ファム・レ・ニャット
PHAM LE NHAT
ファム・レ・ニャット
PHAM LE NHAT
Profile & Message
2016年6月 ハノイ大学日本語学科を卒業
2016年10月 来日し、北海道の日本語学校に入学
2017年6月 FPT Japan(東京)に営業スタッフとして入社
2020年4月 新宿医療専門学校に入学し、日本鍼灸科を専攻
2023年3月 専門学校卒業後、国家試験である鍼灸師の免許を取得
「 ごく普通の会社員から、日本で初めてのベトナム人鍼灸師となるまでの道のりは、自分の人生の意味を見つけるための長い旅でした。私にとって、人生の意味とは、患者さんや大切な人々の痛みを自らの手で和らげることです。もしあなたがまだ人生の意味を見つけていないなら、ぜひ私の体験談を読んで、自分が本当に望んでいることに耳を傾けてみてください!」
人生を変える選択
2016年にハノイ大学の日本語学科を卒業しましたが、卒業後も、自分のキャリアパスがはっきりしないままでした。そんな時、友人が北海道の日本語学校で短期留学の奨学金を受けるチャンスを紹介してくれました。数年間日本語を学んだので、一度日本で体験してみるのも良いだろうと思い、挑戦することに決めました。
北海道に留学した時
北海道は、美しい風景と温かい人々が魅力的な、特別な場所です。当初の目的は、日本文化を体験するためだけと考えていましたが、この旅が私の日本に対する見方を根本から変えてしまいました。最初はあまり興味がなかったのですが、次第に日本を愛し、深く知りたいと感じるようになり、日本で働く機会を探すことに決めました。
北海道周辺の会社で面接を受けようと考えていましたが、冬の厳しい寒さが私の考えを変えました。もっと活気のある都市且つ、快適な気候の中で働く機会を探し始めました。当時、彼や知り合いの日本人も、私がどれほど北海道が好きでも、ここは息抜きのための場所であり、キャリアのスタート地点にはふさわしくないのではないかと教えてくれました。
2017年、東京で開催されたVysaJobfairに参加した際、偶然にもベトナムから来たFPT Japanの社長と出会いました。営業の経験は全くなかったのですが、「もしダメでも他の仕事を探せばいいし、挑戦してみる価値はある!」と考え、思い切ってそのポジションに応募してみることにしました。恐らくその自信があったおかげで選考が通り、2017年6月からFPTの営業社員として働き始めることができました。
FPT Japan に勤めていた頃
初めの頃は本当に大変でした。厳しい職場環境に慣れることから、叱責を受けながら学ぶことまで、さまざまな試練に直面しました。しかし、そうした困難があったからこそ、自分は成長し、貴重なスキルを身につけることができました。
しかし、しばらく働いていくうちに仕事のプレッシャーが原因で体調が徐々に悪化し、仕事の効率も目に見えて低下してきました。ある日、疲労が溜まりすぎて会議中に居眠りをしてしまい、クライアントから叱責を受けることがありました。その時に、自分はもっと健康に気を遣わなければならないと気づきました。
その頃、首や肩が頻繁に痛むようになったので整骨院に通うことにしました。施術はとても優しい力で行われていたのですが、それでも痛みを感じたため、他に方法がないかスタッフに尋ねてみました。すると、機械を使った治療を提案されましたが、費用がかなり高いということでした。費用の面で悩んでいると、あるスタッフが日本式の鍼灸を試してみることを勧めてくれました。最初は鍼を刺すのは痛いのではないかと思っていましたが、実際に体験してみるとまったく痛みを感じませんでした。さらに驚いたのは、翌日には首や肩の痛みが大幅に軽減されていたことです。この経験がとても私の興味を引き、鍼灸について学びたいと思うようになりました。担当してくれたスタッフに話を聞くと、日本には鍼灸専門の学校があることが分かりました。それを知り早速インターネットで情報を探し、自分に合いそうな学校を訪問し、先生たちと話をするための予約を取りました。
