3回の来日で貴重な体験をする

 大学1年生のときから日本語を勉強していたので、いつかは日本に行って文化を体験したいと思っていました。日本に行くには私費留学生として行くか、実費で旅行に行くなどの方法がありますが、経済的な余裕がありませんでした。日本に行く別の方法は、日本語のスピーチコンテストに優勝することでした。コンテストに優勝すれば奨学金をもらうことができ日本へ行けるので、私は頑張って奨学金をもらいたいと考え、大学2年生のときから積極的に日本語のスピーチコンテストに参加し始めました。


 初めて参加した日本語のスピーチコンテストは法政大学とハノイ外国語大学の共催のコンテストでした。初めの参加だったので、日本語でどうやって話すか準備をあまりできませんでした。なので、優勝も準優勝もできず、パフォーマンス賞という小さな賞しかもらえず、日本へ行くチャンスはつかめませんでした。結果は残念でしたが、その時初めて観客の前で自分の経験を日本語で伝え、みんなから拍手をもらえたことがとても嬉しく、次のコンテストは頑張ろうという刺激になりました。


 数か月後、ナジックカップ日本語スピーチコンテストという日本語を勉強するベトナム人の中では有名なスピーチコンテストに参加しました。今回は時間がたくさんあったので、前回の経験を踏まえて準備に力を入れました。貿易大学の日本語の先生にスピーチの添削をお願いしたり、日本人の先生に日本語の発音やプレゼンテーションのアドバイスをお願いし、たくさん練習しました。そして臨んだスピーチコンテスト本番、私はコンテストで最優秀賞をいただき、10日間の日本観光の奨学金もいただくことができました。念願の日本へ行き、東京や大阪、京都で日本の文化を体験することができました。


 大学2年生の時はスピーチコンテスト参加し、経験を積みました。3年生になり、さらにレベルの高いコンテストやインターンシッププログラムを探していたところ、日系の大手人材サービス会社が主催するインターンシッププログラムを見つけました。このインターンシッププログラムは、ベトナム全土から1~2名しか参加できません。私はこのとき、まだ日本語能力N3でしたが、今までたくさんスピーチコンテストにも参加して賞もいただいていたので、思い切って応募することにしました。


 このプログラムに合格した先輩の情報は公開されていませんが、合格した先輩を探してアドバイスをいただいたり、自分でも情報を集めたりしました。また、今まで参加したスピーチコンテストに関することも書類にまとめて提出しました。幸いなことに書類選考を通過し、このインターンシッププログラムに合格しました。


 前回、前々回日本に来たときは観光や交流目的で10日間という短い期間でしたが、今回は3か月間の長期滞在でした。内容も交流や観光ではなく、日本の本社で日本の仕事を体験することでした。


 この会社は非常にグローバルでオープンな社風でさまざまな国籍の人が働いています。なので、日本で働きながらも多様な文化やクリエイティブな方たちと交流することができ、この人たちのように母国と日本の懸け橋になりたいと思いました。また仕事では、外国人の面接に同席したり、部署で仕事を見学したり、先輩と企業へ営業したりとさまざまな貴重な体験ができました。今までと全然違う体験を通して日本人の働き方や考え方を身近で学び、日本に対する見方が変わりました。大学を卒業したら日本で働きたいと思いました。



 ナジックカップ日本語スピーチコンテストに優勝できたことと日本での3か月のインターンシップで身につけた経験は私にとって大きな自信になりました。次のスピーチコンテストにも参加しようと思い、今度は日本の独立行政法人国際交流基金(The Japan Foundation)が開催するスピーチコンテストに参加することにしました。


 3回目の挑戦、今回は第2位でした。1位しか日本へ行く奨学金をもらえないので、今回は日本へ行くことはできませんでしたが、私の積極的な姿勢が審査員の目に留まったのか、翌年、国際交流基金の方から声をかけていただき、福岡県へのインターンシッププログラムに参加できることになりました。この時のベトナム代表は私一人だったのです。福岡県で他の11か国の学生たちと交流したり、ベトナムを紹介したりと充実した10日間を過ごすことができました。



