ゴ ・  ヴァン  ・トゥン

NGO   VAN   TUNG

Profile & Message

2011年 土木大学入学

2014年1月   日越土木技術者交流促進センター(CJV)※で

インターンシップ

2014年10月 埼玉大学で交換留学生プログラムに参加

2015年 母校で開催した日本語学習・就職プロジェクトに参加

2016年     日本の建設会社から内定をもらう

2017年   来日

「生きる」ことは、自分自身を探す旅です。想像だけで夢を描いたり、インターネットやテレビだけの情報で世界を知ることは十分ではありません。自分の世界から飛び出してチャレンジし、どんどん前に進んでいきましょう。新しい世界には、私たちが想像できないほど素晴らしいことが待っています。

私と日本との縁

2013年に行われたハノイでの国際カンファレンスに先輩から誘われて参加したことが私にとって最初の日本との縁でした。その時、私はカンファレンスの手伝いとして参加し、ちょうど東京大学もそのカンファレンスで展示ブースを出展していました。私は得意な英語を使って日本人と話をしようと意気込んで行ったのですが、そこにいた他のアシスタントたちは、英語はもちろん、他の言語も話すことができ、とてもショックを受けました。みんながいくつもの言語を習得していて凄い、こんな風になりたいと憧れの気持ちを抱く一方で、自分はみんなよりもできないことに劣等感を覚えました。しかし「自分はできないのではなく、まだ勉強していないだけだ。これから頑張れば自分もできるようになる。」と思い直し、自分が他の言語を勉強できるセンスがあるのかを試すために、その場にいた先輩たちからドイツ語やイタリア語などを教えてもらいました。


たまたまその時にいた東京大学の女子学生がいて、親切に日本語の基本的な言葉をいくつか教えてもらいました。日本語を教えてもらっているうちに、その魅力に気づき、日本語に興味がわきました。帰宅してから日本語を勉強しようと思い、インターネットで日本語の言葉について調べ始めました。そしてその翌日には簡単な挨拶程度の日本語はわかるようになり、難なく日本語を覚えていきました。

しかし、世の中そんなに甘くありませんでした。日本語には、ひらがなやカタカナ、漢字などたくさんの種類の言葉があり、文法も複雑で難しいです。最初は簡単に思えた日本語の勉強もだんだん難しくなっていき、壁にぶつかり、勉強が嫌になってしまいました。

その国際カンファレンスが終わってから、私は「日越土木技術者交流促進センター(CJV)」にインターンシップ生として入りました。そこで、カンファレンスやセミナー開催の準備や、日本企業の書類作成の手伝いを行いました。

私はこの時期、自分のやりたいことをやっていたのでやりがいを感じていました。しかし、数か月経つにつれ、インターンシップと学校の勉強の両立が大変になっていき、途中で諦めたいと思い始めました。けれども、このセンターの制度には、日本留学の奨学金の制度があり、ここで諦めたら日本へ行くチャンスがなくなってしまうと思い、辛くても頑張り続けました。この努力が報われ、2014年10月に2週間の日本短期留学の奨学金をもらい、埼玉大学へ交換留学プログラム生として日本留学することができました。

初めての日本は、人や生活の面で印象深いことがたくさんありました。例えば、道路を走っている車の騒音がなく、公共の場でも騒いでいる人もいなくて静かであること、人々も親切でマナーも良いことなど、たくさんの良い思い出があります。

私は埼玉県に住み、埼玉大学へ通っていました。埼玉大学では、研究のアシスタントや英語でレポートの作成の手伝いなどを行いました。日本での生活はとても楽しかったです。最初の夜には自宅の近くの埼玉の街をずっと散歩をし、土曜日の夜には埼玉から新宿へ自転車で行きました。そんなことやって…と思われるかもしれませんが、それほど日本での生活が楽しく、ワクワクしていたのです。この短期留学の2週間を終えてベトナムに戻ってから、私はもう一度、日本へ戻りたいと思っていました。

