自分自身を見つける

 子供のころは近所の友達とサッカーしたり、海で泳いだり、近所の家になっているフルーツを勝手に取ったりと遊んでばかりいました。私の住んでいたところは田舎だったので、自分の将来を考えて勉強したり、両親から将来の進路を言われたりすることはあまりありませんでした。

 あまり勉強してこなかったせいか、高校の入試はギリギリで合格し、なんとか入学できました。そして母の影の協力もあって、私は普通クラスより少し上のクラス(A4クラス)に入りました。両親は、私がこのクラスに入ったら頑張って勉強してくれるだろうと期待していましたが、私は相変わらず勉強しない学生でした。

 あるテストのとき、勉強していなかったので友達のテストをカンニングしたことがありました。その時、先生から両親に私のカンニングのことが伝わり、とても恥ずかしかったことを今でも覚えています。この恥ずかしい体験から、カンニングをするのではなく、ちゃんと自分で頑張って勉強しようと意識が変わりました。けれども、高校時代はあまり勉強してこなかったので、卒業できましたがあまり良い結果とは言えませんでした。そして建設大学を受験し、定員の多い学部にギリギリ合格できました。

 大学に入学したものの、このときはまだ勉強の仕方がわからず、田舎から大学のある都会へ出てきたのでソフトスキルも身についていませんでした。なので、1年生の時の成績はオールC(良)でした。そして都会で遊ぶことが楽しくて、いつも10人くらいのグループで遊んでいました。その中に頭の良く、いつも威張っている人がいました。あるとき、その彼と些細なことで喧嘩になり、彼は私のことを馬鹿にしてきました。私はとても頭にきたので、このグループから抜けて一人で勉強を頑張って、その意地悪な彼を超えようと思いました。

 一人で勉強するようになってからしばらくして、クラスの一番の優等生が一緒に勉強しようと声をかけてくれました。その彼といつの間にか仲良くなり、友達になりました。彼と一緒に勉強したり、理系のオリンピックに参加したりしていくうちに、みるみる成績が上がっていきました。その結果、大学の奨学金をもらうことができるリストにも名前が挙がり、前に意地悪 された彼の成績も超えることができ、リベンジを果たしました。

 私は意地悪された彼を見返したい気持ちで一生懸命勉強していましたが、ふと気付いたことがあります。それは自分ができないのではなく、目標を持って努力したらできるのだということです。そして建設系のオリンピックにも参加し、晴れて2位になることができました。その日から、自分にも能力や才能があるのではないか、全力を出せば結果を残すことができるのだと感じられるようになり、もっともっと頑張りたい気持ちが出てきました。

 このときはまだ2年生でしたが、自分の成績や能力への意識が変わっていきました。ベトナムでは科目ごとの平均点数が10点中8点以上だと「優」の成績を取って卒業することができます。「優」を取りたいと思いましたが、1年生の時にあまり勉強せずに成績もよくなかったので、卒業するまであとどれくらいの成績を取ったらいいのか計算してみました。すると、卒業するまですべての科目でAを取らないと「優」を取得することができないとわかりました。私のいる建設大学では、3年生と4年生時はたくさんの授業科目があり、卒業のためのプロジェクトも行わないといけません。頑張ってAが取れるのだろうかと不安にもなりましたが、とりあえず頑張ってみないと始まらないと思いました。大変な時もありましたが、いつも心の中で自分は頑張ったら成功できると念じて勉強していった結果、卒業時の成績は「優」を取ることができました。

世界へ飛び出す

 なぜこんなにも自分自身を見つける道のりを長く話しているのかというと、ベトナムの大学で自分はできるのだとわかってから日本にいる現在まで、自分自身を見つけたことで今の私の考え方が行動が作られました。このことを皆さんにも伝えたいのです。

 日本の文部科学省の奨学金(MEXT)に合格したと聞いたとき、夢のようでした。私は英語がそれほど得意ではなく、リスニングも会話も苦手なほうだったので、まさかと思いました。そしてこのときラッキーだったのです。私が奨学金に合格できた理由は、ちょうど私と同時期にもう1人の候補者がいたのですが、その人が辞退したのです。そして、日本の大学側の指導教授が、次は建物の構造について研究している学生を取りたいと考えていたところ、ちょうど私の専攻が建物の構造についてだったのです。このような幸運が重なり、私は日本の文部科学省の奨学金を得ることができました。

 文部科学省の奨学金をもらい、私は日本での留学生生活が始まりました。しかし来日当初、日本語は全く勉強してこなかったので話すことも聞くこともできませんでした。なので英語でしかコミュニケーションを取る方法がなかったのです。

 日本語がわからないと日本での生活や大学院での研究もできません。そこで最初の1年間は自費で日本語学校へ通いました。1年間勉強し、日本語も身についてきたので日本語学校を卒業し、自分で勉強することにしました。私の目標は、最初の1年目で日本語能力試験N3に合格し、次はさらに上のN2に合格することでした。目標に向かって頑張って勉強していたのですが、N3には合格できませんでした。翌年、N2に合格するために勉強を続け、2回目でやっとN2を合格することができました。

