建築から日本語の道へ

 小さいころから絵を描くことが好きで、中学と高校のときは理系が得意だったので大学は自分の得意分野が生かせる建築を専門にしようと考えていました。またこの当時、建築はベトナムの学生からとても人気が高い学部でした。夢に描いていた建築大学に合格し、4年間の大学を卒業後、ホーチミン市の建築会社に入社しました。しかし、社内の人間関係のトラブルがあり、1年未満で退職することになりました。


 違う建築会社への転職しようと思っていましたが、時間もあったので日本語を勉強してみようかなという気持ちが湧いてきました。建築の専門知識があり、プラスで日本語もできたらチャンスが広がるかなぐらいの気持ちで、あまり深く考えずにドンズー日本語学校で日本語の勉強を始めました。日本語を勉強していくうちに日本語の面白さや楽しさがわかり、魅力的な言語だなと思い始めました。授業の内容もすぐに理解でき、先生の発音を真似することも楽しかったです。どんどん日本語が好きになっていき、日本語の授業以外にもインターネットで日本の有名な歌を調べて、その歌詞を見ていました。当時はまだひらがなも漢字もよくわかっていませんでしたが、頑張って歌詞を覚えようとしていました。また、日本人のアナウンサーの発音の動画も見つけ、アナウンサーの話し方や発音もかっこいいなと思い、私もこんな風にかっこよく日本語を話したいと思って真似していました。


 何となく日本語の勉強を始めましたが、いつの間にか日本語の魅力に取りつかれ、勉強が楽しくて仕方なかったです。新しい仕事を見つけて働かないといけないと思う一方で、仕事があると日本語の勉強の時間が減ってしまうのが残念に思うようになりました。そしてもっともっと日本語の勉強をしたいという気持ちが大きくなっていきました。仕事を取るか、日本語の勉強を取るか悩みましたが、私は1年未満で退職したので経験があるとは言えず、建築会社に転職したとしてもまたゼロからのスタートなので、建築の道から日本語の道へ切り替えて日本語を集中して習得しようと思いました。私の決断は家族や友人たちから反対されました。しかし、私は日本語と深い縁があるように心から感じていたので、日本語が頭から離れませんでした。日本語を習得した後にどうなるのかイメージができていませんでしたが、日本語の道を選ぶことにしたのです。


日本との最初の思い出


 最初はドンズー日本語学校の初級レベルクラスにいましたが、日本語を集中して勉強することに決めたのでクラスを変えました。2014年8月、まだ日本語の勉強を始めて1年も経っておらず、日本語能力N3にも合格していないころでしたが、自分の日本語レベルがどれくらいなのか知るためにホーチミン市で開催される「日本語体験コンテスト」に参加することに決めました。この「日本語体験コンテスト」は、日本の一般財団法人共立国際交流奨学財団が国際交流事業の一環として行われており、日本語・日本の文化に興味を持って勉強している外国人学生を対象に実施しているコンテストです。そしてなんと入賞者は8日間の日本旅行がプレゼントされるのです。


 私もこの日本語体験コンテストに参加することになり、ある一人の先生と出会いました。その先生は日本に留学している留学生ですが、時々一時帰国し、その度にドンズー日本語学校で日本語を教えてくれる人でした。私が一生懸命コンテストに向けて練習を頑張っている姿を見て、先生は私の発音練習を見てくれたり、コンテストでどんな知識が必要なのかも教えてくれたりしました。そして先生から、自分の声を録音して聞いてみるといいというアドバイスとレコーダーをプレゼントしてもらいました。自分は日本語の発音に自信がありましたが、実際に自分の発音を録音し聞いてみると、まったく想像とはかけ離れていて、もっと発音を直さないといけないのだと初めて気が付きました。


 先生のおかげで自分の課題にも気づき、コンテストのための準備も十分できました。そして臨んだ「日本語体験コンテスト」は晴れてトップ5に入ることができました。入賞商品としていただいた8日間の日本旅行では、憧れの日本、東京へ行き、見たかったものを見たり、体験したかったことを体験したりできました。この日本旅行から戻り、もっと日本のことや日本語が好きになり、勉強への気持ちも強くなっていきました。そしてこの日本語へのモチベーションのおかげか、その後1年以内に日本語能力試験N2に合格し、ドンズー日本語学校での日本語の成績も良い成績を維持することができました。その結果、滋賀県への3か月間のインターンシッププログラムに参加できることになりました。


 今回の滋賀県のインターンシップは前回の8日間の旅行とは違います。今回は琵琶湖近くにある自然体験学習施設のBSCウォータースポーツセンターで3か月間インターンシップをしました。この施設は子どもの自然体験学習としてキャンプを行ったり、国際交流したり、カヤックなどのウォータースポーツができます。私はこの3か月間、小学生や中学生と交流したり、ベトナム語を教えたり、お客様のBBQを準備したり、カヤック体験のお手伝いをしたりといろいろな活動を行いました。机上の日本語ではなく、実際に生活や仕事で日本語をたくさん使うことができたので生きた日本語を身につけることができました。日本語も日本も大好きな私は、この3か月間がとても楽しくて充実していました。