日本へ戻る長い道のり

日本へまた戻るという夢を抱いてベトナムに帰国後、引き続き日越土木技術者交流促進センター(CJV)でインターンシップをし、英語と日本語も続けて勉強しました。願わくば、奨学金をまたもらい、東京大学や埼玉大学へ留学したいという気持ちがあり、夢や希望にあふれていました。

しかし、大学4年生の時、ベトナムのある建設会社で現場の仕事を経験しました。この経験後、留学の夢を置いて、別の道に行った方がいいのか、それともこのまま留学のために頑張り続けるべきなのか、色々と悩んだ結果、別の方向へ進んでみることにしました。少し残念ですが、とても悩み続けて出した結果なので、後悔はしていません。


大学5年生に進級する日の前日に、私をずっと応援してくれていた教授と話すチャンスがありました。先生は私が日本留学への夢を抱いていることをご存じで、留学ではなく、エンジニアとして日本企業に就職して日本へ行くのもいいのではと別の道も示してくれました。

ちょうどその時、土木大学で「日越人材開発雇用促進プロジェクト」が始まりました。このプロジェクトに参加すれば日本語を勉強することができるだけでなく、日本の建設会社と面接する機会や日本で働けるチャンスがあると知り、参加することに決めました。

振り返ると、この時期は今までで一番、自分の将来について真剣に考えていた時期でした。このプロジェクトで日本語の勉強しつつ、自分の卒業プロジェクトの研究も行い、同時に会社の面接も受けなければならなかったので、とても忙しい日々でしたが、私には諦める気持ちはみじんもありませんでした。そして1年後、面接を受けた日本の建設会社から内定をもらい、また日本へ戻るチャンスを手にすることができました。

日本での生活や仕事、人と立ちはだかる壁

2017年の初旬、私はN3の日本語能力とベトナムで半年働いたという経験を胸に来日しました。日本に降り立つまで持っていた少しの自信やプライドも、来日初日には、日本語の難しさとカルチャーショックで打ち砕かれました。私は土木大学のプロジェクトで日本語を勉強してきましたが、どこに行っても簡単な言葉しか言えず、買い物したくても人と話せず、仕事の現場ではそこで一緒に働いている人たちが何を話しているのかわからないといった状況で、私はただただ無力感を感じていました。加えて、日本に来てからは一人暮らしになったので、家族と会えないことでホームシックになりました。空港に着いたとき、自分の住む家にはインターネットがあると思っていたので、その場で家族に連絡は取りませんでしたが、家にはインターネットがなく、連絡がその日に取ることができなかったので、家族も私のことを心配していました。

ベトナムには「物事は難しいことから始まり、徐々に順調に進んでいくものだ(千里の道も一歩から)」という意味の言葉がありますが、前回の日本短期留学プログラムで来日した時と打って変わって、大変なことや辛いことが多く、自分が抱いていた理想と現実とのギャップを痛感しました。


入社してから最初の1カ月は、午前中は会社の研修で専門知識の勉強、夕方は日本語学校で日本語の勉強といった生活を送っていました。日本語はなかなかすぐには上達しませんでしたが、少しずつ勉強していきました。2か月を過ぎてから、会社で他の日本人と一緒に山で生活をするという研修がありました。その研修では、みんなが一つの部屋で生活をし、毎朝5時半に起きて体操し、いろいろな研修を行いました。他の日本人と一緒に生活していく中で友達ができ、この研修に参加してよかったと感じました。

