ドアン・トゥ・クイン

DOAN    THU    QUYNH

Profile & Message

2019年 貿易大学を卒業

2019年-2021年 国際交流員(CIR)として島根の市役所で勤務 

2021年8月 CIRの任期を早期終了し、人材関連の営業職に転職

2022年5月 不動産業界で、先輩と共に会社の立ち上げに挑戦

2022年8月 コロナ後にFTU学生会活動の復活に貢献し

大規模なコミュニティイベントや交流会を企画

2023年7月 不動産会社のオフィスを設立し、チームを拡充

2024年7月 日本でのFTU法人設立に貢献

自分の努力と頑張りは自分自身の成長だけでなく、周りのコミュニティにも価値を創出することができると考えています。忙しい日々の中で、時には新しいことを学ぶ過程で圧倒されるようなこともあるかもしれません。私たちの日本での日々が、有意義で多くの貴重な経験に満ちたものとなるように、一緒に頑張っていきましょう。 

3年前、このVOICE OF ASEAN SEMPAIにて、島根県での国際交流員(CIR)の仕事について皆さんにお話しする機会がありました。その頃は、CIRの任期を早期終了し、安定していて比較的余裕のある市役所の仕事を辞め、人材紹介会社の営業職に転職するという、新たな挑戦を始めた時期でした。

その後、同じ大学で学んだ先輩とのご縁が、私のキャリアを新たな方向に導きました。東京での賑やかな生活と多くの人脈が、コミュニティのつながりに関する経験をより豊富にしてくれました。

第1部はこちらでご覧いただけます:Voice of Asean Senpai Vol. 79 

キャリアの転機

3年前、市役所での仕事を辞めて人材紹介会社に転職したことは、自分自身を再評価し、本当に何を望んでいるのかを見つめ直すための一歩でした。挑戦することが好きで、自分の可能性を探ることに興味があるので、日本に来た時からいつかは起業して、自分だけの何かを作りたいと考えていました。しかし、自分に適した業界がまだわかっていなかったため、しばらくは営業の仕事をして、貯金をしながらスキルを身に付けることに決めました。

2022年1月、東京への出張中に、ちょうど日本で行われていた外国語大学の同窓会イベントに参加する機会がありました。この時、さまざまな分野で働いている先輩たちと出会い、交流することができました。その時に初めてお会いしたのが、後に新しい仕事の共同創業者であり上司となるDaさんでした。彼は当時、日本の大手不動産会社を退職し、自分の会社を立ち上げようとしていたところでした。Daさんから不動産業の話を聞いて、興味を持ちましたが、その日は話せる時間が短く、また自分がこの分野についてあまり知識がなかったため、あまり仕事の話を深く聞くことはなく終わりました。

約1ヶ月後、友人のために東京でオフィスの物件探しを手伝っている際に、Daさんと再会する機会がありました。一緒に過ごす時間が前回より増えたので、より多くの情報交換をすることができました。私が自分で何かを始めたいが、まだ具体的な方向性が定まっていないと話すと、Daさんは自分の新しい会社の立ち上げに参加してみないかと提案してくれました。

ちょうど自分の進むべき方向に迷っていた私にとって、Daさんからの提案は非常に魅力的なチャンスに感じました。会社設立も業界もすべてが初めてのことばかりで、多少のリスクはありましたが、その新しい挑戦が私を強く引きつけました。その後、私が正式に働くことに同意した日、Daさんはわざわざ東京から私が住んでいる岩手まで来てくださり、直接会って2人の今後の方向性についてさらに詳しく話し合いました。彼の強い意志と努力に感動し、私は彼と共に歩み、日本でベトナム人が誇りに思えるような会社を築くために力を尽くすことを決意しました。

これは私のキャリアにとって重要な転機でした。仕事の引き継ぎが終わるまで、昼間は以前の営業の仕事をし、夜は新しい仕事にリモートで取り組み始めました。その時、会社にはまだ私たち2人しかおらず、Daさんが営業を担当し、資金調達と顧客獲得を行っていました。一方で、私は会社の内部システムの構築を担当し、ウェブサイトやロゴ、ファンページなどを作成しました。

並行して、不動産営業に必要な知識を独学で学び始めました。たくさんの新しいことを同時にこなすのは忙しく感じる時もありましたが、会社の基盤を自分の手で築いていく感覚は非常に興味深く、努力を続けるモチベーションとなりました。

