人生のターニングポイント

 2010年、ベトナムの大学を卒業後、私は大手外資系コンサルティング会社に入社し、実務経験を積みながら海外の大学院へ進学する道を探していました。そのときはヨーロッパの大学院かアメリカの大学院かのどちらかにしようと悩んでいましたが、突然、まったく違う道が開けたのです。

 2012年4月、当時はまだ結婚していなかった主人が日本の文部科学省の奨学金(MEXT)に合格し、日本へ留学することが決まりました。主人の留学期間は数年あり、私もまだどこの大学院にするか決めていなかったので、一緒に日本へ行くことに決めました。日本の大学院へ入学して留学生として来日しよう、それがダメなら家族滞在として日本へ行こうと2人で話し合っていました。

 主人が一足先に来日し、2012年5月、主人が来日してから1か月後、私は長期の有給休暇を取って日本へ遊びに行きました。日本へ遊びに行ったとは言うものの、今回、私はこの期間に日本はどんな国なのか、生活環境はどうかを知り、そして自分に合った大学院を探すという目的があったのです。実際に日本へ行くと、日本では英語を使う機会が少なく、さらに大学院の英語コースも数少ないことを知りました。そして私の専門である財務会計は、英語のプログラムがなく、日本語でしか勉強できないということも知りました。私は日本語を勉強したことがなく、辛うじてわかるのはひらがなとカタカナぐらいでした。このままでは留学生として来日することが難しいとわかったので、家族滞在として来日することに決めました。

日本語学習と大学院進学のための準備

 来日後、ある程度日本の生活環境に慣れてきてから日本語の勉強を始めました。主人の大学院では、その家族のための週2、3回の無料日本語コースを開講しています。1回の授業は2時間で、当時はまだ子どもがいなかったので一生懸命その日本語コースで勉強し、家に帰ってからは大学院進学のための書類準備などをしていました。

 大学院では英語で勉強しようと思っていましたが、日本で生活する以上、日本語が使えないと生活でも困るから日本語の勉強もしっかりした方がいいというアドバイスをベトナム人の先輩からいただいたので、日本語の勉強も頑張りました。また、どうしても入社したい会社があったので、それも日本語の勉強を頑張るモチベーションになっていました。その会社は、私がベトナムで働いていた大手外資系コンサルティング会社の日本支社なのです。来日して間もない頃に一度日本支社に連絡しました。その担当者と話をしている中で、社内の書類準備やお客様との折衝などがあるので、入社したいなら日本語能力N2以上が必須だと聞きました。私はこの日本支社で働きたいと思っていたので、大学院を卒業するときにはN2に合格することを目標に勉強を頑張ろうと心に決めました。

 日本に来てから自分のペースで大学院を調べたりして、書類の準備を進めることができたので、着々と大学院進学への準備は進んでいました。しかし、調べても調べても私の専門である財務会計を専攻できる大学院がなかなか見つからなかったので、大学院では公共政策を学ぶことにしました。主人が通っている大学院にも公共政策の専攻があったので、その大学院に応募し、晴れて合格することができました。

大学院へ進学

 大学院に合格したものの奨学金はもらえなかったので、学費は100%自分で払わなければなりませんでした。主人は文部科学省の奨学金をもらっていますが、夫婦2人の生活ができるぐらいの金額だったので、私は入学する10月までの半年間、学費のためにアルバイトすることにしました。

 友人からの紹介で東京にある総合施設でアルバイトを始めました。ここは事務所や図書館などもあるおしゃれな施設で、日本人だけでなく外国人の利用者も多いところでした。私はここで掃除のアルバイトをしていました。このアルバイトの面接を受けたときは、まだ日本に来て半年しか経っていなかったので日常会話程度の簡単な日本語しか話せませんでした。面接に受かるか心配でしたが、その会社の人は外国人にもオープンで、面接は英語でしてくれたので、安心して話すことができ、無事に採用されました。

 最初、半年間頑張って働いて学費を貯めようと意気込んでいましたが、数か月後、なんと妊娠していることがわかりました。掃除の仕事では化学系の洗剤も使う時もあるので、おなかの赤ちゃんに悪い影響が出ないか心配になりました。また、勤務地も自宅から離れているので、体調が悪かったりつわりがあるときは通勤だけでも大変でした。学費のことも頭にありましたが、このままアルバイトを続けるのは難しいと思い、退職することにしました。ただ、やはりアルバイトができなくなったので、学費の心配が頭から離れませんでした。学校にも相談した結果、幸いにも1年目のときに独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)から奨学金をいただけただけでなく、学校側も学費を全額免除してくれました。

 大学院に入学し、修士1年生となりました。当時子どもがちょうど生まれたばかりで、学業と子育てで大変な生活が始まりました。幸いなことに私は主人と同じ大学院に通っていて、主人も学生なので時間の融通をつけて子どもの面倒を見てくれました。夫婦お互い助け合って育児することができました。

