ドン ・ティ ・ハー
DONG THI HA
ドン ・ティ ・ハー
DONG THI HA
Profile & Message
2017年10月 留学生として来日し、三峰日本語学校に入学
2019年4月 日本健康医療専門学校 ライフデザイン学科に進学
2020年~2021年 学校内で行われたブロンズ天王山賞(弁論大会)および校長賞を受賞
日本語能力試験 N1 合格
2021年~2024年 福島大学 経済経営学類に入学
ふくしま未来研究会奨学金 奨学生(2021年~2022年)
ロータリー米山記念奨学生(2023年~2024年)
2025年4月 東京ガスiネット株式会社に正社員として入社
人生が厳しくなると、どれだけ努力しても夢に届かないのではないか、諦めることが最後の選択肢なのではないかと思うことがあります。しかし、そうした試練こそが意志を鍛えてくれるものです。あともう少しだけ辛抱強く歩みを進めれば、自分が確実に目標に近づいていることに気づくはずです。諦めることは簡単ですが、粘り強く続けることこそが、素晴らしいものにたどり着く力となります。
日本への旅立ち ― 18歳の転機
高校2年生のとき、友人に誘われて近所の留学センターで日本語を習い始めました。週1回、軽い気持ちで通い始めただけでしたが、気づけば高校卒業まで続けていました。そのうち「本当に日本に行ってみたい」という思いが強くなり、両親を説得する日々が始まりました。父は「勉強とアルバイトの両立は大変すぎる」と心配して反対しましたが、何度も話し合い、手紙まで書いて想いを伝え続けた結果、ついに「日本で苦労してきなさい」と背中を押してくれました。
高校卒業後、日本語学校に入学しました。持ってきたお金は限られていたため、来日してすぐにアルバイト探しを始めました。日本語力の不足から何度も面接に落ちましたが、10日ほど経った頃、タウンワークで見つけたラーメン屋に採用してもらうことができました。
最初の仕事はホールスタッフとして働きました。注文を取ったり、片付けをしたり、ラーメンを運んだりして、慌ただしかったです。日本語はたどたどしく、店長やお客さんに叱られることもしょっちゅうでしたが、なんとか続けることができました。今思えば、本当に無謀だったと思います(笑)。
ラーメン店でアルバイト
当時はまだ留学生ビザの更新も厳しくなく、アルバイトで長時間働く学生も多くいました。昼は学校、夜はアルバイト、授業中に眠ってしまう人も珍しくありませんでした。私も同じように働きづめの日々でしたが、授業中だけは寝ないと心に決めていました。毎日は「働く・学ぶ・学費を払う」の繰り返しでした。そんな生活がずっと続くと思っていた矢先、ある先輩との出会いが、私の人生を大きく変えていくことになりました。
大学への道 ― 21歳の転機
あの先輩との出会いがなければ、日本留学試験(EJU:Examination for Japanese University Admission for International Students)や国公立大学進学や奨学金の存在を知ることもなかったと思います。本当は調べれば簡単に見つかる情報だったはずなのに、当時の私はアルバイトに追われ、自分に自信もなく、「自分には無理だ」と勝手に思い込んでいました。
EJUのことを知っていても挑戦する勇気がなかったのは、その思い込みのせいでした。でも、毎日アルバイトだけで疲れ果て、学費を払うためだけに働く生活を続けるわけにはいかないと気づきました。そこで私は心に決めました――絶対に国公立大学に合格すると。
すでに語学学校に通い始めて1年半が経っていたので、進学予備校に入り、大学受験の勉強を始めました。それでも生活費と学費を稼ぐためにアルバイトは欠かせず、勉強と仕事の両立は人生で一番苦しい時期だったと思います。EJUは日本語だけではなく、数学や社会、英語、小論文や面接まで求められる試験です。夜遅くまでラーメン屋で働き、帰宅後は深夜2時から3時まで勉強する日々を送っていました。体は疲れ切り、点数も思うように伸びず、心が折れそうになりました。
最初の年、静岡大学と静岡県立大学を受験しましたが、どちらも不合格でした。合否通知を受け取った日、狭いアパートの部屋で何時間もただ座り込み、涙が止まりませんでした。「もうやめたい」と思った瞬間もありました。
