大学院入学への道

2014年、タンロン大学(ハノイ)を卒業後、日本で実際に生活し、日本語をさらに深く学びたいと思ったので、日本へ留学することを決心しました。まずは日本語学校に入学し、こちらに通いながら大学院に行く方法を探そうと思っていました。


最初から大学院に進学するという目標があったので、日本語学校にいる間、生活費を稼ぐためにアルバイトする時間以外は、大学院の準備に集中して取り組みました。日本語学校が大学院進学を目指す留学生のために開催する集中クラスを受講しエッセイの書き方や新聞の読み方を学び、OB-OGの会に参加して先輩に会い、自分が受験したい大学や関わりのありそうな教授について、情報収集をしました。


当時、法政大学で学んでいた語学学校の先輩に紹介を受けて、私が学びたい分野に精通している教授とそのゼミを知りました。その教授の研究テーマは「若者の日本語」に関するもので、非常に興味深く、私が興味を持っている分野に非常に近いので、法政大学の入学試験を受けることに決めて、その先生のゼミで勉強することにしました。


法政大学以外の大学も受験しましたが、他の大学は不合格でした。法政大学も修士課程に合格しなかったものの、教授から研究生としてゼミに入学することを認められ、次回のチャンスを待ちながら、学ぶことができました。そうすることで、勉強の仕方、大学院への入学方法を理解する時間が増え、しっかりと受験の準備ができました。そのおかげで、2回目の受験は上手くいき、正式に大学の修士課程に入学できました。


日本では、大学院への入学試験を行う際に、学校によっては、まず教授に連絡し、先生の承認を得てから入学を申請しなければならない場合があり、ネットワークを持たない留学生は多いので、とても困ってしまうケースがよくあります。ただし、試験に合格して、その大学の教授にふさわしい研究テーマを選択すれば、それを要求しないところもあります。

私の法政大学のように研究生として学びながら、受験の準備をすることもできるので、その選択をするのも良いと思います。ですから、日本の大学院に進学する予定の方は、どこから始めたらいいのかわからなくても、まずは学校の情報を探すなど、できることから始めましょう。インターネット上で、積極的にOGOBのミーティングに参加して、教授と繋がれる機会を増やしましょう。とにかく積極的に行動して、自分自身の機会を作り出す方法を見つけることが重要です。


新たな始まり

大学院への入学試験に合格することは、実際には、長く困難な道のりの始まりにすぎません。大学院に入学したときは、特に研究テーマを選ぶのに苦労しました。入学試験に申し込んだときは、すでに研究テーマを選んで参考資料や研究計画をたくさん用意していたのですが、入学時に先生から研究テーマの変更を勧められました。私が研究しようとしているテーマは、すでに多くの人によって行われているので、さらに新しい研究結果を見つけるのは難しいと言われました。そのようにテーマを最初に変更するように言われたときは、テーマを一から考えなければならなくなったので、私はとても混乱しました。


しかし、ゼミに参加する過程で、先生の話を聞いたり、他の学生の話を聞いたりすると、新しい研究テーマの方向性のヒントをもらうことができました。例えば、日本語を学ぶ人なら誰でも知っていることですが、日本語には外来語がたくさんあり、一見同じ意味の単語でも、深く調べてみると意味が異なる言葉がたくさんあります。例えば、ビスケットの単語は同じですが、外来語としてのルートでビスケットとCookieの意味はわずかに異なります。先生がこの外来語のトピックについて話しているのを聞いたとき、とても面白いと思ったので、本や関連文書を検索して読んだり、他にも面白い外来語をたくさん見つけました。この研究からヒントを得て、フリー(Free)が単語の前についた外来語について研究することにしました。


初年度は、大学院レベルでの研究の仕方や、日本語でのスピーチや論文の書き方について、たくさん学ばなければなりませんでした。筆記力を向上させるために、法政大学で日本語の論文執筆を学ぶクラスに参加しました。また、本や研究資料を読み、授業に応用できる良いアイデアを見つけたら、メモを取ったりしていました。また、法政大学では、留学生1人1人に日本人のメンターを付けるサポートがあり、メンターに助けてもらいながら研究を行えたので、スムーズに論文を書くことができました。


