ドアン・レ・ハイ・ゴック

DOAN LE HAI NGOC

Profile & Message

2011年4月  明治大学国際日本学部に入学

2014年4月  在日ベトナム学生青年協会(VYSA) 渉外部副部長に就任

2015年2月  在日ベトナム学生青年協会(VYSA) 副会長に就任

2015年4月  東京大学大学院国際協力学専攻に入学

2015年4月  杉良太郎日越特命全権大使事務所での通訳業務を開始

2017年4月  東急電鉄株式会社(現東急株式会社)に入社、

      渋谷再開発事業部に配属

2020年10月 法テラスや東京三弁護士会における司法通訳の仕事を開始

2023年1月 ユニバーシティ カレッジ ロンドン シビック デザインコース受講

「人生は長いようで短いものなので、同じ毎日の繰り返しで終わらせずに、新しいことにどんどん挑戦しましょう。自分が慣れていることを繰り返せば、失敗をせずに、安定を得られますが、潜在能力を引き出すことはできませんし、視野も狭められてしまいます。

行ったことのない場所に行ったり、やったことのないことに手を出してみることを躊躇せず、眠っている新たな楽しみを発見しましょう。」

二代に渡って続く日本との縁

多くの在日ベトナム人と少し違う方法で、私は5歳の頃から日本と縁がありました。

当時、両親が奨学金を受給し、愛媛大学で博士号を取得するために留学をしていたので、姉と私も一緒に日本で暮らしていました。私は小学3年生の終わりまで日本に住み、その後両親と一緒に帰国しましたが、姉は当時15歳で高校へ進学する年齢だったので、大学卒業まで日本に残りました。

私は日本で暮らしたベースがあったため、日本語の読み書きができたため、帰国後も日本語センターには通わず、独学で日本語能力を維持、向上させました。当時の教材は日本に住んでいた姉が時々送ってくれる日本語の教科書やマンガです。また、私は日本のゲームも好きなので、ゲームで遊びながら日本語を学ぶこともありました。ゲームの中で次のステージに進めるためには、日本語を理解する必要があるので、遊びながら新しい単語や文法を学ぶことができます。

中学卒業まで独学で日本語を勉強し、高校では日本語を中心に勉強しているクラスに入りました。元々人と交流したり、友達を作ったりするのが好きだったので、日本語に触れる機会を増やすために、市内の日本語クラブを探し始めました。貿易大学に、ハノイの大学の日本語学科で勉強している大学生が参加している日本関連の交流活動を行う越日学生会議(VJSC)があることを知り、運営メンバーに思い切って活動に参加したいと連絡したところ、高校生でしたが特別に入会を許可していただけました。

VJSCでは様々な活動を行っていますが、一番楽しかったのは、毎年8月に東京の大学に在学中の日本人学生と交流するプログラムでした。私たちは約1週間一緒に様々な場所を回ったりしたり、日越の文化についてディスカッションをしたりすることもあれば、大学生が私の家にホームステイしたりすることもありました。彼らから聞く日本での大学生活がとても楽しそうで、私も徐々に日本での学生生活を送りたいと思うようになりました。子供のころに見た日本と、ベトナム社会についても多少知り、大人になった自分が見る日本で違うところはあるのか、それとも全く同じ印象なのかを確かめたかったのです。

私は日本留学の夢を叶えるために、まずは留学フェアへ足を運んで、日本の大学について情報収集を始めました。調べた学校の中で、一番興味を持ったのは明治大学でした。その理由は2つあります。1つ目は、日本と世界の関係について学ぶだけではなく、日本の社会学、経済学を含む多くの分野を同時に研究することができる学部があるからです。私は一つの領域を深く勉強するより、様々な現象、学問について浅く広く研究をした方が自分の好奇心を満たせると考えていたので、このカリキュラムを面白いと思いました。2つ目の理由は、今にしては少し恥ずかしいのですが、当時18歳だった私にはとても重要なことで、私の憧れの君である山下智久さんが通っている学校だったからです。

しかし、日本への留学のことを両親に相談したところ、私費留学は高額であるため賛同を得られませんでした。両親はまずは奨学金を探しつつも、奨学金を得られなかったときに備えてベトナムの大学入試も受けるべきだと助言してくれました。

