グエン・バー・フック

NGUYEN BA PHUOC

Profile & Message

2012年 (ベトナム) 短期大学の調理コースを卒業

2013年    留学に向けての日本語学習を開始

2015年          来日 函館にある日本語学校に入学

2016年           北斗文化学園インターナショナル調理技術専門学校に入学

私は他の留学生たちと同じく、日本に夢と目標を持ってきました。留学期間中には沢山の困難があり、夢を途中で諦めたくなる時もあるはずです。しかし、夢と情熱があれば、困難を乗り越えて、成長でき、自分が選んだ道に進むことができます。夢を叶えるために情熱を失わないように一緒に頑張っていきましょう。

和食料理人への夢

ベトナムの家庭では一般的に母親が料理を作りますが、私が育った家庭は母があまり料理をせずに、主に父が料理を作っていたので、私も中学生の頃から自然と家族の料理を作っていました。ですが、料理に特別興味があった訳ではなく、当時の私の夢は俳優になることだったので、高校卒業後には劇場・映画専門の大学を受験しました。その大学は、入学希望者がとても多く、自分にはあまり才能が無かったので、残念ながら不合格になってしまいました。

今後の進路について父に相談すると、「料理が得意なんだから、料理を勉強してみたら?」とアドバイスを受けました。私も料理の道に興味がわき、調理を学べる学校を調べてみました。そして、よく考えた末に、調理コースのある短期大学へ入学することにしました。

短大在学中に、知人の紹介でハノイにある日本式の焼肉店で働くことになりました。最初は、洗い場や清掃などの簡単な業務しかさせてもらえませんでしたが、徐々に調理の下準備や盛り付けなどもさせてもらえるようになりました。短大を卒業してからも、その店で働き続けていると、ある日、料理長が退職することになり、自分にもメインの料理を作るチャンスが巡ってきました。日本料理については、短大でも勉強したことはありませんでしたが、鍋やスープなどの料理を担当することになりました。お店のメニューはトラブル無く作ることができたので、「日本料理は簡単だな」と、思っていました。そして、この頃から日本料理に興味を持つようになりました。

ある時、ハノイにある本格的な和食レストランで、日本人向けの日本料理を食べましたが、その味と料理の飾りつけは、今まで自分がやってきたものとは全然違いました。そして、改めて日本料理について詳しく調べてみると、自分の作っている料理はベトナム人向けに味付けされているもので、伝統的な日本料理ではないことが分かり、とても落胆しました。

そして、日本に留学して伝統的な日本料理をきちんと学び和食料理人になりたいと思い、両親へ日本留学について相談しました。母には、「勉強をしながら仕事(アルバイト)をすることはとても大変だよ。ベトナムで安定した仕事をしているのだから、それでいいじゃない」と反対され、「留学するためには多額の資金が必要だし、最悪の場合、留学エージェント会社に騙されることもあるよ」と、家族全員にも反対されましたが、私の和食料理人への熱意が伝わり、両親も貯金を切り崩して留学資金を援助してくれることになりました。

留学準備

日本語の勉強に集中するため、焼肉店での仕事は辞めましたが、短大を卒業してから1年近く机に向かって勉強していなかったので、最初は勉強に集中できず苦労しました。周りのクラスメートよりも上達は遅かったです。自分の日本語力を把握するために、模擬試験を受けてみましたが、日本留学に最低限必要なN5にも合格することができないほど低い点数でした。ですが、それから熱心に勉強したおかげで、なんとかN5に合格することがきました。先生や友達は私がN5に合格することはできないと思っていたので、とても驚いていましたが、私は留学に必要な最低限の資格は取得することが出来て、ホッとしました。

N5に合格した後は、先生たちとビザ申請手続きをして、留学ビザ審査の結果を待ちました。ビザ審査を待っている期間は、日本語を上達させるために、以前働いていた焼肉店でホールの仕事をしました。日本人のお客さんと日本語会話の練習をしたくて、焼肉店のオーナーに相談してみたところ、快く受け入れてくれました。

留学準備は万端で、留学ビザの審査結果を楽しみにしていましたが、書類の不備で残念ながら留学ビザを取得することができませんでした。他のほとんどの留学希望者はビザを取得できていたので、とても落ち込みました。親戚や家族からは、「エージェント会社に騙されたんだ。もっと多くお金を払っておくべきだったんだ」と言われ、別の人からは、「あなたは勉強ができないからダメだったのよ」と散々に言われ、さらに落ち込みました。自分は何をしたらいいのか分からず、とても不安でしたが、このまま留学を諦めると、また周りからいろいろ言われると思い、もう一度日本語をきちんと勉強して、再び日本への留学を目指す決心をしました。

その後、自宅でコツコツと日本語の勉強を続けていたら、日本語学習を開始して9カ月目に、ギリギリの点数でしたがN3に合格することができました。2回目の留学ビザの結果を待っている間は、日本語の勉強をしながら、ホテルの和食レストランで調理補助の仕事や、初心者向けに簡単な日本語を教える仕事もしてきました。その努力が報われて、やっと留学ビザを取得することがき、北海道の函館にある日本語学校へ入学することになりました。

北海道での生活

来日後、家具など生活用品を購入していると、持参したお金は2週間でほぼ使い切ってしまいました。アルバイトをする必要に迫られ、求人情報を見つけては、情報をメモして、時間のある時に電話で連絡をしていたところ、運良く和食レストランで働けることになりました。

当然、調理をする訳ではなく、ホールや清掃、調理補助などの仕事です。その和食レストランでの仕事はとても楽しかったのですが、生活費を賄うことができませんでしたので、もう1つアルバイトを探すことにしました。