 子どもが少し大きくなると、大学院内にある託児所に子どもを預けました。毎朝子どもと一緒に通学し、託児所に子どもを預けている間に勉強、そして授業が終わったらお迎えに行き、帰宅するという生活になりました。もちろん時間の遅い授業もありましたが、そこは主人とお互いに協力してお迎えに行きました。また、私がレポート課題などで忙しい時は子どもを寝かせてから夜中に取り組んだりもしていました。子育てしながら学生をやるのは大変でしたが、夫婦で支え合いながら頑張って生活していました。

日本での就職活動

 大学院修士課程の2年目となり、そろそろ就職活動を始めないといけない時期になりました。私は10月入学なので3月に卒業する一般的な学生よりも半年遅く卒業します。卒業する半年前から就活を始めましたが、4月入学の人たちよりも就活が遅いスタートでした。ジョブフェアなどの就活イベントにも参加したり、留学生向けの就活情報サイトを利用したりもしましたが、毎回、戸惑うことばかりでした。ジョブフェアやサイトに載っている情報には「英語で応募可」と書かれている求人もありましたが、その多くが理系の求人で、文系求人の場合、ほとんどのものが日本語能力N2以上を求めていました。この時、実は大学院に入学してから学業や子育てで毎日がとても忙しく、授業も研究室も英語だったので日本語を使ったり勉強したりする時間がありませんでした。なので私はまだN2の日本語能力がなく、そのことが就活で壁となったのです。日本語の読み書きがあまり上手ではなかったので、日本語で書かれた求人票もあまり読む気になりませんでした。そして履歴書を書くことはもっと面倒で、日本語での面接も上手く話せる自信がなかったので抵抗感を感じていました。

 日本での就活をどうしようかと思い悩んでいるとき、ある留学生向けの求人サイトである会社のアルバイト求人を見つけました。この会社は100%英語で仕事ができる会社でした。規模は小さいのですが、ドイツ人の社長で奥さんは日本人、その会社のオーナー会社は香港の会社とグローバルな会社でした。この会社の社内報告は英語で、100%英語を使って仕事ができる会社だったのです。私にとってはチャンスでした。早速、この会社に応募し、アルバイトとして入社し、経理の仕事をしました。英語を使えて、経理も自分の経験が生かせたので良かっただけでなく、会社の雰囲気もかなりアットホームで働きやすい環境でした。そして会社からこのまま正社員として働かないかとオファーをいただいたとき、私は迷うことなく二つ返事でオファーを受けました。

 正社員として入社後、私は日本語の勉強を再開し、毎日、仕事の通勤時間や子供を寝かせた後の時間を使って日本語を勉強し、日本語能力試験N3合格を目指しました。

新しい環境にチャレンジ

 この会社は残業がなく、業務もあまり複雑な業務ではなかったので、子どものいる私にとっては仕事でのストレスも少なかったです。また、職場の雰囲気もオープンでアットホームだったので良かったのですが、仕事に慣れていくうちにだんだんと物足りなさを感じ始めてきました。毎日英語ばかり使い、業務も簡単だったので、私の日本語能力や専門知識を高めることはできないように思うようになってきたのです。もう少し難しい仕事をするために、就活エージェントに登録している自分の履歴書情報を更新し、新しい仕事を探し始めました。

 情報を更新して間もなく、エージェントの人から海外の会社へ財務会計サービスを提供している日本の企業に応募しないかと言う連絡がありました。その会社の取引先は海外なので、書類作成やお客様とのコミュニケーションなどで仕事の7割が英語を使います。しかし、日本人社員ばかりの会社なので社内のコミュニケーションは日本語を使うので、3割は日本語で業務を行うのだと説明を受けました。当時、私はまだ日本語能力N3で、正直あまり日本語の自信はありませんでしたが、この会社は日本語を上達させることもでき、尚且つ、自分の専門知識を生かせる仕事なので思い切って応募してみました。面接はもちろん日本語で行いました。私は上手く話せるか緊張しながら頑張って日本語で話したところ、社長は私の専門知識や実務経験、そしてこれからの日本語の伸びしろに期待してくれたので、晴れて採用してもらえることになりました。

 前職は外国人社員が多くてオープンな雰囲気、そして今回の会社は100%日本人社員で時間などに厳しい、いわゆる典型的な日本企業。雰囲気も仕事の進め方も正反対だったので最初は大変でした。何しろ、外国人社員は私以外いなかったので、ミーティングではみんな早い日本語で話すので、何を言っているのか私はわからず、話に追いつかないことも多々ありました。わからないことや聞き漏らしてしまったことは何度もミーティングの時に確認させてもらいましたが、自分の日本語能力の足りなさを痛感しました。仕事をする上で日本語能力N2は必要なので、もっと一生懸命日本語を勉強しようと思うようになりました。