小さい体験の積み重ねから大きなチャンスをつかむ


 3か月間のインターンシッププログラムが終わり、大学へ戻って学業に専念しました。私はいろいろな活動をすることが好きなので、帰国してからすぐに日本語やコミュニケーション能力などを高めることができるアルバイトや仕事を探してやっていました。2年生のときには在ベトナム日本大使館でアルバイトをし、そして4年生になってからは人材紹介会社でフルタイム勤務をしていました。


 この人材紹介会社はベトナム人エンジニアや実習生を日本企業へ紹介する会社で、私が採用されたポジションは「市場開発」というポジションでした。とても響きの良いネーミングで、当時は学生だったので人材派遣や送り出し機関というものを知りませんでした。なので、私の仕事は市場を分析したり、マーケティングしたりする仕事だろうと思っていました。ところが、入社して仕事が始まると日本へ出張したり、顧客リスト先へメールで営業したりと、日本の企業や組合へベトナム人エンジニアや技能実習生を営業する仕事でした。全部が想像とは違いましたが、この当時のベトナムの送り出し機関では「市場調査」という名の営業職が流行っていたのです。


 仕事は出張が多く大変だったので、この仕事を辞めて他の仕事にしようかなと思っていました。ある時、この会社の日本人役員とご縁がありました。その人は知識も経験も豊富で、人柄としても魅力的な人でした。この方といっしょに働いたら自分自身の成長につながるだろうと思い、もう少し今の仕事を頑張ることにしました。すぐに辞めずに頑張れたのは、この日本人の方のおかげです。


 しかし、物事は順調には進みませんでした。ベトナムの送り出し機関の多くは、営業のために日本へ社員を長期出張させていました。しかしある年から、ベトナム大使館がこの日本への長期出張に対してビザの許可を制限するようになりました。実際にビザが不許可となる人も周りに多くおり、私も2回、ビザが不許可でした。このまま何回もビザが不許可となるとブラックリストに入れられて日本に行くことはできなくなるという都市伝説が出回っていたほどです。今まで何度も日本に行っていたことが自分の誇りの一つだったので、またビザが不許可だったらもう日本に行けない、それは嫌だと思い、仕事を辞めることにしました。


 ちょうど人材紹介の会社を辞めたタイミングで先輩がFacebookで日本のJETプログラムのCIR(国際交流員)についての情報をアップしていました。JETプログラムとは、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Program)のことで、日本の地方自治体が総務書や外務省、文部科学書などと協力して実施しているプログラムです。このプログラムの中にCIR(国際交流員)というポジションがあり、このCIR(国際交流員)は地方公共団体にて国際交流を促進する役割があります。具体的にベトナム人である場合は、日本の地方にベトナムのことを紹介したり、またベトナム人にその地方のことを紹介したりし、ベトナムと日本の交流の懸け橋となります。


 民間企業の人が日本で働く場合、まず在留資格認定証明書(COE)を取得し、その後、在ベトナム日本大使館でビザを取得してからはじめて日本へ行けるので、日本に行くまでに時間がかかります。一方、このJETプログラムで採用された場合、在留資格認定証明書(COE)は不要で、大使館がすぐにビザ手続きから取得までやってくれるためすぐに日本へ行くことができます。ビザが不許可になる心配もありません。そして仕事内容にも興味があり、私の経験や知識が生かせると思ったのでチャレンジすることに決めました。しかし、このCIRも日本全国に8人しかいません。以前の大手人材紹介会社のインターンシッププログラムのように非常に狭き門でした。


 応募のために情報を集めたり書類を用意したりするのに1か月もかかりました。CIRは国際交流員なので、日本語と英語は必須です。先輩からアドバイスをいただいたり、他の国からも合格に必要な条件は何か調べたりしているうちに、CIRに合格するためには自分が積極的にコミュニティに参加しているというアピールが重要だとわかりました。私は今までに参加したスピーチコンテストやインターンシップの経験が強みになると思い、スピーチコンテストのときにお世話になった貿易大学の日本人の先生と大手人材紹介会社のインターンシッププログラムでお世話になったメンターの方たちに推薦状をお願いしました。そして論文ではスピーチコンテストの賞で日本へ2回行ったことや、3か月間の日本でのインターンシップでの経験を書きました。その他にもロータリー奨学金にも応募した経験も書き、積極的に活動していることをアピールしました。できる限りの準備をし、かなり厚みのある書類に期待を込めて応募しました。


