました。
キャノン – 始まりの旅と未来へのステップ‐
そんなある日、地元の友人と話しているうちに、「海外で働くのはどうか?」というアイデアが生まれました。最初はさまざまな選択肢を考えましたが、バクニンでは韓国や日本へ行く人が多くいました。その影響も受け、研修制度がしっかりしていて、職場環境もプロフェッショナルだと感じた、日本を目指すことに決めました。
すでに大学を卒業していたため、最初は留学ではなく、エンジニアビザで直接就職する道を考えました。そのため、日本語を学びながら就職先を探し始め、キャノンの近くにある日本語学校に通い、できるだけ早く応募できるレベルに到達しようと努力しました。しかし、日本語力が不十分で、なかなか希望する仕事が見つかりませんでした。一方で、労働者派遣会社では「前払いの保証金を支払い、求人が出るのを待つ」というシステムが一般的でしたが、自分にはリスクが高すぎると感じました。
そこで、留学コンサルタント会社にも相談してみたところ、「ベトナムの大学を卒業しているなら、日本語学校に留学し、短期間で日本語力を上げれば就職に繋げられる」というアドバイスを受けました。この方法ならリスクも少なく、エンジニアビザを目指すより早く日本に行けると考え、留学の道へ進むことを決めました。
日本での最初の試練
2014年、自分はキャノンを退職し、日本行きの準備を始めました。バクザン省に移り、ICOセンターで6か月間日本語を勉強しました。そこでは高校を卒業したばかりの若者たちと一緒に学びましたが、高い目標を持ち、全力で勉強に取り組んだおかげで、日本へ渡航する前にしっかりとした日本語の基礎を身につけることができました。
親友と共にキャノンを卒業後に留学
そして2015年7月、ついに日本へ渡り「できるだけ早く仕事を見つける」ことを目標にしました。日本に来てからわずか6か月後に、就職活動の準備を開始しました。しかし、日本語力がまだ十分ではなかったため、履歴書の作成や面接の受け答えに大変苦労しました。
担任の先生と相談し、まずはN3レベルを目指すことにしました。当時、学校ではこのような進路を選ぶ人はほとんどいませんでしたが、先生は親身になってサポートしてくれました。履歴書の添削や求人情報の探し方など、一つひとつ丁寧に指導してくれたのです。
準備が整ったと感じたタイミングで、求人サイトを通じて積極的に応募を始めました。当時の日本語レベルはN4+程度でしたが、面接の経験を積むために挑戦しました。自己紹介まではスムーズにできたものの、掘り下げた質問になるとうまく答えられず、面接官からは「もっと日本語力を向上させてから再挑戦するといい」とアドバイスを受けました。
この経験を通じて、日本語が最大の壁であることを痛感し、「1年半以内にN2を取得する」という新たな目標を設定しました。最初のN3試験は不合格でしたが、2回目の挑戦で合格しました。そして、2016年末にはN2にも合格し、自信を持てるようになりました。
就職活動の苦難の道のり
2017年3月、日本語学校の卒業が近づいていたものの、なかなか希望に合う仕事が見つかりませんでした。いくつかの企業から内定をもらいましたが、仕事内容が自分の希望とは合わなかったため、辞退しました。
そんな中、日本のあるセンサー専門会社が採用を開始しました。1か月以上かけて入念に準備し、面接に挑みました。しかし、全力を尽くしたにもかかわらず、不合格となってしまいました。この時、改めて日本での就職活動の厳しさを痛感しました。
ビザの期限が迫る中で仕事が決まらず、不安を感じ始めました。そんな時、担任の先生が専門学校への進学を勧めてくれました。進学すればビザを延長できるだけでなく、新たなチャンスを得る時間を確保できるからです。同時に、先生は就職支援を専門とする会社も紹介してくれたため、より多くの機会を探すことができました。
幸運なことに、ちょうど1年前に不合格になったあの会社から、再び面接の機会をもらいました。今回は以前の経験を活かし、より万全な準備を整えて臨んだため、自信を持って面接に挑むことができました。その結果、面接の翌日に内定をいただくことができました。さらに、友人も同じ会社に合格し、一緒に働くことになりました。
こうして、ついに正社員としての仕事が決まり、技人国ビザの取得にも成功しました。
キャリアの転機と新たなチャンス
派遣会社に入社後、1.5ヶ月間の研修を受けました。研修では、日本語のスキルだけでなく、企業での仕事の進め方やビジネスマナーなども学びました。その後、取引先企業への面接が始まりました。
