グェン ・   ティ  ・タオ

NGUYEN   THI   THAO

Profile & Message

1998年 ハノイ貿易大学 入学

2000年 文部科学省による奨学金制度に合格し来日

2006年 一橋大学MBAプログラム修了 オランダの保険会社に就職し、ファイナンスリスク管理部門に配属

2009年 第一子を出産

2012年     同社の投資部門に異動

2014年  第二子を出産

活躍できるワーキングマザーになるための重要なポイントは、

①自分の強み・キャリアパスに適切な仕事を選ぶ

②スキルや資格をしっかりと準備する  ③出産する前に充分な仕事の経験を積む ④家族や周囲の人にサポートしてもらう ⑤諦めない気持ちを持つ

日本にいる外国人のお母さんが上手に子供を育てるだけでなく、職場でも活躍できて、今までより広い視野でより豊かな生活を送れると確信しています。

学習の道

1998年ハノイ貿易大学1年生の時、文部科学省の奨学金制度に推薦されました。その当時は、日本語は全くしゃべれず、日本についてもあまりよく知らなかったので迷いましたが、これは素晴らしいチャンスだと思い、勉強に集中して、奨学金の試験に合格し、2000年4月に同奨学生6人とともに来日し、日本での留学生活が始まりました。

始めの1年間は、東京外国語大学で日本語を勉強しました。勉強に励んだ甲斐あって、その後、第一希望だった一ツ橋大学の商学部に合格することができました。  日本語を勉強したのは1年間だけだったので、大学の講義内容を理解することはとても難しかったです。そこで、数学や統計学、英語など、日本語がまだ上手ではなくても理解できる内容の講義を受講し、講義以外の時間には日本語の勉強に励み、次の学年の講義に向けて、しっかりと準備をした結果、3年時には卒業に必要な単位は殆取ることができました。そして、4年時には飛び級制度を利用し、並行して修士課程1年にも進みました。卒業論文の作成と、MBAプログラムの講義、就職活動の準備が重なり、とても忙しかったです。

ちょうどその頃、日本とベトナムの関係が発展し始めましたが、まだ留学生を採用する日本企業は非常に少なく、日本での就職を目指す文系の留学生にとってはとても困難な時代でした。有名な大学を出ましたが、書類選考で落とされることが多く、次から次に不採用通知が届きました。同じく経済専攻の先輩も皆同じ状況だったようで、外国人という理由で直ぐに断られる会社もありました。約30社に履歴書を送りましたが、面接をしてくれたのは数社でした。

外資系企業にも応募しましたが、私は英語が得意ではなかったので英語力で競争に勝つことは難しいだろうと思い、得意な数学や統計学についてアピールしました。そして、就職活動を始めて5ヵ月後、ついにその外資系保険会社から内定をもらうことができました。

内定をもらってからは入社した後のことを考え、英語力を高めることにしました。全ての貯金を使い英会話に申し込み、週3回ネイティブ講師と直接会話の練習をしました。卒業する頃には英語力はかなり上達していました。卒業数ヶ月前になって、内定先の会社からもう一度面談に来て欲しいと連絡がありました。配属先についての面談でしたが、英語での会話力が上達していたので、英語しか使わないファイナンスリスク管理部門に配属されることになりました。

会社に入社すると、学習の道がまた始まりました。最初の2年間で、保険業に関する13の資格とファイナンシャル・リスク・マネジャー(Financial Risk Manager)の資格を取得する必要がありました。

毎日、仕事が終わって帰宅してから3~4時間、資格や試験に関する勉強をしました。その時期は大変でしたが、仕事を始めて3年間はこれからのキャリアの土台になる大切に時期だと思ったので、全力で頑張りました。仕事の経験を積んで、将来のために資格を取り、2008年には、オランダにある本社で6ヶ月間研修をしながら、CFA(Chartered Financial Analyst-米国の証券アナリスト資格。CFA資格取得には3つの試験に合格し、少なくとも4年間の投資分析関連の職務経験を要する。)の勉強もしました。入社3年が経つと、業務が一通りできるようになり、必要な資格も取得できたので、子供を出産することにしました。

