レー・ハイ・ニー

LE   HAI   NI

Profile & Message

2014年 面接に合格し、日本のゲーム会社に内定

2014年     3か月間、日本語初級の勉強

2014年8月 ハノイ工科大学を卒業

2014年11月 来日

2015年9月     日本についての情報ウェブサイトを制作

2016年7月   ベトナムへ帰国

2017年2月   チームで日本語勉強プロジェクトを開始

今まで多くの後輩に出会いましたが、殆どの学生は未だ自分の目的や、やりたいことを自分でもはっきりと分かっていませんでした。しかし、やりたいことや方向性が分からなくても心配することはありません。チャンスが来た時に、直ぐに掴めるよう日々スキルや外国語を勉強して、自分を成長させることが重要です。

大学生時代と来日のチャンス

ゲームが好きだった私は高校卒業後は、ゲーム設計などを詳しく学ぶためにハノイ工科大学でITを勉強しました。3年生の終わり頃に実務経験を積むため、インターンシップを始めました。

大学4年生時には、インターンシップに行った会社に採用してもらい、安定していて、自分の好きな仕事をしていましたが、日本で働くチャンスが訪れました。ある人材紹介会社から、自分のクラス全員に、「日本語ができなくても可能で、とても良い条件のIT求人があるので、面接に来てください。」というメールが届きました。クラスのみんなは、日本語が不要で、とても良い条件の求人は怪しいと思い、面接へ行きませんでした。自分だけがチャレンジしたいと思い、履歴書を添付してメールを返信しました。良いか悪いかは分かりませんでしたが、1つのチャンスだと思い行動しました。その結果、15分で作成した履歴書と、メール1通でチャンスに近づくことができました。

これはもうすぐ卒業する人たちへアドバイスです。チャンスは身の回りにあり、1つ1つの選択肢をよく吟味すると、そのチャンスに気付くことができます。周りの人が気付いていない時には、チャンスはより大きくなります。私の場合、クラスの50人全員が良すぎる条件の求人に全然興味がなく、私一人で面接に行き、簡単に1/50のチャンスを手にしました。しかし、きちんと準備をしていなかったので、結局、不合格になってしまいました。

それから1か月後、その人材紹介会社から連絡があり、同様の条件の新しいゲーム会社を紹介してもらいました。自分の興味と専門が合致していたので、応募したいと思ました。その1週間後に1次面接があり、合計4回の面接を経て、正式にそのゲーム会社から内定をもらうことができました。

卒業まで猛勉強

会社から内定をもらいとても嬉しかったのですが、卒業するための必修科目に不合格になってしまいました。卒業予定日までに、必修科目の単位をなんとしても取れなければ、内定取消しになってしまうのでとても心配でしたが、逆に頑張らなければいけない気持ちも高まりました。卒業予定日は10月だったので、夏休み中には、必修科目の再履修、卒業プロジェクトの準備、日本語の勉強など、色々重なりとても多忙で辛かったですが、それらを全てクリアしないと来日することができないので、必死に頑張りました。

ゲーム会社の試用期間中はベトナムにいましたが、会社からもらったプロジェクトの進捗と日本語の勉強の進み具合を毎週報告していました。最後の2ヶ月間では、週1回、日本語能力を確認するために、会社の人とSkypeで会話をしました。また、習っている空手の先生とも日本語の練習をしました。同時にSkypeで、20人ほどの日本語を勉強している人たちとグループチャットをつくり、毎晩みんなで日本語の会話練習をしました。日本語が正確かは分かりませんでしたが、話すことに自信をつけるために頑張りました。そのような苦労をした何か月後かには、日本語の会話もあるレベルまで上達し、不安だった卒業単位も取得し、無事に卒業することができ、2014年10月の終わりにゲームエンジニアとして来日しました。

日本での仕事

入社した会社は大きなビルの30階にあり、最初の印象は若くてイキイキしている会社でした。マイクを持って、みんなの前で自己紹介をしましたが、みんな忙しくて聞いてくれませんでした。パソコンをもらい、指定された席に着き、ベトナム人の先輩から基本的なことを教えてもらいましたが、ずっとやることがありませんでした。18時30分になってもまわりの人は、そのまま座っていて帰る人は1人もおらず、自分も頑張って20時30分まで座っていました。20時30分を過ぎてから、ルームメイトと一緒に帰宅しましたが、出勤初日になぜやることがないのに定時に帰らないのかと自問自答しました。

プロジェクト開発チームに配属され、最初の1週間は渡された仕事が少なかったですが、翌週からは仕事量が増えてきてストレスを感じました。会社で教えてくれる人もおらず、日本語も未熟だったので、早口なリーダーの指示は全部理解できませんでした。打ち合わせや会議でGoogle翻訳を使うと時間がかかってしまい、イライラしました。日本語が分からず、仕事で分からないところを聞いても教えてもらえず、そして帰りが22時30分か23時になることも多かったので、入社して3週間後にはストレスがすごく溜まっていました。

