グェン ・ バン ・ズォン

NGUYEN  VAN   DUONG

Profile & Message

2009年6月  貿易大学経営学部を卒業

2010年3月  来日し、東京福祉大学日本語学科に入学

2012年4月 高千穂大学経営学修士課程(MBA)に進学

2014年3月 高千穂大学卒業後、千葉県の会社で通訳および労働組合管理者として勤務

2020年6月 ロジテムグループに入社

2023年2月 日本で永住ビザを取得し、2023年4月に結婚

2023年9月 埼玉県で「HIKARI屋」という飲食店を経営する会社を設立

2024年4月 普通二種免許を取得し、東京最大手のタクシー会社に入社

現在       警察通訳として活動しつつ、「HIKARI屋」の経営管理を行っている。

    まだまだ新たな挑戦を模索中。

人生は己を探す旅である」という日本の名言にとても共感しています。人生とは自分を探し求める旅そのものです。人生のあらゆる道や、各ステージ、曲がり角ごとに、貴重で新鮮な経験が得られ、そうした経験を通して自分自身の価値や人生の意味をさらに感じ取ることができることに心から感謝しています。 

初のベトナム人

2010年春、22歳の青年が、若さ故の大きな夢とともに日本の地を踏みました。手には、ベトナムで取得した学位と、当時ベトナムで最も人気のあった日本語教育の環境「貿易大学」で4年間培った日本語力、そして日経新聞配達の奨学金がありました。

奨学金プログラムは、授業料が無料で家賃も無料、さらに毎月定期的にアルバイトの給与が口座に振り込まれるため、安心して学業に専念することができました。当時はまだ若く、新しい経験や冒険を求めていたので、日本という新天地でのすべてが新鮮で、とても楽しく過ごしていました。今振り返ると、あの日本に来たばかりの頃の新鮮な気持ちや高揚感、日々の小さなことからも喜びを見つけられたあの時期に、もう一度戻れたらとたまに思います。

日本に来たばかりの頃、最初に働いた新聞配達所には、すぐに帰国してしまいましたが、ベトナム人の先輩が1人だけいたので、私は2人目のベトナム人でした。当時住んでいた駅は新宿に近く、東京の中心部に位置していましたが、ベトナム人はほとんど見かけませんでした。それもあって、私は周りの日本人と積極的に交流し、日本語能力を上達させようとしていました。なぜなら4年間もベトナムで勉強したのに、最初の3ヶ月は全く日本人の日本語が理解できなかったからです。

社長が作ってくれたカレーを一緒に食べたこと、韓国人の先輩から仕事を教わったこと、日本人の同僚と食事をしたこと、高円寺で行われる毎年恒例の阿波踊りを体験したことなど、すべてが心に深く刻まれ、日本という国が自分にとって消えることのないかけがえのない存在となり、今では第二の故郷のように感じています。

この時期、私はさまざまな場面で「初のベトナム人」になりました。

高千穂大学卒業式

キャリアの分岐点

大学院を卒業後の2014年3月、私はベトナム人として初めて、東京と千葉に拠点を持つメディアセンター組合で正社員として採用されました。この組合には、関東一帯で働く300人以上の技能実習生が所属していました。

新卒としての立場からスタートし、徐々に上司の信頼を得るようになり、出入国在留管理局への書類提出や、技能実習生管理のための通訳業務、採用の顧客サポート、新規顧客の開拓など、業務に関連する十分な経験を積んできました。これは、他の同業の日本人社員2、3人分に相当する内容でした。6年間、この職場での仕事に専念し続けた結果、役員(副会長に相当)のポジションに昇進することができました。組合の会長は私を信頼し、買ってくれており、私が退職の意向を伝えた時には、オフィスで泣いてしまうほどでした。

しかし、6年以上同じ仕事、同じ会社に留まっていることで、私は学ぶことがなくなってしまい、停滞感を感じたので、新しい分野での新たな挑戦を求めるようになりました。

そのため2020年6月に、日本の有名な物流企業であるロジテムグループに挑戦することを決意しました。この会社は、Amazonや内田製作所などの倉庫や輸送に関わる分野です。私が大学院の卒業論文で取り組んだテーマでもあります。非常に大きな期待を抱き、プロフェッショナルな職場環境に対する高い学習意欲を持って、この会社に入社しました。

日本の大手企業の一つであるロジテムの倉庫管理のポジションで、私は、ピッキング、検品、梱包など、倉庫でのすべての業務を経験しなければなりませんでした。また、スタッフのトレーニング、各人の日々のスケジュールと業務の割り当て、問題の解決、生産性と進捗の管理、不良品や損傷品の管理なども行いました。

