最後の最後に手に入れたチャンス

 ベトナムの貿易大学1年生のときから日本語の勉強をしていましたが、その頃から日本で働きたい、留学したいと思っていたわけではありません。私が日本へ行きたいと思うようになったきっかけは、大学の先生たちの推薦で2週間の日本見学のプログラムに参加したときのことです。実際に日本へ行き、日本の文化や社会を目で見て、体験し、日本は魅力的な国だと思いました。2週間だけでは物足りず、日本に住みたい、日本で働きたいと思い始めました。


 日本へ行くには留学生として行く道、日本の企業に就職していく道など、さまざまな道があります。私はとりわけ成績優秀というわけではなかったので、日本の文部科学省からの奨学金をいただき、国費留学生として日本に行くことはできませんでした。なので、他の道で日本へ行くことができないかずっと探していました。例えば、ある企業の奨学金プログラムの選考に応募したり、シンガポールで開催されたトップキャリアのジョブフェアにもはるばるシンガポールまで行って参加したり、さまざまな道を探しましたが、結局、すべて不合格でした。


 これだけ頑張ってもなかなか日本への道は険しく、卒業時期も近づいてきたので、日本へ行くことは諦めようと思いました。そして就職するために、VJCC(ベトナム日本人材開発インスティチュート)が開催するジョブフェアに参加し、ある日本企業のベトナム支店から内定をいただきました。


 もう就職先も決まり、日本へ行く道もないので、日本へ行くことは後回しにしようかと思っていたときのことです。私は大学で日本語学部の試験監督のアルバイトをしていました。大学を卒業してからはほとんど大学に行っていませんでしたが、内定をもらった数日後、何ヶ月前からのアルバイト代を受け取りに大学の事務所へ行きました。ちょうどたまたまその日に大学で新潟県にある事業創造大学院大学のセミナーが行われていて、会場にいた日本人担当者の方からもセミナーを少し聞いてみないかと声をかけていただいたので軽い気持ちで聞いてみました。


 事業創造大学院大学と貿易大学は交流協定が結ばれており、毎年、貿易大学からの留学生を事業創造大学院大学が受け入れているのです。セミナーでは、貿易大学の学生は授業料が50%優遇され、アルバイトも学校から紹介してもらえるというお話がありました。これがチャンスだと思って、新潟はどんなところなのかなどもあまり深く先輩に聞かずに応募したところ、晴れて事業創造大学院大学への入学許可をいただき、ついに日本へ行ける道が開けたのです。


留学生時代の貴重な体験


 来日前、事業創造大学院大学がある新潟は寒いところということは知っていましたが、ざっくりしか聞かず、自分自身であまり調べませんでした。日本に行けることがとても楽しみで、寒いくらい何てことないと楽観視していましたが、いざ新潟に着いてみると想像以上の寒さで、これからの日本での生活が長くものになりそうだと思いました。


 来日当初、日本での生活にも慣れておらず、またベトナムの家族も事情もあったので、いろいろと悩みも多く、勉強だけに集中できる状況ではありませんでした。大学では授業が終わったら誰かとおしゃべりしたり、放課後を楽しんだりすることなく、すぐに帰宅していました。コンビニでアルバイトしていましたが、集中できないときが度々あり、お客さんに気が付かないこともありました。店長は私の集中できていない様子を見かねて短期間で辞めさせられました。いろいろなことに悩み、最初の半年間は暗く、落ち込む日々でした。


 この状況が改善できたきっかけは新しい2つのアルバイトです。たまたま大学のからのアルバイト求人に興味があるものがありました。1つは大手不動産会社で日本語、英語、ベトナム語を使って外国人のお客様の対応をするアルバイトです。そしてもう1つは貿易関係のアルバイトです。これらのアルバイトでは、日本語や英語、ベトナム語の言語力を生かしたり、貿易大学の時に学んだ貿易の知識を使ったりすることができたのでアルバイトが楽しく、心も生活も改善されていきました。


 外国人留学生のアルバイトは28時間以内という制限があります。私は20時間ぐらい不動産のアルバイトをしていました。英語も日本語も使ってお客様対応するので言語はどんどん上達していきました。また、コミュニケーションスキルも高まったと感じました。そして何よりも安定して仕事があり収入も安定していたので、経済的な心配をせずに大学の勉強に励んだり、課外活動に参加したりすることができました。


 残りの6時間は貿易関係のアルバイトをしていました。時間数は短いですが、留学生の2年間の中でこのアルバイトを通してとても貴重な体験をさせていただいたと思っています。この会社は新潟県庁やジェトロ(日本貿易振興機構)のプロジェクトに関わることもあり、会社の人と一緒に2回ぐらいベトナムへ出張しました。その時のプロジェクトは新潟のお酒をベトナムの小売店で販売してもらうためのビジネスマッチングでした。そのプロジェクトのために会場の準備や資料作りを手伝い、そして当日の日越通訳も行いました。留学生でありながらも社会人の人たちとたくさん話すことができ、自分の成長にもつながりました。逆にベトナムの会社が新潟に来るときもあり、その時は私が新潟のお酒や味噌、ジュースを製造している会社へ案内しました。普通の留学生では到底考えられない貴重な体験をさせてもらいました。またこの会社で働いているときにアメリカで展示会があったので、日英の通訳としてアメリカ出張にも同行しました。留学生がアメリカに行く機会はほとんどないのですが、このアメリカ出張で視野が広がり、これも貴重な体験でした。