 書類を提出後、書類選考を通過し、面接も無事に合格することができ、晴れてCIRとして採用されることになりました。振り返ってみると、面接のときに、「あなたは都会でないと行きたくないですか」や「全国どこで働くのでも問題ないですか」という質問がありました。中には都会で働きたいと答えた人もいたと思いますが、私はチャレンジできる環境があるなら場所は構わなかったので「どこでも行きます」と胸を張って答えました。これが功を奏したのかもしれません。


島根で国際交流員として働く


 CIRに合格し、配属されたのは島根県浜田市という場所でした。今まで3回日本に来たことがありましたが、東京や福岡という大都会でした。今度は地方です。島根県浜田市は穏やかで静か、平和な地域でした。唯一の欠点は、交通の便が不便だったことですが、景色もすごくきれいで、山も海もあります。周りの人たちも親切で住みやすい場所でした。またベトナム人の技能実習生が200名も働いていました。


 私はCIRとして、この地の市役所の職員として働き始めました。小さな町ですが、長年CIRを受け入れていたので、前任者が仕事の流れなどを作ってくれていました。なので、私は赴任後すぐに仕事にも慣れ、わずか1か月で仕事は軌道に乗りました。


 私が担当した最初の仕事は、浜田市小学生たちを対象とした文化や昔の遊びを紹介する交流会の運営でした。これは夏休みに子どもたちがよく行く児童クラブで行いました。子どもたちはまだ小学生ですが、外国人に合っても積極的に話しかけたりして交流していて、終わった後には子どもたちからメッセージのカードをもらいました。初めての交流会だったので上手くできるか不安もありましたが、子どもたちから素敵なカードをもらえてとても感動しました。なんて素敵な仕事なんだと思いました。


 この交流会のほかには、ベトナムの国や文化、食文化などを紹介する講座を行いました。その中でも私が一番力を入れていたのは、ベトナム料理を日本人に教える料理教室でした。実は、ベトナムにいたときはあまり料理をする方ではなかったのですが、日本で働くことになり、日本人にベトナム料理を知ってもらいたいと思い、興味を持ち始めました。料理教室を行っていくうちに、どうやったらみんなが作りやすいのか、どうやったらベトナム本場の味になるか研究するのが私の趣味になっていきました。


 とくに上手くできた料理は、グレープフルーツやザボンを使ったベトナムのデザート「チェー」です。簡単なレシピもいろいろありますが、ベトナムの味を紹介したかったのでベトナムのお店に必要な材料を注文して、自宅で5回も練習して納得がいく味を追求しました。そして料理教室本番、みなさんに「チェー」を作ってもらったところ、参加してくれたみなさんが嬉しそうな顔で美味しく食べてくれました。頑張ってよかったと心から思いました。


 ベトナムの文化を地域に紹介する仕事のほかにも、その地域の観光地や文化財を日本に住んでいるベトナム人コミュニティに紹介することも私の仕事でした。市役所の人たちに島根の梨園や紅葉の名所などさまざまな観光名所へ連れて行ってもらいました。また、伝統の踊りを見たり、重要無形文化財である石州和紙を作ったりと地域の文化や食文化も体験しました。この観光地の見所や体験レビュー、写真をFacebookやインスタグラムにアップし、多くのベトナム人に情報を発信していました。そのほかにも、日本語の観光情報やバスの情報などをベトナム語に翻訳してSNSで情報を広げることもしていました。ベトナム人に島根県を紹介すること、そして島根県の人たちにベトナムを紹介すること、ベトナムと日本の両方に貢献できる仕事でやりがいがありました。