自分がこの分野を学びたいという気持ちを話すと、学校の先生たちは、医療に関する基礎知識が全くない自分に対しても親身になってくれて、転職を考える人向けの「教育訓練給付制度」を提案してくれました。これは日本政府が提供する制度で、労働者がスキルを向上させ、キャリアを築く手助けをするものです。この制度に参加して、厚生労働大臣が指定した講座を修了すれば、学費の一部が支給されることになります。この制度に登録すれば、安心して仕事を辞めて、学業に100%集中することができ、生活費の心配も少なくなります。というのも、出席が条件で、授業時間に応じて支給される給付金があるからです。医療系の受講を予定している私にとって、給付金はかなり大きな額で、月に約20万円近くも支給されるのです。
営業職は高い収入を得られる可能性があるものの、自分自身にとても合っているとは感じませんでした。一方、鍼灸の仕事や健康管理の分野においては、人生の意味と深くつながっていることを実感しています。特に女性にとって健康を維持することは、いつまでも若々しさを保つための必須条件です。こうした理由から、私はこの学びの道を選ぶことに決め、2020年4月から新宿医療専門学校に入学しました。
鍼灸を学ぶ道~困難と達成感~
専門学校での3年間は、私にとって本当に挑戦に満ちた旅でした。初日から、膨大で新しい知識の量に圧倒されました。鍼灸を本格的に学ぶ前は、ただツボを理解するだけだと思っていましたが、実際ははるかに複雑でした。鍼灸だけでなく、一般医学や解剖学、生理学などの科目も学ぶ必要がありました。
解剖学および鍼灸の実習授業
専門用語は主に古代漢字で書かれており、非常に理解しづらいことばかりでした。例えば経絡の授業では、教師の前で全365経絡を暗記して発表し、5秒以上止まってはいけないという課題がありました。プレッシャーが大きすぎて、1年目の終わりにはクラスの約1/3が退学してしまいました。初めの困難を乗り越えるために、私はベトナム語の医学書を読み始め、基本的な知識をしっかりと身につけてから、日本語の専門書に戻ることにしました。
東洋医学と西洋医学の知識を得るための本
努力を重ねた結果、無事に初年度を乗り越えることができました。成績は特別優秀ではありませんでしたが、次のステップへ進むためには十分でした。2年目になると、授業が実技中心にシフトしました。理論については、新型コロナウイルスの影響でオンライン授業となりましたが、実技は学校に通って行う必要がありました。学校に行くたびに、マスクを着用し、爪のチェックを受け、厳しい感染対策を守らなければなりませんでした。
実技の授業では、学生たちはランダムにペアを組むためのくじ引きを行いますが、多くの日本人学生は私と一緒に作業をすることに対して不安を感じていました。彼らは私の日本語能力により、指示を理解できず、実技中にミスをして自分が痛い思いをするのではないかと心配していたのです。
クラスメイトたちとの距離がある気まずさを乗り越え、私は理論をしっかりと読み込み、毎日一生懸命練習することに努めました。この努力のおかげで、2年目の終わりには実技の成績でクラスのトップになり、先生からもクラス全体の前で褒められました。この結果は自信につながり、クラスメイトたちの私に対する見方も変わりました。彼らは次第に心を開き、私に質問をしたり、課題について話し合ったりするようになりました。
ビザの問題と資格取得の挑戦
入学前から、現在の就労ビザ(技術・人文知識・国際業務ビザ)では鍼灸師が企業で働くことができないことは分かっていました。そこで、自分の鍼灸院を開業するために経営ビザを取得するか、または夫が永住権を取れたら私も永住権の配偶者が取れるので、その方向で行こうかと考えました。
幸いなことにその頃には、夫が永住権を取得する条件を満たすことになりそうでした。もしすべてが予定通りに進めば、永住者の配偶者ビザを取得できるため、自分のクリニックを自由に開業できるようになります。残された課題は、学校の卒業試験と国家資格試験をクリアすることです。
