レ・フン

LE   HUNG

Profile & Message

2002年 貿易大学卒業

2003年     旅行会社の非常勤ツアーガイドとして働く

2004-2006年   ハイフォンのサッカークラブでマーケティングを担当

2007年-2010年      来日して技能実習生の組合で通訳・翻訳を担当

2011年-2015年     Jvnet会社の在日駐在任務、1080 Japanサポートセンター設立

日本に住んでいるベトナム人たちがより団結して、お互いに協力し合えるコミュニティーとなり、一人ひとりの成長をサポートできる存在になる夢を持っています。それを現実化させるために、日々努力をしながら、コミュニティーに役立つ活動をしていますので、皆さんも一緒に、協力し合える、助け合える環境を創っていきましょう。

日本語との縁

私と日本語との縁は18年前、母国ベトナムの貿易大学に入学した時から始まりました。当時の貿易大学の日本語学生は皆熱心で、期末試験では1点ずつを競争しあいながらも、少ない参考資料を互いに分かち合って、2年間でJLPT2級を取れるように仲良く頑張っていました。その中で、私だけが毎回日本語の期末試験に合格できず、今のトレンドは英語だから…と、言い訳をしながら再試験を受けていました。

日本語が上手だと評価されている貿易大学の学生でも、当時は実際に日本人と話すチャンスがなかったので、漢字と文法はよくできていましたが、会話力は

日本語でお金を稼ぐ

 2002年頃、日本人の人気旅行先が徐々に東南アジアに移り、シンガポール、タイに次いでベトナムも日本人に人気の旅行先になってきました。日本人観光客の急激な増加に伴って、日本語が話せるツアーガイドに対するニーズも高まり、多くの日本語学生がそのチャンスを掴み、ガイドの仕事に挑戦しました。

私も知人の紹介で、非常勤としてハノイの旅行会社でガイドの仕事を始めました。それをきっかけに、一生懸命日本語の会話と聴解を練習しはじめました。それぞれの観光スポットをスムーズに案内できるように、案内文章を全て暗記して覚えようとしました。そして、仕事を始めて1ヶ月が経った時には、バイクを一台買えるお金を手に入れることができました。中国製のものでしたが、品質がとても良くて、かなり長持ちしました。頑張って日本語を勉強して仕事をしたおかげで、ずっと欲しかったバイクを手に入れることができて、日本語勉強に対するモチベーションもグッと高まりました。明確な目標が目の前にあると、人はより効果的に勉強できると改めて思いました。

ガイドツアーが絶好調な最中に、SARSが急に流行しました。その影響で観光客は激減し、ガイドの仕事はなくなってしまいました。そして、仕事を失った私は自分を助けるため、土木業界の通訳にチャレンジしました。

 ODAのバイチャイ橋建設プロジェクトは、私の土木業界でのデビュープロジェクトとなりましたが、毎日難しい技術のことばかりで本当に大変でした。しかし、そのおかげで、日本語のみならず、絶対に遅刻をしない、きちんと挨拶をする、タイムリーに詳しく報告する等、日本人の働き方も自然と身に付きました。大学を卒業して間もない時期に、このような大変な仕事を体験できたからこそ、その後どんな仕事にも向き合えるようになったのではないかと思います。

イマイチでした。 4年生の時、クラスの皆で避暑地に旅行に行き、そこで偶然日本人の生物学研究者に会いましたが、JLPT1級を持っている人でも、なかなか日本人とは上手くしゃべれず、当然私も上手く会話ができませんでした。会話力と文法力、読解力がこんなにも違うのかと初めて実感し、悔しい気持ちを味わったことは今でも忘れません。

このように、他の友達と4年半大学で日本語を勉強しましたが、期末試験には1回も合格することなく、2級相当の日本語レベルで貿易大学を卒業しました。

日本へ踏み出す

大学時代の友達が徐々に日本へ留学するようになり、私もいつか日本へ行きたいと思うようになりましが、私の父は1999年に交通事故に遭って以来、体が全く動かせないので、父を想う度に日本への夢を後回しにしていました。日本語を勉強したからには、日本の文化を一度でも体験したく、技能実習生としてでも日本へ行こうかと思ったこともありました。

ベトナムで安定した生活をおくるか、自分の夢に向き合うか、迷いながらも故郷のハイフォン市に戻り、2年間プロのサッカークラブで英語を使った仕事をしていました。

しかし、日本語の縁がなかなか切れないのか、ハイフォンの大きな造船工場が日本とのプロジェクトを開始することになり、プロジェクトの最後の1年間に日本語通訳者として選ばれました。そして、それをきっかけに再び日本語を使った仕事に就くようになりました。2007年にハノイへ戻り、非常勤のツアーガイドをしながら、技能実習生の送出し機関で働きました。

 2008年5月、ついに日本へ行くチャンスが巡ってきました。その日、日越語通訳者を採用したい日本人の社長が、“人材確保に困っている”と、私の会社に相談に来ました。私の会社の社長がたまたま忙しくて対応できなかったので、私が代わりにその日本人の社長を接待することになりました。ツアーガイドの経験があったおけがで、無事に接待できましたが、それよりも日本人の社長は私のことを気に入ってくれたようでした。翌日、その日本人の社長から、「日本で働きたいですか?」と言われた時には、半信半疑ながらも、「日本で働きたいです。」と、はっきり答えました。3日後、私の手元に労働契約書が届き、6月初旬に在留資格が下りました。