来日して最初のコンビニのアルバイトはつらいものでしたが、いろいろなアルバイトを探した結果、自分に合うアルバイトが見つかり、有意義な2年間でした。このアルバイトで、私は前よりも自信が付き、みんなにオープンになることができました。


順調にいかない就職活動


 卒業まであと1年となり、私も他の留学生と同じように就職活動を始めました。今いる新潟からは離れ、東京か大阪にある会社をメインで探していました。就活を始めましたが、自己分析も就活の軸もあまり考えていませんでした。ジョブフェアの情報があったら参加する、興味を持った会社に応募するなど、思い付きで動いていました。なぜこの仕事がしたいのか、自分の長所からどのような仕事が向いているのかなどを考えずに、大手企業、知名度、給料が高いといった点だけで会社を選び、面接に呼ばれたから面接に行くというスタンスで、内定をもらったら本当に入社するかということまでは考えていませんでした。


 また東京や大阪の会社で働きたかったので、東京・大阪の説明会や面接にも欠かさず参加していました。毎回、新潟からの交通費が高いので、節約のために夜行バスをよく利用していました。夜にバスに乗って朝に東京や大阪に到着し、会社の面接を受け、終わったらまた新潟に戻り、学校やアルバイトをする。そんな日々を過ごし、ようやく新潟にあるメーカーの会社と不動産会社の2つから内定をいただきました。


 内定をもらい、いざ自分が入社することを考えたところ、この2社とも自分には合わないと思いました。メーカーの会社は敷地内に工場もあるため、入社したら工場勤務になるかもしれません。しかも新潟の会社なので、また新潟で生活しないといけません。不動産会社はアルバイトでも約1年半働いていた会社なので、仕事内容も知っていて、これ以上の成長は見込めないと思いました。なので、2社とも内定辞退しました。


 内定を辞退したものの、ではどんな会社で働きたいのかは明確に考えていませんでした。しかし卒業も差し迫っているので内定をもらわないといけないと焦り、いろいろと手あたり次第応募し、ある会社から内定をいただきました。この会社は辞退した2社よりも給料は高くなく、あまり魅力的ではない会社でしたが、もう卒業間近だったのでこの会社に入社することに決めました。内定をもらったタイミングも卒業前ギリギリだったので、就労ビザの申請も遅れてしまいました。そして結局4月入社には間に合わず、3カ月遅れの7月にようやく入社できました。


 今振り返ってみると、自己分析や就活の軸を考えずに就活していたので、自分なりに頑張っているつもりでもよい会社から内定をいただくことはできませんでした。時間を戻せるなら、もっと自己分析や就活の軸を考えて戦略的に就活すればよかったと後悔しています。後輩のみなさんも就活するときは、しっかり戦略を考えて就活してください。


思わぬターニングポイント


 就活で苦労しましたが、結局、自分が入りたいと思っていた会社からは内定をもらえず、そして内定をもらった会社には3カ月遅れの7月に入社することになりました。研修を受け、仕事も少しし始めた頃、人間関係のトラブルがありました。この会社は新人に対して先輩社員がメンターとしてつくのですが、そのメンターさんとの間でトラブルがあり、人事部の方にも相談をしてもなかなか解決できませんでした。精神的にも辛く、これ以上この状況を長引かせたくないと思い、次の仕事はまだ決まっていませんでしたが、8月末に退職することにしました。私は会社の寮に住んでいたので、退職してから1週間後には寮を出ないといけません。新しい仕事も決まっておらず、住む場所もない、とても困った状況になりました。


 退職する前にVPJというベトナム人の団体が開催する技術系やIT系の会社が集まって交流するイベントに参加しました。その交流会で多くのベトナム人の先輩たちと知り合い、連絡先を交換しました。その中に日本でITのスタートアップ企業をしている社長さんがいました。そしてちょうど会社を辞めたばかりのときに、その社長さんの会社でIT営業職を募集している投稿をFacebookで見つけました。そこにはIT営業の経験がなくても、仕事へのモチベーションがあればOKだと書いてありました。私はIT営業の経験がないけれども、日本語能力N1を持っていて、今までビジネスマッチングなどの仕事の経験があるのでチャンスかもしれないと思い、その社長に直接、求人に応募したいと伝えました。


 日本の会社の場合、入社して1カ月半で退職したことはどちらかというとマイナス評価で、「なぜ1か月半で辞めてしまったのか」という質問がたくさんあると思いますが、彼はあまり深く聞かず、なぜこの会社に入りたいのかだけ詳しく聞きました。そして、これからたくさん勉強して頑張っていきたいという私の熱意と姿勢を買って、採用してくれました。とても幸運なことに、退職して1週間後には新しい会社が決まり、新しく住む家も決まりました。もちろんラッキーなことだと思いますが、私も積極的に外部の人たちとのつながりを作ってきたので、それも今回のご縁につながったのだと思います。


