忘れられぬ来日初日

 
 
ベトナムの貿易大学1年生の時からずっと日本語を勉強していました。しかし一生懸命勉強していたわけではなかったので、卒業しても日本語を使いこなせるレベルではありませんでした。


大学を卒業するころ、大学の近くの大きなホテルで日本留学フェアが開催されていることを広告で知ったので、同級生2人を誘って覗いてみました。ちょうど日経新聞のブースで大学の日本語学部の学部長先生に会いました。私は日本への留学に迷っていて、でもお金がないと相談すると、先生は新聞配達の奨学生として留学することをアドバイスしてくれました。奨学生は毎日新聞配達のアルバイトをしないといけないですが、その分、学費も家賃もかかりません。しかもアルバイト代として毎月10万円もらえるからチャンスではないかとお話ししてくれました。そして、あなたたちなら地方出身で忍耐力もあるし、頑張れるのではないかと応援もしてくれました。


先生の話を聞き、このままベトナムにいて、今の日本語力で就職してもあまり良い仕事も見つからず、給料もあまりもらえないだろうと考え、ならばチャレンジしてみようと決め、日経新聞の新聞奨学生に申し込みました。その後、書類選考も通過し、来日のためのビザもおり、2011年3月11日の夜、ちょうど東日本大震災が起きた夜に飛行機に乗りました。


東日本大震災が起きた3月11日、ベトナムの報道でもニュースでたくさん取り上げられていたのですが、私も家族、親戚たちも日本留学の準備に忙しく、誰もテレビを見ていなかったので、日本で大震災が起きたことや被災状況をまったく知りませんでした。私は日本に降り立ってから初めて日本がとても大変な事態になっていると知りました。


もともと空港まで迎えに来てくれる人がいたのですが、交通網もストップしていたので来ることができず、私は何時間も空港で待っていました。このとき連絡もなかなかつきませんでした。ようやく新聞配達の人と連絡が取れましたが、空港まで向江に行くことはできないので、自分で新宿まで来るように言われました。どうやって行ったらいいのかわからない中、偶然にも空港にいたベトナム人の人が連れて行ってくれました。その人は自分の母親を空港まで迎えに来ていたそうです。親切にも私を新宿まで連れて行ってくれ、無事に新聞配達の人とも会うことができました。日本の桜や富士山よりも先に地震を体験し、とても大変な目にあいましたが、初日の思い出として印象に強く残っています。


必死に就職活動をした日々


 地震の余震は続き、東京の生活も大変でした。福島の原子力発電所のことが連日報道され、寝ていても揺れている感じがし、そしてスーパーでは食べ物も水もすぐに売り切れてしまうという状況でした。このような状況の中、来日2日目から新聞配達の仕事が始まりました。新聞配達の契約期間2年間は毎日、朝の2時に起きて6、7時まで新聞配達、それから日本語学校へ行き、午後からまた新聞配達の繰り返しでした。ベトナムにいたころの生活リズムとは大きく変わり、雨の日でも雪の日でも仕事を休むことはできません。しかし、毎日仕事をしていると仕事にも生活リズムにも慣れていきました。


ただ、一つ気になっていたのは、日本語を使う機会がないことです。私が配属されたお店には独身の男性しかいなかったので会話らしい会話がなく、日本語学校にも通っていましたが一向に日本語の会話力は上達しませんでした。このままでは会話力は上達しないと思いました。契約期間の2年間は新聞配達の仕事を頑張り、その後は大学院に進学して違うアルバイトをしようと考えていました。店長からこのまま新聞配達の仕事を続けてもいいと言われ、また、同じく新聞配達のアルバイトをしている仲間からも新聞配達の仕事は大変だけれども給料ももらえて家賃も学費もかからないし、仕事も安定しているから続けたらいいのにと言われました。このように言われて悩みましたが、私はこのままでは日本語が上達できないと思い、思い切って契約満了とともに新聞配達の仕事を辞めました。


そして違うアルバイトを探すものの、面接経験がなかったので最初はたくさん落ちました。いろいろなアルバイトに応募し、やっとスーパーと他の店のアルバイト2つに合格し、アルバイトを始めました。


来日当初は、日本語学校卒業後は大学院に進学して、その後は両親のこともあるのでベトナムに帰国しようと思っていました。しかし、今の自分の能力を考えると、このまま帰国しても何も知識も経験もなく、日本語も中途半端なので就職のチャンスがないと思いました。ならば日本で就職してみようかと思い始めました。


