日本への道

 今から8年くらい前、高校を卒業し、他の友達と同じように大学受験に向けて勉強していた。当時は進路のアドバイスもほとんどもらえず、インターネットもあまり普及していなかったので、今のようにFacebookで先輩からアドバイスをもらったりすることもできず、自分は何を勉強したいのかわからないまま、とりあえず当時、人気の高かった経理専攻を第一志望にして、第二志望に師範大学の短期大学の英語専攻にして大学受験を迎えました。試験の結果、大学の経理専攻は不合格で第二希望の短期大学の英語専攻には合格しました。しかし、短期大学の英語専攻に進学することに父が強く反対しました。当時のベトナムでは、両親が影響力のある人か経済力が豊かな家庭でない限り学校の先生にはなかなかなれないので、の就職はかなり厳しい専攻でした。。私の両親は影響力のある人でも、家が裕福でもなかったため、たとえ進学したとしても仕事がないので父は強く反対していたのです。


 大学受験に失敗したことが自分の人生で初めての大きな挫折となり、父も母もとてもショックを受けていました。とくに私が住んでいた地域は田舎で、自分の子どもと周りの子どもを比べる風潮がありました。大学入学時期が近づくと、お祝いのパーティーや田舎を巣立つ送別会などが開かれ、それに招待されることも多々ありましたが、参加しても父も母もその場に居辛く、私も両親に申し訳なさでいっぱいになっていました。


 もう一度大学受験にチャレンジしようと考えていたあるとき、日本に留学していた従姉が、私の大学受験の結果を知って、電話をくれました。この従姉の電話が私の人生を変えてくれたのです。大学受験に失敗して落ち込んでいる私に対して、従姉はベトナムの大学に行けないから人生が終わるなんてことはない。ベトナムの大学がダメだったら、日本の大学に行けばいいし、私費留学生として日本に留学したとしても、最初のお金はかかるけれどもアルバイトで生活できるので思ったほど大変ではないのだと話してくれました。失意のどん底にいた私はもう人生の扉が閉じられたと暗い気持でしたが、従姉のアドバイスを聞いて希望の光が差し込んできました。


 奇しくもそのときは2011年でした。日本が東日本大震災に見舞われ、ベトナムでも日本の地震のことや放射線のことなどのニュースが流れていて、両親は私が日本に行ったら返ってこられないのではないかと心配していました。私は2人兄弟なので、私が日本で何かあったら後悔すると父も母も大反対でした。しかし私は自分の失敗から脱却したいと何回も両親に話をし、説得しました。最後には両親はやっと私の日本留学を許してくれ、ベトナムで7か月日本語を勉強した後、2011年4月に来日し、日本語学校に入学しました。日本へ飛び立つ日、私を空港まで見送ってくれた父の寂しそうな目を見て、日本で何としても大学へ行こうと固く決心しました。


本当の「留学生」として勉強する

私のプロフィールを見ると、私が日本に留学生としてどれくらいいるのかわかりますね。2020年4月に武蔵野大学大学院に入学し、2022年に無事に修士論文を提出することができたら、私はちょうど10年間、留学生として日本にいることになります。留学生の生活は飽きないのですか?そんなに長い期間勉強していてすごいですねと言われることもありますが、これだけ長い理由は自分の夢を見つけるまでに回り道をしたからです。


私も他の留学生と同じように4月に日本語学校に入学しました。ベトナムで7か月間日本語の勉強をしていたので、入学当初は他の学生達よりも少し日本語ができるほうだった。クラス分けテストをしたところ、すでに3か月前に来日した先輩たちと同じクラスになりました。先輩たちがアルバイト先も紹介してくれたので、アルバイトもすぐに決まりました。


日本語学校の授業が終わると私も先輩たちもすぐに教室から出て、アルバイトへ行く毎日でした。ゆっくり話している時間なんてありません。教室での会話も日本語の勉強のことではなく、最近のアルバイトの様子やどれくらい稼いでいるのかなどの話ばかりで、授業中は居眠りをしている人がほとんどでした。最初は授業中居眠りしている風景に驚きましたが、その風景も見慣れてしまいました。


