グエン・ティ・フォン・オアイン

NGUYEN THI PHUONG OANH


Profile & Message

2009年10月〜2010年9月   文部科学省交換留学生として来日

2011年6月~        ハノイ大学日本語学科卒業

2011年8月〜2014年3月   工科大学情報工学部(HEDSPI)で日本語を教える

2014年4月〜2017年3月   国費の留学生としてお茶の水大学院修士課程入学

2015年9月〜2017年9月   日本語教師専門学校非常勤講師になる

2017年3月〜2019年11月  大学院卒業後、アカデミックアシスタントとして勤務

2018年12月〜2020年1月  東京のNPO法人でアルバイトを開始

2020年3月〜        IT企業に正社員として入社

子どもの世話に専念すべきか?仕事をすべきか?どちらの選択が正しいかは決まっていません。どちらを選択しても、良い部分もあるし、母親としては犠牲にしなければならないこともあるので、完璧な選択肢はないのです。もし仕事がしたいなら、とにかくやってみることが良いと思います。自分ではコントロールできないことを、心配しすぎないでください。もし解決策が見つからなくても、自分なりに頑張ったのであれば、それはそれでしょうがないと認めて前に進んで行きましょう。

目標達成には早めの準備を!

2007年からハノイ大学で日本語を勉強し始めました。私はいつも目標を早めに決めて、しっかりと準備をする習慣があります。そのため、成績の良い生徒は3年次に日本へ留学するチャンスがあると知り、1年生の頃から準備を始めました。


入念な準備のおかげで、3年次に日本へ1年間の留学をすることができ、貴重な経験をすることができました。そのことがきっかけで、また日本へ戻りたいと思うようになり、帰国後は、文部科学省の奨学金で日本の大学に入学することが目標になりました。


文部科学省の奨学金に応募するためには、国営機関での勤務経験が必要になります。そのため大学卒業後、工科大学情報工学部(HEDSPI)に所属して日本語を教える仕事に就きました。契約社員でも応募条件をクリアしていたので、フルタイムで所属し、ここで働いている2年の間に日本語を勉強し上達させ、奨学金の試験に必要な情報収集をしました。その準備のおかげで2013年に文部科学省の奨学金に合格し、2014年に日本へ戻る目標を達成しました。

「鶏が先か?卵が先か」の話

 お茶の水女子大学では3年間学び、たくさんの思い出や勉強になったことがありますが、この記事でそのことについてはあまり深くは触れません。それよりも、日本でのワークスタイル(働き方)や子どもを保育園へ預ける方法など、日本で生きるための情報を皆さんにシェアしたいと思います。


私は大学院1年生の頃に結婚しました。大学院在学中は、奨学金もあったので金銭面の心配はありませんでしたが、経験のために専門学校で翻訳・通訳のスキルを教えるアルバイトをしていました。卒業のタイミングで、専門学校から正社員としての内定ももらっていましたが、結婚して1年以内に子どもが欲しいと考えていてので、産休育休までの期間も短くなるため、周りにも迷惑をかけることになると思い、内定を断りました。


2017年2月、大学院卒業の少し前に妊娠をして、同年11月に出産しました。 

出産間近まで専門学校でのアルバイトを続け、お茶の水女子大学でアカデミックアシスタントのアルバイトも始めました。なぜそうしたかというと、お茶の水女子大学の中には保育園があり、学校の職員はアルバイトでも、子どもを預けることが出来るからです。


当時、私が住んでいた江戸川区の保育園は、民間も含め全て埋まっていました。どこかに子どもを預けられなければ、フルタイムでもパートタイムでも仕事ができないので、お茶の水女子大学でアルバイトを始めたのは、子どもを預けられる場所を確保するためでした。


なぜこの話を皆さんに共有するかというと、「鶏が先か?卵が先か?」の話のように、仕事を探すためには子どもを預けるところが必要だが、預けるためには仕事が必要なのです。諦める人もいましたが、私は諦めませんでした。そのため保育園は確保できましたが、通勤ラッシュの混んでいる電車に乗る必要もありましたし、保育園の費用は私のアルバイト代全額分という感じで、働く必要があるかと疑問に思ったこともありました。しかし少しずつ進んで行こうと決めたのです。


江戸川区で入園できそうな保育園を見つけるのは難しかったので、夫婦で話し合い、働くママに優しいといわれている北区に引っ越しをしました。1週間の最低勤務時間が決まっていたので、保育園に申し込みをするためには、お茶の水女子大学のアルバイト時間だけでは足りませんでした。そのため、別のアルバイトも探すことに決めました。

自宅からあまり遠くなく、お茶の水からも近い場所という条件で、色々探していたところ、ベトナム人をサポートするNPO法人の求人を見つけました。私は元々その団体のFBを見ていたので、ちょうどその時期に週3日勤務の求人を見つけて応募し、無事採用されました。


このNPO法人での仕事がきっかけで、HRに興味を持ち、今の仕事にも繋がっているので、今考えるととても良い出会いだったと思います。

正社員になるまでの道のり

この 2 つのアルバイトを掛け持ちすることで、保育園に申し込むための条件をクリアしました。入園の結果を待っている間も、満員電車に乗ってお茶の水に2人で通っていました。お茶の水女子大学へ出勤の日はまだ余裕がありましたが、NPOへ出勤の日はバタバタとして大変でした。幸いなことにそんな日々は長くは続かず、近所の保育園への入園が決まりました。

保育園の入園条件をクリアすることだけでなく、NPOでの新しい仕事を通して多くのことを学びました。

私はずっと日本語教育関係の仕事しかしていなかったので、正社員としてどこかに入社するとしても、何の仕事が良いのか分からずにいました。しかし、これまで通り日本語教育の仕事をするのもちょっとどうかなと感じていました。