毎日、理論から実践まで多くの時間をかけて復習をしています。教科書だけでなく、学校での実際の経験からも学ぶよう努めています。グループ学習に参加し、皆で議論したり難しい質問を解決したりすることで、自信を深め、知識をより明確に理解できるようになりました。また、試験に関連する資料をたくさん読み、疑問に思うことを先生に尋ねて確認することもしています。時には疲れやプレッシャーを感じることもありますが、鍼灸への情熱が常に私を前進させてくれました。夜遅くまで勉強したり、再試験を受けたりすることで、忍耐力と粘り強さが鍛えられました。最終的に私の努力は実を結び、試験に合格することができ、ずっと夢見ていたキャリアへの扉が開かれました。
卒業式および国家鍼灸資格授与式
小さなクリニックと大きな夢
卒業後、私は永住者の扶養ビザを取得し、幸運にも四ツ谷にある大手鍼灸院に就職することができました。そこでは、アーティストや相撲選手、野球選手といった特別な顧客を担当しています。その時は自分の鍼灸院を開業する夢は一旦置いておき、もっとたくさんのことを学び、挑戦を続けたいと考えていました。
四谷の鍼灸院での仕事
私は英語、中国語、日本語を流暢に話せることから、国際的な顧客を担当する役割を任されました。ここでは、日本特有の心のこもったサービススタイル「Omotenashi」について多くを学びました。
その後私は妊娠しましたが、仕事を続けることを決めました。しかし、妊娠が進むにつれて身体が重くなり、移動が大変になりました。母子の健康を第一優先に考えるために、仕事を辞めることにしました。それでも、鍼灸に対する情熱は決して失いませんでした。SNSを利用して施術モデルを募集し、徐々に他の人からの紹介を通じてお客様が訪れるようになりました。
学んだことを実践しながら、お客様と健康について話をしています。FPT時代の同僚も訪れ、次第に彼らも私の顧客となってくれました。彼らはさらに友人を紹介してくれ、つながりが広がっていきました。今では自宅に小さな診療室を設けることができました。鍼灸に必要な道具は、実習時に準備したもので、カッピングやお灸、鍼、ベッド、枕などが揃っています。
現在の私の顧客は、治療した患者さんからの紹介がほとんどで、ベトナム人、日本人、その他の外国人と様々です。また、より多くの方に知っていただけるよう、「Fuji Wellness」というFacebookページを作成し、情報を共有しています。今後はTikTokチャンネルも立ち上げる予定です。
私の患者さんは主に、首や肩の痛み、頭痛、不眠、仕事のストレスによるホルモンバランスの乱れ、そして日本の気候による冷え性に悩んでいます。多くの方が西洋医学の診療や整骨院で治療を受けましたが、完治しなかったため、鍼灸治療を選んでいます。
今は子供が小さいため、あまり多くの予約は受けていません。お客様は主に私の自宅に来て治療を受けるか、近くに住んでいる場合は自転車でお客様の自宅に伺うこともあります。私の子供はまだ小さいですが、ありがたいことに、よく食べてよく寝るので、母親としての仕事も順調です。お客様がいらっしゃった際に子供が家で寝ていることがあるのですが、どこかに遊びに行っているのかと思うほど静かで、お客さんも驚いています。
江戸川区にある自宅鍼灸院
今後、子供が保育園に入園できるようになったら、仕事の範囲を広げて、周辺地域だけでなく、もっと遠くの方々にもアプローチできるように努力したいと考えています。より多くの人々が鍼灸による助けを受けられるようにするためです。これからの計画にとてもワクワクしていますし、多くの方の健康に貢献することができるように頑張りたいと思っています。
メッセージ
私は数々の困難を乗り越え、自信を持って「日本で初めてのベトナム人鍼灸師です」と言えることを誇りに思っています。何よりも大切なのは、鍼灸治療を通じて患者さんの痛みが和らいだ時に見せてくださる笑顔や驚きの眼差しから、私が人生の意味を見つけられたことです。読者の皆さんに伝えたいのは、自分自身を見つけるためには、未知の世界に勇気を持って足を踏み入れ、先駆者となることを恐れず、学び続けることが重要だということです。
私の体験談を通じて、皆さんが未来の選択肢に新しい視点を持ち、自分の健康を向上させるために、身体的にも精神的にもより良くケアする大切さを思い出してくれることを願っています。
東京、 9/2024