ある日、先輩に授業料をたくさん払っているのに寝ているなんてもったいなくないですかと聞いたところ、その先輩はお金が稼げれば勉強はしなくてもいいと答えました。私はこの先輩の答えを聞いて、ここは本当に学校なのか?自分の今の生活は留学生としての生活として正しいのか?と考え始め、やっと目が覚めました。自分は先輩たちのようにアルバイト漬けの毎日になって勉強をおろそかにしてはいけない、もっと勉強を頑張らないと日本語も上達しないと思いました。そのためには、今のクラスでは勉強していても自分がダメになるので、他の国の人がいて、勉強に集中できる上のクラスに入ろうと頑張って日本語を勉強しました。


数か月後、勉強の努力が報われ、ようやく上のクラスに上がることができました。このクラスは大学受験を目指すクラスだったのでクラスの雰囲気がよく、勉強量も増えました。学習環境は良くなったものの、毎日の生活費と学費を稼ぐためにアルバイトはしなければいけませんでした。午前中からお昼までは学校の授業を受け、それから14時から17時までは学校近くのパン工場でアルバイト、そして夕方からは家から少し距離のあるスーパーでアルバイトをするので、家に帰ると夜です。学校からは膨大な量の宿題が出され、大学受験のための勉強しなくてはいけない大変な毎日でしたが、なんとか移動中や休憩時間などわずかな時間を使って勉強していました。この日々の努力が実を結び、2年生のときに人生初めての奨学金を頂くことができました。1か月5,000円と大きな金額ではありませんでしたが、私にとっても大きな価値でした。


日本語学校の卒業時期が近づくにつれ、卒業後の進路を決めなければなりませんでした。私はこの時、ベトナムで犯した失敗をもう一度繰り返してしまったのです。大学に進学したい気持ちがありましたが、何を専門に勉強したいのか、どんな学校に入りたいのか真剣に考えていませんでした。授業料が安くて東京の近くにある大学といったキーワードでしか調べておらず、先生が明海大学を勧めてくれたので受験しましたが、結果は不合格でした。実は面接の受け方や受験対策を全く知らなかったので、明海大学の面接のときに志願理由を聞かれたときに家から近いからと答え、結果、落ちてしまいました。私はこの答えがダメだとは知らず、学校の先生に面接のことを話して初めて自分の答えが誤っていたことに気が付き、受験対策をしっかりしないといけないとこの時になってようやくわかったのです。そして1回目の大学受験は失敗に終わりました。


もう大学へ進学する道はないのかとあきらめそうになっていたところ、私の話を聞いてくれた学校の先生がどうしても大学に行きたいなら専門学校の大学受験コースに行って勉強したらどうかと提案してくれました。当時、私の日本語能力はN2でした。友達は私より低い日本語能力N3でしたが、早く大学に入学したかったのでもう少し日本語を勉強してから受験しようとは考えずにあまり評判の良くない大学へ無理やり入った人もいます。私は今の日本語能力のままでは大学に入学しても講義内容を十分に理解できないだろうと思ったので、思い切って先生の提案通り、専門学校の大学進学の予備コースに進学しました。


googleで夢を探す

私が進学した専門学校の留学生の95%は中国籍の留学生で、私と同じベトナム人留学生はわずか7名でした。この学校の留学生たちはみんな大学に進学したい人たちです。この学校に入学して私は初めて大学受験に向けて何を勉強するべきなのか、EJU(日本留学試験)という共通試験があることを知りました。

このコースは1年間のコースで、日本語のほか、数学、総合科目、政治・経済なども勉強しなければならなかったのでとても大変な1年でした。日本語と他の科目をバランスよく勉強しようと頑張っていましたが、EJU(日本留学試験)の日本語の点数は260点しか取れず、目標には足りませんでした。私は国公立大学を目指していたので、日本語の点数が260点ではダメなのです。

