グエン・ フー・マン・コイ

NGUYEN HUU MANH KHOI

Profile & Message

2007年 ホーチミン工科大学 材料工学科 入学

2009年  来日、MEXT奨学金で1年間日本語を勉強

2010年          九州の高校専門学校 材料学科 入学

2013年          東京農工大学へ編入学 材料学専攻

2016年        KOI FAMILY 株式会社を設立

好きなことを続ける意思と目標を持っていれば、どんな環境でもそれを続ける方法が見つかります。皆さんも自分の趣味や本当の目標を見つけ、それを獲得する方法が見つかることを願っています。途中で様々な困難があると思いますが、困難はチャンスでもあります。「やりたければ、やり方が見つかる。やりたくなければ、理由が見つかる」これが自分のストーリーを通じて皆さんに伝えたいメッセージです。

来日後の生活

ホーチミン工科大学一年生の時にMEXT奨学金に合格したことがきっかけで、2009年に初めて日本に来ました。奨学制度に合格した時はとても嬉しかったですが、当時ミュージックバンドの一員として活動していたので、メンバーと離れることを考えると少し寂しかったです。来日して1年目の生活は東京で順調に経過しました。私は社交的でアクティブな性格なので、交流活動に積極的に参加していました。当時、同じ奨学生のほとんどが奨学金で勉強や家族への連絡手段としてパソコンを買いましたが、私は自分の趣味を充実させるため、楽器を購入しました。

来日2年目には、九州の高等専門学校に合格しました。東京の友だちとも別れ九州での新生活が始まりました。九州はベトナム人が少なく、私の学校では自分以外にベトナム人は誰もいませんでした。生活が退屈にならないよう、学校の水泳サークルに参加し、暇な時間には楽器の練習する日々をおくりました。同時に音楽制作について調べ始めました。音楽に多くの時間を費やしていましたが、学校での勉強も頑張っていました。楽器の練習や音楽制作は趣味として行っていました。

ターニングポイント

九州の高等専門学校で2年間勉強し、2013年に東京農工大学に編入学しました。再び活気のある東京での生活に戻りましたが、今回は奨学生ではありませんでしたので、新たな挑戦に直面することになりました。来日してからそれまでは奨学金があったので、生活費の心配はなく、勉強と趣味に時間を費やす生活をおくってきましたが、東京へ戻ってからは学費や生活費を担うため、アルバイトを2、3掛け持ちしました。もちろん他の奨学金制度に応募するため大学での勉強ときちんと両立させました。

東京に戻って最初の6カ月は、大学の勉強やアルバイトが多忙で睡眠時間は毎日3~4時間しかありませんでした。時間が足りない日々が続いたので、音楽を辞めようと考えた時もありました。しかし、「忙しいからと音楽を諦めたら、いつまたやり直せるか分からない!」と思い、音楽は辞めない決心をしました。勉強やアルバイトのシフトがギッシリと組まれていましたが、残りのわずかな時間を音楽の練習に使いました。

運良く、東京農工大学には65年の歴史を持つ有名なピアノクラブがあったので、勉強とアルバイトの生活が安定しだした頃にクラブへの参加を申込みました。クラブでの活動を通じて、音楽について新たな見方や、学生イベントの計画・運営についての知識を得ることができました。

どんなに忙しくても音楽を辞めないことを決意したことで、勉強・アルバイト・音楽という3つの大事なことをきちんとこなすための時間管理を身に付けることができました。

大学のクラブでは、一学期終了ごとにメンバーが自分たちで小さなコンサートを開きました。皆さんと一緒にコンサートに参加したおかげで、コンサート開催について経験を積むことが出来ました。コンサートが成功したことを間近で見て、改めて組織やリーダーの役割の大事さを実感しました。そして、在日ベトナム人のために音楽活動ができる場をつくる意欲が湧いてきました。

新しい仲間との出会い

2013年6月にVYSA(在日ベトナム学生青年協会)が開催する「VYSA GOT TALENT」というベトナム人向けタレントサーチイベントがあり、夢を実現化するきかっけになりました。主催者は以前からの知り合いで、私は音楽知識があったこともあり、イベントの音響・照明の担当を頼まれました。大学のクラブで経験したことや知識を活かせるチャンスだと思い、時間を調整して参加しました。

