グェン トゥー ハ

Profile & Message

1998         日本の文部科学省の奨学金で来日

1999年             一橋大学に入学

2001年            在日ベトナム学生青年協会(VYSA)を設立、設立メンバーの一人として活動

2003年             東京大学の修士課程に入学

2005年           アメリカの大手情報通信・メディア会社に入社

2007年           第1子出産

2009年           第2子出産

2014年             友人とともに東京ベトナム人語学学校を設立

2017年           第3子出産、現在も勤務

海外に自分たちのコミュニティがあれば生活がしやすく、楽しいです。そのコミュニティがしっかりしているなら安心できます。しかし、大きなコミュニティを維持するためには、数人だけが頑張ってもダメです。みんなが頑張るからこそ、コミュニティは維持でき、発展していくのです。将来、留学生や働く人たちのコミュニティだけでなく、家族滞在として来日したお母さんたちや子どもたちのコミュニティも大きくしっかりしたものになっていけば、日本の生活が楽しいものになり、みんなが日本のことを第二の故郷と感じられるようになると信じています。

日本にいるベトナム人たちのコミュニティをつくる

初めて日本に来たのは20年前でした。当時は在日ベトナム人留学生の数も少なく、2000年当時は1000人もいませんでした。今と比べるとベトナム人留学生は少なく、コミュニティやグループもなかったので、今の留学生たちのように情報をすぐに得ることができる環境や手段はありませんでした。初めて日本の空港に降り立った時、日本での生活への不安や緊張がありました。しかし東京外語大学の寮でベトナム人の先輩たちが温かく迎えてくれたので、その不安や緊張もなくなりました。先輩たちは私と同じ奨学金をもらって来日した留学生たちです。その先輩たちは日本の食べ物や暮らし、行政上の手続き、携帯電話の購入方法、学校の試験のことなど、いろいろなことを丁寧に教えてくれました。いつでも聞きたいことを聞ける先輩たちがそばにいてくれたので、自分が思ったよりも早く日本の生活に慣れていきました。


ベトナムで日本語を勉強していた時に「先輩」と「後輩」という言葉を勉強しましたが、実際に日本に来て、先輩たちから優しくいろいろな面で支えてもらって初めて本当の「先輩」と「後輩」の意味を実感しました。先輩たちが温かく様々な面でサポートしてくれたので、自分も先輩になったら後輩たちに恩返ししよう、この先輩・後輩のつながりを大切にしようと思いました。なので、大学入学を機にこの寮から出て違う場所で暮らし始めても毎年寮に戻り、新しく来た後輩たちへ日本のことを教えてあげたり、困ったことのお手伝いをしてあげたりしていました。他にも定期的にスポーツ大会やスキーイベントなど、みんなが楽しく参加できる活動を行っていました。


私が所属していた文部科学省の留学生グループは、奨学金のプログラムで来ている学生グループとの交流など活動が活発で楽しかったです。しかし、この当時、オーストラリアやロシア、アメリカなどに比べると、日本では小さなグループが複数あるものの、在日ベトナム人なら誰でも気軽に参加してお互いに助け合える大きなコミュニティはまだ存在してませんでした。各グループの交流があるたびに、参加者の中で共通のコミュニティを作りたいという想いが徐々に強くなっていきました。その中でも特に活動的な30名は、ベトナム大使館の共感を得て、大使館の広い会議室で初めて一堂に会しました。そのミーティングに参加した全員、(2002年当時の)日本の政策を考えると、今後ベトナムから多くの留学生が来日することが見込まれました。そのため、オーストラリアやアメリカのように日本にもしっかりとしたベトナム人留学生のための団体があればこれから来日する後輩たちも参加でき、不安がなくなるだろうと考えていました。さらにこのコミュニティの活動を通して、日本とベトナム双方の文化交流ができ、懸け橋にもなると思っていました。後輩たちのためのコミュニティを作りたい、日本とベトナムの懸け橋になりたい、そのような思いで私たちが在日ベトナム学生青年協会(VYSA)を設立したのです。


