チャレンジいっぱいの1年目

 2014年、私は家族滞在のビザで来日しました。当時、みんなFacebookを使っていましたが、在日ベトナム人のお母さんたちのFacebookコミュニティはあまりなかったので、来日前に情報を集めることはできず、先に日本にいる主人からしか情報を得ることはできませんでした。その時はきっと日本に行ってから何とかなるから大丈夫だろうという気持ちもあり、また来日に向け準備が忙しかったので、日本語はろくに勉強せずに来日しました。なので、日本に降り立った当初、何も日本のことを知らず、日本語もわからない状態でした。


 私が住んでいたのは静岡の小さな町でした。周りは畑や山ばかりではないですが、東京などの大都会に比べると地方という感じの場所でした。すぐにアルバイトをしようと考えて外国人留学生がたくさん働いている小さな工場の梱包のアルバイトに応募しました。しかし、私がまったく日本語ができず、しかも工場から自宅までも遠かったのでアルバイトは不採用でした。ベトナムで大学を卒業して大手日系企業でバリバリ働いていたのに、こんな単純な梱包の仕事を断られたことにとてもショックを受けました。何とかなるだろうと準備していなかったことも原因ですが、やはり日本語ができないことが大きな原因だと思いました。このまま日本語がわからないままでは1年、2年経っても簡単なアルバイトすらできないと思い、日本語学校へ通って日本語を勉強することに決めました。


 日本語学校の授業料は、外国人留学生の場合、年間もしくは学期ごとに払います。しかし私のように家族滞在の人は月ごとの支払いができます。それでも授業料は安くありません。勉強を始めて数カ月経ちましたが、あまり日本語が上達しませんでした。そしてその時、妊娠していることがわかりました。私が通っている日本語学校は自宅から50kmも離れていました。毎日家から駅まで自転車で行き、電車で片道1時間以上かかります。しかも家から駅までには急な上り坂があり、いつも自転車を押しながら上っていました。今のまま通学するのは妊娠している体に負担が大きいとお医者さんから言われ、残念でしたが日本語の勉強を中断し、家で安静にしていました。しかし良くない出来事はまだ先にあったのです。


 妊娠23、24週のとき、お医者さんから切迫早産の危険があると言われました。1週間薬を飲んで家で安静にし、その後また病院で診てもらいましたが良くなっていなかったため入院することになりました。急に入院すると言われましたが、自覚症状がなかったので心配だな、怖いなと思う反面、日本のお医者さんは心配しすぎなのだと楽観視している部分もありました。きっと入院しても数日後には退院できるだろうと自分の状況を深くは考えていませんでした。しかし、実は状況は深刻なものだったのです。


 入院して2週間が経ちましたが症状は一向に良くならず、おなかの赤ちゃんはまだ28週になっていません。この病院では28週未満の出産の対応ができないので、28週未満でも対応できる大きな母と子ども医療センターへ転院することになりました。その母と子ども医療センターは自宅から50km離れていてかなり遠いところにあったので、主人は週末にしか来てくれません。前の病院は4人の大部屋だったのですが、私の症状が深刻だったので今回は個室でした。周りに人がおらず、日本語もわからず、話し声すら聞こえません。お医者さんや看護師さんは巡回に来て私にいろいろ聞いてくれますが、日本語がわからないので上手く伝えることもできません。病院には無線lanもなく、当時は3Gだったのでベトナムの両親とはチャットでしか話せません。主人も親戚も近くにいません。一人ぼっちで外の池で泳いでいるアヒルを見ながら大丈夫だろうか、どうしたらいいのか不安な毎日でした。


 転院して5週間後、ようやく30週を超え、症状も安定したので前の病院に戻りました。そして35周になり、予定よりも1か月早いですが出産することができました。出産できたことの喜びも大きいですが、今回の入院の出来事は今でも忘れられない日本1年目の思い出です。


保育園を見つける道


 子どもが大きくなってきて、1歳になったら保育園に預けようと考えていました。保育園に預ける理由は私がアルバイトしたいからというのではなく、家でずっとお母さんと2人きりだと言葉の発達が遅れてしまうかもしれないと思ったからです。ベトナムにいれば、周りに親戚たちがいるのでたくさん会話を聞いて言葉の習得が早いと思いますが、今は私と2人きりです。このままでは言葉の遅れが出てしまうかもしれないと心配でした。