イベント開催には、プログラム計画、スポンサー獲得、参加者募集、ステージ設営、音響や照明、動画撮影など様々な工程がありますが、それらについて皆経験がありませんでした。自分たちで調べて、皆で新しいアイディアを出し合い取組みました。VYSAにとってタレントサーチイベントの開催は初めてでしたが、ベトナムの若者向けの新しいエンターテイメントの礎を築くことに成功しました。このプロデュース経験を通じて、日本で音楽に関するイベントを開催することへの興味が強まり、もっと挑戦したいと思うようになりました。

また、イベントを通じて共通の趣味を持つ人たちと友達になり、東京でベトナム青年向けの「Koi Music Club」を作りました。音楽好きの人たちの交流の場として集まる音楽クラブです。メンバーのモチベーションを高め維持するために、VYSAイベントや地域のフェスティバル等で演奏する機会を作りました。そして、それらは、勉強やアルバイトで多忙な生活をおくるメンバーの皆さんが趣味を維持するための原動力となり、皆さん熱心に練習に取組みました。

夢を追いかける決意

Koi Music Clubが誕生して1年半が経ち、発足当所は数人だったメンバーもアマチュアからプロの人まで多くのベトナム人が参加するようになり、川崎のベトナムフェスティバルで成功を収めることができました。しかし、2015年に中心メンバーが就職やベトナムに帰国したことをきかっけに、Koi Music Club の活動はVYSAの文化部に継承して頂くことになりました。そして、私を含む数人はより音楽活動の場を広げるため、「Koiako Production」を結成して、日本語学習の教材としてのCD制作や、レストランでの演奏等を行い、技術を高めながら専門的に活動することになりました。

当時、大学卒業を控えていて、進学するか、就職するか、進路についてとても悩みました。来日当所の夢は、学んだ専門を活かせる仕事をして、安定した収入を得て、週末に趣味の音楽を楽しむことでした。しかし、私の専門の材料化学を活かせる仕事は地方にあることが多く、就職すると東京を離れないといけませんでした。もし、その進路を選択すると、共通の趣味を持つ友達たちと離れることになり、熱意を持って設立したKoiako Productionも離れることになります。しばらく悩んだあげく、ベトナム企業の日本でのイベント開催やPR、日本企業のベトナム企業向けイベントやマーケティングなどを行い日本とベトナムの架け橋になるイベント広告会社を日本で起業することを決意しました。

Koiako Productionのメンバーと、可能性のありそうな企業へ企画書を持参して営業活動を行いながら、事業への意見やニーズを調査しました。サービスと価格が合理的であったため、予想通りお客様から良い返事を頂くことができました。色々な困難なことがあることも覚悟した上で、2016年に「Koi Family」という広告メディアコンサルティング会社を設立しました。現在、1年が経ちましたが、日本の観光庁の広告動画作成や、ベトナム市場向けのサービスを提供している日本企業のプロモーションを行っています。また、ビジネスとコミュニティー形成を融合した「日越タレントサーチ」というイベントも運営し、日本とベトナムの文化的架け橋にも努めています。スタートしたばかりなので、これからも努力をしていかなければいけないと思っています。

趣味であった音楽活動を通して、好きなことを仕事にすることができました。それは、日本での8年間の生活で得た最も大きな成果だと思います。この成果は自然に訪れたものではなく、バランス良く努力したことや、常に自分の求めていること自問し、自分の可能性を評価して自己分析してきたこと、そして、好きなことを途中で諦めず、最後まで追いかけ続けた結果だと思います。

メッセージ

日本での8年間を振返ると、九州から東京へ戻ったことが自分にとってのターニングポイントだったと思います。学費と生活費を稼ぐため1日3~4時間しか寝れないことが続きましたが、そんな時でも音楽を辞めない決意をしました。好きなことを続ける意思と目標を持っていれば、どんな環境でもそれを続ける方法が見つかります。皆さんも自分の趣味や本当の目標を見つけ、それ獲得する方法が見つかることを願っています。途中で様々な困難があると思いますが、困難はチャンスでもあります。「やりたければ、やり方が見つかる。やりたくなければ、理由が見つかる」これが自分のストーリーを通じて皆さんに伝えたいメッセージです。

東京、2017年2月