 大学院での勉強は英語、研究や研究に使う資料や参考文献は日本語という環境の中、同じ研究室の人たちは研究以外の日本の生活のこと等も丁寧に教えてくれたので、比較的早く日本の生活に慣れることができました。

 私は新しい環境に変わったときに心がけていることがあります。それは、まずはその新しい環境を観察して、分析することです。自分の今まで経験や知識を基に新しい環境を観察することで、何が新しいのか、どうしたらいいのかわかってきます。新しい情報が多く、自分の知識が足りないときは勉強して自分の知識として吸収していきます。これが、新しい環境に慣れるときに大切なのです。

 私が大学院の研究室に入室したときのことです。指導してくれる先生とは研究の方向性を話し合っただけで、どうやって研究をするのかなど何も教えてくれませんでした。研究が進んでも先生からは研究が正しい、正しくないといったことは言われないので、不安になった時もありました。後々、先生の考えを伺ったところ、先に答えを言ってしまうのではなく、学生が研究の結論を出し、それを説明して先生が納得できるのであれば、その研究は正しいのだというお考えだったそうです。また、論文にも細かい指示を出さず、学生が論点や構成を伝え、先生からの質問に答えることができたらよいという方針でした。このような考えをお持ちの先生なので、先生の質問に答えるためには一つの問題に対しても深く、いろいろな角度から考察する必要がありました。そのために一つの問題から派生することや関連していることまで調べることの必要性と重要性を学ぶことができました。研究室での経験が、卒業後、世界に出てから生かされることになるのです。

社会とは大きな機械だ

 大学院の修士課程の時、在日ベトナム人コミュニティである “ラクカイ” に参加しました。大学院の勉強だけでなく、いろいろな人とつながって社会の人間関係も学びたいと思っていたので積極的に参加していたところ、運営側になってほしいと声をかけてもらいました。新しい関係もできるだけでなく、運営していく中で学びも多くありました。実は運営しているとき、メンバーの方向性が少しずつずれていき、結局、ラクカイはバラバラになってしまいました。この経験から、組織全体は一つの大きな機械であり、参加しているメンバー一人一人が同じ方向を向いていないと動けなくなり、組織は壊れてしまうのだということを学びました。これは一つの組織だけでなく、社会全体にも言えることだろうと思いました。

 大学院卒業後、先生の推薦で東京にある防火設計や設備設計で有名な建設会社に入社し、今では4年目になります。私の担当しているプロジェクトは、建物の防火設備や安全避難経路の提案と設計をすることです。会社のプロジェクト規模は大きく、たとえばオリンピックのためのプロジェクトや空港や大企業のプロジェクトなども手掛けています。このように大きなプロジェクトを担当するので、自分が大学や大学院で身に付けた知識では足りず、入社後は毎日、新しい知識や技術を勉強しないといけませんでした。

 みんな同じだと思いますが、入社2年目までは毎日、知識や技術を勉強し、仕事で使えるように頑張らないといけない時期でした。とくに私は外国人で、同じチームには先輩として指導してくれるメンター役の人もいなかったので、周りの人たちを観察して何をしているのか知り、物事を深く調べることを心がけていました。観察してもわからないときは先輩社員に質問したりし、先輩たちが忙しいときは参考資料を教えてもらい、自分で勉強して一つ一つ覚えていきました。このような日々を繰り返していく中で少しずつ仕事にも慣れていき、成果も出せるようになっていきました。しかし、一つの大きな山を乗り越えたと思っても、すぐに次の山が来るので、プレッシャーやストレスは大きいです。

 外国人だからかもしれませんが、日本の会社では同僚との関係で良い面と悪い面があるように感じます。人間関係や仕事において、私は我慢できる範囲であれば我慢していますが、もし我慢せずにしっかり伝えたほうがいいと思ったら上司や周りの同僚たちに自分の思っていることを伝えています。時には伝えることがお互いにとって良いこともあるのです。

 最近、ある出来事がありました。私が最初にいたプロジェクトチームに仕事のやり方があまり良くないと感じる先輩がいました。会社の人たちは私の様子を見て、このチームではなく、違うチームに私を異動させたら仕事もしやすく、力を発揮してくれるだろうと考えて、私を新しく別のチームに異動させました。私は新しいチームに異動となったのですが、ほとんどの建設のプロジェクトは短期で終わるものではなく、長期に渡ります。私が前にいたプロジェクトチームもすぐにプロジェクトが終わるものではなかったので、新しいチームにいながら2年間、前のチームの仕事もしていました。そしてようやく前のプロジェクトの仕事が終わり、新しいチームの仕事に集中しようとしたのですが、なんと私にほとんど仕事をまわしてくれなかったのです。チームリーダーは私に仕事を振ってくれていたのですが、同じチームのメンバーの中で仕事をまわしてくれず、無視されていました。その人たちは、私は違うチームだったので、前のやり方で仕事をするのではという不安や疑問を持っている人がいたようです。しばらくこの状況に耐えていましたが、仕事をまわしてくれるように言ってもなかなか改善されませんでした。このまま我慢するのはもう耐えられないと思い、社内のSNSを使ってチームのメンバーや社内の全員へ私の状況やこの状況が続くなら転職を視野に入れているとはっきり伝えました。