この1年間、大学受験の勉強に追われて、自分が大学でどんな勉強をしたいのか、将来何をやりたいのかといった自己分析ができておらず、夢も描けませんでした。なので、さらに1年延長してこの専門学校で勉強することに決めました。もう1年勉強することに決めたものの、同級生の中国人の留学生たちは大学に行き、自分はまだ学校に残って勉強することへのジレンマや、自分の能力が足りていないことへの不安が一気に押し寄せてきました。しかし、自分の足りないところや自分がやらなければならないことは分かり切っていたので、他の人と比べずにやれるところまで頑張ろうと自分に言い聞かせて、もう1年頑張ることにしました。

2年生になってからの授業では、自己分析と面接対策の授業もありました。毎回、授業の冒頭に、大学でどんな勉強をしたいのか、将来どうなりたいのか、あなたの強みと弱みは何かなどを先生から質問され、それが私にとってはストレスでした。自分はどうしたいのか、どうしたらいいのか進路も自分自身のことも分からない状況だったので、緊張とストレスの連続でした。あるとき、あまりにストレスが溜まりすぎてもう何も考えることができなかったので、googleで「私の夢」を検索して、他の人はどんな夢を持ってるのか調べたりもしました。それほど追い詰められていたのです。

幸いにも、他の先生が私が大変な状態にあることに気づいてくれ、私にどうなりたいのか、何を勉強したいのか深く一緒に考えてくれました。先生のおかげで、自分は何を勉強したいのか、どんな基準で学校を選んだらいいのかが見えてきました。そばで話を聞いて導いてくれる先生の存在が本当に心強く、人生が変ったと実感しています。きっとこの時の私のように将来の道に悩んでいたり、迷っていたりする人がたくさんいると思います。なので、大学で教育を専攻し、日本語の先生になって、今度は私が今悩んで迷っている人たちを導いてあげられる人になりたいと思い始めました。

日本語の先生になる夢を叶えるため、東京近辺で授業料も比較的安い大学で、尚且つ日本語教育の専門学科があり、評判の良い大学を探しました。そして武蔵野大学と他の数校を受験しました。正直、武蔵野大学は滑り止めだったのですが、大学から4年間の学費免除の奨学金を貰えることになったので、気持ちは武蔵野大学へ傾いていました。担任の先生からは、せっかくだから国立大学へもチャレンジした方がいいとアドバイスもいただきましたが、もう受験勉強に疲れてしまい、武蔵野大学も気に入っていたので、武蔵野大学に進学することに決めました。私は先生に、私立大学に入学しても、国公立大学の学生に負けないように勉強を頑張りますと伝え、受験生活が終わりました。受験期はプレッシャーもあって大変でしたが、この専門学校で日本語だけでなく、その他の知識も身に着けることができたので、入学後は勉強に困ることはありませんでした。


ようやく見つけた自分の道

武蔵野大学の専攻は日本語教育です。入学当初は、自分が日本語の先生としての素質があるのか、先生に向いているのか不安がありましたが、日本語の模擬授業という科目で実際にクラスで授業を行ったところ、日本人のクラスメイトや先生からたくさん褒められ、自分自身のモチベーションも高まっていきました。「日本語の先生」になりたい気持ちも高まり、指導法などの専門知識の勉強もどんどんするようになりました。模擬授業の準備も、これから日本語を勉強する後輩たちのために一生懸命時間をかけて準備をしました。

2年生になり、公益財団法人日本国際教育支援協会のJESS留学生奨学金を知りました。これは将来、日本語の先生になるために勉強している人が対象の奨学金です。願書には将来の夢や卒業後は何をしたいのかを書く欄があり、今回は真剣に自分は将来何をしたいのか考えて書きました。私の将来の夢はベトナムの大学で日本語を教える先生になることです。先生となり、日本に行くために日本語を勉強したいベトナム人の力になってあげたいと書いて提出しました。その結果、晴れて奨学金をいただけることになり、良い先生になろう、もっと頑張って勉強しようとモチベーションも高まりました。