最初に内定をもらったのは、自動車用タイヤを製造する会社でした。しかし、業務内容が体力的に厳しく、健康への影響を考えて辞退しました。その2ヶ月後、半導体関連企業の面接を受ける機会を得ました。この会社の職場環境に魅力を感じ、幸いにもエンジニアとして採用されました。
私の仕事は、半導体製造装置の組み立てや設置業務が中心でした。日本国内だけでなく、韓国やシンガポールへの出張も頻繁にあり、アメリカ出張のチャンスもありましたが、ビザの関係で実現しませんでした。
東京エレクトロン
- 起業の夢を育んだ場所-
2年ほど働くと、仕事にもすっかり慣れ、業務をスムーズに進められるようになりました。ただ、その頃になると、会社の環境や制度は非常に良いものの、残業がほとんどなく、収入が増えにくいことに気付きました。
東京エレクトロンでの勤務風景
そこで、本業以外で収入を増やす方法を模索し始めました。ネットでさまざまな情報を調べる中で、メルカリの存在を知り、中国から商品を仕入れてFacebookで販売することを思いつきました。最初のうちは順調でしたが、しばらくするとベトナム人の競合が増え、価格競争が激しくなり、Facebookでは売れなくなってしまいました。
次に、販売の場をメルカリに移し、中国からの輸入販売を継続しました。YouTubeで日本人のノウハウを学びながら、メルカリのアルゴリズムを活用しました。当時のメルカリは今よりもシンプルな仕組みだったため、長期休暇のたびに商品を出品すれば、すぐに売れる状況でした。
仕事が終わった後に梱包作業を行い、翌朝郵便局へ発送するという生活が続きました。そのうち、ラクマやヤフオクなど他のプラットフォームにも販路を広げ、本業の収入を補うことができるようになりました。
Amazonの販売ビジネス開始後の風景
Amazonでのビジネス拡大と挑戦
在庫処理のために、以前から持っていたAmazonアカウントを使って販売を始めました。その際、AmazonのFBA(フルフィルメント by Amazon)サービスを利用し、商品を梱包してAmazonの倉庫に送るだけで、注文が入ると自動的に梱包と配送をしてくれる仕組みでした。結果として、多くの注文が入るようになり、自分で作業することは少なくて済みました。
CM Tech – 忍耐と情熱の結晶-
Amazonでの大きなチャンスを感じた私は、これに集中することを決意しました。しかし、当時の知識では十分でないと感じ、さらに学ぶ必要があると考えました。そこで、日本の企業が主催するAmazon販売に関する無料セミナーに参加しました。すべてがコースへの勧誘であることは分かっていましたが、学びのために参加しました。その後、自分はさらに高額な別の講座にも参加し、3ヶ月間学んで専門的な知識を深めました。講座で学んだ知識やノウハウと実務経験を組み合わせることで、Amazonでのビジネスがますます順調になり、売上も着実に伸びていきました。
副業として続けることは難しいと感じ、私は会社を辞めて、Amazonを専門に扱う自分の会社を立ち上げることを決意しました。その時点で、Amazonからの収入で生活が成り立つようになり、十分な知識を得て、自信を持ってこの道に進む決心をしました。
退職にあたり、会社は私の決断を残念に思っていましたが、私は自分の道を切り開くために独立を目指していました。翌年の2月に会社を設立し、4月に本格的に活動を開始しました。3月に退職してビザ申請を行い、7月にようやく結果が出ました。その間に、日本のYouTubeで税金や銀行口座、その他の手続きについて調べました。
Amazonに集中するため、私は他のプラットフォームでの販売を減らし始めました。なぜなら、Amazonのように自動化されていないプラットフォームでは、顧客対応や梱包に多くの時間を要するからです。そのため、中国からブランドではない商品を仕入れ、自分のブランド名で販売し、Amazonと特許庁に商標登録を行いました。
ただし、中国から輸入したすべての商品が売れるわけではなく、どの製品が売れるかを研究し続ける必要がありました。その年の売上は4800万円に達しました。税金として約50万円を支払いましたが、正しい方向に進んでいると実感しました。
次の目標は、3年間のビザを取得して楽天に店舗を開設し、永住ビザを申請できる条件を整えることです。売上はさらに増加し、PDCAの手法を活用してAmazonで販売する商品の選別を行い、利益が高い商品だけを残しました。
