グエン・タイン・トゥー

NGUYEN THANH TU

Profile & Message

2009年 家族滞在のビザで来日

2010年     生け花の勉強を始める

2011年   第二子出産

2014年     第三子出産

2015年         日本語能力試験N2取得

2016年         生け花の先生の資格取得

2017年         ベトナムに帰国 生け花教室を開講

日本では日本の文化から学ぶことが多く、飲食や言語、教育などたくさん学ぶことがありました。家族滞在として日本へ来ているお母さんたち、お父さんたちは滞在期間を活用して、日本で生活していないと学ぶことのできない日本の様々な文化を勉強してみてください。それは自分の経験にもなり、母国へ帰国後にも活かすことができると思います。

来日して長期の目標を設定

8年前、夫はハノイの大学で教授をしていましたが、奨学金で日本へ留学することになりました。夫の勉強の期間は3年の予定で、来日して半年後に夫は私たちを日本へ呼びました。そして、「家族滞在」のビザで生まれて間もない長女といっしょに私も日本へ来ました。当初、娘はまだ小さくて日本語も分からなかったため、私は家事をすることや子どもと遊ぶことしかできませんでしたが、子どもが成長してくると、夫の大学で留学生の家族向けに実施している無料の日本語講座を受講しました。その大学で勉強している間、日本の生け花についても勉強しました。ベトナムにいた時からお花が好きで、日本の生け花について調べたことがありました。日本に来てから生け花の講座の情報を調べ、週に1回の講座を受けることにしました。生け花講座は料金が高く、家族3人の収入は夫の奨学金だけでした。しかし、生け花に対する情熱が強く、基礎から勉強すれば今後仕事になると考え、受講することを決心しました。

2010年8月には娘が1歳になり、私たちは娘を保育園に預かってもらおうと考えました。しかし、日本の制度では3歳以下の子どもを保育園へ行かせるには、両親が2人とも働いているか、学生である必要があったため、保育園を探すことはとても大変でした。最初は就職活動中として登録し、子どもを保育園へ行かせ、入園させてからも仕事を探し続けていました。子どもを迎えに行った時に、勉強した日本語を使って保育園の先生に家族の事情を伝えたところ、園長先生が事情を理解してくれ、運良く、保育園の先生のサポーターとしての仕事を紹介してもらえました。そのおかげで私は働くことになり、娘を保育園に行かせる条件を満たすことができました。

子どもは毎日安心して保育園へ行って友達と遊び、私は自分の収入も得られるようになりました。そして、仕事と勉強の時間以外は生け花の講座に参加するか、自分で花瓶を買って家で生け花の練習をしました。その講座を通じて、各作品の意味や日本の文化、日本人の考え方をどんどん理解していき、帰国する前に生け花の先生の資格を取るという目標を立てました。

様々な困難を乗り越えて

生活が安定してきたときに、2人目の子どもを妊娠しました。妊娠中は疲れやすく、つわりもあったりしたので、体調上の理由で保育園の仕事を退職せざる得ず、さらに、2人目の子が生まれ、その子の世話もしなければなりませんでした。仕事をしていなかったので、1人目の娘を保育園へ通わせる条件を満たすことができなくなったため、長女が保育園を辞めなければならないと市役所から通知が届きました。その通知をもらった時、私と夫は保育園へ通えない理由を子どもにどのように説明するかすごく悩みました。娘にとって、毎日保育園へ行って友達と遊ぶことは当たり前のことになっていたので、急に行けなくなり、家でお母さんと遊ぶことしかできず、すごく悲しそうでした。それを見て自分も悲しかったので、毎日時間をつくって公園へ行ったり、家事をしながら一緒に遊んだりしました。

しかし子どもにとって友達と一緒に遊ぶことは必要なことであったため、2人目の子が大きくなってからはアルバイトの情報を探し、2人とも保育園の待機リストへ登録しました。しかし、何か月経過しても状況は変わりませんでした。

その時期に夫が博士号を取得し、ある会社に採用されました。来日当所は3年間後には帰国する予定でしたが、就職したため帰国は延期になりました。そのため生け花の勉強以外にもきちんと日本語の勉強をしようと考えました。

日本へ来てから、大学の無料の日本語講座や、交流会に参加したり、自分で教科書を買って勉強していましたが、しっかりとした日本語は身に付いていませんでした。日常会話の日本語はできていましたが、生け花の先生になれるほどの日本語はまだ身に付いていませんでした。生け花の先生の資格を取るには、きちんと日本の文化や花のことを理解しなければなりません。そして帰国しても生け花に関する仕事をしようと思っていたので、夫と相談して日本語学校へ通ってきちんと日本語を勉強することを決めました。

夫は仕事をして、私は日本語学校へ通うことになったので、子どもたち2人が保育園へ通う条件を満たすことになり、再び保育園へ行かせることができるようになりました。そして、私は毎日学校へ行き、2年後に必ずN2に合格するという新たな目標を立てました。

目標を達成して帰国

午前中から13時までは授業を受け、15時までは学校の図書館で宿題をし、その後子どもを迎えに行く毎日を送っていました。しかし、家に帰ってからは家事を行い、子どもと遊んだり、ベトナム語を子どもに教えたりしていたので時間が足りませんでした。夜遅くまでは勉強できないので、勉強したことを付箋に書き、家の壁や冷蔵庫、トイレなどに貼り、頑張って勉強しました。そして2年間後にようやくN2に合格することができました。その2年の間には3人目の子どもも生まれ大変でしたが、目標のN2合格を達成することができました。生け花については7年間諦めず勉強を続けたおかげで先生の資格に合格することができました。

2017年、来日して8年が経ち、2人目の子どもが小学校に入学し、3人目の子は3歳になりましたが、ベトナムへ帰国することを決めました。子どもたちは、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らすことができ、自分も日本で身に付けたことをベトナムで活かしたいと考え、ベトナムへ帰国して半年後に生け花教室を開講しました。生け花は元々ベトナムでも知られていましたが、ちゃんと勉強できる場所はありませんでした。しかし、自分の最初の目標通り、日本の生け花を、生け花が好きなベトナム人に教えることができるようになりました。生け花教室は大変なこともありますが、毎回開催することができています。8年間の日本での生活で身に付けたことを活かしながら子どもと一緒に過ごすことができ、そして自分の好きな仕事もできて、とても嬉しいです。

メッセージ

 ベトナムで働いていた経験を捨てて、夫と日本へ行きました。言葉も分からない日本へ行って、将来のことを考えたらすごく心配になりました。ベトナムへ帰国しても今までやっていた仕事には戻れないかもしれない、新しい仕事を見つけられるかどうかも分からないとすごく悩みました。しかし、チャンスはどこにでもあると考え、私は日本で日本の文化を勉強できるチャンスを活用して勉強しました。ベトナムへ帰国しても、若くないし、子どももいるので就職できないと思っていましたが、日本で勉強したことを仕事にするチャンスを掴みました。

日本では日本の文化から学ぶことが多く、飲食や言語、教育などたくさん学ぶことがありました。家族滞在として日本へ来ているお母さんたち、お父さんたちは滞在期間を活用して、日本で生活していないと学ぶことのできない日本の様々な文化を勉強してみてください。それは自分の経験にもなり、母国へ帰国後にも活かすことができると思います。

            ハノイ、2017年9月