 ITのスタートアップ企業に入社した当初、私はITの知識もIT営業の経験もなく、感情のコントロールも上手くできなかったので、営業についてメンターの先輩から指摘されると傷つき泣いてしまうこともありました。社長からも仕事に対して感情的にならない方が良いとアドバイスをしていただき、もしメンターの先輩と上手くいかないなら自分がメンターになるとまでおっしゃってくださいました。そして徐々に感情のコントロールもできるようになり、仕事へのモチベーションも上がっていきました。


 社長を見ていると、私も社長みたいになりたいと思うようになりました。社長は早朝でも夜遅くでもお客様からのメールや連絡にはすぐに返事をしていました。上の人がこんなにも頑張っているのかと感動し、私も社長の行動を見習いました。


 私はIT営業の経験がないので、ITの知識など自分なりに勉強しました。また営業では、お客様の情報を集めて分析した上で電話やメールすることが大切です。ただ漫然と営業するのではなく、1週間に少なくても3つのITイベントに出て、多くの人と名刺交換することを目標にしていました。年に2、3回、Japan IT WeekというITの大きなイベントが開催され、会社も参加します。そのイベントの期間はチームで1日100枚の名刺をもらうことを目標に、アオザイを着て、長い靴を履いて多くの人に声をかけ、自分の会社の営業をしました。イベント後はお客様のリストを作成し、積極的に電話を掛けました。幸いにも、留学生時代の貿易会社のアルバイトでビジネスマッチングの仕事もしていたので、テレアポをして断られることは怖いと思っていませんでした。テレアポでは件数に対して約10~15%のアポを取ることができました。


 このようにイベントに参加してお客様とつながるアプローチ方法も、コロナウイルスの影響でできなくなってしまいました。コロナ禍ではイベントが中止され、対面での営業も難しくなったのでどうしようかと思い悩みました。しかし、このままコロナウイルス収束を待つよりも、違う形でアプローチした方が良いと思い、営業手法を変えていきました。たとえば、対面の営業ができないのであれば、オンラインでいくつかセミナーを開催しました。また、ビジネスパーソンとつながるビジネスプラットフォームのアカウントを作って、顧客になりそうな会社の部長や社長さんとコンタクトを取りました。その結果、コロナ禍でしたが、新規のお客さんを獲得することもできました。社長も私の頑張りを認めてくれて、とても嬉しかったです。


新しい方向へ向かう


 ある日、ビジネスプラットフォーム上でアメリカの外資系企業の営業ポジションに興味ないかというスカウトが届きました。仕事も順調でやりがいもあり、これからも成長できる環境だったので転職する気持ちがなく、最初はスカウトを断りました。しかし、そのスカウトの方から試しに話を聞くだけでも聞いてみないかと誘われたので、転職の気持ちは全くなく、軽い気持ちで面談することになりました。


 この外資系企業に合格しないといけないというプレッシャーもなく、面接で気を使わないといけないという気持ちもありませんでした。何年後に起業したいか、何にチャレンジしたいのか、どのような経験を積みたいのかなどの質問についてもありのままの自分で受け答えしました。結果、私の素直さやプレッシャーのかかっていない姿勢が高評価だったようで、その外資系企業から内定をいただきました。


 最初は転職する気持ちはなかったのですが、今の会社より英語と日本語をたくさん使えそうだと思い、だんだん気持ちが傾いていきました。また海外拠点も多いのでグローバルの世界で活躍できます。これは滅多にないチャンスだと思い、内定承諾しました。そして2021年6月、この外資系企業の日本支社に入社しました。


 入社して半年経ちますが、この会社へ転職する決断は間違っていませんでした。この外資系企業は全世界で4万人もの社員がいますが、しっかりした教育制度があります。研修ではトップ50に入る社員さんと話すチャンスがあり、とても勉強になりました。今の仕事は日本のトップ企業とやり取りするのでもっと勉強しないといけませんが、自分の限界を突破できる仕事です。忙しい毎日ですが、とても充実しています。


メッセ―ジ


 人生においては、いろいろな段階やターニングポイントがあります。時には落ち込んだり、時には調子が良かったりと山あり谷ありです。思い通りにならないときもありますが、そんな時は積極的に行動すること、前向きに全力でやってみることしかありません。


 ターニングポイントごとにチャンスが隠れています。そのチャンスをつかむためにしっかり準備してください。仕事への愛情や情熱を持ち、小さなことでも日々、改善することがチャンスにつながるのです。


私がこのASEAN SEMPAIの記事を通じてみなさんに伝えたいことがあります。それは、自信をもって突き進んでいけば自分の人生は良い方向にコントロールできるということです。どうやったらもっと良くなるのか他の人を見習ったり、常に周りの人たちに感謝の気持ちを持って行動したりすることが大切です。是非、前を向いて進んでいってください。 “Be confident, be humble, be authentic.”


東京、2022年1月