 保育園に預けるためにはまず役所に行って手続きが必要です。その手続きの際には、親が就職中か求職中かで分けられます。私は「求職中」で申し込んだところ、私の住んでいる地域は比較的保育園に入りやすいと聞いていたのですが、どこの保育園でも受け入れてくれませんでした。


 このまま保育園に行かせず家にいるのは子どもためにならないと思いました。1日2時間でもいいので、同じ年代の子どもたち遊ばせたいと思い、主人に一時保育がある保育園を調べてもらいました。幸いにも家から近いところにある保育園で一時保育をしているところを見つけました。そこでそこの園長先生と話してみることにしました。園長先生に自分の悩みなどを話していくうちに、最初は一時保育だけで良いと考えていましたが、園長先生が親身になってくれ、うちの園で預かることができるようにしましょうと言ってくださいました。役所にも園長先生が話をしてくれたので、役所の方も私が学校や仕事をするなら保育園に預けてよいという返事をいただきました。ならばと思い、私はもう一度、前に通っていた日本語学校に通うことにしました。園長先生のおかげで子どもを保育園に入れることができました。


 日本語学校は朝8時から昼の12時まで日本語を勉強しますが、保育園は8時からなので子どもを8時に預けてから学校に行くと授業がすでに始まっています。毎日途中から参加して、だいたい2時間ぐらいしか勉強できません。思うように勉強できませんでしたが、それでも子どもを保育園に通わせるために続けていました。このような日々が5カ月続き、新しい家に引っ越しをすることになったので今の保育園を退園しました。


 また保育園の申し込みからスタートです。しかし、一度手続きの経験がありますし、私も新しいアルバイト先が見つかっていたので申請の手続きは前回よりは困りませんでした。アルバイトが12月1日から始まるので早く子どもを保育園に預けたいと思っていたのですが、なかなかすぐに空きは出ませんでした。何度も役所の人と相談して、ようやくアルバイトが始まる前に保育園が見つかり、入園することができました。まだ日本語は流ちょうではありませんし、N3も持っていませんが、日本語を少し勉強して簡単なコミュニケーションはできるようになったので自分でアルバイト先を見つけたり、保育園の手続きができたりと、自分で生活をコントロールすることができるようになってきました。日本での生活が段々と楽しくなってきました。


運転免許を取得、世界が広がる

 

 新しい家に引っ越してしばらくは来日してから買った自転車で子どもを保育園まで送迎していました。12月、1月の冬は夜になると寒く、雨の日はもっと疲れます。このまま自転車で送迎するのは子どもも自分も疲れるなと思っていました。もし自動車があれば送迎も楽になるのでいいなと思い、自動車の運転免許を取りたいと主人に話したところOKをもらえたので、運転免許取得に向けて動き出しました。自動車学校に通っている間は子どもの送迎が大変になるのでベトナムの母を呼んで送迎をお願いすることにしました。そして私は免許を取得できるように自動車学校に通い始めました。


 運転免許の試験は日本語しかありませんでした。この時私の日本語レベルはN4からN3程度で、学科試験の内容も理解するのが大変でした。授業で先生が話していることは10%ぐらいしかわからず、授業についていけません。なので、スライドや写真を見て理解したり、先生が教科書のここに線を引くようにと言ったところは重要なポイントだとわかっていたので線を引いて覚えました。家に帰ってからゆっくり辞書を使って教科書の言葉を調べて意味や内容を理解していきました。幸いにも学科の教科書にはすべてふりがなが付いているので自分でも調べることができました。頑張って勉強していくうちに大切なところや内容もわかるようになってきました。


 技能の勉強の方が私にとっては楽でした。先生のやり方を見ながら運転でき、授業前には主人が家の車を使ってベトナム語で運転の仕方を教えてくれました。なので、技能の試験は乗り越えることができました。このように学科と技能の勉強を頑張ること3カ月、本試験にも合格することができ、晴れて自動車の運転免許を取得することができました。よく日本語能力がN3はないと取得は難しいと言われていますが、N3を持っていない私でも頑張って勉強したら取得できました。


 自動車を運転できるようになり、生活も今までとは全然違うものになりました。雨の日も心配せずに子供を送迎することができます。遠いところにあるスーパーも、今までは自転車では荷物を運ぶことが大変なので主人に連れて行ってもらってまとめて買っていましたが、自分一人で好きな時に行けるようになりました。また、ずっと通いたいと思っていたハローワークの日本語教室も遠かったので自分一人ではいけませんでしたが、車で通うことができるようになり、N3合格に向けて勉強し、N3に合格することもできました。運転免許があるおかげで、地方の生活がより自由に快適なものになりました。