 他にも私が行った仕事があります。2020年にコロナウイルスが流行し始め、在日ベトナム大使館が各地方に住み、生活に困っているベトナム人に一人10kgのお米を配給することに決めました。在日ベトナム大使館は東京にあり、自分でお米を受け取りにいかないといけません。遠方に住むベトナム人たちは困っていても、遠くて面倒なのでもらわない人が多くいました。そこで私は大使館と市役所の間に立ち、ベトナム大使館に島根に住むベトナム人にお米が届くように交渉しました。交渉を重ねた結果、1トンものお米を島根に送ってもらうことができ、100名のベトナム人一人ひとりにお米を渡すことができました。これらの活動が、私が2年間、CIRとして行ってきた仕事です。


新しい仕事で新しい体験を追求する


 CIRの仕事は長くても5年間という決まりがあります。私は2年間CIRとして働き、その中で様々な体験をすることができました。また、その地域の人たちと良い関係性も築くことができました。ベトナムと日本、両国に貢献できるやりがいのある仕事ですが、一つのところにずっといるのではなく、新しいチャレンジをしたいと思い始めました。そして2021年8月にCIRの仕事を辞めることにしました。


 仕事を辞めて他の民間企業にチャレンジしようと思ったとき、以前ベトナムの人材紹介会社で働いていた時に知り合った日本人役員の方から連絡がありました。その人とはずっと密に連絡を取っていたのです。その方は岩手県で人材紹介会社を経営していて、私が仕事を辞めたタイミングで、是非、手伝ってくれないかと声をかけてくれました。岩手県も島根県と似た地域で、その方のネットワークも広く、いろいろな取引先があるのでいろいろな人に会うチャンスがあります。


 またその方は、事務や営業としての仕事だけではなく、自分がやってみたい仕事や将来のキャリアにつながりそうな仕事など、何でもチャレンジしても良いと言ってくださいました。実際にこの方は介護施設やからあげ専門店を経営しているので、介護施設を見学したり、からあげのお店の店長もやりたかったらやらせてあげると言われました。自分がしたい仕事は自由にチャレンジできる環境だったことも魅力に感じ、私はこのオファーを受入れ、岩手県の人材紹介会社に転職することにしました。


 CIRのときは1日7時間働き、仕事は安定していてプレッシャーやストレスもありませんでした。今度の仕事は営業職なので、日本人のお客様を探すために忙しく、プレッシャーやストレスもあります。しかし、毎日新しいお客様との出会いがあり、さまざまな業界の人たちと話すので、自分自身の視野も広がります。


 実は今の仕事には、以前のCIRの経験も役に立っています。CIRのときにベトナムと日本との違いやベトナムの文化の説明などを書いた資料を作り、ベトナムのことを紹介していました。人材の営業で企業に訪問した際、初めてベトナム人を受け入れることを考えている企業さんはベトナム人のことがわかりません。そこで、CIRのときに作った資料を見せて説明することでベトナム人ことを理解していただけました。また私の経歴も少し変わっているので、日本政府のプログラムで来日し、2年間市役所で働いていたと言うと、新規の企業さんでも信頼感が高まり、比較的心を開いてくれるように感じています。


 まだ転職して3か月なので、もっといろいろな勉強が必要ですが、毎日、新しい仕事に刺激を受けながら充実した日々を送っています。引き続きチャレンジして頑張っていきます。


メッセ―ジ


 私の好きな言葉に、「もし自分自身のことがわからなくなったら、あなたにはただ暗い穴しか見えないかもしれません。しかし、その暗い穴の中には無限のチャンスが広がっているのです。」という言葉があります。


 一人ひとりには無限の可能性が広がっていると思っています。人には限界があるかもしれませんが、それは努力で広げることができると思っています。私は日々、新しい体験を探してチャレンジし、自分の限界を広げるために努力しています。新しいことが難しくてもどんどんチャレンジしていきます。


 この記事を読んだみなさんが、私の積極的な姿勢や行動から刺激を受け、そして一つでも新しい体験にチャレンジして可能性を広げてもらえたら嬉しいです。可能性が広がればより豊かな人生を味わうことができると思います。


岩手、2021年11月