同じ大学院の人が、日本での就活には時間がかかるし、準備をしっかりしないといけないと教えてくれたので、私も修士1年目の2014年12月、日本人と同じタイミングで就活の準備を始めました。いろいろな就活サイトを見て、全部で50~70社ぐらいの企業にエントリーしました。就活に対して全力で取り組んでいました。この当時、まだ外国人留学生の就活をサポートしてくれる団体やところはあまりなかったので、私は学校のキャリアセンターを頼っていました。会社へ送るエントリーシートの志望動機の添削だけでなく、会社の面接に呼ばれるたびにキャリアセンターの先生にお願いして面接練習してもらいました。


そして就活を始めて半年が経った8月にやっと1社、大手不動産会社から内定をいただくことができました。最初、不動産業界は全く考えておらず、偶然応募した会社でした。私は貿易大学を卒業しているので物流や貿易に関する仕事に応募していましたが、他のエージェントの紹介で不動産会社に応募してみたところ、まさかの内定だったのです。私がその不動産会社に応募した理由は、その会社はベトナムにも進出していて、日本とベトナムの懸け橋になれるかもしれないと思ったからです。ベトナムのことわざで「人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶ」ということわざがあります。まさに自分も仕事との縁を感じました。その会社はインターネットでの評価も良く、発展している会社でした。私自身、半年間の就活でもうやりきった感じがあったので、この会社の内定を承諾し、修士論文に専念することにしました。そして2015年3月、大学院卒業の直前に結婚し、4月から不動産会社に入社しました。


チャレンジいっぱいの社会人1年目

 

 2015年4月に入社し、その後本社での研修を経て、新卒は各店舗に配属となりました。外国人だからといって特別扱いされることなく、1年目は他の日本人新卒社員と同じく普通の店舗に配属され、不動産業務に慣れていくのです。ここから頼りない1年目が始まりました。


仕事の中で一番大変なのは、みんな同じだと思いますが、電話応対です。お客様や業者さん、取引先からの電話が多かったです。自分も電話に出ますが、日本語の聞き取りが難しく全部はメモできません。また、トラブル対応や業務の流れをまだ知らなかったので、急に話されても話がよくわからない状態でした。自分が知らないからと言って何回も聞き直すのは相手に失礼だと思い、聞き取れた内容だけをメモして上司や先輩に渡しましたが、中途半端だと叱られました。そのほかにも、自分一人しか店舗にいないときに電話がかかってきたこともありました。トラブル対応に慣れていなかったので、どういう状況か上手く把握することができませんでした。1年目は電話応対に苦労する日々でした。


また店舗の仕事として、会社が管理する物件を回ることもありました。お店の社用車を運転して物件を見て回るのですが、私はまだ運転免許を取得して間もなくて運転に慣れていなくて、数か月に3回も車をぶつけてしまいました。大きな会社なので毎回事故を起こすと現場でどういう状況だったのか、どう対応するのか始末書を書かされました。そして1か月間は運転禁止となるのですが、人員が不足しているので1か月経たずにまた運転許可が出て運転し、また事故を起こしてしまう状況でした。このまま事故ばかり起こしてはいけないと思い、レンタカーを借りて仕事で使うルートを練習して運転にも慣れていきました。


電話応対や自動車の運転で大変だった1年が経ちました。同期のベトナム人社員は私以外に4人いましたが、実は私以外全員1年で辞めてしまいました。私も大変、辛いと思うことは多かったですが、絶対やればできると思って乗り越えていきました。


仕事の家庭の両立はかなり大変

 

 2年目になり、店舗で一般的な不動産業務は教えてもらい、ある程度自分でも仕事ができるようになってきたときに、別の部署へ異動となりました。新しい部署はグローバルサポートセンターというところで、新しくできたばかりのところです。ここでは主に外国人の物件探しのお手伝いや入居後の生活トラブルのサポートがメインとなります。また会社として、グロオーバルサポートセンターは外国人の交流の場という役割もありました。文化交流やネットワーキング、そのほか交流など、気軽に交流することができるようにさまざまなイベントが開催されていました。


またグローバルサポートセンターの業務のほかに、他の業務にも携わっていました。当社はベトナムのハノイにも法人があり、ハノイに住んでいる日本人向けに日本的な良い住まいを提供するといったプロジェクトがあり、私もその一員として業務に携わることになりました。2016年から2018年まではベトナムでのプロジェクトとグローバルサポートセンターでの仕事で半分はベトナム、半分は日本と行ったり来たりする日々でした。とくに忙しいときは3か月間ベトナムにいて、日本に一度戻り、またベトナムに戻るというときもありました。


私がベトナムと日本とを飛び回る生活は家族の生活にも影響があり、ついに妻の体調に異変をきたしました。妻もフルタイムで働いていて、子どもを一人で世話しながら家事と仕事をしていました。夫である私は何か月もベトナムにいて会えず、生活のサポートもできませんでした。そして妻は生活や仕事、子育てのストレスを一人で抱え込んでしまったのです。私は一時的なストレスだろうと軽く見ていましたが、妻の状態はだんだん悪化していき、パニック障害になり、一人ではいられない状況でした。私も妻が心配で近くにいてあげたい、日本に戻りたい気持ちが大きかったのですが、ベトナムのプロジェクトが一番忙しい時期で、私が抜けることもできませんでした。妻は一時的に仕事を休み、子どもといっしょにベトナムに帰ることにしました。


