日本との縁
15歳の時、私はインターネットで日本のことが大好きな女性と知り合いになり、日本についていろいろと教えてもらっていました。そして、その人はハノイ大学の日本語学部に進学したので、最初知り合ったころよりもさらにたくさん日本の話をしてくれるようになり、私も日本についていろいろ知ることができました。
私は18歳になり、大学へ進学しました。大学では日本語とは関係ない学部に進学しましたが、同じ寮に住んでいたルームメイトが日本語学部だったので、その人が日本についての話をよくしてくれました。かつての友人からもルームメイトからも日本についていろいろ教えてもらっていましたが、将来のことを考えると日本語ではなく、英語と中国語を勉強した方が仕事の選択肢が広がると思ったので英語と中国語を選択して勉強していました。日本と縁があるなら、いつか再び日本に関することと出会うだろうと思っていたところ、27歳になった時、日本との縁が生まれたのです。
私が27歳のころ主人が日本の企業に就職することが決まりました。私はその当時、会社の法務部で働いていたのですが、子どもの教育環境や育児環境の面を考えると日本の方が良さそうだと思い、今までの仕事を辞めて、主人と2歳の娘と共に日本へ行くことになりました。
日本での忘れられない出会い
来日まもない頃に出会った人たちにはいろいろと助けてもらい、今でも忘れられません。そして主人にも感謝しています。私が慣れない日本での生活に苦戦しているとき、いつも手を差し伸べてくれるのではなく、私が自分でできるように見守ってくれていました。主人のおかげで早く生活にも慣れ、成長することができたと感謝しています。
主人は先に日本で生活していて、私と娘は家族滞在のビザで後から日本へ行きました。私が娘と来日したとき、主人は早速空港まで迎えに来てくれ、家に帰りながら地下鉄やタクシーの乗り方を教えてくれました。翌日、主人は会社があるので、私はいくつか大切な日本語の言葉を教えてもらい、自分一人で在留カードの手続きや転入の手続きに行かなければなりませんでした。来日前の6か月間、ベトナムで日本語の勉強をしましたが、日本に来てすぐは日本語の会話にも生活にも慣れずに大変なことばかりでした。役所の手続き一つでも苦労し、頑張ってやっと手続きすることができました。このとき、日本語でコミュニケーション取れるようにならないと日本で生活するのに不便だなと感じ、もっと日本語の勉強を頑張ろうと思いました。
そしてこの当時、娘はまだ2歳半で、日本での生活に早く慣れさせるために保育園に預けることを考えていました。しかし私はまだ日本語がわからず、携帯電話も来日したばかりで持っていなかったので、家のパソコンで子どもを預ける場所がないか積極的に調べていました。実はこのとき、幼稚園と保育園の違いも知らなかったのです。
あるとき、近所に小さな子どもを見てくれる場所があると知ったので、何も調べずに行き方だけメモして行ってみました。私の日本語力はN5ぐらいで簡単な日本語しかできないレベルでしたが、何とか先生たちに子どもを預けたいと伝えました。先生たちはいろいろ私に言ってくれたのですが、その時は何を言っているのかよくわかりませんでした。今思い返すと、その場所は幼稚園だったので、2歳半ではまだ幼稚園に入れないと言っていたのだと思います。私がよほど困っている様子だったのか、園長先生が親切にも近くにある保育園を調べてくれ、その保育園に入園できるかの問い合わせまでしてくれました。そして紙に保育園の名前や行き方を書いて渡してくれたのですが、私は自分の家に帰る道ですらわかっていないのに、自分一人でどうやってその保育園に行ったらいいのかとても不安になりました。恐らくその不安な気持ちが顔にもはっきり出ていたようで、なんと園長先生が一緒にその保育園まで連れて行ってくれたのです。なんて親切な人なんだととても感動して、今でもその日の夕方、園長先生の背中姿を忘れられません。そしてその保育園に無事に入園でき、娘が小学校に上がるまでお世話になりましたが、このときもやはり日本語を勉強しないといけないなとしみじみと思ったのです。