新しい会社の立ち上げ

新たな学びと挑戦の3年間

不動産の営業を学ぶことは、初めは大変な挑戦でした。それまで不動産に関する仕事を全く経験していなかったからです。覚えるべき日本語の専門用語が非常に多く、さらに大きな資産に関わる取引であるため、様々な書類に慣れる必要がありました。

覚えることがたくさんありましたが、当時は新しく設立されたばかりの会社の仕事を、2人で手分けしてこなす毎日だったので、研修時間を確保する余裕はありませんでした。そのため、Daさんが顧客と会うたびに同行し、その場での説明を聞きながら、彼がどのように顧客とやり取りし、仕事を進めているかを観察し、メモを取り、必要に応じて後で調べたり質問したりすることで学んでいきました。現場での学習は、実際の業務を目の当たりにすることで知識を早く吸収できるという利点がありましたが、体系的に知識を身につけられなかったため、時々混乱してしまうこともありました。

自分の業務の流れを覚えるのに3ヶ月ほどかかり、顧客対応の全プロセスをしっかりと把握するまでに6ヶ月を要しました。業務を理解し終えた後、さらに2ヶ月ほどかけて、これまで学んだ知識をすべて体系化し、将来の社員研修のために、社内向けの教材を作成しました。

私がまとめた教材は現在も社内の新人研修に使われており、そのおかげで新しいスタッフが業務プロセスを覚えるまでの時間をほぼ半分に短縮することができました。実務を通して学ぶのと並行して、専門知識を深めるために関連書籍を読んだり、資格の勉強をしたりもしていました。

社員が2人しかいない頃からイベントを開催

様々な役割を果たし、司会者も担当

 最初の努力が実を結び、入社から3ヶ月で顧客対応を任され、初めての契約を獲得することができました。自分にとってこの仕事はとても挑戦的でありながら、達成感と喜びをもたらしてくれるものです。

挑戦的であると感じる部分は、物件紹介や売買のプロセスは1つでも、顧客の書類は千差万別であり、各書類ごとに異なる問題が発生し、それらを解決する必要がある点です。

大手会社に勤めていて収入が高く、転職回数が少ないといった「優良」書類を持つ顧客に関しては、銀行との交渉が非常にスムーズに進みます。そのため多くの不動産会社の中から、どうやって自分の会社を選んでもらうかが、大きな課題となっています。

顧客が自ら相談に来る場合、その書類には少なからず問題点があり、それを銀行にしっかりと説明しなければ、期待通りの結果が得られないことが多いです。例えば、ローン申請者が扶養家族を増やしてしまったり、希望するローンの額に対して収入が十分でなかったりするケースがあります。

私は全てのお客さんを大切にしています。困難な案件ほど挑戦したいと思い、複雑な書類を処理するたびに、多くの貴重な経験を得ることができます。書類が難しいほど、銀行の承認を得た時に顧客の感謝と努力への評価が一層大きくなります。私にとって、顧客からの感謝の言葉は最大の励みであり、日々頑張る力を与えてくれる源です。

また、友人からの紹介やFacebook投稿などの効果で、地方に住んでいる顧客ともご縁がありました。地方では、不動産会社が非常に少なく、もしあったとしても日本の会社が多いので、永住権を持っていない人や日本に来て間もない人の書類処理の経験が少ない場合が多いです。東京周辺に比べて遠方の顧客の書類処理には多くの時間がかかりますが、私は常に最適な方法を見つけられるように努めています。

不動産業界に転職してからの約3年間、自己成長を目指し、より多くの契約を会社にもたらす努力をする一方で、ベトナム人コミュニティの中で、ベトナム人が提供するサービスに対する見方を少しずつ変えるために何かできないかと考えていました。私は顧客をできる限りしっかりとサポートすることを心掛けています。私にとって、この仕事は単なる住宅の販売ではなく、一緒に日本で頑張っているベトナム人の方々に新たな住まいを見つけ、より安定した快適な生活を送る手助けをすることだと思っています。多くの方々にとって、日本で家を購入することは、彼らの日本での努力が報われた証でもあります。そこに至る過程で彼らと共に歩めることが、私にとって最大の誇りです。

社員旅行。2人から大人数に!

