日本留学の決心

2011年にベトナムのタイグエン農林大学を卒業後、同じクラスメイトの5人とともにイスラエルへインターンシップに行きました。農業のことをもっと勉強したかったので、帰国したら大学院へ進学しようと思い、インターンシップ中に大学院進学のチャンスがないか探していました。


私の大学の学部長先生から、ベトナムと日本の留学連携プログラムがあると教えてもらいました。そのプログラムは、数カ月間ベトナムで勉強した後に日本へ留学できるというものでした。とても面白そうだったので参加したいと思い、イスラエルにいる間にそのプログラムのことや、日本への留学、日本の生活について調べていました。しかしベトナム帰国後、残念なことにその連携プログラムは終了していて、日本への留学の道が閉ざされてしまいました。


日本への留学の道がなくなったので、私は大学の国際課で働き始めました。しばらくして、ハノイにあるコーヒー豆を輸入販売する会社に転職し、営業職として働き始めました。営業の実績もよく、給料も高かったのですが、どうしても日本への留学が頭から離れず、仕事をしながら日本へ行くチャンスがないのか調べていました。


ある日、知り合いの人から日本の大学院へ直接進学するのではなく、まずは1年か2年、日本語学校に通ってから大学院進学を目指すのはどうだろうかと提案されました。具体的には、日本語学校に通いながら日本語能力試験N2に合格し、大学院の情報を集めた方がよいのではないかという話でした。たしかに、他の奨学金や連携プログラムで日本へ留学するには条件が厳しく、チャンスも少ないです。私費留学生として来日するのにはお金がかかりますが、条件も厳しくなく、留学のチャンスはたくさんあります。私はイスラエルでのインターンシップや今の仕事で貯金はあるので、お金はかかりますが私費留学生として日本へ行こうと決めました。知り合いの人のルートで日本留学を申込み、2014年4月についに念願の日本へ降り立ちました。


ターニングポイントと忘れられない体験

 来日した2014年当時、ベトナムにいる友人たちは会社で2、3年働いていて、ある程度のポジションについて稼いでいました。私は自分の貯金を切り崩したり、両親に頼ったりしながら日本での留学生生活を始めたばかりだったので、日本で暮らすための生活費を稼がないといけないと焦っていました。


ベトナムに比べるとアルバイトの時給も高く、たくさんのアルバイトがありました。焦っていた私は複数のアルバイトを掛け持ちし、学校よりもアルバイトばかりに精を出していました。1日も休まず、働きすぎて翌日立てないぐらい疲れていてもなおアルバイトばかり。あっという間に2カ月経ち、来日当初から体重は10キロも落ちてしまいました。


アルバイトから帰宅してお風呂に入ると、時々、疲れすぎてお風呂の中で3、4時間寝てしまうことがありました。また、電車で通学していたのですが、電車で座って眠ってしまい、アラームをかけたものの全然気が付かずに山手線を2周、3周してしまうことがありました。そのことがあってから、必ず電車では座らずにドアに寄りかかって立っていました。いつも寝不足でした。


とくに当時のことで一番印象に残っている出来事があります。この出来事がきっかけで、私の意識が大きく変わりました。ある日、アルバイトが終わり、そのまま家に帰らずに学校へ行きました。休まずに疲れたままだったので、学校で倒れてしまいました。先生が保健室まで連れて行ってくれたのですが、アルバイト先から直接学校へ行ったので靴下も変えていませんでした。保健室へ連れて行ってもらったときに、運んでもらったことへの申し訳なさと、靴下が臭うかもしれないという恥ずかしさを感じました。


この出来事をきっかけに、今までのようにアルバイトに夢中になっていると体力も落ちてしまうだけでなく、大学院進学のために来日したのに勉強もできていないということに気が付きました。このままアルバイトばかりに夢中になってはいけない、自分の夢を叶えるためには自分が変わらないといけないと本気で思い始めました。そのために、まずはアルバイトを減らし、N2合格に向けて日本語の勉強に集中することにしました。お金がないと生活に困ると焦っていた日々から180度勉強へ方向転換しました。


日本学校での勉強の他にも、様々な活動に参加しました。とくに一番思い出に残っていることは「日本語スピーチコンテスト」に出場したことです。そのスピーチコンテストの参加者は500名もいましたが、なんと決勝戦の8名まで残ったのです。私は大好きな農業をテーマに、農業への情熱、大学院に進学してもっと農業を深く研究したい気持ちをスピーチしました。