何年も夢に見ていた日本にやっと行けることになりました。やっと夢が叶ったことで嬉しい半面、9年間いくら治療しても体はずっと動かず、心臓だけが動いている父のことが心配でなかなか決断できませんでした。そんな悩んでいる私を見て、母がこう言ってくれました。「行ってきなさい。自分が学んだことを活かしなさい。このままじゃ、せっかく身に付いたことをいつの間にか全て忘れてしまうし、将来後悔してしまうよ。お父さんも、きっとあなたに自分の夢を叶えて欲しいと思っているはずよ。ずっとここにいて、お父さんの体を拭いたり、ご飯をあげたりするよりも、日本に行ってたくさん稼いで、お父さんのためにいい薬を買って来きなさい。それは一番の親孝行だよ。」と。

母のアドバイスを聞き、やっと日本へ行くことを決断できました。日本へ行く前に、父をグッと抱きしめましたが、なぜかこれが最後になるだろうと感じました。

そして、私が来日して2か月後、父は亡くなりました。父の最期を看取ることはできず、葬式にしか間に合いませんでした。父にいい薬を買うために働くというモチベーションが急に失われ、私は長い間ずっと落ち込んでいました。

仕事で解消

父が他界した悲しさを忘れるために、仕事に没頭しました。すぐに終わらせなくてもよい仕事を全てこなし、お願いされなくても人の仕事を手伝おうとしていました。

 2008年に日本に来てから2015年まで、仕事を通じて何万人ものベトナム人労働者の人生の話を聞きました。彼らは全財産をかけて来日し、家族と離れ離れの生活を我慢しながら、日本で就職するチャンスを手に入れようとしましたが、情報が足りないのでいろいろな問題に直面していました。

日本の文化、日本の社会を理解していないことが原因で、様々なトラブルに直面しているベトナム人労働者を助けことが、ここ7年間の私の主な仕事でした。彼らの話を聞き、一緒に悩んだり、寂しい時には共に泣いたり、楽しい時には共に笑ったりしてきました。そして、彼らの話を聞く度にいつも同じことを思いました。「どうすれば、ベトナム人の労働者たちが、厳しいルールの多い日本社会に早く馴染めるのか?」ということです。

 ベトナム人は勤勉で、素晴らしい学習力を持っているので、自分の能力を正しく発揮できれば一緒に国を発展させることができると強く信じています。7年間、技能実習生に関わる仕事をしてきて、たくさんの優秀な技能実習生に出会えました。毎日の仕事が大変でも熱心に取り組み、一言も文句を言わずに、3年間で職場や日本の良いところをできるだけたくさん学ぼうとしていた人たちです。自分の努力で自分の悩みを解決して、ベトナム帰国後に会社を設立した人もいます。

自分のアドバイスはほんの僅かでしたが、彼らの成長に役に立てたと気付いた時には、言葉では表せないほど幸せでした。しかし、人には力も時間も限界があります。いくら頑張ったとしても、直接会って助けられる人数には限りがあり、もっとたくさんの人を助ける方法はないかと考え始めました。

1080サポートセンターの誕生

2015年7月、思い切って通訳の仕事を辞めて、日本全国のベトナム人技能実習生向けに、無料の生活コンサルティングサービスを提供する「1080サポートセンター」を設立しました。いくら頑張っても、直接会って話す方法だと人数が限られてしまうので、より多くの人をサポートするため、オンラインで活動すればたくさんの人に情報を届けることができ、より効果があるのではないかと考えました。

皆さんからの質問を正しく詳しく説明するためには、英語や日本語で情報を検索したり、税務署や入管、仲介会社などに直接電話をして、色々と調べています。質問した本人に分かりやすく回答すると同時に、より多くの人に情報をシェアするためにコミュニティーページも開設して情報を発信しています。

1080サポートセンターのおかげで、私の知識も豊富になってきました。そして、英語力も日本語力も質問された内容を調べる度に磨かれています。努力が報われて、1080サポートセンターのユーザーさんから多くの感謝の声を頂けて、今では多くのベトナム人労働者に1080サポートセンターの存在を知ってもらえるようになりました。1年間365日、19時~26時まで休まずに皆さんからの問い合わせに対応しようと真剣にやっていますが、一度も疲れたと感じたことはありません。多くの労働者の皆さんに信頼され、一緒に肩を並べて、問題を乗り越えるために活動することの幸せが、その疲れを上回っているからです。

 一人ひとりの人生は小説だと言われていますが、皆さんといろいろと分かち合うことで、素晴らしい小説をたくさん見ることができました。今、日本で勉強している留学生や働いている技能実習生が、正しい情報を知って、正しい方向性に進めれば、目指している夢を叶えることができると確信しています。

日本に来て、たくさんのコミュニティー活動を体験させて頂きましたが、一つ大きな夢があります。それは日本に住んでいるベトナム人たちがより団結して、お互いに協力し合えるコミュニティーとなり、一人ひとりの成長をサポートできる存在になることです。それを現実化させるために、日々努力をしながら、コミュニティーに役立つ活動をしていますので、皆さんも一緒に、協力し合える、助け合える環境を創っていきましょう。

東京、2016年6月