ただそこで子ども保育園の問題が出てきました。保育園のルールとして、1か月間休むと翌月は退園となってしまいます。つまり、ずっとベトナムにいると退園になってしまうのです。日本に戻ってくることを考えると保育園退園するわけにはいかないので、結局、ベトナムで28日間過ごし、家族で日本に戻り1日だけ保育園に行かせ、またベトナムに戻るという選択をしました。ベトナムと日本の行き来でとてもお金がかかりましたが、仕事も辞められませんし、奥さんを一人にさせるわけにもいきません。そして保育園も退園できない状況だったので、みんなで何とか乗り越えました。


妻のこともあり、私自身、自分の将来のキャリアについて考えるようになりました。今では仕事のためにがむしゃらに走って頑張ってきましたが、妻に子どもを任せっきりにせず、家庭のために時間を使おうと思いました。しかし、私はこの不動産の仕事も好きなので、柔軟に時間を使えるように自分でビジネスを興そう、いつか独立しようと考えるようになりました。


新しい方向へ

 

 どんなビジネスをするのかと言われたら、もちろん不動産関係のビジネスです。日本にはベトナム人が設立した不動産会社も多いですが、その当時は賃貸が多かったです。しかし、今後の日本在住のベトナム人の動向を考えると、これからは何年も日本で働き永住権を取る人、子どもを日本で育てて学校に行かせる人も多くなり、住宅を購入したいというニーズも高くなると思います。そこで私は賃貸だけでなく、住宅購入のアドバイスをするビジネスを考え始めました。


住宅購入は知識がないと難しく、お客さんから信頼されるためには資格があった方がいいと考え、宅地建物取引士の資格を取得するための勉強を始めました。自分の今までの仕事の経験だけでもアドバイスすることはできますが、他に資格を持っている人にお願いしないとビジネスとしては成り立たず、結局、独立できたとはいえません。ならば、自分が資格を取って独立しようと思いました。


宅地建物取引士は国家資格で年1回しか受験のチャンスがありません。しかも日本人でも合格率は15~17%と狭き門です。勉強範囲は広く、覚えなければならな頼量もかなりあります。また私は外国人なので日本語の専門用語も理解するが大変だったので日本人の2倍以上の勉強時間が必要でした。年1回の試験なので、不合格になるたびに来年の受験に向けてゼロからのスタートになります。次回の試験までの勉強スケジュールをきっちり立てて勉強をしていました。


昼間は仕事し、夜は妻と子どもの世話をしながらの勉強だったので、わずかな隙間時間を使ってました。朝は4時に起き、6時までは勉強、そして子どもを保育園に送迎してから仕事に向かう日々でした。平日は家を早く出て、各駅停車に乗って通勤時間に勉強し、昼休憩も勉強に充てていました。同僚たちも、私が昼休みも勉強していることを知っていたので、一緒にランチに行こうと誘う人もいませんでした。必死に3年間間勉強していく中で、不合格だったこともありますが、これだけ真剣に勉強しているので絶対に合格するまで諦めないと自分に言い聞かせていました。そして2020年、3年かかりましたが、合格点よりも高い点数で合格することができました。2018年から独立を考え始め、正式にビジネスの準備が2021年の初めごろからできるようになりました。


今ちょうど2021年4月に2人目の子どもが生まれたので、前のように妻を一人にはさせず、自分が育児休暇を1年間取りました。男性で育児休暇を取る人は少ないので、周りはみんな止めましたが、妻のためにも取得しました。そしてこの期間、ビジネス立ち上げの勉強もできますし、今は妻と子供たちと過ごしながら、ビジネスの準備を進めています。また、妻も簿記1級合格に向けて頑張って勉強しています。妻は一歩控えめで家族のために頑張りすぎてしまう性格なので、彼女自身がやりたい道のサポートもしています。


メッセージ


 今の生活に少し不安があるなら、変わることにチャレンジしてみましょう。今の生活に慣れていると、慣れ切った道から踏み出すことに勇気が必要ですが、思い切ってやってみればできます。


私の場合、他の人や会社から指示されるよりも、自分で柔軟に時間をコントロールし、家族や自分自身のために時間を使いたいと思ったので、自分でビジネスをすることを選びました。自分でビジネスをやるためにはしっかり計画を立てて、準備にも力を入れないといけません。将来のためになるので、頑張れば自分はできると信じて前に向かって頑張ってください。

東京、2021年8