スピーチコンテスト後、私のスピーチを聴いてくださった方たちに私の気持ちが伝わり、ある先輩から声をかけていただきました。その方は農業の研究ができる大学院に進学したいなら、知り合いに東京農工大学の大学院の先生とのコネクションがあるから紹介すると言われ、私を紹介してくれました。日本の大学院入試は、筆記の試験だけでなく、その大学院の先生の研究テーマに興味があり、その先生が自分の研究室に入れてもよいとOKしてくれないと入学できません。私にとって農工大の先生とつながることができ、農工大の大学院に入学できたのは、とてもラッキーなことでした。思いがけないチャンスでしたが積極的に行動したおかげだと思っています。


他にもベトナムコミュニティの活動にも積極的に参加していました。小さいころから私はコミュニティや何かの会に参加し、リーダーもしていました。小学校1年生から中学校3年生まではずっとクラス長をやり、高校生になると青年団体の委員会に所属していました。大学生時代は学生代表になったり、山村地域での修理や農村の手伝いなどのボランティア活動に参加したりしていました。


日本に来てからはアルバイトばかりの日々だったので、コミュニティの活動に参加できていませんでした。アルバイトも調整し、勉強だけでなく、またコミュニティの活動をしたいと思って探していたところ、VYSA(在日ベトナム学生青年協会)を見つけました。VYSA(在日ベトナム学生青年協会)とは、在日ベトナム大使館から公認されている組織で、ベトナム人留学生への情報発信や、日越文化交流やジョブフェアなどのイベント実施、交流の促進を行っています。


私はVYSAの活動に申し込み、所属することになった情報課での活動初日、いきなり先輩から情報課のリーダーにならないかと言われました。いきなりのことで驚いたのですが、たまたま前のリーダーが抜けたタイミングで私が加入し、私がベトナムでさまざまなコミュニティやボランティア活動でリーダーもしていたことを知っていたので声をかけてくれたそうです。周りの人たちからもリーダーをやってほしいとお願いされたので、引き受けることにしました。


私が所属していた情報課はさまざまな情報を発信するチームです。ポスターやビデオを制作して発信するので、Photoshopやデザインなどは自分で勉強しなければなりませんでした。最初は作成するのにかなり時間がかかりましたが、だんだんと慣れてきてスキルも身につきました。


また、VYSAは在日ベトナム大使館の後援があるため、活動のスポンサーとなっていただける企業も多いです。そのスポンサー企業の経営者の方とお会いしたり、自分で新しいスポンサーを開拓するためにベトナムレストランやお店にアポを取って訪問したりと、学生のうちから貴重な経験を積み、多くの人とのネットワークを築くことができました。


VYSAのプログラムでとくに思い出に残っているプログラムがあります。それは、日本へベトナム人留学生を送るドンズー運動で有名なファン・ボイ・チャウさんを記念したホームステイプログラムです。私はそのプログラムに参加し、ホストファミリーのお父さん・お母さんと出会い、5年以上経った今でも連絡を取り合っています。私が東京で挙式したときにも、お父さんとお母さんが出席してくれ、日本の歌を歌ってくれました。アルバイトばかりしていてはホストファミリーのお父さん・お母さんに出会えませんでした。


今思うと、来日当初のアルバイトばかりしていた生活に一度ブレーキをかけ、何をしに日本に来たのか、本当の目標は何かを見つめ直すことができたので、本来の道に戻れたのだと思います。学校での日本語の勉強、課外活動、ベトナムコミュニティの活動など、さまざまなことをバランスよくできるようになり、貴重な体験もたくさんすることができました。


仕事が人を選ぶ

 2015年に東京農工大学の大学院に進学し、同じ大学院に通うベトナム人留学生の彼女もでき、結婚しました。ちょうど2人とも卒業年度が同じだったので就活も同じ時期に行い、妻は渋谷の会社から内定をいただき、私は埼玉にある農業関連の会社から内定をいただきました。渋谷も埼玉も同じ関東圏内なので頑張れば通勤できますが、通勤時間は少しかかります。子どもがいないうちは問題ないけれども、いずれ子どもができたら通勤が大変かもしれないと悩んでいました。


このまま埼玉の会社の内定を承諾するか、それとも違う会社を探すか悩んでいたところ、大学院1年目からアルバイトしていた日本語学校の担当者から、このままこの日本語学校に就職し、引き続き留学生たちのサポートをしてくれないかと声をかけていただきました。この日本語学校は東京都内にあるので、私も妻も通勤の悩みが解消されることになり、農業とはまったく関係のない日本語学校で働くことに決めました。