3年生の終わりになり、ベトナムのハノイ外国語大学で1か月間、日本語を教えるインターンシップをしました。学生たちへ日本語を教えることを通して、良い先生になるために自分自信に足りないところや日本語教育の課題も見えてきました。実際に日本語を教えてみると、日本語の文法や語彙などを教えるだけでは日本語習得には不十分なのだと教えていて感じました。言語の背景にある考え方や文化なども伝えることで、どうしてその言い方なのか、言葉の作りとなっているのかが理解しやすくなり、日本語の上達は早いことがわかりました。この経験から、今の大学で日本語教育だけ勉強していても足りないと感じ、大学院で日本の文化や言語学を深く研究して良い先生になりたいと思う気持ちが大きくなってきました。

大学院への進学準備をしているとき、偶然、長谷川留学生奨学財団の奨学金があることを知りました。奨学金の申し込み締め切りの4日前だったん度江、最初は間に合うかわからず、申し込むかどうか迷いましたが、せっかくだから申し込もうと準備をし、締め切る2分前に提出しました。奨学金の書類選考は無事通過し、その3か月後、面接に呼ばれました。その面接会場には、自分よりもレベルの高い大学や大学院に合格した人がたくさんいて、自分はまだ大学院にも合格しておらず、決してトップ大学でもなかったので奨学金に合格するか心配でしたが、8年間も留学生として勉強していること、頑張って勉強してきたことなどを説明し、晴れて2年間の学費免除の奨学金をいただけることになりました。長い長い道のりでしたが、ようやく自分が何をしたいのか見つけ、その夢を実現することに近づいてきました。

自分がもらったものを後輩へ恩返し

日本での留学生活9年間は、勉強だけでなく、ボランティア活動にも精を出していました。自分自身、方向性がわからず、どうしたらいいのか悩み苦しい時期があったり、大学受験の壁にもぶつかったりした経験があるので、同じように壁にぶつかっている後輩たちのために何かできないかと思い、自分の経験や知識、情報をシェアして、後輩たちは自分のように回り道をしなくて済むようなサポートをしようと考えました。

ある日、たまたまベトナム日本コミュニティに日本語を勉強する方法の記事を投稿しました。その方法とは、新聞記事やニュースを自分で書き写す勉強法です。この勉強法を投稿したところ、とても多くの人から良い反応をいただき、在日ベトナム人の中で人気の高いFacebookページ「Sugoi」を運営している先輩たちから、私もSugoiの管理メンバーとして参加しないかと声をかけられました。二つ返事で参加の気持ちを伝え、それからは定期的に自分の持っている日本語の勉強法や大学受験対策などの情報をシェアしていました。みんなから「いいね!」をもらえたり、コメントをもらえることがとても嬉しくて、モチベーションになっていました。

今はFacebook「Sugoi」の管理メンバーを抜け、2人の友達と一緒に「いいね」というFacebookページを立ち上げて情報を発信しています。SNSの活動だけでなく、小学校で外国人の子どもたちに無料で日本語を教えるクラスを開いたり、技能実習生たちに無料で日本語を教えることもしています。また、大学受験を目指す留学生のためにEJU(日本留学試験)や大学受験の悩みの相談も受けています。私も勉強が忙しいけれども、みんなが私の活動を通して積極的に良く変わっていくのを見るのが嬉しく、私自身のモチベーションになっています。また、私がここまで長い間留学生として勉強できたのは、みんなが私を応援してくれたからです。なので私も応援してくれた人たちの恩返しの意味を込めて、後輩たちのサポートをしたいと思っています。


メッセージ

人生は人それぞれなので、他の人と同じ道に進まなくても、自分の道に進むのが幸せなのです。若いときからすでに夢を持っている人もいれば、まだ自分の夢が見つかっていない人もいるでしょう。でも焦らず、いろいろチャレンジしてみたら、きっと見つかります。たとえまっすぐな道でなくて回り道であっても、あきらめずに歩き続ければゴールにはたどり着くので、日本語を上達させられるように頑張ってください。その時になったらあなたの頑張りは報われます。

東京、202011