その助言にしたがって、貿易大学の入学試験に向けて一生懸命勉強する一方で、留学のための奨学金を探しました。大学の合格発表とほぼ同時期に、選考を受けていたローソン留学生奨学金の合格通知を受領しました。

ローソンの奨学金を受ける条件は2つあります。1つは、来日後ローソンの直営店でアルバイトをすること。もう1つは、東京にある専門学校もしくは大学に通うことでした。

これまでローソンの奨学金は、上記の条件を満たしている留学生に対して月3万円の奨学金のみ支援をしていたため、物価が高い東京ではやっていけないと感じ、応募もしくは受給の継続をあきらめていた留学生もいました。恐らくその理由で私が奨学金を受給した年には、奨学金の月額が13万円までアップされており、そのうえアルバイト先、学生寮や日本語学校も紹介をしていただけるため、両親を安心させ、日本留学への賛同を得ることが出来ました。

まちづくりをしたいという夢が生まれる

ビザが下りた後、2020年10月に正式に来日し、新宿日本語学校に入学しました。私は高校2年生の時点で既に日本語能力検定N1に合格し、幼少期に日本に3年間住んでいた経験と、両親の留学時代の友人の助けもあったおかげで、東京での新しい生活にすぐに慣れました。語学学校に通っていた6ヶ月間は、ほとんどの時間を大学の受験勉強に費やしました。 2011年4月、東日本大震災からちょうど1ヶ月後に念願が叶い、明治大学に入学しました。

大学に慣れてきた1年生の中頃、大学のボランティアサークルに参加し、宮城県南三陸町で震災で倒壊した建物のがれきを撤去したり、農家のお手伝いをするボランティア活動に参加しました。

当初は社会貢献の目的で参加をしていたのですが、、思いがけず、この活動をきっかけにまちづくりに興味を持つようになりました。

ボランティア期間中、サークルのリーダーが車の運転をしていると、道路の真ん中でボール遊びをしていた二人の子供にぶつかりそうになったことから、。私達は東日本大震災で公園や遊び場が全壊し、子供たちが安全に遊べる場所がなくなってしまったことがわかりました。

その状況を知った後、私たちは宮城県の南三陸町の町役場の方々に相談し、地域の人々が交流できるような公園を作ることプロジェクトを開始しました。自治体の方々は公園を作るための土地を提供してくれましたが、公園のデザイン、資金調達や資材の準備等は学生である私達が率先して行う必要がありました。。

私たちのように都市計画や公園建設の経験がない学生団体にとって、それは大きな挑戦でした。しかし、小さく簡易的なものでも良いので、地域の人たちが交流できる場所を作り上げたいと思い、自治体から機械を貸していただいたり、起業から協賛を得たり等たくさんの方々の協力を仰ぎながら、テーブル、イス、花壇等をひとつづつ作り上げていき、公園を完成させました。自治体や地元の方々をご招待したお披露目会に、プロジェクト開始のきっかけになった2人の子どもを含め、たくさんの人が遊びに来てくれました。皆さんの嬉しそうな姿を見てとても感動し、人々が輝く場を作り上げることにやりがいを感じました。それこそ私がまちづくりに興味を持ったきっかけでした。

東急電鉄との出会い

沢山の方々と出会い、在日ベトナム人コミュニティを支えたいという想いで大学2年の時からVYSA(在日ベトナム青年学生協会)に参加しました。年に1回VYSAは、スポンサーやVYSAへの協賛に興味がある企業・団体向けに活動報告会及び謝恩会を開催しています。

2014年に私は渉外部副部長及び司会としてその会に参加をしており、当時VYSAの活動に興味を持っていた東急電鉄の人事部の方を含め、参加している様々な企業・団体の方々とお話をする機会がありました。就職活動についてご質問を頂き、宮城県での経験や日本及び母国のまちづくりに携わりたい想いを語ったところ、同じ事業をベトナムを含む地域で展開している東急電鉄のインターンシップの試験に参加しないかとお誘いをいただきました。