私はこの会社で初めて管理職に就いたベトナム人であり、その下には数百人の日本人がいました。この経験を通じて、私は日本の伝統的な企業文化を実感し、日常生活に深く入り込み、各従業員の思考や性格、習慣に共感することができました。また、中堅企業の部長に相当する待遇と、大手企業に属しているため、倒産しないであろうという安定性も得ましたが、それだけでは私を引き留めるには不十分でした…。

「安定」を越えて

 6年半中小企業で働き、3年半大企業での経験を積んできましたが、それでも長期的に現状のポジションで満足する気持ちはありませんでした。そのため、私は日本の企業で働くモチベーションを失ってしまいました。そこで、自分自身のために働くことを決意しました。「朝早く出勤して、月末に給料を受け取る」という「安定」を越え、2023年9月に自分の会社を設立し、ベトナム料理店「HIKARI屋」を開店することを決めました。しかし、すぐに気づいたのは、その時の自信はが実際には楽観的で無謀なものであり、他の分野での経験は全く異なる新しい分野で成功する保証にはならないということでした。

お店の開店準備に取り掛かり、ビジネスプランを作成し、ターゲット顧客を特定し、損益分岐点やマーケティングプランなどを設定しました。しかし、すべては理論に過ぎず、現実は最初の計画とは全く異なりました。経営学の修士号を持っていても、実際のビジネスの厳しさに直面し、6か月間連続で赤字を出したことで私はとても焦っていました。その時、いくら学校やコースを卒業しても、人生の学校を卒業できるわけではないことに気づきました。その理由はたくさんありますが、これからベトナム料理店を開くことを考えている方々に、参考にしてもらえるように要点をまとめてみました。

・まだ経験がない分野では、一人で勝手に行動しないこと。情熱を持った適切なパートナーを選ぶべきです。

・立地を十分に調査し、周囲の人々に相談すること。潜在能力が不足している場合や資金が不十分な場合は、スケルトン(空のフロア)を選ばない方が良いです。これは飲食店を開く際の最も難しいケースです。

・従業員を過信せず、決定権を自分に代わって従業員に与えないこと。

・飲食店が一人のシェフに過度に依存しないようにすること。常にバックアッププランを持つべきです。

・リスク管理は生産性管理と同じくらい重要です。売上を促進することは、コスト削減と常にセットで行う必要があります。

光屋を建てた人

諦めない姿勢

 日本の人たちと仕事をしていたときは、打ち合わせを1ヶ月前から設定し、約束の10分前には到着し、標準化されたプロセスに沿って業務を進め、請求書も1円単位で正確に記入していました。しかし、ベトナムの若者と仕事をすると、全く異なる状況になったので、最初の頃はかなりショックを受けました。例えば、口が上手いけれど全然やってくれないとか、必ず行くと約束したが当日になったらドタキャンになることもありうる。しかし徐々に、そのスタイルにも慣れて行きました。

6ヶ月間の結果は売上がコストを補填できず、初期目標に達成できず、ブランドもまだ定まっていないという状態でした。まさに「情熱でお店を開く」というスタイルです。時々、店を閉めることも考えました。しかし、これまでやってきたことの中で、成し遂げられなかったことはありません。あきらめない精神と、業界の先輩からの謙虚な学び、親しい友人の支援、そしてオープン当初から常に応援してくれる大切なお客様の存在が、私に全てを見直し、改革する決意を与えてくれました。大きな変革を実施しても、結果が望ましいものにならなければ、その時に辞めても遅くないと思いますし、全力を尽くしたという安心感も得られると思います。

私が実施した3つの変革は次の通りです:

これまでの努力と少しの運が重なり、会社設立と「HIKARI屋 - 国陽館」の開店から1年でいくつかの成果を達成することができました:

プロサッカーチーム「ハノイFC」の選手とコーチ陣を迎えたディナーパーティーを開催しました。

HIKARI屋で結婚式

お店のベストセラーである「丸焼きアヒル」

メッセージ

 15年を1つの記事にまとめるのは本当に難しいです。私が日本で過ごした15年間の経験は、本に書けるほどのストーリーだと思います。しかし、始めなければ、毎日少しずつ書かなければ、その本は想像の中にしか存在せず、誰にも知られることはありません。時間は誰も待ってくれません。人生は先延ばしにできないのです。ですから、何かやりたいことや計画があるときは、まずは小さなことからでも行動を起こすことが大切です。それが未来の成功へ向けての一歩になります。始める前にすべてをしっかりと準備し、100%の努力と謙虚さを持って取り組んでください。ビジネスの世界に足を踏み入れたら、それを最後の戦いとみなしてください。商売の世界は戦場のようなもので、試行錯誤の中で失敗があり、それには時間やお金、時には人生の全てを払わなければなりません。

東京、 10/2024