NPOで働くまではHRの仕事に興味はなく、正直求人をアップして応募を待つだけだと思っていましたが、新しい仕事を通じて、一人採用するまでにたくさんの人が関わり、色々なステップを経て行くのを知りました。またHRの仕事は、求人がある時だけ対応すればいいのではなく、応募者になりそうな人が自社の媒体を頻繁に見てくれるよう、日々興味深いコンテンツを作成したりしなければなりません。私が関わった作業はほんの一部ではありますが、コンテンツの作成などを行いました。仕事をしていく中で、HRの仕事は自分に合っているかもと思い、新しい可能性に気づけました。

NPOのアルバイトを始めて1年くらい経った頃、正社員として働くことに挑戦しようかなと思い始めました。当時、子どもも2歳になり熱も出さなくなったことや、自分も30歳を過ぎたので、そろそろ正社員として働かないと、今後やる気が無くなってしまうのではないかと考えていました。

なぜこのタイミングかというと、また逆算して考えた結果です。子どもの保育園は18時までしか預かってくれませんでしたが、正社員として働くためには、19時くらいまで預かってもらえないと話にならないので、転園の必要がありました。4月が転園しやすい時期なので、そのタイミングに合わせるためには、12月に申し込みをする必要があります。そのため、申し込み期限の1ヶ月前までには、どこかに正社員として就職しようと考えました。

その当時リッケイソフトというIT企業が、人材採用を拡大するために新しく人事部を立ち上げることとなり、その会社で働いていた友人が声をかけてくれました。NPOの仕事でHRに関わったといっても、ほんの一部分の経験でしかなかったので、自信はあまりありませんでしたが、挑戦することも経験だと思いエントリーしました。正社員としての経験は無かったですし、小さな経験がほとんどだったので心配でしたが、自分の経験をカッコよくアピールするために色々と工夫しました。会社も早く人が欲しかったということもあり、無事に内定をもらいました。

その時はまだ別の保育園に転園できるか分からなかったので、ハラハラしていました。会社は仕事が18:30までだったので、とりあえずベトナムから母に来てもらい、もし新しい保育園に転園できなくても、3ヶ月間はどうにかなるようにしました。幸いなことに、会社に入る直前に保育園の転園が決まり、嬉しい限りでした

新しいチャレンジ

子どもが生まれてから17時までしか働いていなかったので、18時過ぎまで仕事をして、家事もこなせるか心配していましたが、最初は母も手伝ってくれていたので、とりあえずやってみようという気持ちでした。しかし、予想外な部分で大変なことが起こったのです。

仕事は最初は大変でしたが、徐々に慣れました。その後、コロナ禍で緊急事態宣言が出され、リモートワークになってしまいました。IT企業なので若い人が多く、ワイワイした雰囲気が好きでしたが、リモートワークでその雰囲気も変わっていきました。

日本は感染拡大が酷かったので、ベトナムからは人が来ないし、ベトナムに帰りたがっている人も多くいました。そのためベトナム人採用の機会が減ってしまい、私の仕事量もとても減りました。8時間勤務であるのに、1時間しかする仕事がなかったのです。お給料をいただいているのに、会社の大変な時期に自分は何もできないことが、申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

このままでは何も変わらないので、自ら何か動かなければと思い、以前働いてた職場を見習って、オンラインセミナーや、経験やノウハウを分かち合うイベントなどの開催をすることにしました。また、会社が申し込めそうな補助金等を探して、社長への提案なども積極的に行いました。そうすることで、昔より皆が自分のことをかってくれるようになったり、セミナーなどで社内の交流も増えました。

入社して3年が経ち、コロナもやっと落ち着いたので、HRの仕事もコロナ前と同じ感じに戻ってきました。私を含め人事部のスタッフは、各媒体への求人アップや面接など、忙しい日々を送っていました。前より仕事の量は増えていましたが、また同僚と対面で会えたり、新しいことにもチャレンジできて毎日充実しています。フルタイムで働くことになって、夜子どもと過ごす時間は減ってしまいましたが、有給があったり働きやすい体制を整えてもらっているので、頑張って正社員になった価値があったなと感じます。

メッセージ

子どもの世話に専念すべきか?仕事をすべきか?どちらの選択が正しいかは決まっていません。どちらを選択しても、良い部分もあるし、母親としては犠牲にしなければならないこともあるので、完璧な選択肢はないのです。もし仕事がしたいなら、とにかくやってみることが良いと思います。自分ではコントロールできないことを、心配しすぎないでください。もし解決策が見つからなくても、自分なりに頑張ったのであれば、それはそれでしょうがないと認めて前に進んで行きましょう。

私もある時期は、満員電車で子どもが怪我をするのではないかと心配しましたし、なるべく母乳をあげたいと思い、搾乳機を持って行ったりしていました。帰りが遅くなると、子どもがお腹を空かせてしまっているので、パンを持って行っていました。アルバイトも掛け持ちしていたので、帰宅は19時くらいになります。そんなに大変なのに、バイト代は子どもの保育費用と同じくらいの時もありました。

「もし、あのまま博士として進学して、奨学金をもらい続けたら楽だったかもしれない」や、「専門学校の正社員となっていれば、もっと楽だったかもしれない」などと考えたこともありました。しかし人生は巻き戻せません。

皆さんが本当に目指したいものを選択し、進んで行けば、大変な時期は乗り越えられます。

自分がどこに進めば良いのか迷っているお母さん達が、色々考えて、適切な道に進めることを願っています。頑張ったことは無駄にはならないので、諦めずに挑戦していってください。

東京、2023年1月