もちろん、周りからは大学院まで行ったのに農業とは関係ない仕事でもったいないと言われましたが、ベトナムには「人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶ」ということわざがあります。日本語学校の仕事は農業とは関係のない仕事ですが、私はベトナムにいたときからコミュニティのために活動することが好きですし、VYSAで築いたネットワークもあります。そしてビデオやポスターを制作して宣伝・広報した経験も生かせると思います。なので、私は日本語学校を選んだことはもったいないと思っていません。むしろ、導かれたのだと思っています。農業のことも好きですが、この日本語学校の仕事も好きで、もう5年間もこの仕事を続けています。


この日本語学校で5年間働き、私が担当した留学生は数百人以上にもなりました。真面目で2年間1度も欠席しない生徒もいれば、初めて家族から離れて生活する中で悪い誘惑に負けてしまう生徒や日本語の勉強を止めて母国へ帰国した生徒など、本当にさまざまな学生がいます。みんな一人ひとり違う悩みがあり、違う将来が待っています。長くても2年間という短い期間ですが、学生たちが歩む道を身近でサポートできることも有意義だと感じています。


日本学校で留学生をサポートする仕事以外に、私は日本国内にある日本語学校や専門学校で働くベトナム人スタッフを結ぶネットワークを作っています。日本にはかなりの数の日本語学校や専門学校があり、そこで働くベトナム人スタッフも増えてきています。個人のFacebookに「この仕事はどうやってやったらいいのか」という質問をしたり、意見を伝えたりすることはありますが、お互いの仕事上の悩みや相談ができる大きなネットワークはありませんでした。同じベトナム人スタッフ同士なので、ネットワークがあれば悩みや仕事のノウハウも共有でき、助け合えると思い、ネットワークを作り始めました。


実はこのネットワークを作ろうと思ったきっかけがあります。ある日、自分の学校の留学生を病院へ連れて行った際に、たまたま別の学校で働いているベトナム人スタッフと会いました。いろいろと雑談している中で、お互いノウハウをシェアできる場所や悩みを相談できる場所があればいいですが、なかなかそういった場所はないですねという話になりました。ならば、お互い相談できたりノウハウをシェアできる場所を作ったらいいのではと思い、まずは知り合いのベトナム人スタッフに声をかけ、それからビザ申請手続き代行研修など、多くの学校のスタッフが集まる研修でベトナム人スタッフたちに声をかけていくうちに、ネットワークが出来上がりました。


3年が経ち、多いときで70名、少なくても50名がこのネットワークに参加しています。このネットワークはFacebookのオンラインでつながっています。名刺で身分を確認し、承認された人のみ参加できるため、安心して自分の仕事の悩みを相談したり、この書類はどう処理したらいいのかなどのノウハウを共有したりできます。自分の経験をシェアすることで、学校で働くベトナム人スタッフたちの学びになり、留学生へのサポートの質向上にもつながります。そして普段はオンラインでつながっていますが、時々、誰かの誕生日のときなどはオフラインでお祝いしたりして、今では家族のようなネットワークになりました。


1年前から、日本にあるベトナムテレビ局(VTV)のパートナーとして活動もしています。たまたまコロナ禍のとき、在日ベトナム人たちはテト(旧正月)をどうやって迎えているんだろうかと友人から聞かれたので、自分の知っている家族や知り合いを中心にテト(旧正月)を祝っている様子をビデオに撮って見せたところ、ベトナムテレビ局(VTV)からこの映像を使わせてほしいとお願いされました。それから2カ月後、ベトナムテレビ局から今度は在日ベトナム人の活動の映像を作ってほしいと依頼があったので、シナリオを書き、映像を作っています。


このこの映像を作る仕事は決して私のメインの仕事ではありません。ベトナムにいる人にも日本で活動しているベトナム人のことを知ってほしいときに作っています。良い気分転換にもなっていますし、自分自身の日本での体験の記録にもなっているので、今も続けています。


メッセ―ジ


 自分がどういう道に進みたいのかといった夢や目標を最初から明確にしましょう。夢や目標がわかっていれば、それに向かってどう進んだらいいのかわかります。もし私みたいに途中で道に迷ったとしても正しい道に導かれます。自分は何がやりたいのだろうかと夢や目標を持たずに迷ったままだと、そのまま流されてしまいます。なので夢や目標は明確にしておいた方が良いと思います。


時々、日本にいると勉強や生活で毎日が忙しく、自分自身のことを忘れてしまうときがあります。そんな時は一度スピードを落としてゆっくりと周りを見てみましょう。体験してみたいことをやってみたり、先輩たちと話して情報を集めたりして、一度自分自身のための時間を作ってほしいです。走りっぱなしだとそればかりに夢中になり、進むべき道が見えなくなり、間違った道を進んでいても気が付かないかもしれません。時々はスピードダウンをして自分の進むべき道を確かめて、落ち着いてから再び走り出しましょう。



東京、2022年5