 このインターンシップでの一番の思い出は、子どもたちと過ごした時間です。数日いっしょにいる子どもたちと別れるときは寂しくて、辛かったです。ある小学生の子が別れ際に私に一つの封筒を渡してくれました。中を見てみると、その子の家族の写真と琵琶湖の石、そして私への手紙が入っていました。その手紙には「ハオさんもかんじのべんきょうをがんばってください」と書いてありました。きれいな字ではなかったですが、心がこもっていてとても嬉しかったです。今でもその手紙は大事に持っていて、漢字を勉強するときはいつもその手紙を思い出して勉強していました。そして漢検2級に合格したときも、昔の手紙の約束を果たせたかなと思っていました。


日本語の講師になる


 3か月間のインターンシップ後、再びベトナムに戻り、今度は自分の日本語への情熱は「自分が勉強する」ではなく、「誰かに教えよう」と形が変わりました。最初は自宅で家庭教師として教えようかと思い、ホワイトボードを買って、その写真と「これから日本語を教えます」とFacebookにアップしました。すると私の投稿を見たドンズーの先生が「日本語を教えるならドンズーの日本語講師にならないか」と誘ってくれました。詳しくお話を聞くと、私がいたホーチミン市のドンズー日本語学校ではなく、ホーチミン市から少し離れたクチ省にある日本の大学進学を目指す学生専門の校舎で教えてほしいと言われました。


 先生から声をかけてもらったのは嬉しかったですが、私の能力で学生たちに教えられるのか不安も覚えました。そこで実際に学校を見学することになり見学してみると、学生たちはみんな朝5時に起きて、体操をし、そのあとは夜の8時、9時まで勉強漬けでした。この勉強へ取り組む姿勢や学校の雰囲気を圧倒されましたが、私も頑張ってみたいと思い、日本語講師を引き受けました。


 日本語講師初日の授業は日本語で物語を読む授業でした。しかし、緊張していたからか全く上手く教えることができず、とても落ち込みました。普段は簡単に日本語の本を読むことができるのに緊張しすぎて思い通りにはいきませんでした。私が落ち込んでいる姿を見て生徒たちも励ましてくれました。そして、前回日本語体験コンテストでサポートしてくれた先生が偶然にも帰国していたので、教え方をアドバイスしていただきました。授業を何回か行っていくうちに少しずつ授業にも慣れていきました。


 この学校で勉強している生徒たちは日本語能力試験N2合格、そして日本の大学合格を目指しています。日本へ留学する大半の留学生は、まずは日本語学校へ進学し、その後、大学や専門学校を受験して進学しますが、この学校の生徒は最初から日本の大学進学を目指し、日々、勉強しています。学生たちがこれだけ頑張っているのだから先生である私も頑張らないといけません。ならば日本語能力試験N1を取得しようと思い、合格に向けて勉強を始めました。N1を受験する1か月前は朝の3時、4時から本格的に勉強していました。そして日本語の勉強を始めて2年、2015年12月にN1に合格することができました。


 この学校の生徒たちは日本の大学に合格したら、留学生として日本へ行きます。教え子たちが大学に合格し、日本へのビザが下りる時期は毎回賑やかなムードになります。お別れになるので少し寂しくもなりますが、教え子たちみんなに新しい明るい未来が待っているのだと思うと私までワクワクしていました。


 毎回、学生たちを送り出していると、私も日本の大学進学に興味を持つようになりました。幸いにも周りには日本留学や日本の大学の情報がたくさんあったので、どんな大学がいいのか考えていました。あるとき、静岡大学のアジアブリッジプログラム(ABP)を知りました。このプログラムは東南アジアからの優秀な学生を対象としたプログラムで、私が好きな日本文化や日本語を深く学ぶ学科もありました。私も学生たちと一緒に大学の受験勉強をし、必要な書類を準備しました。そして日々の努力とドンズー日本語学校の先生たちのサポートのおかげで、私は晴れて静岡大学のアジアブリッジプログラムに合格し、2016年9月に大学へ入学しました。


留学生として日本へ戻る


 ベトナムにいた時に静岡大学に合格したため日本語学校は行かずに大学へ入学します。しかし、いきなり日本人学生と一緒に勉強すると日本語のスピードや大学の講義で苦労するため、最初の6か月間は日本語の集中講義が行われました。今まで出会ってきた先生たちは日本語を少し話せるだけですごい上手だと褒めてくれましたが、この講義の先生はそうではありません。ちょっとしたことでは褒めず、逆に私の間違いを適切に指摘してくれるので、自分の日本語の間違いに気づき、どんどん日本語能力が上がっていきました。また日本語の授業だけでなく、レポートや小論文の書き方、プレゼンテーションの仕方などもこの6か月間で学び、この集中講義後、日本人学生といっしょに勉強が始まっても日本語や勉強で困るということがありませんでした。この6か月間の勉強と先生の適切なアドバイスのおかげだと思っています。