本当の大変さは、4月から味わうことになりました。4月から現場配属となり、実際の仕事が始まったとたん、ショックを受ける日々でした。現場で一緒に仕事をする人たちが話していることがわからない。会議での内容も何を言っているのかわからない。作業員から質問されても何を聞かれているのか、どう答えたらいいのかわからない。「日本語」の壁が立ちはだかり、私はいつも落ち込んでばかりいました。日本語で何を言っているのかわからないときは、先輩がその都度通訳してくれましたが、いつも先輩がそばにいるわけではありませんでした。作業員の人たちから質問されたときに答えることができず、作業員の人からは「この人に仕事を任せて大丈夫だろうか」という不審な目で見られることもあり、私はただ自分の無力感でいっぱいでした。私は作業員の人たちが嫌いなのではないのです。仕事がつまらないのでもなく、日本での就職を後悔しているのでもないのです。ベトナムではこんなに頑張っていたのに、なぜ日本ではできないのか、日本語がわからないことがとても辛く、正直、何度も仕事を辞めよう、日本での生活を諦めようと思いました。

この辛い時期は2か月続きました。しかしこのままではダメだ、自分の考え方を変えて日本語を集中的に勉強しようと気持ちを切り替えました。Youtubeで日本語の動画を見たり、通勤時にラジオを聞いたり、マンガを読んだりして日本語に触れる機会を多く作りました。仕事においては、自分から先輩にお願いして先輩の仕事を手伝わせてもらい、少しでも早く仕事を覚えるようと思いました。また、先輩の通訳なしに、小さいことも積極的に作業員の人たちと話すそうと心掛けました。専門用語を覚えるために建設関係の本を買って勉強もたくさんしました。この地道な努力を積み重ねていったおかげで、日本語も上達し、少しずつ物事がうまく進むようになりました。私はこの経験を通して、仕事でも日本語でも、自分が本当にやりたいこと、なりたい姿があるなら、自分から行動に移さないとできないのだと学びました。仕事にも徐々に慣れてきて、少しずつ自分のできることが増えてきました。しかし、そうは言っても入社してからの3~5か月は、毎朝6時に家を出て、帰宅は夜の11時だったこともありました。しかし、努力すればいつかは報われると思っていたので、大変なことも頑張って乗り越えました。


私は神奈川の会社の寮に住んでいて、仕事の現場まで1時間半通勤でかかります。日本人にとっては1時間半の通勤時間は大したことないと感じるかもしれませんが、私にとっては慣れない場所で、通勤時間も長くかかり大変だと感じていました。一度、現場の近くに引っ越そうとも考えましたが、会社の寮は安く、節約もできるので、結局、引っ越しませんでした。

日本にいるベトナム人の友達も散らばって住んでいるので、会える頻度は1カ月か2か月に1度でした。時々はホームシックになることや、ベトナム料理を食べたいと思うこともあり、そんな時は池袋にあるベトナム料理のレストランへ行きました。そのレストランには、ベトナム人の友達だけでなく、会社の同僚とも行きました。一緒に食事をしてわかったことは、日本人もベトナム人と同じくお酒を飲むことが好きで、一緒にお酒を飲むことで仲良くなることができることです。仲良くなるとお互いのことをもっと知ることができ、仕事がしやすくなりました。つまり、コミュニケーションを取ることはとても大切なことだとわかったのです。いろいろな人と積極的にコミュニケーションを取っていくうちに、同僚からベトナムに連れて行ってほしいと言われるほど、私の周りの人たちもベトナムのことを好きになってくれるようになりました。最初、日本人は冷たい人たちだと思っていましたが、自分からコミュニケーションを取ってみると、みんな親切で優しい人たちばかりだとわかりました。

メッセージ

日本に来たベトナム人の多くは、様々な壁にぶつかります。言語や生活、お金、コミュニケーションの問題など、いろいろな壁があります。しかし、これは日本だけに限らず、どこにでも壁はあります。チャンスが転がっているところには、必ず壁が立ちはだかっています。この壁を乗り越えることができると、少しずつ物事は上手く進むようになります。

日本にいるみなさんが壁を乗り越えるために必要なことは「日本語」です。言葉がわかれば自信を持って生活することができます。自分からコミュニケーションを取ると周りの人たちと仲良くなることができます。なので、日本語は頑張って勉強しましょう。

日本、2018年8月