グエン・ズイ・ティン

NGUYEN DUY       

THINH

Profile & Message

2014年 留学生として来日 日本語学校に入学

2016年4月   大学受験の準備を開始

2016年7月 日本語能力試験レベルN2取得

2016年12月   会社で働くことに違和感を覚え、転職を重ね、フリーターになる

2017年         ビジネス日本語を学ぶため、外国語専門学校に入学

このストーリーを通じて伝えたいことは、日本へ来る夢を持っている方や、日本語学習がスランプの方に、もっと努力して毎日少しずつでも勉強を続けていけば、いつか振り返った時に頑張ってきたことを実感できるということです。生活はどれだけ厳しくても、勉強をしたい意思があれば、日本語を二つ目の母国語にすることができると思います。

父の夢

中学生の時に「日出ずる国」について父から話しを聞いたことで、日本へ留学しようと思うようになりました。父は日本へ行ったことはありませんでしたが、日本人の勤勉さについて感服していました。いつか私と4人の兄弟たちが日本へ行って、日本人のその性格を学び、色々な経験を積み、将来は豊かな生活をおくれるようになることを夢みていました。

2012年に父の夢の一部は実現し、長男が日本へ留学することになりました。しかし、長男が日本に来て2ヵ月後に父は他界し、何も成果を見せることはできませんでした。私たち兄弟は経済的にも精神的にも不安定な状態が続きました。 

父が亡くなってからは家計が苦しく、私は日本へ留学することは断念し、ベトナムの大学へ進学しようと考えていました。しかし兄に励まされ、大学入試の準備をしながらも、諦めずに日本への留学準備も行っていました。その結果、少しの日本語を覚えて、2014年11月に留学生として来日することになりました。

私の歩む道

多くの私費留学生と同じく、日本での自立した生活が始まり、まず日本語があまり必要ではない物流センターでの荷物仕分けのアルバイトをすることにしました。アルバイト先には、日本に来て間もないベトナム人や、長年日本に住んでいるベトナム人の先輩が大勢いましたが、皆日本語が上手ではないという悩みを抱えていました。学校でも、アルバイト先でも日本語を使うことがほとんどなく、日々のアルバイトに追われ、日本語を自習する時間がないことが共通の背景としてありました。

荷物仕分けのアルバイトは日本語が不自由でも仕事はできますが、日本語が分からないと困ることも沢山ありました。日本人の先輩が説明してくれてもあまり理解できず、研修期間も長くなってしまいました。そこで、日本語を上達させることを決意し、最低でもアルバイト先の日本人の先輩が言ったことは理解して、コミュニケーションが取れるようになろうと思いました。

それからは毎日メモ帳とペンを持ち歩き、分からないことがあれば直ぐに聞き直し、「それはどういう意味ですか?」とよく質問していました。説明してもらった言葉はメモを取り、家に帰ってからその言葉を調べて勉強しました。それを毎日毎日繰り返していくと、日本語能力も徐々に上達していき、アルバイト先での会話もほとんど理解できるようになりました。また、日本語でコミュニケーションが取れるようになると、より日本語が使えるアルバイトを探すようになり、友達の紹介で自宅近くの飲食店で働くことになりました。

飲食店で耳にする日本語は、学校で勉強する日本語や以前のアルバイト先での日本語とは全く異なり、ショックを受けました。そこで、またメモ帳とペンを持ち歩き、分からないことは質問して、調べて、日本人の発音を真似しました。自分の発音が間違えている時は、アルバイト先の日本人が正しい発音を教えてくれました。また、分からない言葉は学校の先生や兄にも質問して、教えてもらいました。アルバイト先では時々、質問をし過ぎで叱られることもありましたが、日本語が上手になりたい気持ちが強かったので、質問することを止めませんでした。そのうち皆は私がよく質問することに慣れてきて、私は勤勉な人だと逆に褒められるようになりました。アルバイト先で日本語を学ぶことで、お金をかけずに実践的な日本語が身に付くようになったと思います。そして、毎日その生活を繰り返していると、自然と日本語が上達して、来日6ヶ月にはN3に合格することができました。

私の歩む道

多くの私費留学生と同じく、日本での自立した生活が始まり、まず日本語があまり必要ではない物流センターでの荷物仕分けのアルバイトをすることにしました。アルバイト先には、日本に来て間もないベトナム人や、長年日本に住んでいるベトナム人の先輩が大勢いましたが、皆日本語が上手ではないという悩みを抱えていました。学校でも、アルバイト先でも日本語を使うことがほとんどなく、日々のアルバイトに追われ、日本語を自習する時間がないことが共通の背景としてありました。

荷物仕分けのアルバイトは日本語が不自由でも仕事はできますが、日本語が分からないと困ることも沢山ありました。日本人の先輩が説明してくれてもあまり理解できず、研修期間も長くなってしまいました。そこで、日本語を上達させることを決意し、最低でもアルバイト先の日本人の先輩が言ったことは理解して、コミュニケーションが取れるようになろうと思いました。

それからは毎日メモ帳とペンを持ち歩き、分からないことがあれば直ぐに聞き直し、「それはどういう意味ですか?」とよく質問していました。説明してもらった言葉はメモを取り、家に帰ってからその言葉を調べて勉強しました。それを毎日毎日繰り返していくと、日本語能力も徐々に上達していき、アルバイト先での会話もほとんど理解できるようになりました。また、日本語でコミュニケーションが取れるようになると、より日本語が使えるアルバイトを探すようになり、友達の紹介で自宅近くの飲食店で働くことになりました。

