レイ・コック・トアン

LE   QUOC   

TOAN

Profile & Message

2011年 来日し北九州YMCA日本語学校に入学

2013年     九州国際大学に入学~現在に至る(4年生として在学中)

2015年     芸能プロダクションのオーディションに合格、歌手として所属

意志と情熱を持ち、努力をして、自分自身に自信を持っていれば、無理なことはない! 

来日後の悪循環

4年前、ベトナムの高校を卒業して間もなく日本に来ました。当時、留学センターと日本語学校でビザ申請手続きを行っていましたが、ビザの発行には時間がかかるだろうし、もしかするとビザが取れないで日本に行けないかもしれないと思っていたので、日本語の勉強は全くせずに、

ベトナムの大学受験勉強に夢中になっていました。その結果、受験した2つのベトナムの大学に合格して、日本に行くビザも無事に取ることができました。母国で大学に進学するか、日本へ留学するか悩みましたが、将来性を考え日本へ留学することにしました。そして、その日からやっと日本語の勉強を始めました。

一か月ぐらい日本語を勉強して、2011年10月に日本に来ました。 来日後、初めてやったアルバイトは日本語学校の紹介で入った玉ねぎを加工する工場でのアルバイトでした。未だ日本語があまり出来ていなかったので、生活費と授業料を稼ぐための現実的なアルバイトでした。ベトナムの実家にいた時は両親に甘やかされていたので、日本で生活を始めた当初はかなり大変でした。しかし、自分で頑張るしかないと思い、毎日一生懸命工場で働きました。学校の授業も一度も休むことなく、何ヶ月もずっと頑張り続けました。

アルバイトと学校ばかりの生活を何ヶ月も繰り返していると、自分が悪循環に陥っていることに気づき始めました。授業は絶対に休まないように努力していましたが、クタクタになるまで働き、疲れが溜まっている状態で授業に出ていたので、授業の内容は頭に入らず、家に帰った後も宿題をやる気が出ずに、すぐに居眠りしてしまっていました。その結果、学校での成績が段々と落ちていきました。「①きつい仕事だけど一生懸命頑張って働き疲れが溜まる→②疲れが溜まっているから、日本語の勉強に集中できず日本語が上達しない→③日本語があまりできないので、いいアルバイトを見つけることができない→④給料が安くて力を使う仕事しか出来ない→①に戻る…。」といった具合です。 

自分の悪い状況に気づいた私は、このままではいけないと思い、この悪循環から抜け出す決意をして、思い切って母に連絡をしました。アルバイトの時間を減らして、日本語の勉強に集中する為、生活費と授業料の仕送りをもう少し増やしてくれとお願いをしました。母の金銭的な支援のおかげで、徐々にアルバイトの時間を減らして、日本語の勉強に集中できるようになり、日本語が少し上達しました。 数ヵ月後、日本語の勉強を頑張った努力が報われて、やっと初めて自分で新しいアルバイトを見つけることができました。それは、レストランの洗い場でのアルバイトでしたが、その後日本語が上達する度により良いアルバイトに変えて、レストランの洗い場から、ホールスタッフ、コンビニのレジスタッフ、百貨店の販売員、アパレル販売員、ベトナム語家庭教師、通訳等、幅広い分野でアルバイトの経験を積むことができました。

日本での芸能活動のきっかけ

 あっという間に日本語学校での1年半が過ぎました。日本語学校を卒業する時に、2つの大学と1つの短期大学、そして1つの音楽専門学校を同時に受験して全てに合格しました。更に、音楽の専門学校は、奨学生として学費を半分に免除してもらえる条件でした。ベトナムにいた時から、音楽が大好きだったので、音楽専門学校に入りたいと家族に相談しましたが、皆に反対されて、 安定的な仕事を手に入れるために大学に行きなさいと母に言われました。せっかく手に入れた奨学生を辞退するのが惜しくて、とても迷いましたが、自分の夢を実現するためにはまだまだ時間があるので、まずは母の期待に応えるべきだと決心しました。そして、音楽学校への入学を諦め、九州国際大学に進学することにしました。    