 この私の行動を受け、プロジェクトチームのリーダーと会社の人とが話し合ってくれることになり、その日以降から私にも仕事をまわしてくれるようになりました。ときには仕事が多すぎてやり遂げられないのではと心配になるときもありましたが、私のことをチームの一員と認めてくれない人たちを見返すため、最後まで投げ出さずにやり遂げました。徐々にチームのリーダーも私のことを認めてくれるようになり、設計の人との打ち合わせを任せられたり、少しずつ私にプロジェクトを任せてくれたりするようになりました。

 会社もそうですが、社会全体は一人一人のパーツが組み合わさって動く一つの大きな機械なのです。その機械を動かすためには、お互いがバラバラの方向を向いていてはだめで、同じ方向を向くことが大切なのです。海外の企業では、パーツが合わなくて機械が動かないときは、すぐにパーツを交換すると思います。一方、日本の企業の場合、運営側はパーツが上手く組み合うようにリードして、もしパーツが緩くて上手く締まっていないなら、そのパーツを締めます。締めても動かない、もしくは緩んだままであるならば、そのパーツを外すこともあるでしょう。私は自分自身のパーツの一つだと思っています。外されてしまうのか、それとも他のパーツと上手く組み合うことができるように調整するのかは自分次第です。他のパーツと上手く調整を取るためには、自分も勉強して成長させることが必要なのです。

 日本の社会で勉強したり仕事をしたりする年数を重ねていくと、だんだん組織の動き方やパーツの組み合わせ方がわかるようになってきました。日本の建設業界で働くベトナム人エンジニアは多いのですが、ITなどのように建設に特化したコミュニティはありません。そもそも建設業界は幅が広く、一つのグループにすることが大変だったり、みんな週末も仕事があったりと忙しい人もいるので活動の継続も課題となります。けれども、私は建設のベトナム人エンジニアコミュニティを作りたいと思っていました。まずは大学院生の時の “ラクカイ”での経験からすぐに建設のコミュニティを作るのではなく、まずカメラの会や在日ベトナム人コミュニティなど小さなコミュニティを作って、コミュニティ運営のための勉強を始めました。徐々にコミュニティの運営ノウハウや経験を積み、晴れて2019年に日本とベトナムの建設推進コミュニティ “VJCA”を設立しました。

 このVJCAは設立1年しか経っていませんが、メンバーが同じ方向を向くようにいつも努力しています。そしていつか建設業界のベトナムコミュニティとしてもっと多くの人に参加してもらいたいと考えています。

私は誰なのか

 私は、自分が他の人よりも優れているとは思っていません。優れているというよりもバランスを上手く保つことができているのだと思っています。たとえば人には仕事やプライベート、家族、やりたいことなど様々な側面がありますが、このバランスは人によって違うと思います。

 私の今の仕事は人間関係やプロジェクトも上手くいっていて、ベトナムの両親への経済的な支援もできています。両親も元気なので、さらに仕事へ集中もできます。そして自分が作りたかったベトナム人のコミュニティのVJCAも作ることができ、社会に貢献することもできています。社会全体でみると一つ一つのことは違う性質を持っていますが、自分自身がみんなと合わせて動いていくことが大切なのだと思っています。仕事以外では旅行やパーティー、ドライブ、カラオケが好きなので、仕事がないときは思いっきり自分自身に時間を使ってリフレッシュしています。一人の人間のバランスを保つためには、仕事に追い込まれて仕事ばかりの日々を送ってもダメで、このようなリフレッシュできる時間も必要です。

愛は人生のスパイス

 自分のことや仕事、社会のことばかりでは人生は面白くありません。もっと人生を面白く、豊かにするために必要なことは愛です。恋愛は日々、頑張るエネルギーになります。私が恋愛について一番伝えたいことは、恋愛においては正しい、正しくないということはありません。ただ相手を受け入れられるか、それとも受け入れられないかだけです。仕事では大学や大学院で学んだ知識やスキルを使う機会が多くありますが、恋愛では毎回、違うパーツとの組み合わせなので、過去の経験は考えずにゼロからスタートしたほうがいいと思います。

メッセージ

 社会は大きな機械で、私たちは一つ一つのパーツにすぎません。そのパーツを回すのか、それとも回されるのかは自分の選択次第です。どっちを選択したとしても、必ず大変な壁は立ちはだかります。でも怖がらないでください。実は壁を乗り越えるためのスキルや知識、経験など、自分の過去で既に将来に使える武器をたくさん持っているのです。今のこの勉強は将来、必ず役立つときがあります。なので毎日勉強をし、自分のスキルを磨いていってください。

 私たちの人生は一度きりです。なので、仕事ばかりの人生ではなく、自分はどんな人生を歩みたいのか目的を明確にして、仕事や家族、趣味などバランスを取りながら社会に貢献できることが何よりも大切だと思います。

東京、 2020年8月