みなさんはご存知かもしれませんが、誰でも保育園に子どもを預けることができるわけではありません。空きがあったとしても、両親が仕事をしているか、学校に通っているという理由がないと入園できません。そのときはまだ来日したばかりで仕事もしておらず、学校にも行っていなかったので、仕事をするか、それとも日本語学校へ行くかの選択を迫られることになりました。主人に相談したところ、主人は私に日本語学校へ通うことを勧めてくれました。当時はまだ主人も日本で働き始めたばかりで経済的に安定はしておらず、余裕があったわけではありません。しかし主人は、今はまだ日本語がわからないので、時間をかけて日本語の勉強をしたほうがいい。アルバイトばかりして日本語の勉強ができないのはもったいないと言ってくれたのです。私は主人の言葉があったので、日本語の勉強に打ち込めることができ、娘を保育園に預けることもできました。この判断をしてくれた主人にとても感謝しています。
日本語学校へ通うようになり、一から日本語を勉強したことがとても良かったと感じています。自分の経験から、自分より後に家族滞在として来日した人たちには、日本の生活に慣れたかったら、一から日本語を勉強した方がいいとアドバイスしています。それが何より日本語を習得する近道なのです。
日本語学校では多くの留学生と出会いました。留学生たちの話を聞くと、時々泣きそうになりました。私は主人が働いてくれ、学費も払ってくれるので勉強に集中することができますが、留学生たちはみんな、勉強しながらアルバイトをして学費や生活費と稼いでいました。また中には、留学のためにした借金の返済のためにアルバイトしないといけない人もいました。学校に通い始めた当初は、居眠りしているなんてみっともないと思っていましたが、みんなの話を聞くと日本での生活と学校との両立で大変なのだと知りました。家族滞在の人たちも大変だと思いますが、勉強とアルバイトを頑張っている留学生たちはもっと大変なのです。もしお金のことを心配せずに勉強できる環境があるなら、それはとてもありがたいことだと思わないといけないと思いました。私は恵まれた環境に感謝して、前向きに頑張ろうと心を新たにしました。
誰にも打ち明けられない悩み
日本に来てから最初のアルバイトはマクドナルドのキッチンの仕事でした。日本語がまだ上手ではなかったので、アルバイトに行く前に小さな紙に新しい日本語の言葉を書いて、手が空いている時間に日本語の勉強をしていました。この小さな積み重ねで、語彙の数もだんだん増えてきました。そして継続は力なりと言いますが、この空き時間の勉強を続けていくうちに、日本語の言葉や語彙の数がかなり増えました。
日本の企業に就職し、就労ビザを取得してキャリアを積むことが家庭に貢献できることだと思っていましたが、娘はまだ小さいので、今はまだフルタイムで働くタイミングではないなとアルバイトをしながら考えていました。そして主人が転勤となったので、私はマクドナルドのアルバイトを辞めました。
次のアルバイト先はユニクロでした。ユニクロでアルバイトをすると言うと、商品の陳列やレジ打ち、お客様対応などの表に立つ仕事をイメージする人が多いと思います。私も働き始める前までそう思っていましたが、実際は大きく異なっていました。私の仕事は開店2時間前にトイレや店舗の掃除など、掃除がメインの仕事でした。私は掃除をしながら、自分はベトナムで2つも大学を卒業して、父も母もお金をかけてくれていたのにトイレ掃除でいいのだろうか、私をよく知る友人たちも私の姿を見て驚くだろうと思い、このままではいけないと涙が出てきました。私は学校、バイト、家庭の日々を変えたいと強く思うようになりました。
小さなアイディアから夢を叶える道につながる
自分が一番情熱をもって打ち込めることは、娘と一緒に勉強したり、体験したりして成長することです。一般的な教育はもちろん、日本に住んでいる子どもにどうやってベトナム語を教えたらいいか考えていました。そのとき、ある2人のベトナム人に出会い、子どもには小さいときからしっかり教えないといけないと実感した出来事がありました。
その2人のうち1人は、ご両親がインドシナ難民で来日し、30年ぐらい日本で暮らしています。今は働いていますが、子どもの頃の生活は決して豊かではなく、十分な教育を受けることもできなかったそうです。そのため、ベトナム語の日常会話は話せるのですが、教えてもらっていなかったので読み書きができません。私とメッセージのやり取りをしましたが、ベトナム語でのやり取りは難しいようでした。そして2人目は17歳の人で、日本の高校に通っています。ご両親は日本で働いていて収入も高く、生活面では充実しています。しかし、その子とはなしたところ、外国人が話すようなベトナム語しか話せず、ベトナム語を読むことはできても意味は分からないと言っていました。そしてベトナム語で難しい話はできないとも言っていました。