そして、ある大きなホテルのレストランの求人広告を見つけました。伝統的な和食を提供するレストランで、私が働くことは難しいだろうなと思いましたが、もし、働くことができれば、生活費を稼げるだけでなく、伝統的な和食を勉強できると思い、応募してみました。すると、面接の機会を頂け、私のその仕事に対する熱意が伝わったのか、運が良かったのか、ホールの仕事をさせてもらえることになりました。そこでは、たくさんの日本料理に接するこができ、色々な経験を積むことができました。

夢への道

2つのアルバイト共に和食に関連していため、和食料理人になる夢はますます大きくなっていき、日本語学校卒業後は調理師専門学校へ進学したいと思いました。しかし、調理師専門学校の学費は年間120~150万円位かかります。生活費のことも考慮すると、費用を捻出することはとても難しく、料理の勉強を諦めて、観光やホテルなど別の道に進むか、大学へ進学するか悩みました。

そして、毎日のアルバイトが忙しく、勉強が進まないことや、予定を上手くたてることができないことへのストレスで落ち込み、日本にいる意味を見出せなくなってしまいました。日本語学校卒業後は、ベトナムへ帰国するしかないと思い込み、周りの人の意見に耳を貸すことができなくなっていました。そのことを母に相談すると、母は共感してくれ、「辛いなら、帰ってくればいいよ」と、言ってくれましたが、父はとてもがっかりした様子で、「日本へ行く前の決意や情熱はどこへいった?なぜここで諦めるんだ?」と、問われました。しかしその一方で、「長期休暇の際に、一度ベトナムへ帰国して、リラックスしなさい」と、優しいアドバイスをしてくれました。 

そして、次の秋休みには、落ち着いて進路を考えるためにベトナムへ一時帰しました。

その際に、お世話になった留学エージェント会社の社長と会う機会がありましたが、そこで偶然にも、そのエージェント会社と北海道の歴史ある調理師専門学校が提携する計画があるという話しを耳にしました。その調理師専門学校には外国人学生が未だ一人も在籍していませんでしたが、グローバル化に伴い、料理に興味のある外国人学生も受け入れていく予定だということでした。進路に迷っている私にとってその話はとても嬉しく、興味深いものでした。そのうえ、ちょうどその調理師専門学校の担当者が出張でハノイに来ており、エージェント会社の社長が担当者と会う機会をつくってくれました。私は全身全霊であまり上手ではない日本語を使って夢や目標を話した結果、本気でチャレンジするのであれば面接試験日程を調整すると言ってくれました。

その調理師専門学校は、当時私が住んでいた函館と似た環境にありました。私はその時、決して大都市とは言えない函館での生活に退屈していて、楽しいことや刺激の多い東京での生活に魅力を感じていたので、調理の勉強はしたいものの、その調理師学校に進学するか迷ってしまいました。1ヶ月悩みましたが、自分の将来のためにも、自分の興味や夢を追いかけた方が良いだろうと気付き、その調理師学校に連絡をして面接試験を受けました。試験の結果、私は特待生として入学できることになりました。


入学して最初の2ヶ月間は、授業中の専門的な用語を理解することが難しく、とりわけ飲食の衛生・安全の科目はとても苦労しました。また、先生の話すスピードは、今までの日本語学校の先生が話すスピードとは、全然違いました。とても早口でしゃべっているよう感じました。授業時間が日本語学校の2倍の長さの90分であったことにも苦労しました。前期では授業に付いていくことが難しく、4科目も単位を落としてしまいましたが、後期になると、友達もでき、授業のペースにも慣れてきて、授業内容にもより興味を持つことができるようになりました。

料理への関心を高めるために

勉強とアルバイトが安定してくると、自分の時間をつくることができるようになり、在日ベトナム人たちに何か貢献したいと思うようになりました。

インターネットで知り合った留学生たちと話しをしてみると、ほとんどの留学生が和食の良い点と、材料の意味をよく理解していないことに気が付きました。多くの人はコンビニの食べ物や、ベトナム料理をつくって食べていましたが、栄養についてはあまり意識していないことをことも分かったので、ベトナム人向けに栄養の大切さを分かりやすく伝えるビデオ映像を作ることにしました。

最初に作ったビデオは、約100回再生され、とても嬉しかったです。その後、Facebookのコミュニティページなどで動画をシェアすると、より多くの人がそのビデオを見てくれました。自分が作ったビデオを見ながら料理を作り、作った料理の写真を送ってくれた人がいました。また、ビデオ内容に従って料理を作ってみたら、体調が良くなったという人もいました。日本人と結婚しているベトナム人からは、ビデオを見たら日本人へ日本料理を作ることへの不安がなくなった、とメッセージをもらいました。


皆さんから返答をもらうと、私はもっと料理についての知識を高めて、皆さんに共有したい気持ちになります。食べ物に気をつけると体調が良くなり、体調が良くなると何でもできるので、もっと多くの人に知ってもらいたいです。

メッセージ

3年前に日本料理を学ぶために、日本語の勉強を始めました。途中、いろいろ大変なことがあり、諦めそうになったこともありましたが、本当に自分がやりたいことが分かり、苦難を乗り越えて、和食料理人になる夢にどんどん近づいています。私は他の留学生たちと同じく、日本に夢と目標を持ってきました。留学期間中には沢山の困難があり、夢を途中で諦めたくなる時もあるはずです。しかし、夢と情熱があれば、困難を乗り越えて、成長でき、自分が選んだ道に進むことができます。夢を叶えるために情熱を失わないように一緒に頑張っていきましょう。

北海道、2017年3月