東急電鉄は鉄道事業及び主にその沿線をベースとした地域での都市開発、生活サービスの展開を行っている会社です。建物を建てて終わりではなく、地元に根差して、長期的な視点で沿線エリア等の価値の向上やコミュニティの発展に力を入れていることに強い魅力を感じました。東急電鉄では、地域の知られざる魅力を発信したり、街に訪れる人と住んでいる人を繋ぐ活動を頻繁的に行っており、私はインターンシップで渋谷の魅力を発信するホームページのリニューアル提案を行ったり、イベント開催に向けた関係者調整業務を目の当たりにしたりすることができました。

会社での仕事に達成感、やりがいを感じ入社したい想いが強くなったものの、当時の私はまちづくりやコミュニティ作りについて体系的に学びたいという想いがあり、大学卒業後は就職活動をせずに、。私は東京大学大学院新領域創成科学研究科国際協力学専攻に進学しました。

私の指導教授は、土木工学及び社会学の二つの研究室を担当していました。教授の勧めで建築学専攻や社会基盤専攻の学生と一緒に参加する、被災地復興プロジェクトのスタジオに参加することで、まちづくりの知識や経験を培うことができました。

また、学業に取り組む傍ら、複数の企業や機関でインターンシップを行い、徹底的に自分がどのような手段、場所でまちづくりの仕事をしたいのかを考えました。JICAのインターンシッププログラムで、ベトナムの少数民族が居住している山岳地帯で防災力を向上させるコミュニティづくりの活動に参加したり、三井不動産で日本橋エリアにおける次の10年、20年に繋がるエリア一体での再開発をどのように行うのかを提案した時間は、今でも自分にとってかけがえのない経験になっています。

就職活動を経ていくつかの会社から内定をもらっていましたが、インターシップ時代に感じた社員の方々の仕事に対する情熱や大学院時代に東急グループの奨学金を受給していたご恩を感じていたことから、東急電鉄との縁を更に強めたいと思い、就職を決めました。

学びがあった1年間の研修期間


東急電鉄は、鉄道事業だけではなく、沿線を中心とした都市開発事業と病院、スーパーマーケット、ホテル、商業施設の運営等の様々な生活サービスを展開しています。また、ベトナムをはじめ海外でも多くのプロジェクトを実施しています。

私も入社当初は、ベトナム人としてのバックグラウンドが活かせると思い、ビンズオンの都市開発部門を志望していました。しかし、人事部との面談等沢山の方々と話していなく中で、日本の都市開発事業を輸出するからには日本での経験をまず培う必要があると思い、会社が特に力を入れている渋谷再開発事業に携わりたいと考えるようになりました。

私が入社した当時、新入社員は初めの6ヶ月間でグループ会社で研修する必要があり、残りの約6ヶ月間は鉄道の駅係員として研修をする必要がありました。この研修の背景には、会社の根幹事業である鉄道の現場を理解するとともに、お客様の声を直接伺うことでその後の本配属で様々な部署と円滑な連携をしながらお客様に寄り添う仕事ができる社員を育て上げたいという経営陣の想いがあります。また、横の繋がりを強化し、協調性を育むという目的で、新入社員は全員同じ寮に1年間住むことを求められました。

駅係員仕事として、改札の窓口でのお客様のサポートから、駅のトイレ清掃、ラッシュ時のホームでの扉の開閉合図、お客様へのご案内と乗車補助、泊まり勤務の係員の方々の料理作り、ベッドメイキング等幅広い業務を行いました。改札にいらっしゃるお客様が私の名札を見るや否や、「外国人とは話したくないので、日本人を呼んでほしい」と言われ、悔し涙を流すこともありました。 大学や大学院時代の同級生が世界を股にかけて活躍をしている仕事をしている様子を横目で見ながら、自分の向かう将来の道に不安を感じることも多々ありました。しかし、この経験は現場をしっかり理解することに役立っただけではなく、その後の人生において「あんなに辛かった時期を乗り越えたのであれば、もう怖いことはない」と自分を前向きにしてくれる助けにもなりました。