 仕事もあり、子どもの世話や家事もあるので、日本語の勉強は会社にいる時間と通勤の時間でしました。会社でどうやって勉強したかと言うと、お昼休みは一人で外にランチに行くのではなく、日本人の同僚たちと積極的に日本語で会話をすることを心がけていました。外国語を勉強している人の中には間違ったらどうしよう、恥ずかしいと思ってしまう人もいると思いますが、私は間違えることに不安を感じるタイプではないのでどんどん話しかけました。私がまだまだ拙い日本語で一生懸命、仕事や生活のことなどいろいろな話題を話していると、同僚たちも私の言いたいことを汲み取ってくれました。そして時には、その言い方よりもこの言い方のほうがいいよなど、言葉遣いや言い方を教えてくれました。とても親切な人達ばかりだったので、私もどんどん話すようになり、次第に日本語での会話スピードにも慣れていきました。

 私の家から会社までは電車で片道1時間半かかります。会社では日本語の会話の練習時間にし、毎日の通勤時間はスマホで聴解を聞いたり、N2対策のテキストPDFをスマホで読んだりして勉強していました。これでも毎日2時間は通勤しながら勉強できました。しかし、疲れてしまった日には無理はしません。イヤホンだけつけて電車で会話を聞き流すことだけします。疲れがなくて元気な時は、電車でPDFのファイルを見ながら小さいノートに語いや文法、文字などをメモして勉強していました。勉強するときは無理し過ぎずにメリハリをつけて勉強することが肝心です。そして頑張って勉強していた努力が報われ、2016年12月に日本語能力試験N2に合格することができました。

長い旅からやっと戻ってきた

 N2に合格し、日本語の目標は達成したので、今度は自分の専門知識を増やすために財務会計の資格を取ることを目標にしました。私は経理として働くのではなく、公認会計士のように大きな組織で専門家として働きたいと思っていたので、より難しい資格にチャレンジすることしました。

 日本の会計業界は人手が足りないので、日本の公認会計士やアメリカのUSCPA(米国公認会計士)、イギリスのACCA(英国勅許公認会計士)のいずれかを取得すれば公認会計士として仕事をすることができ、チャンスが広がります。そこで私はイギリスのACCAを取得することにしました。実はベトナムにいるときからACCAの勉強は始めていたのです。ACCAには14科目(現在は13科目)の項目があり、このすべてを合格すれば取得できます。ベトナムにいる間に6科目合格していたので、あとは8科目だけ合格すればよいので、私はACCA取得に向けて勉強し始めました。また受験勉強の始まりです。

 今回の受験勉強はN2の勉強のように通勤時間は活用できませんでした。なぜなら、教科書が大きく、実際に手を動かして計算しなければならないので狭い車内では勉強できなかったのです。なので家で集中して勉強するほかありませんでした。仕事から帰宅し、子どもを寝かせた夜遅くから朝2時、3時ぐらいまで勉強する日々でした。また週末も時々、主人に子どもの世話をお願いして、自分一人の時間を確保して勉強していました。

 このACCAは1科目を3ヵ月間学習し、試験を受けます。1つ科目に合格するごとに以前から使っている就活エージェントの情報を更新していました。この業界は人手不足で、尚且つ、このACCAはある程度科目に合格していれば資格取得見込みがあり、専門性が高いと評価されるのです。2017年の年末、再びエージェントから連絡がありました。今度の会社は私がベトナムで働いた大手外資系コンサルティング会社の日本支社の紹介でした。まだこのときACCAの科目は12科目しか合格していませんでしたが、もう少しですべての科目を取得し、ACCAも取得できる目途が立ってきました。また今の会社でも2、3年経験を積んでいます。せっかくいいチャンスなので、思い切って面接を受けることにしました。

 面接では専門知識や実務経験の他、会社の理解を測る質問もありました。私はベトナム支社でも働いていたので会社のことも詳しく話すことができ、内定をいただきました。来日してからこの会社でずっと働きたいと思っていたので、今でも結果を通知された時の喜び、嬉しさは忘れられません。長い道のりでしたが、やっと自分の進みたい道に戻ってこられました。

メッセージ

 日本にいるベトナム人の知り合いのご夫婦やご家族を見ていると、その家庭によってさまざまな生活スタイルがあるとわかります。たとえば、ご主人が仕事で忙しく、専業主婦として子どもたちの世話に専念するお母さんもいれば、家族のための時間を作るためにアルバイトをしている人もいます。共働きで忙しいご夫婦もいます。日本語が分からないまま家族滞在として来日した私のような奥さん、お母さんたちも知っています。本当にその家庭によってさまざまなスタイルがあります。さまざまなスタイルがありますが、パーフェクトな選択肢はないと思っています。どちらかを選択するとその他の選択はできません。すべてを選択することはできませんし、それが絶対正しいとも言えません。

 今回、日本にいるこの8年間を振り返って“Voice of ASEAN SEMPAI”の記事にしてもらったのには理由があります。今、日本語や専門知識などの勉強を一生懸命頑張っているお母さん、奥さんたちに私の経験を共有したかったからです。私の経験がみなさんのキャリアアップに向けた勉強のモチベーションとなってくれたら嬉しいと思っています。

 どんな方向、どんな選択肢を選んだとしても、今日一日の仕事や子育て、家事を終え、夜疲れてぐっすり眠ることができ、次の日の朝を気持ちよく迎えられたなら、それは正しい選択なのです。みなさんの夢や目標に向かって頑張ってください。

東京、20211