それでも、友人や先生、そしてアルバイト先の店長からの温かい励ましの言葉が、再び立ち上がる力をくれました。「頑張っていれば、必ず支えてくれる人がいる」――そう実感したのです。二日後、私は新しい目標をノートに書き直し、もう一度、一から挑戦することを決意しました。
専門学校2年目。生活は相変わらず勉強とアルバイトの繰り返しでしたが、今度は心に確かな自信がありました。そして不思議なことに、本気で決意したとき、周りの環境も味方してくれるように感じました。
その結果、念願の国立大学に合格し、さらに奨学金もいただくことができました。そのとき心から思いました。「努力すれば、夢は必ず近づいてくる」と。
私は福島県立大学の経済経営学類を進学先に選びました。けれど、大学合格はゴールではなく、新たなスタートにすぎません。そこからまた、多くの挑戦や出会いが私の人生を大きく変えていくことになるのです。
ボランティアに参加
大学での活動
就職への道 ― 25歳の転機
福島のキャンパスは丘の上にあり、毎日階段を上るのは大変でしたが、その景色さえも私にとっては特別でした。大学4年間は、学校や「ふくしま未来研究会奨学金」、ロータリー奨学金のおかげで、アルバイトに追われることなく、学びや交流、スキルを磨くことに集中することができました。
奨学金を授与され、奨学金授与式でスピーチをするハーさん
大学3年のとき、私は進路をIT分野に決めました。情報系出身の学生と比べると就職活動は不利でしたが、「意志と熱意を伝えれば必ず通じる」と信じて挑戦しました。
とはいえ、就職活動は大学受験に負けないくらい険しいものでした。書類選考や面接に落ち続け、ストレスで「自分は道を間違えたのでは」と悩んだ日も少なくありませんでした。
そんな中でご縁をいただいたのが東京ガスiネット株式会社 です。最終面接で部長からかけられた言葉を今でも鮮明に覚えています。
「ハーさんは努力家で、自立心があり、しっかりとした考えを持っています。数々の困難を乗り越えて今日まで頑張ってきた姿勢を、私たちは高く評価します。」
その言葉を聞いた瞬間、7年間の留学生活で積み重ねてきた苦労や涙がすべて報われたように感じました。「努力は決して無駄にはならない」――心からそう思えたのです。
18歳で日本に来たばかりの頃、戸惑いと不安の中で何度も涙を流しました。それでも諦めず、後悔せず、目標を見失わなかったからこそ、一歩一歩夢を現実に変えてこられました。
私にとって「学び」に終わりはありません。これからも毎日少しずつ自分を磨き、小さな目標を積み重ねて大きな目標へと近づいていきたいです。そして今、東京ガスiネット株式会社 の一員として新たな挑戦を続けられることを、心から幸せに思っています。
メッセージ
これまでにどれほどのアルバイトを経験してきたのか、自分でも覚えていません。冬の冷たい空気の下でお客様のためにブランド品を買うために何時間も並んだこともあります。そのときは「どうして私、日本でこんなことしているんだろう」と思いながらも、思わず笑ってしまいました。
コンビニで働いていたときは、お客様からのたった一言の「ありがとう」で一日中幸せな気持ちになれました。障がいを持つ子どもたちのお世話をしたときには、大変なことも多かったものの、震える字で「ハーさんが大好き」と書かれた小さな手紙をもらった瞬間、すべての努力が報われたと感じました。
ひとつひとつの仕事が私の成長のかけがえのないピースとなり、今の私をつくってくれました。かつては自分を信じられなかった私ですが、挑戦を重ねる中で「できない」と思っていたことを一つずつ乗り越えてきました。そして何よりも大切なのは――私は諦めなかった、ということです。
これから夢を追いかけようとしている人や、留学を考えている人に伝えたいことがあります。困難は必ず訪れます。時にはもう無理だと思う瞬間もあるでしょう。でも、諦めずに歩み続ければ、その道のりはやがて、あなた自身の美しい物語になります。
もしあのとき私が諦めていたら、今ここでこの物語を語ることはできませんでした。だからこそ伝えたい――どうか諦めないで。夢は必ず、あなたのもとへ近づいてきます。
東京、 2025/09