予定の変更

1年目は新しい研究テーマの方向性を見つけるために一生懸命勉強し、卒業に必要なすべての単位を取得したので、2年目には将来について考える時間が増えました。


日本に来た当初は、日本で働くつもりはなく、卒業後はベトナムに戻って、大学で日本語を教えるなど、自分の専門性を高めるために何かをしたいと思っていました。しかし、同じ学校の日本人学生や他の留学生が、既に就活を始めている姿を見ていたら、1年で徐々に考えが変わり始めました。


将来、ベトナムに戻ったらいつでも就職できると思いますが、日本で就職して自分の可能性を試したり、日本での企業のあり方を学ぶ機会は今しかないので、日本で就職活動をすることにしました。


日本で就職活動をするときに最初にすることは、学校のキャリアセンターに行って、卒業生の就職活動について調べ、何を準備すればいいのか?や、日本の就職活動のフローを学ぶ事です。また、どのくらいの時間が必要なのかの確認もする必要があります。


日本企業への応募方法を知った後は、履歴書の作成や面接に加えて、各企業の個別紹介会や就職説明会に参加するなど、多くの時間を費やす必要があることに気づきました。

私は自分の時間のバランスをとるため、今の生活のままではいけないと思い、どうするか考え始めました。


2年生の時点で、必要な学習単位はほぼすべて取得したため、ゼミで論文を書くために学校へ行くだけで済みますが、生活費のためにアルバイトをする必要はありました。アルバイトをすると時間が限られてしまうので、就職活動の準備をする時間があまり取れず、集中しづらいと考えました。そのためバイトをやめてもいいように、奨学金を探すことで、就職活動に専念することにした。


その計画をたてた後、私はすぐに奨学金を探し始めました。

学校の掲示板やオンラインに掲載されている奨学金情報を見つけるたびに応募しました。

一部の奨学金は申請書と成績証明書のみが必要であり、奨学金の審査には、書類または面接が必要でした。チャンスがあれば全てに応募しましたが、何度も審査に落ちました。落ちるたびに、書類のアップデートをして、正確には何回提出したか覚えていません。

やっと審査が通った奨学金は、月5万円の小規模な奨学金でした。

学校の規定により、学生は学校が推奨する奨学金を1つしか受け取ることができません。この奨学金を受け取ることにした場合、私は他の奨学金を申請することができなくなります。私は奨学金を受けることを、長い間悩みました。 月5万円という額は、決して多くはないのですが、バイトをやめることはできると考え、お金を気にせずに就職活動に専念できるので、その奨学金を受けることにしました。奨学金の申請もバイトも辞めて、就職活動に集中することにしました。


就職活動の旅

この2年間でコロナの影響により、多くの企業の採用方法がオンライン形式に変わりましたが、私が就職活動をしていたときは、まだ対面での機会がありました。人材紹介会社やハローワークが主催する、さまざまな企業を集めた就職説明会に参加し、対面で企業の話を聞くことができました。日本の就職活動は情報が多いため、混乱しないよう、慎重に自己分析をして応募する際の軸を決めることが非常に重要です。人材紹介会社が主催する就職説明会に参加したことで、自己分析の方法をしっかり学ぶことができました。さらに、自己分析を重ねることで、自分がやりたいことを明確にすることができました。


自己分析の結果、私は「教育」「人材」「広報メディア」の3つの業界で就職先を探すことにしました。


私はこの3業界の多くの企業を調査して応募しました。応募の時点で落ちてしまい、面接まで進めなかった企業もありましたが、全力で頑張れば必ず結果が出ると確信していたので、諦めずに挑戦し続けました。

また、3つの業界には絞りましたが、同時に説明会にも多く参加し、3業界に限定せずに面白いと思う企業にはエントリーしました。

その結果、実際に内定をもらって就職したのも、絞っていた3業界以外の会社でした。


私が内定をいただいて現在働いている会社は、日本の段ボール製造会社であり、自己分析で決めた3つの業界ではありませんが、私の就職先に求める基準を満たしていました。

私が求めていたのは、「安定した大企業であること」「ベトナムと関係性を持っていること」「社会に持続可能な影響を与えていること」でした。この企業は全て満たしていたため、私は応募をしてみました。面接や会社の社長との話を通して、この会社は私に合っていると感じ、正式に入社を決めました。