15年も前のことなのでおぼろげな記憶になってしまいますが、設立当時は運営資金もあまりなく、みんな留学生なので勉強やアルバイトで忙しい中、設立メンバー30名が仕事を分担しながら運営していました。Webサイトを作ったり、旧正月のイベントやスポーツ大会を企画・実行したり、スポンサー集めをしたりと、とにかくみんなが一生懸命でした。みんなアルバイトや勉強が忙しいのにも関わらず、後輩たちのためにコミュニティを創ろうと頑張る先輩や同級生たちの情熱やパワーをもらい、私も頑張ることができていました。このコミュニティに来れば、みんなが息抜きできたり、イベントを楽しめたりするコミュニティになるだろうと思っていたので、ワクワク感もありました。

この在日ベトナム学生青年協会(VYSA)を立ち上げたとき、30人のメンバーの中で私が一番年下でした。スポンサーを集めたり、契約書を作ったり、イベントを企画・運営したりと、このVYSAの活動を通してソフトスキルも身に付けることができました。VYSAの立ち上げから活動を軌道に乗せるまであらゆる経験を積むことができ、この経験が今の仕事の糧になっています。私は約2年間VYSAの活動に参加し、2004年に就職活動のために離れました。VYSAの活動を見守っています。

子育てと仕事の両立

私が就職活動をしていた2004年当時は今のように外国人採用はあまり多くなかったので、他の日本人の学生と同じく就職活動をしないといけませんでした。就活は大変でしたが、ようやくアメリカの大手通信・メディアの会社から内定をもらい、2005年に入社しました。


入社して14年が経ち、新卒社員だった私が今では3人の子どもを持つお母さんになりました。社内でもいろいろなポジションを経験しました。友達からは、3人の子どもの世話をしながらフルタイムで働くことは大変じゃないの?ずっと1つの会社で働き続けて飽きることはないの?と質問を受けることがあります。もちろん、ストレスや大変なこともありました。けれども、学生時代にVYSAで身に付けた経験やタイムマネジメントなどのソフトスキルを生かして、家族や会社のことも上手く調整することができています。


2005年に入社してから最初の2年間は慣れないことが多く大変でしたが、仕事も頑張って行っていました。2007年には1人目の子どもを出産し、子育てと仕事、いろいろな課題がありました。保育園は7時半まで預けることができますが、子供と過ごす時間をできるだけ確保したいと思い、時短制度を利用して定時の1時間前の午後4時30分には仕事を終えて退社するようにしていました。仕事を調整しながら働いていたのです。その日に終わらせないといけない仕事があれば、子供を寝かしつけた夜中の10時からオンラインで仕事の続きをしていました。私は仕事量を減らさずに会社の制度を活用し、そしてタイムマネジメントしながら仕事と家庭を両立しようと頑張っていました。私自身、両立できると思っていましたが、実際にはそう簡単ではありませんでした。


会社には子どものいるお母さんは少なく、子どもや家族がいる人も少ないので、同僚たちは私が4時半に退社してしっかり仕事ができているのかと怪訝に思っていました。他のメンバーに迷惑をかけているのではないか、足を引っ張っているのではないかと思っている人たちもいました。自分は頑張っているのに、周りからそのように思われていると上司から伝えられ、とてもショックを受けました。ショックを受けましたが、家庭を持っている人と持っていない人では考え方が違うのだろうと思い直しました。また、私のことを不安に思っている人たちは今まであまり話をしていなかった人たちだと気が付きました。なので、私からその人たちと前向きに仕事ができるような話し合いの場を作ることを提案し、自分の仕事のことなどを話しました。