オンラインの本屋さん

 

 子どもが生まれてから唯一の不安なことがずっとありました。それは海外で生まれ育った子どもは日本人の子どもやベトナムにいる子どもと比べて、よりたくさんの人と話さないと言葉の遅れが出てしまうことです。なので、子どもが小さいころから子どもの広場や子ども同士が交流できる場所に連れて行ったり、早い段階から子どもの能力を伸ばす教育について調べたりしていました。


 あるとき、子どもを広場へ連れて行ったら、日本人のお母さんではなく、そこのスタッフさんが子どもたちに脳を刺激する遊びやゲームをやってくれました。子どもたちも楽しそうにお互い遊んでいて、この遊びやゲームは面白いなと思いました。もっとこのように刺激のある遊びやゲームに触れさせてあげたいと思うようになりました。前の家では運転もできなかったので子どもを教室へ通わせてあげたくてもできなかったので様子を見ていましたが、今は運転もできるようになったので、幼児教育の教室や水泳教室、ピアノ教室など、いろいろな活動に子供を参加させることができました。


 日本語の勉強はその教室でできますが、ベトナム人の子どもなのでベトナム語やベトナムの文化も知ってもらいたいと思いようになりました。日本にはベトナム語の絵本はほとんど売っていないので、ベトナムからベトナム語の絵本をたくさん持ってきて、毎日読み聞かせをしていました。最近の子ども向けの絵本はカラフルで紙質もよいです。絵本を調べてみると、日本の話や海外の話もベトナム語翻訳が付いている絵本もあるので、それを読んでいました。いろいろな絵本があることを知っていくうちにもっとどんな絵本があるのか興味を持つようになりました。そこでベトナムで本をオンライン販売している友人をFacebookでフォローして、子どもが喜びそうな本や新しい本の情報を見るたびに、うちの子どもによさそうと思ってチェックしていました。


 興味がある新しい本が出版されたら親戚にお願いして買っておいてもらい、私たちがベトナムに帰国するときに受け取るか、来日する親戚がいたら持ってきてもらっていました。毎回、私がベトナムに帰国すると1つのスーツケースは本でいっぱいになります。頑張って自分で持って帰ってきたり、親戚にお願いしたりしていましたが、いつもお願いするのは親戚にも悪いなと思っていました。


 ある日、友人の紹介でベトナムから日本へ安い金額で配送するサービスをやっている会社を紹介してもらいました。これなら親戚たちに頼まなくても、自分で好きな時に本を注文して手に入れることができるので良いなと思いました。在日ベトナム人のお母さんたちのコミュニティがFacebookには広がっていて、みんなの投稿を見てみると「日本に住んでいるからこそ、ベトナム語の本を読んであげたい」と同じ声がたくさんありました。また、ベトナム語の本は日本に売っていないので、ベトナムで買ってもらっても日本に持ってくる方法がわからないと困っているお母さんたちも多くいました。


 そこで私は、どうせベトナムから配送してもらうなら一度にたくさん送ってもらった方が安いと思い、ベトナムの本を日本に送りたい人はいないか声をかけました。その中で、ベトナムの本を買いたいけれども今、ベトナムにいないからどんな本が流行っているのか、どんな本がおすすめかわからないという声がありました。こんなにも興味を持っているお母さんたちが多いことが分かったので、本を買いたいお母さんたちとのFacebookグループができました。


 始めた当初はそこまでニーズは高くないだろうと思い、利益を考えずにやっていました。しかし実際にはニーズが高く、想定よりも多くの人からの注文が来ました。注文を受けてベトナムで購入、ベトナムから発送された本の管理、お客さんへの日本国内の発送などやることが多くて大変でした。しかし、こんなにもたくさんの本に触れることができ、何よりベトナム人の子どもたちに届けることができることが嬉しくて、いつの間にか夢中になっていました。


 数か月、自分で頑張ってみましたが、やはり今のまま続けるのは大変だと思いました。どうせやるなら一つのビジネスにしようと思いました。私は小さいころから本が好きで、将来、本屋さんをやりたいなと思っていましたので、これは夢を叶えるビジネスチャンスでした。このとき、私は永住権を持っていたので、すぐに個人事業主として役所の手続きをし、アルバイトも辞めて、オンラインで販売する本屋のビジネスに全力を尽くすことにしました。ここから私のオンライン本屋さんが始まりました。