飲食店で耳にする日本語は、学校で勉強する日本語や以前のアルバイト先での日本語とは全く異なり、ショックを受けました。そこで、またメモ帳とペンを持ち歩き、分からないことは質問して、調べて、日本人の発音を真似しました。自分の発音が間違えている時は、アルバイト先の日本人が正しい発音を教えてくれました。また、分からない言葉は学校の先生や兄にも質問して、教えてもらいました。アルバイト先では時々、質問をし過ぎで叱られることもありましたが、日本語が上手になりたい気持ちが強かったので、質問することを止めませんでした。そのうち皆は私がよく質問することに慣れてきて、私は勤勉な人だと逆に褒められるようになりました。アルバイト先で日本語を学ぶことで、お金をかけずに実践的な日本語が身に付くようになったと思います。そして、毎日その生活を繰り返していると、自然と日本語が上達して、来日6ヶ月にはN3に合格することができました。

新しい目標

N3に合格してからは、新しい目標を立てることにしました。日本に留学する前はN3を取得することはスゴイことだと思っていましたが、それは間違っていました。N3を取得しても、文法の理解不足と語彙力不足で学校の作文の宿題を書くことができなかったので、文法と語彙力を高めることにしました。

毎日、アルバイトが終わると、徹夜で勉強しました。勉強はとても大変でしたが、文法と語彙力が向上し、作文の宿題もよく書けるようになり、作文のために勉強をしていくうちに文法と語彙に対する興味が高まりました。学校の教科書やJLPTの参考書は資格取得を目的にしていて、日常生活で使う文法や語彙とは別なのだと気づきました。N2、N1用の参考書を買う代わりに、実際のコミュニケーションの役に立つと思い、敬語や小論文に関する参考書を買いました。何か面白いことを見つけると、それを作文に書き、日本語でSNSに投稿しました。日本人のような言い方や言い回しができると嬉しくなり、より良い、長い文章を書けるようになりたいと思うようになりました。

日本語を勉強していく中で、飽きたり、疲れたりすることはありません。仕事が終わり食事を取ると、日本語の勉強をします。「読む、書く、聞く、話す」4つのスキルが偏らないように、バランスよく勉強時間を配分しています。例えば、今日は小論文を書く練習をしたら、明日はアニメを見て、話すこと、聞くことを勉強します。毎日毎日コツコツ勉強をしていると、来日1年後にN2に合格し、4つのスキルに関しても自信を持つことができるようになりました。そして、来日2年後の2016年12月には、N1に合格することができました。

人生の曲がり角

2016年9月頃になると、進路を選択しなければならない時期にさしかかりましたが、日本語能力に自信があったので、日本の大学に進学しようと思いました。しかし、家族に不幸が起き、二番目の兄が急に亡くなったので、アルバイトや学校を休んでベトナムへ帰国しました。母と長男と妹と、亡くなった二番目の兄の葬式を執り行いましたが、父が亡くなった時のように大変ショックを受けました。その時、母が妹の生活の面倒をみている姿を目にしましたが、自分もなるべく早く働いて母の負担を減らしてあげたいと思い、4年制の大学ではなく、短期間でより日本語力を高めるためビジネス日本語を学べる専門学校へ進むことにしました。

現在はビジネス日本語学科で日々勉強して日本語力を高めており、卒業後にはいい仕事を見つけて、母と妹の生活を支えたいです。

また、その時期に、テー・アインさんに出会いました。テー・アインさんは、ベトナム人留学生や技能実習生のコミュニティの中で有名な人で、日本語学習のための「日本語を学ぶのは、ケーキを食べるほどやさしい」というFacebookグループを作っていました。 

テー・アインさんは日本語に夢中になっている私の姿を見て、私がベトナム人留学生に日本語の勉強方法を伝える気持ちが強いと感じ、そのグループに誘ってくれました。毎日、アルバイトや学校が終わると、グループに参加して、メンバーと一緒に日本語の文法や語彙を勉強しています。そして、より皆が日本語を覚えやすいように、テー・アインさんと日本語に関するビデオも作りました。グループに参加してから、私は日本語を勉強する際のもう一つの楽しみを見つけました。それは、自分のためだけでなく、皆の役に立つために勉強することです。そして、それは私の使命だと思っています。


今振り返ってみると、日本に来たばかりの時はアルバイト先の日本人の先輩たちの話を聞いても分からなかったり、駅のホ-ムの看板が読めなかったりしましたが、現在は、この難しい言語を理解できるようになり、もっともっと新しい言葉の幅を広げたいと思っています。日本語学習を通じて、新しい友達ができ、日本の文化、日本人の考え方、働き方をさらに理解できるようになり、お父さんの夢にも近づくことができました。人生はまだ長いですが、より努力をして、勉強を続けていけばお父さんの夢を叶えられると信じています。

メッセージ

 このストーリーを通じて伝えたいことは、日本へ来る夢を持っている方や、日本語学習がスランプの方に、もっと努力して毎日少しずつでも勉強を続けていけば、いつか振り返った時に頑張ってきたことを実感できるということです。生活はどれだけ厳しくても、勉強をしたい意思があれば、日本語を二つ目の母国語にすることができると思います。

     東京、2017年7月