グェン ・ソン・ハ

NGUYEN   SON HA

Profile & Message

2010年 タインホア医療短期大学 卒業

2010年 タインホア省の総合病院で看護として勤務

2012年 日越経済連携協定(EPA)のベトナム人看護師及び介護福祉士受入れのプログラムに合格  

2013年   来日までの1年間でN3取得を目指し日本語研修に参加

2014年       来日。千葉県の病院で介護研修を受講しながら、看護師国家試験の勉強を行なう

2015年  千葉県の看護師試験合格

2016年          看護師国家試験合格 袖ケ浦市の病院に正社員として入社


 みなさん自分の目的や目標を持って日本に来たことだと思います。その目標を達成する過程には、言語の壁や、知識の不足など、困難が発生するかもしれませんが、最初の目標を忘れずに一所懸命頑張れば、不可能なことはないと確信しています。

EPAプログラムへの参加

医療短期大学卒業後、2010年から2012年までは、ベトナムのタインホア県にある総合病院で看護師として働きました。  2012年後半に、日本とベトナムの間で日越経済連携協定(EPA)が結ばれベトナム人看護師及び介護福祉士受入れプログラムが開始されました。当時、勤めていた病院の上司に、プログラムへの参加を奨められたので、受験してみることにしました。試験や面接に合格し、プログラムに参加できることになりましたが、1年後の訪日までに日本語能力N3の取得する必要があり、1年間は日本語学校で日本語の学習に励みました。

 日本語を学習し始めた最初の数週間は、本当に大変でした。学校の授業は教科書「みんなの日本語」第7課に進んでいるのに、私はひらがらとカタカナしか覚えることができなかったです。授業の進む速さや、学習内容の濃さに驚き、ショックを受けましたが、どうすれば皆に追いつけるか?考えました。まず、授業の進捗を追いつくために、教科書の第1課~第7課を飛ばして第8課を勉強しながら、週末に遅れている分を自習しました。これを継続して1ヵ月半行なうと、授業のペースに合わせられるようになり、日本語学習にもだんだん慣れていきました。

そして、日本語学習を始めて6ヵ月後の2013年7月に日本語能力試験N3を受験し、その2か月後には合格通知書が届き、日本へ行けるようになりました。

最初の困難

2014年6月に、EPAプログラムで他の看護師20人、介護士127人と一緒に日本に来ました。最初の2ヶ月は日本語研修を受け、2014年8月には、千葉県の袖ケ浦市の病院に配属され、そこで働きながら、看護師国家資格の取得を目標として勉強を行ないました。

ベトナムの病院で看護師として3年間働いた経験がありましたが、日本の看護師の資格は持っていなかったので、おむつ替えや食事介助、入浴介助など介護士の仕事だけを行いました。 日本の病院で働き始めた当所は、患者さんの名前を覚えることと、正しい発音で名前を呼ぶことが一番難しかったです。患者さんの人数が多く、様々な名前の方がいるので、名前を正しく呼べないと仕事になりません。

そこで、患者さんの名前の漢字と読み方をメモ帳に書き、家で一人ずつの名前を声に出して読みながら、携帯電話に録音しました。毎日寝る前に、メモ帳に書いてある名前を1度繰り返してから、携帯電話のボイスメモを聞くようにしました。1週間経つと、患者さんの名前を覚えらるようになりました。

受験勉強の日々

毎日、8時~12時まで仕事をして、1時間お昼休憩を取って、13時~17時まで勉強をしていました。医療関係の資料や参考書が豊富にあり、自由に使えましたが、国家資格取得の為に何を勉強すればいいのか、何を読めばいいのか、分かりませんでした。ベトナムの送り出し機関からも、基礎的な医療用語資料だけを貰っただけでしたので、専門用語を覚えることしかできませんでした。