 大学の勉強も順調に進み、最初の学期の成績も良い成績を取ることができました。この成績なら奨学金がもらえるかもしれないと思い、外国人留学生を対象とした民間の奨学金に申し込みました。奨学金をもらうためには書類の準備や面接試験などもあるため、最初の講義でお世話になった先生にお願いして手伝っていただきました。そうした努力の結果、奨学金をもらえることになりました。それまでやっていたコンビニでアルバイトを辞めても奨学金のおかげで生活費も心配が要らなくなったため、自分のスキルにつながる通訳・翻訳のアルバイトだけし、残りの時間は勉強やいろいろな場所へ観光したり、文化を体験したりする時間にしました。


 大学時代はいろいろな思い出があります。その中でも一番の思い出は、NHKののど自慢大会に出場したことです。私は昔から歌うことが大好きで、ベトナムの歌のコンテストにも参加したことがあります。ある日偶然、テレビでNHKののど自慢を見て、私も参加してみたいなと思いました。しかし自分は外国人だし、選曲もなぜその曲なのか説明しないといけないので大変かもしれないと思いました。出たいけれどもどうしようかと悩み、応募締め切りの1時間前までずっと悩んでいましたが、思い切って応募することにしました。その後、トントン拍子に審査が進んでいき、ついに最終選考まで残り、テレビで歌うことになりました。放送当日、私はベトナムの伝統衣装である赤いアオザイを着て歌いました。テレビで私の姿を見た日本人の友人が写真をとって「出場おめでとう」というメッセージと一緒に送ってくれました。そして全く知らないベトナム人からも「同じベトナム人が歌っている姿を見て嬉しかった。出場おめでとう」というメッセージをいただきました。私もベトナムの文化を日本に紹介すことができたので嬉しかったです。


ターニングポイントと就職


 4年間の大学生活は、奨学金のおかげで経済的な心配をせずに自分がやりたいことに時間を使うことができました。私は日本の文化をもっと深く知りたいと思い、卒論のテーマを「子どもの歌舞伎」にしました。子どもの歌舞伎は静岡県浜松市のある団体が中心に行っていたので、その団体に連絡をして見学させていただいたり、話を聞かせていただきました。正直、難しいテーマかなと思っていましたが、直接話を聞かせていただいたおかげで無事に卒論を完成させることができました。そして何より卒論の調査を通じて他の日本文化も知ることができました。


 私は日本の文化と日本語をさらに好きになったので、このまま大学院へ進学しようと思い、就職活動はしていませんでした。2020年3月、卒論が完成しあとは卒業を待つだけになりました。ちょうどその時、ベトナムにいる親戚が結婚することになったので一時帰国しました。すると奇しくも世界的に新型コロナウイルスの感染が拡大し、日本へ戻ることができなくなってしまいました。もう卒業式まで数日となっていましたが、出席することができず、私はオンラインで卒業式に参加しました。静岡に戻ることもできなかったので荷物も家もそのままで、友人にお願いして片づけてもらいました。いきなり友人や静岡と離れ離れになってしまったのです。ベトナムでの生活は徐々に落ち着きましたが、どうしても日本へ思い残しはありました。


 帰国してしばらくは日本への情熱が冷めませんでした。日本へ戻れないなら日本語を使う仕事をしようと思い、偶然にも日本語や私の経験を生かせる仕事を見つけることができました。この会社は日本へエンジニアとして行くベトナム人への日本語教育や日本語学校を運営している会社です。私は最初、漢字のアプリ開発の担当を任され、今は留学部の部長の仕事を任されています。この仕事は好きな日本語を生かせるだけでなく、自分の日本での留学経験や日本語の魅力などを学生たちに伝えることができます。将来の進路に悩んでいる若者や学生たちの後押しができるのでとてもやりがいを感じています。


 そして実は大学時代に学んだ知識もこの仕事で生かすことができています。留学関係のポスターをデザインするときには大学で学んだデザインやPhotoshopの知識が役に立っています。また勉強のタスク管理のスキルは仕事でも役立ちます。不思議と大学で学んだ知識やスキルもこの仕事で生かすことができ、そして大好きな日本語にも携わることができ、毎日の仕事がとても充実しています。


メッセ―ジ


 自分にはどんな能力があるのか、何をしているときが楽しいのかはあなた自身しかわかりません。回り道をして遅くなっても良いので、是非、自分自身に「自分にはどんなことができるのか」、「何をしているときが楽しいのか」の2つを問いかけて、解答を見つけてください。今まで選んだ道と違う道が見つかり、大きなターニングポイントになるかもしれません。この道でいいのだろうかと不安になったとしても思い切って勇気を出して一歩踏み出してみてください。自分が好きなこと、自分ができることが合わさると自分の限界を乗り越えることができます。是非、勇気をもって自分の道を進んでください。

ホーチミン、2021年12