大学に進学すると、新しい友達、特に日本人の友達が沢山できました。日本語を上達させるために、そして、日本の社会や日本人の考えをより理解するために、大学の日本人の友達に話しかけたり、仲良くしたり、時間が合う時一緒に出かけたり、カラオケに行ったりしました。歌うことが大好きなのでとても楽しく、毎回新しい日本語の歌を覚えることが出来ました。今は、日本語の歌を1000曲以上歌うことができます。そして、いろいろな日本人の友達を通じて、日本の芸能界のことや、日本人の歌手、モデル、俳優さん等がどのようにして芸能界に参入し活動しているのかを知りました。

私の音楽に対する情熱が友達に伝わって、「歌も上手だし、日本の芸能界に興味があるなら、日本の芸能事務所のオーディションを受けてみたらどう?」と、友達に薦められて、オーディションを受けてみました。 初めてのオーディションは、超大手芸能事務所の新人発掘オーディションでした。受かった人に対する待遇が非常に良く、勉強の為ハリウッドに行くチャンスもあり、育成費も全て会社が負担してくれる、夢のような条件が揃っていた大人気のオーディションだったので、応募した人は皆個性あふれる若者タレントでした。案の定、私は落ちてしまいましたが、初めてのオーディションだったことと、元々このオーディションは非常に難しいと覚悟していたので、結果に落ち込まず次のオーディションに向けて練習を続けました。

そして、2回目のオーディションも東京に本社があり、福岡にも事務所がある大手芸能事務所が主催するものでした。オーディションはもちろん日本人限定ではなく、日本人・外国人を問わず誰でも参加できるものです。練習を休まずに続けた努力が報われて、一次選考を通過することができました。そして、二次選考、面接も次々と通過し、なんとその芸能事務所に所属することが決まりました。 2015年10月から日本の芸能事務所に所属して、芸能活動をスタートしました。

芸能活動への第一歩

歌手として入社しましたが、日本人の多様な嗜好を満たすために、ボイストレーニングだけではなく、演技、ウォーキング等もレッスンを受けています。映画、ドラマ、主題歌、バラエティー、ラジオ、CM等の仕事の話を頂ことがありますが、現在、学校も家も福岡にあり、授業もまだあるのでなかなか時間がとれず、チャンスを逃してしまったことが何度かあります。3年間頑張ってきた大学での学業は絶対に途中でやめたくないので、芸能活動と大学での勉強のバランスを取ることに注意をしていますが、来年大学を卒業したら、東京でも活動することができるようになります。芸能界では、25歳までに売れないとその後の進路が難しくなると言われており、私には25歳までの時間があとわずか1年間しかありません。

これからもいろいろなことが起こると思いますが、自分の夢に少しずつ近づいていると感じているので、どんな困難でも乗り越えられると思っています。4年前日本に来た時にまさか現在のように夢に近づけるとは全く思っていませんでした。当時は外国人が日本の芸能界に参入できるなんて絶対に無理だろうと思っていました。しかし、ある日本の有名なお笑い芸人とバラエティー番組に一緒に出演した時、胸にベトナムの国旗を貼り、日本人の観客にベトナムについて紹介することができました。言葉で表せないほど嬉しかったです。この情熱を大切にして、この調子で頑張り続ければ、25歳までに売れることも、きっと不可能なことではないと確信しています。 

メッセージ

困難なことを乗り越える志を持って、努力を惜しまず、自分自身に自信を持って行けば、無理なことはないでしょう。

しかし、日本で自分の夢を実現するためには、まず初めに日本語をしっかり勉強しておかないとダメです。芸能界で活躍したい人も、会社員として仕事したい人も皆一緒です。

勉強できる時はしっかりと時間を確保して日本語を勉強してください。自分の情熱を忘れずに毎日頑張ってください。

芸能活動の履歴

♪ 雑誌(Area, Star等)に出演 

♪ ドラマや映画、バラエティー番組等に出演  (福岡恋愛白書、オオカミ少女と黒王子、ロンプク淳等) 

♪ 歌手として各種イベントに出演 ・カメラモデルやサロンモデルとして出演

福岡、2016年5月