私は2人のベトナム人の話を聞き、小さいころからしっかりベトナム語を勉強させないとベトナム語で伝えたいことも伝えることができないのだと実感しました。そして自分の娘にはベトナム語で会話ができるだけでなく、いつかベトナムに帰ったときに読み書きも十分できるようになってほしいと思いました。そのためには、時間をかけてしっかりベトナム語を教えないといけないのだと思い始めました。
娘が少し大きくなった2018年に、祖母が日本に3か月間ほど遊びに来ました。祖母は小学校の国語の先生をしていたので、子どもにベトナム語を教える方法を教えてもらいました。小さい子どもは楽しいことが好きなので、祖母と娘だけで勉強しても楽しくありません。なので、近所に住むベトナム人の子どもたち3~4人も誘って家で一緒に勉強することにしました。毎回、子どもたちが楽しそうに勉強しているので、それを知った他のベトナム人の家族からも子どもを預けたい、このまま勉強を教えてほしいという声もたくさんありました。そして祖母への御礼を手渡してくれる人もいました。
祖母は滞在期間が終わりベトナムに戻りましたが、このままベトナム語の勉強を終わらせてしまうのはもったいないので、オンラインでベトナム語の授業を続けることになりました。このオンライン授業に関して、私は1つアイディアを思いつきました。海外に住んでいたら、子どもにベトナム語を教えたいと思う人はいますが、教えるためには時間も先生も必要です。ならば、時間があまりなくても勉強できる環境があればやりたいと思う人は多く、ビジネスとして展開できないかと考えたのです。
私はこのオンライン授業の市場調査として、ベトナム人のお母さんたちが集まっているコミュニティにベトナム語のオンライン授業について聞いてみたところ、1時間で1人300円未満ならみんな参加したいということがわかりました。そしてさらに調べていくと、1クラス4名まで、週2~3回で授業料2000円~3000円ぐらいのクラスのニーズもあることがわかったので、私は小さなビジネスを始めることにしました。
ベトナム語のオンライン授業を始めると、祖母だけでは回らなくなってきたので、もう少しバリエーションを増やすことを考え始めました。まずはベトナムにいる祖母と同じように小学校の先生をしていた人を採用して授業を担当してもらいました。オンラインなので田舎に住んでいる人でも教えることができ、教える側の先生たちも海外に住む子どもにベトナム語を教えることは教えることはやりがいになります。そしてアシスタントも雇い、このオンライン授業は少しずつ軌道に乗っていきました。問い合わせも日本にいる保護者だけではなく、他の国に住む人からも来て、徐々に拡大していきました。
オンライン授業を始めてから1年少しかかりましたが、生徒たちも先生たちもそろいました。今では日本だけでなく、ヨーロッパからも生徒が参加してくれています。このオンライン授業をさらに拡大するため、ベトナムで法人設立の手続きもしています。ウェブサイトやホームページも作り、いろいろ取り組んでいます。私個人としては、このオンライン授業を急に成長させるのではなく、少しずつ大きくしようと頑張っています。
このビジネスはまだ小さいビジネスなので、それだけに集中するのではなく、ユニクロのアルバイトも続けています。毎日12時までユニクロで働き、その後はオンライン授業のビジネスというサイクルで過ごしています。普段、家などでは子どもがいるので自分一人でじっくり考える時間が持てないのですが、ユニクロのアルバイトで掃除をしている2時間は、唯一じっくり考えることができる時間です。かつてはこんな掃除の仕事嫌だと思っていましたが、今はビジネスのひらめきのための貴重な時間です。
メッセージ
私が一番伝えたかったことは、今、コロナウイルスの影響もあり、世の中はどんどん変化しています。主人の仕事は今良かったとしても、明日、来月が順調かどうかはわかりません。変化に備えて準備をすることが大切です。子どもも今は日本に住んでいますが、いつかベトナムに帰るときが来るかもしれません。その時のために、今からベトナム語を教えることも必要です。
今は主人が経済面で支えてくれていますが果たしていつまで順調なのかはわからないので、私もいずれ独立し、ビジネスを安定させて支えたいと思っています。何かあっても大丈夫のように最悪な場合を想定して準備をし、家族が安定した生活を送ることができるようにしたいです。私は海外で生活するとき、いつ何があっても大丈夫であるために自分の言語能力や知識、スキルを高めようと思っています。みなさんも是非将来のことに備えて、準備をしておいてください。
東京、2020年9月