そこで、資料を読んで医療用語を覚えるだけでなく、日本語で書かれている国家試験についての情報をインターネットで探索し、情報を集めることにしました。最初は何を勉強すればいいの分からなくて悩んでいましたが、日本の色々なウェブサイトを通じて国家試験に役立つ2冊の本を見つけました。それは看護師国家試験の過去問題集と、 看護師・看護学生のための試験対策本でした。 必要な資料を手に入れた後、自分なりの勉強方法も見つかりました。色々な資料を読まずに、まず過去の試験問題をやってみて、試験の問題に出た知識や言葉が分からなかったらメモしておききます。それを同僚や医師に聞いたり、参考書で調べたりしました。また、仕事中に扱う医療機器や工具、概念なども覚えておくようにしましたが、医療用語には珍しい漢字が使われていることもあり、医療業界の人でないと日本人でも分からない言葉がありました。

また、ベトナムにはない「訪問看護」という概念であれば、日本語の資料を読みながら、ベトナム語に通訳して携帯電話に録音し、寝る前や電車に乗った時などに聞くようにしていました。日本に来てから2015年1月まで、その勉強法を継続して頑張ったことで、千葉県の看護師資格を取得することができました。

病院での仕事

千葉県の看護師資格の取得後、応急処置や救急時の診療補助、医師への患者さんの状態を報告、医療機器の使用など専門的な業務を行い始めました。

看護師になったばかりの頃、事故に遭い足を怪我された患者さんが救急医療室に搬送されてきました。緊急な状況の中、患者さんの状態を把握するために、患者さんへ質問をしましたが、私の日本語が不十分で患者さんの言葉を聴き取れず、何度も同じ質問を繰り返してしまいました。すると、患者さんは立腹してしまい、他の日本人看護師に担当を代わらずを得ませんでした。看護の仕事をしてきた中で、一番印象に残っている出来事です。

搬送されたばかりの患者さんは心理的に不安定な為、なかなか言葉が通じない外国人の

看護師が対応すると怒りがちになってしまいます。その出来事があってから、そういった状況では、外国人看護師よりも日本人の看護師が対応した方が、患者さんにとってもいいのではないかと上司と話し合いました。その代わりに、比較的容体が落ち着いた患者さん一人ひとりと良い関係を築くために、毎日積極的に患者さんに話しかけて、入院している患者さんが明るい気持ちになってもらうことに努めました。

「病気や怪我の患者さんのお世話をするのは、大変そうですね」と、よく言われますが、大変なことばかりではなく、患者さんとのいい思い出もたくさんあります。

患者さんの状態を検査することも看護師の仕事の1つですが、ある日、病室に入ったところに、会話をしていた4人の患者さんたちが手を振りながら、「Haさん、今日もお世話よろしくね」と声をかけてくれ、親しく話しかけてくれました。患者さんから信頼されていると感じられ、すごく嬉しくて疲れも吹き飛んでしまいました。

目標達成

日本に来て2年が経ちましたが、看護師国家資格を取得し、病院の正社員として就労しています。勤務時間外は、来日したばかりのベトナム人研修生に対して、看護師試験対策の教育支援ボランティアを友達と一緒に行なっています。また、FacebookにEPAプログラムで来日したベトナム人向けグループを作成し、日本語の医療単語のまとめをシェアしたり、分からないことや質問に答えてあげたりしています。私はEPAプログラムの最初の研修生として日本に来ましたが、ガイドラインや情報が不十分だった為、全て自分で調べて学習しなくてはならずとても大変でした。次の研修生たちの合格率を向上させ、日本の病院の看護師になる彼女たちの夢を叶えるために、自分の経験で何かサポートできればと思っています。

メッセージ

みなさん自分の目的や目標を持って日本に来たことだと思います。その目標を達成する過程には、言語の壁や、知識の不足など、困難が発生するかもしれませんが、最初の目標を忘れずに一所懸命頑張れば、不可能なことはないと確信しています。

どんなに難しい困難や問題が起こっても、私も含めて先輩たちがあなたをサポートしてくれるはずです。コミュニティー等を活用して積極的に相談してみてくさい。分からないことを分からないままにせずに、あなた自身が努力すれば、困難もきっと乗り越えることができるでしょう。


千葉、2016年7月