 2019年9月にオンライン本屋のグループができ、今は6000人ぐらいがメンバーになっています。毎月、数百の在日ベトナム人家族へ本を届けています。始めた当初は本の販売だけでしたが、脳を刺激するおもちゃもベトナムでは安く手に入るのでそちらも販売するようになりました。また、ベトナムの文化も日本で体験してもらいたいと考えていました。なので、ベトナム旧正月や中秋月の飾りやお年玉袋などもベトナムから販売することにし、在日ベトナム人の子どもたちにベトナムの雰囲気を体験してもらうことができるようになりました。私自身、子どもにベトナム語の本を読んであげたり、文化も体験させることができて嬉しいですし、メンバーの人たちからも喜びの声をたくさんもらっていることも嬉しいです。


 ベトナムの私の故郷には2つ本屋さんがありました。1つは民間の本屋で、いつも新しい本が売られていて、私もいつか本屋さんをやりたいと小さいころから思っていました。それが日本に来て、普通の本屋さんではありませんが、オンラインという形で本屋さんをできることになり小さいころからの夢が叶えられました。いつも新しい本の情報を集めたり、注文の受付をしたり、ベトナムと日本国内の発送手続きや管理もするので、オンラインの本屋さんは思ったよりも大変です。ベトナムの旧正月などの行事が近づいてきたら、その飾りなども行事の前に届かないようにしないといけません。


 本当に忙しい時は朝の2時まで仕事をしていましたが、このオンライン本屋があるから日本に住むベトナム人の子どもをもつお母さんたちの手元にベトナム語の本や文化の飾りなどを届けることができます。利用してくれたお母さんたちから、子どもにベトナムの本を読ませることができたり、文化を体験できるので嬉しいという声もたくさんいただき、私もオンライン本屋さんをやっていて良かったなと感じています。昔は日本で子どもにどうやってベトナム語を教えようか、ベトナムの文化を知ってもらおうか悩んでいました。でも今、昔の私と同じように悩んでいるお母さんたちを助けることができて、充実した日々を送っています。


メッセージ


 時々、8年前の私のように日本にこれから来るお母さんや日本に来たばかりのお母さんたちと話をします。お母さんたちと話すときには必ず、「日本に来る前や日本に来てから少しでも時間があるなら日本語を勉強した方がいい」とアドバイスをしています。私みたいに日本に来てから頑張ればいいかなと思ってはいけません。日本語が上手くなくても、最低限の日本語がわかればアルバイトを探すこともできます。そして自動車の運転免許も取得することができ、子どもの習い事の送迎も自分でできるようになります。


 留学生ならばいつも日本語を勉強しなさいと言ってくれる人が近くにいますが、家族滞在のお母さんたちにはいつも勉強しなさいと言ってくれる人はいません。家事もしないといけないので、勉強しようという強い気持ちがないと続きません。でも、日本語を勉強すると得られるものは大きいです。勉強を自分で続けていくことは大変ですが頑張ってほしいです。


 東京のように交通が便利なところに住んでいないお母さんたちに伝えたいことがあります。日本語が上手でなくても、一生懸命勉強すれば自動車の運転免許は取得できます。私自身、車を運転できるようになったことで、今までは誰かにお願いしないと行けなかったところも自由に行けるようになりました。好きな時に好きな場所へ自由に行きたいなら勇気を出して運転免許の勉強をしてみてください。自分の翼を持てると世界が広がりますよ。


 日本ではベトナム語やベトナムの文化に触れる機会が少ないです。これは一番の悩みでした。オンラインの本屋を始めて、日本で育つベトナム人の子どもたちがベトナム語の本を読んだりやベトナムの文化を体験することができるようになり、同じベトナム人のお母さんたちにもとても喜んでもらっています。


 家族滞在で来日したお母さんたちにとって来日したばかりはわからないことがたくさんあって大変だと思います。でも、日本で新しいことを体験したり、いろいろな経験を積んだりしていくことで生活は段々楽しくなってきます。大変な時期を乗り越えて少しずつ自由に楽しい生活を遅れるようにお互いに頑張りましょう。


静岡、2021年10