最初は、スマホケースやイヤフォンケース、WiFiのSIMカードなど、アクセサリーを中心に販売していました。しかし、2022年からは新たな分野としてファッションに進出し、主にランジェリーの販売に注力しました。これは非常にポテンシャルのある市場ですが、同時に多くの課題も伴います。
次第に、Amazonでの運営費用と販売最適化の方法をより深く理解するようになりました。売上も順調に伸び、3年目にはAmazonでの売上が6000万円に達しました。今年は約254万円の税金を納め、引き続きAmazonでのキャリアを発展させていくことを決めました。
5996 Man
– 2024年のAmazon Japanでの売上 -
2023年5月から、Amazonでの販売ビジネスについて教え始めました。ビジネスが安定してきたので、Amazonでの販売に興味がある人たちに自分の経験を共有したいと思ったのです。投稿をしたところ、多くの反響がありました。また、1:1で指導してほしいという声も多く寄せられました。YouTubeで動画を見たり、記事を読んだりしたものの、実際にはうまくいかなかったという声もありました。
Zoomにて、Amazon販売に関する知識を共有
そこで、私は自分の経験を伝えるために、コースを開講することを思いつきました。2023年6月に最初のコースを開講し、その後も続けて他のコースを開講しました。3回目のコースが終わる頃、仕事と授業の両立で健康状態があまり良くなくなったため、健康のために授業の頻度を週2回に減らし、残りの時間は休息と回復に充てることにしました。
Amazonでのビジネスにより、自由な時間を増やしていくことが目標。
家族や友人との時間は、子供たちがベトナム語を上達させるための良い環境
毎年、私は約4ヶ月間授業をし、1つのコースには4〜5名の生徒が参加します(最初は1〜2人でした)。あまり多くの生徒を受け入れないのは、一人ひとりに対して直接的かつ効果的にサポートをしたいからです。
私のコースは価格が高めなので、生徒を受け入れる前に必ず事前に連絡を取り、彼らがこのコースに合っているか(例えば、日本語能力など)を確認しています。これにより、コースの質を維持し、Zoomを使った指導形式を保っています。
最近では、アメリカ市場にも進出し、現地の知人たちと協力してベトナムのブランド製品をアメリカで販売しています。売上はまだ日本市場ほど大きくありませんが、これは新しい市場での学びや実際の経験を積む良い機会となっています。
ベトナムのお菓子ブランド「Richy」をアメリカのAmazonで拡大する
アレックスさんとアメリカのAmazonでのビジネス戦略について話し合う
アレックスさんと一緒に、Amazon Japanとアメリカに関する知識を共有するライブ配信を実施
メッセージ
これまでの道のりを振り返ると、Amazonでの販売から始まり、独立して事業を拡大し、さらにはそれを教えることで、自分が得た経験を他の人と共有できたことに大きな充実感があります。どんなビジネスでも最初は試行錯誤の連続で、成功を収めるためには継続的な学びと改善が不可欠だと感じています。私自身も多くの困難を乗り越えながら成長し、ビジネスを発展させることができました。
これからも、Amazonでの販売を続けながら、他の市場への展開や教育活動を通じて新しい挑戦に取り組んでいきます。そして、これまでの経験を生かして、少しでも多くの人に役立つ情報やサポートを提供できるよう努めていきたいと思っています。私の経験談が、同じ道を歩もうとしている人たちにとって少しでも励みとなり、彼らが自分の夢を実現する手助けとなることを心から願っています。
「人生の道を進むたびに、1つひとつの経験が学びとなります。楽な道はないですが、すべての試練は成長のチャンスです。自分の可能性を信じましょう。成功はすべて、行動することから始まります。
私には、最初から十分な資金も、豊富なビジネス経験もありませんでした。ただ持っていたものは『挑戦する勇気』と『決して諦めない心』です。もし、今あなたが迷っていたり、失敗を恐れていたりするならば、まずは一歩踏み出してみましょう!その道は決して楽ではありませんが、それだけの価値があるはずです。そして数年後には、あなた自身がこの場所で、自分の人生のストーリーを語ることになるかもしれません」。
山梨、 2025/03