就職活動を振り返り、以下のポイントを皆さんに共有したいと思います。


まず、就職活動をするときは、特に履歴書の準備を念入りに取り組む必要があります。

オンライン上のテンプレートを使うのではなく、徹底的に自己分析をして、説得力のある自己PRを記載しましょう。

さらに、履歴書は一回きりの作成ではなく、前に受けた選考のことをヒントにして、何度もアップデートしていくことで、より内容が深まっていきます。例えば、面接でされた質問に答えた時、その事柄について面接官が興味を持ってさらに質問してきた場合、それは履歴書の修正提案だと見なし、その内容を反映させるのです。


2つ目は、面接のスタイルを調査し、多くの人の前で緊張しても、日本語をしっかり話せる練習をすることが大切です。面接の事前調査と実践練習は、本番での自信につながります。また、グループディスカッションをする企業もあるので、準備しておくことで混乱や不適切な発言を避け、自分の役割を周りに理解させることにつながります。


最後に自身のメンタルコントロールは一番大事です。

できるだけ楽観的でメンタルを安定させることができるように、自分自身を訓練する必要があります。日本で就職活動をすると、合格通知を受けるまでに数々の不合格通知を受け取らなければなりません。初めは、不合格通知を受け取ると、誰もが自分は無能だと思い落ち込みます。しかし、就職活動の合否は努力だけではなく、縁も関係するので、自分を磨く手段だと思って挑戦し続けることが大切です。


社会人として適応していく


厳しい就職活動を経て、ようやく決まった会社で約4年間働いています。私の会社は生粋の日本企業であり製造業界なので、待遇はとても良いですが、日本企業ならではの癖が強く根付いています。入社当初はその環境に慣れるのにとても苦労し、「辞めたいな…」と思うほど落ち込んだこともありました。


今はそれを乗り越えて、会社の就業規則をよりよく理解し、周りの同僚とも、どのようなコミュニケーションの取り方をすれば良いのかがわかってきたことで、働きやすくなりました。例えば、私は営業アシスタントをしているので、社内の営業担当者に緊急連絡することがよくあります。以前は、メールや電話のやり取りをテンポ良くできず、イライラすることがよくありました。しかし、営業マンの立場になって考えると、毎日数えきれない程のお客様との打ち合わせがあったり、電話に即対応しなければならなかったりと、忙しくてメールを見る時間がないのだと気づきました。そのため、メールの書き方を変えてみました。表や数字を使ったり、必要な情報を箇条書きにしたりと、問題の核心をより早く、簡単に理解してもらい、すぐに回答してもらえるように工夫しました。


私は若者だから変化を好むので、会社の古いやり方には違和感を覚えることも多くありました。同僚や上司に自分の意見をぶつけたいと思うこともありましたが、ただぶつけるだけでは状況が悪くなると考え、まずは従来のやり方をマスターしてから、新しいやり方を提案するようにしていきました。


メッセ―ジ

私が日本で勉強し、働いてきた期間は8年間で、それほど長い期間ではありませんが、大学院の試験を受けて進学するところから、日本人と同じ就職活動を行うなど、たくさんの経験があります。そして現在の、生粋の日本企業の製造会社で働くに至りました。私は自分の経験を共有することが好きなので、後輩学生の大学院受験のサポートをするためのプログラムや活動に参加したり、日本での就職活動をサポートしたりしています。私はよく、何かをするときはまず、全体を見て解決すべきものがいくつあるかを考え、優先順位を決めてから戦略を立てる必要があると伝えています。それらをおろそかにすると、チャンスを逃してしまうことがあるからです。その時の感情で何も考えずに行動すると、同じ努力でもタイミングによって結果が変わってしまいます。時には取り返しのつかない結果になってしまうこともあるでしょう。そうならないためにも、今はどんな時期なのかを常に意識して行動してみてください。



東京、2022年7月