話し合い後、私はプロジェクトが異動となり、少人数で尚且つ自分で決断できる機会が多いプロジェクトに携わることになりました。時間や他のメンバーたちにすごく気を遣う心配もなく、自分で仕事をコントロールできるプロジェクトのリーダーになりました。外国人が日本で家族を持ちながら働いていると社会からの偏見や限界があるかもしれません。自分のスキルや仕事の質に自信を持っているなら、壁に立ち向かい、上司や同僚たちと話し合うことが大切です。そのままにしていたら心の中でもやもやしたままです。周りがわかってくれないと文句ばかり言っては正当に評価されません。しっかり向き合って相手に自分のことを知ってもらう機会をつくり、話し合うことが大切です。自分は子どもが3人いるので、時間を管理して夜は仕事をする。もやもやしたままではダメです。何かあったら同僚と話し合って、お互いを知ってください。

外国で生まれた子どもたちにもコミュニティを作ろう

   仕事量は同じですが、母親になってから新しい悩みが生まれました。その悩みとは、日本で生まれた子どもにベトナム語やベトナムの文化をどうやって教えるかということです。


3歳ぐらいまでの子どもはまだ自分がベトナム人だと自覚していません。5歳にもなると自分が他の子どもたちと違うことに気が付き始めます。家ではベトナム語、外では日本語を使私が読んだ本によると、日本で生まれて育った子どもたちは、家ではベトナム人、学校では日本人として2つの文化圏で生活します。この切り替えが大変で本当の国籍はどちらなのか混乱してしまいます。また、自分たちと違うことは目立ちやすいので、まわりからからかわれたりいじめられたりすることもするかもしれないとも読みました。自分の子どもがアイデンティティで混乱しているときにいじめまであったら大変です。なので、子どもが今所属しているコミュニティから外されても逃げ込むことができて、同じような立場で悩んでいるにいる子どもたちのためのコミュニティや環境をつくりたいと考えました。子どもたち同士が助け合え、自分には仲間がいると思えるような場をつくりたかったのです。幸いにも私と同じ悩みや考えを持っていた人たちがいたので、友人3名と2014年に私たちの子どもために東京ベトナム人語学学校を設立しました。


 学校設立当初は、教室の場所や先生の確保、授業スケジュールの作成やイベントの企画など、大変なことばかりでした。しかし、6年目の現在では、週1回、毎週土曜日に3つクラスを行っていて、15名~25名の子どもたちが参加してくれています。毎週2時間のベトナム語学習の時間もありますが、子どもたちは退屈だとは言いません。この授業だけでベトナム語が上達するわけではありませんが、子どもたちのベトナム語を勉強するモチベーションを維持することはできます。一人だけで勉強して続きませんが、みんながいるから続くのだと思います。みんながいるからお互いを認め合い、自信を持って自分はベトナム人だというアイデンティティを持つこともできるのです。

多くの家族がこの学校に興味を持ってくれていますが、この学校は東京にあるので遠方の人は参加が難しいことが現在の課題です。VYSAも最初は東京で始まり、全国に拠点が広がっていきました。この学校の授業内容やカリキュラムもやってみたい人がいればシェアすることができるので、あらゆる地域へ広げることはできるはずです。多くの子どもたちやお母さんのための場をつくることができるこの活動に興味がある人は是非、一緒にやりましょう。

メッセージ

日本へ来てから20年が経ち、留学生だけでなく日本で働く労働者も何倍も増えました。かつて15年前に設立した在日ベトナム学生青年協会(VYSA)のような在日ベトナム人コミュニティは今ではたくさんあり、日本への留学や生活に関する情報も盛んです。今留学生として日本へ来ている子たちは昔よりも情報を得やすく、先輩たちからサポートしてもらう機会もたくさんあります。


海外に自分たちのコミュニティがあれば生活がしやすく、楽しいです。そのコミュニティがしっかりしているなら安心できます。しかし、大きなコミュニティを維持するためには、数人だけが頑張ってもダメです。みんなが頑張るからこそ、コミュニティは維持でき、発展していくのです。将来、留学生や働く人たちのコミュニティだけでなく、家族滞在として来日したお母さんたちや子どもたちのコミュニティも大きくしっかりしたものになっていけば、日本の生活が楽しいものになり、みんなが日本のことを第二の故郷と感じられるようになると信じています。

東京、2019年6