子育てと仕事の両立

10月に第一子を出産し、翌年の4月になると子供は保育園に入園しました。ベトナムから夫の両親が来日し、復帰してからの最初の3ヵ月ぐらいは子供の面倒を見てもらいながら、出産前と同じくフルタイムの正社員として仕事に復帰しました。3年間の経験で業務を把握していたので、直ぐに以前と同じリズムで仕事に取組むことができました。そして、仕事以外の時間も効率的に使い、育児と仕事を両立しました。会社はフレキシブルでしたが、毎日の子供の送り迎えは両親のサポートが無ければとても大変だったでしょう。家事の分担や子供の送り迎えについて夫ともよく話合いました。保育園へのお迎えは約40分かかり、毎日時間が勿体無いと思っていました。負担を軽減するため、自治体の働くお母さん向けのサービスを探し、ファミリーサポートという自治体のサービスに申込みました。これは、地域において育児や介護の援助を受けたい人と、援助したい人とが助け合う制度です。1時間800円の程の費用がかかりますが、週4回子供のお迎えに行ってもらうことにしました。先生との連絡や子供に問題がないか確認するため、金曜日は自分でお迎えに行きました。それまで子供のお迎えに使っていた時間は、夕飯の準備や、ゆっくりリラックスする時間に充てることができました。

また、両親が日本にいてくれている期間の週末には、CFA資格試験に向けて3~4時間、勉強をしました。2012年には部門のマネージャーに昇進しましたが、新しい領域に挑戦したいと思い、投資部門に異動しました。投資商品や市場に関する専門知識が必要でしたが、金融に関する基礎ができていたので直ぐに理解できました。異動して2年後には新しい仕事にも慣れてきたので、第二子を出産することにしました。無事にCFAの資格も取ることができたので、これからも自信を持って、金融業界で仕事を続けることができると思います。現在はポートフォリオ・マネージャーとして、投資戦略やファイナンスリスク管理を担当しています。

ベトナム語学校の設立

日本で子供を育てている多くのお母さんと同じで、子供のベトナム語やベトナム文化の教育について悩んだことがあります。子供は毎日約10時間を学校で過ごし、先生や友達と日本語で話し、家に帰って来てからはベトナム語で話します。ベトナム語やベトナムの文化を教え、夏休みにはベトナムの両親のもとへ行かせていましたが、それでは不十分だと思い、異文化での子供の教育について沢山本を読みました。そこで気が付いたのは、2つの文化の間で育っている子供は、精神的な負担が大きいということです。学校は日本の文化圏、家はベトナム文化圏、親がそういったことに早めに気が付き、子供が抱えている問題を上手く処理してあげないと、子供は疎外感を感じてしまいます。幼い子供の問題には気づき難いですが、子供の問題に気付くのが早ければ早いほど、子供の精神的な負担は少なくなるでしょう。

自分は友達とは違うと感じてしまいますが、自分と同じ環境にある子供同士で相談できたら、その気持ちは癒され、自分だけでなく同じ環境の人もいることで、疎外感を感じることもなくなるでしょう。

日本で子供を育てている母親と話し合うと、皆同じことに悩みを抱えていたので、2013年に東京ベトナム語学校を設立しました。そこでは、ベトナム語やベトナムの文化を学ぶことができて、同じ環境下にある子供同士で交流できます。設立はとても大変でしたが、学校の候補地選定や、教員採用、経理会計、イベント開催など、皆で役割を分担し設立しました。私はカリキュラムを担当し、子供の年齢に応じたカリキュラムを作成しました。楽しみながら勉強するためのカリキュラムを考えることは難しかったですが、日々進歩する子供たちの姿を見るととても嬉しくなります。子供同士がベトナム語で話し、親は親同士で育児や生活について相談できる場所になりました。

メッセージ

働くお母さんにとってキャリアを積むことは、とても困難だと思います。子供の送り迎えをしながら、業務量の多い仕事をこなすことは大変です。10年間フルタイムで働き、子供を二人出産しましたが、何度も「もう無理だ…。」と思ったことがありました。ですが、それに対して、好きな仕事でキャリアアップでき、自分が成長できる環境がありました。今まで勉強してきたことは無駄ではなく、成果として実を結んでいると思います。

仕事をしながら子供を育てるお母さんへいくつか伝えたいことがあります:

① 会社や仕事を適当に決めずに、自分の強み・キャリアパスに適切な仕事を選ぶこと

② スキルや資格をしっかりと準備すること ③ 出産する前に充分な仕事の経験を積むこと 

④ 家族や周囲の人にサポートしてもらうこと ⑤諦めない気持ちを持つこと

は活躍できるワーキングマザーになるための重要なポイントです。

日本にいる外国人のお母さんが上手に子供を育てるだけでなく、職場でも活躍できて、今までより広い視野でより豊かな生活を送れると確信しています。仕事と子育ての両立に頑張っているお母さんたちの姿勢を見て、日本人の働く女性に対する認識も変わっていくと思います。働くお母さんに向けた日本の制度や環境もこれから少しずつ充実されると思いますので、皆さん是非一緒に頑張りましょう。

東京、2017年4月