仕事とコミュニティ活動の両立

 仕事に取り組む努力に加え、東京での3年間はコミュニティ活動にも力を入れて参加できる期間でした。もともとチームや団体活動が好きで、大学時代から貿易大学のクラブ活動に積極的に参加していました。自分が東京で働くことを選んだ理由の1つは、ここには同じ大学の先輩たちが多く住んでいたからです。

私が東京に引っ越したばかりの頃、在日貿易大学同窓会はすでに設立されてはいたものの、参加者が非常に少なく、大きな活動もほとんどなく、たまに小規模な交流会が行われる程度でした。

私の上司であるDaさんも、在日貿易大学同窓会の初期主要メンバーの1人でした。彼はコミュニティ活動が大好きで、他の先輩方にも声をかけ、同窓会を再建しようとしましたが、ほとんどの先輩はすでに家庭を持ち、仕事や子育てに忙しく、なかなか進展が見られませんでした。

このまま同窓会の活動がなくなっていき、忘れ去られてしまうのは本当に惜しいと思い、残っていた先輩方と一緒に「同窓会の再生」に取り組むことにしました。同じ学年の友人たちにも声をかけ、独身で大学時代にクラブ活動の経験がある人たちに参加してもらい、一緒に同窓会の再生を進めることにしました。

8人ほど集まり、ある程度の規模でイベントを開催できるようになったので、「貿易大学の集い」というイベントを立ち上げました。このイベントには、日本に住んで働いている150人以上の貿易大学出身の卒業生が参加し、コロナ禍を経て3年以上ぶりに大規模な再会の場となりました。

このイベントを開催するために、私たちは夜や週末の空き時間を利用して、週に1回(毎回3〜4時間ほど)集まり、プログラムの計画を立てたり、必要な作業を分担したりしました。まるで第二の仕事のように取り組みました。

貿易大学の同窓会

 初回イベントの成功を受けて、私たちはさらに多くのイベントを開催しました。例えば、貿易大学の卒業生が働く企業とのビジネスミーティングを企画し、参加者同士の交流を深め、仕事の機会につなげる手助けをしました。実際、多くの参加者がこれらのミーティングに参加することで、先輩方とのつながりから良い仕事のチャンスを得ることができました。

ビジネスミーティング

 私たちは貿易大学の枠を超えて、他の大学の卒業生との交流も広げました。例えば、FPT大学の卒業生とのコラボでマラソン大会を開催したり、様々なベトナム人コミュニティの団体が参加するサミットの開催をサポートしたりしました。

仕事以外の活動は忙しいものの、私や他のメンバーは多くのソフトスキルを身につけることができ、また新しいつながりを得ることができました。さらに、仕事や日常のストレスを発散する場としても役立っています。

Sempai Sharing Vol 2のMC

 在日貿易大学同窓会の活動が活発になり、コミュニティでの評判が高まったことで、他の大学の卒業生も自分の大学も同窓会をやろうと動き出し、多くのイベントが開催されていることをとても嬉しく思います。これにより、日本におけるベトナム人コミュニティがより活気づき、つながりが深まっています。

メッセージ

 東京に来たのはつい最近のように感じますが、気づけばもう3年が経ちました。会社も最初は2人だけでしたが、現在は10人近くのスタッフがおり、活動領域も広がっています。また、在日貿易大学の同窓会も、これまでは小さなグループでしたが、今年の7月から正式な法人としての活動を開始しました。会社と同窓会の成長を見守りながら、過去3年間の活動に多くの意味を感じています。

この3年間、仕事と同窓会の活動でとても忙しく、時にはその多忙さに圧倒され、自分の時間があまり取れないこともありました。しかし、自分が好きなことに全力で取り組み、毎日成長しているという感覚があったので、これまでの3年間が本当に価値のある時間だったと感じています。

現在、仕事もコミュニティ活動も順調に進んでいるので、これからは自分自身にもっと時間を費やして、健康に気を配り、さらに知識を深め、仕事に役立つ資格を取得したいと考えています。

皆さんは「バタフライ効果」を信じますか?私は、自分の努力と頑張りは自分自身の成長だけでなく周囲の人々にインスピレーションを与え、共にコミュニティにも価値を創出することができると考えています。

これまでの3年間の私の小さなストーリーが、様々な壁にぶつかり困難な日々を送っている方々、特に安定した環境を離れ、かつての私のように新しい世界に挑戦している方々に少しでも前向きなエネルギーを届けられることを願っています。皆さんが小さくても強く、美しい色彩を持つ蝶のように、いつでも羽ばたき、鮮やかで経験に満ちた日々を創り出せるように、新しい一歩を踏み出す力になればと願っています。

東京、 8/2024