まちづくりをする上で、大事にするべきことを学ぶ


約1年間の研修期間後、本社に戻り、渋谷再開発事業部に配属になりました。一見華やかに見える仕事であるため、当時就活生が最も憧れる部署ではあるものの、実際には街づくりを行うにあたって連携をしなければならない関係者の数が他のエリアと比較して多く、国内外で注目を集めている街でもあるため、物事を進めるのに要する労力や時間が並大抵ではないことを身をもって知りました。

私が最初に担当した仕事は、10年以上も時間を要する駅前の再開発プロジェクトについて、街を訪れる人、住んでいる人に工事について理解をしていただき、工事中から街を好きになってもらえるようなPR・ブランディング活動や、より良い街を創っていくために国交省、東京都、渋谷区や関係企業と調整をし、エリア特有の屋外広告物事業、案内サインに関するガイドラインを作り上げる、渋谷駅前エリアを一体的にマネジメントするコーディネーターとしての業務でした。

先述したように、渋谷駅前再開発には行政機関だけでなく、地元に長く住まわれている方々や他の鉄道会社、デベロッパー等、多くの関係者がいます。全ての関係者が渋谷の街を良くしていきたいという想いはありますが、それをどのような方法で実現するのか、どの要素に思い入れを感じ、維持・発展していきたいのかはそれぞれの企業、団体、個人で考えが異なることもあります。時には一同を会議で集めるより、個々の考えを伺い、共通項が何なのか、どのような方法であれば持続的に皆で協力し街を創り上げていく必要があるのかを紐解いていき、すり合わせをする必要があります。これにはかなりの時間を要しますし、しっかり時間をかける必要があると考えています。時には、自分が実現したいことの20%〜30%のみが最終形態として世に出ることもありました。

難しい仕事だからこそ形になった時は言葉で十分に表せないような達成感を感じますし、仕事だけではなく人生においても大事なことを学べました。私の直属の上司は、

まちづくりコーディネーターの仕事をするときに最も重視するのは、企業のエゴでもなく、自分のプライドでもなく、自分が調整していることが本当にその街に良いことなのかの問いかけだと教えてくれました。その街にとって良いものは長期的な視点で見ると東急電鉄を含む関係者にとっての利益に繋がりますし、関係者間が今後もお互い歩み寄ろうという建設的な関係を作り上げます。100年に1度と呼ばれているこの再開発事業において、仮に調整事項が全部で10点あるのであれば、9点で相手に歩み寄る必要があっても、自分や会社にとって譲れない1点をしっかり守ればそれが「全体勝ち」に繋がるのだという上司の教えを仕事で常に実感していました。

家庭と仕事の両立


渋谷のプロジェクトを4年経験した後、2021年10月に宮益坂地区市街地再開発事業を担当することになりました。しかしその約10カ月後に、夫が会社の派遣でイギリスの大学院に留学することになりました。

私は生涯まちづくりの仕事に携わっていきたいと考えていますが、人生において一番優先するべきことはその時々によって変わっていくことは必然だと思い、会社を退職し、夫に帯同することにしました。幸い、会社には家族の海外赴任の帯同等自己都合ではない形で退職をする社員に対して、復職を確約する制度があるため、この2年間は夫のサポートをしながら現場に戻るためのエネルギーを蓄える期間だと認識しています。

現在、オンラインで日越医療通訳資格試験対策コースを受講しています。もともと司法通訳を副業としていましたが、更に医療知識を身につけ、将来のキャリアにおける選択肢を増やしたいと考えています。

さらに、2023年1月からロンドンの大学でまちづくりについて勉強をする予定です。イギリスの都市開発における住民との合意形成スキームや再開発の手法には学ぶことが多く、日本でもイギリスの先進事例を参考にまちづくりをしている所が多いです。このコースを通じて学んだことを日本に戻った際の仕事に活用できたらいいなと思っています。

メッセージ


人生は長いようで短いものなので、同じ毎日の繰り返しで終わらせずに、新しいことにどんどん挑戦しましょう。で

自分が慣れていることを繰り返せば、失敗をせずに、安定を得られますが、自分の潜在能力を引き出すことはできませんし、視野も狭められてしまいます。

あなたが体験したことはすぐに役に立たないかもしれませんが、その一つ一つの経験が点となり、長い人生の中で線として繋がっていき、あなたを成功に導いてくれるかもしれません。

ロンドン、2022年12月