3週間目の終わりには我慢できなくなり、上司にストレスがたまっているというメールを送りました。日本人にとってはショックを受けるかと気にしましたが、実際には効果がありました。メールを送った翌日、同僚から挨拶や声をかけてもらい、1人でやる仕事を減らしてもらいました。そして、4週間目には別のチームに異動になりました。新しいチームは中国人の先輩がリーダーでした。最初の仕事は簡単で、先輩から渡された仕事を行い、分からないことを聞いたら、すぐに教えてくれました。そのため新しいチームに慣れるのが早く、すぐにチームのみんなと一緒に仕事ができるようになりました。

ウェブサイトを作る

2015年時点で既に在日ベトナム人は多くおり、あるFacebookの大きいグループでは、経験をシェアしたり、悩みを相談したりすることができました。当時は、グループの中に投稿された良い経験談が保存されていましたが、それを管理するツールはありませんでした。そのため、今後みんなが簡単に検索して、体験談を読めるような保存と管理ができるウェブサイトをつくるアイディアが生まれました。グループの管理者たちに良い投稿を自分のウェブサイトに掲載する許可をもらい、2015年9月のシルバーウィークの1週間の休みでそのウェブサト“vijaexpress.com” を制作しました。

Vijaexpressが誕生した時点では、Facebook上では日本語学習のための2つのサイトが有名でした。この2つのサイトを作っている2人と交流し、友達になり、そのサイトで投稿したものを管理できるように自分のウェブサイトに載せて、まだサイトを知らない人たちにシェアしました。それ以外にも、良い経験談なのに古くてFacebookやgoogleで見つからない投稿を探し、自分のサイトに載せました。自分でも日本での生活や仕事などの日記を書いて、自分の経験や学んだことを自分のようにストレスが溜まらないようにみんなに共有しました。長い時間を経て、その日本語学習のための2つのサイトも大きくなり、最初の目標であった保存と管理のできるウェブサイトは作る目標を達成することができました。

帰国後も

社内にはベトナム人も多くいましたが、みんな忙しく、また一人一人の目標もあったので、週末にみんなで集まることはあまりできませんでした。そして私は1人の先輩だけと仲良くなり、一緒に何かしましょうと話しをしました。私が日本語を勉強し始めた頃は、教科書だけで日本語を読むことが大変だったので、みんなが楽しく日本語を勉強できる何かを作りましょうと提案したところ、賛成してくれました。

ちょうどvijaexpressに、初級の日本語能力試験に必要な語彙リストを掲載していたので、そのリストを利用して、楽しみながら日本語学習ができるゲームを作ることにしました。その日本語学習ゲームは“ブチャ”というキャラクターを操作し、食べ物やアイテムを拾うと、それに関する単語の質問が出てきます。ゲームの作成が完了して、Facebook上でシェアし、みんなに試してもらったところ、とても良い反応がありました。

日本語を勉強するゲーム“ブチャ” が生まれて5か月後、自分の会社をつくるためにベトナムへ帰国することにしました。しかし、まだ経験が足りず、企画を立てることができなかったので、帰国後に2回起業しましたが、失敗してしまいました。その時は何をすれば良いのかまだ分からなかったです。

ちょうどその頃、ハノイ工科大学の60周年記念日があり、母校を訪問して後輩たちと交流すると、日本へ行きたい人が多いことが分かりましたが、日本語の勉強方法や日本の求人情報の探し方が分からないという悩みをたくさん聞きました。そのため、自分が勉強したことや、経験を積んだことを後輩たちにも共有しようと思いました。

そして、“ブチャ”を一緒に作った先輩もベトナムに帰国することになったので、みんなが楽しく日本語を勉強できるゲームをつくることを目標に、先輩とチームとしての活動を再開しました。また、2017年9月には、有名な日本語学習サイトを作った人と協力して、新しい日本語学習ゲームを制作しました。このゲームでは、勉強しやすいように効果的な画像と音声を使用しました。まだ始まったばかりで将来は困難なことが多いですが、このゲームが日本へ行く夢を持つ後輩たちや、日本語を勉強しているみなさんの役に立つことを願っています。 

メッセージ

技術と工業が発展している日本へ行って仕事をしながら勉強することが、もうすぐ大学を卒業する多くのエンジニアの夢です。近年は日本へ行くことが広がり、以前よりも簡単に日本へ行けるようになりましたが、より良いチャンスを掴むには日本語の勉強が必要です。日本語の会話を練習して、日本の会社の働き方について来日前に調べ、準備したほうがみなさんにとって良いでしょう。私は日本の経験については他の先輩たちより少ないですが、自分が作った情報シェアツールなどを通じてみんなの力になりたいと思っています。将来、困難なことが多く、辛いときもありますが、成功できるように諦めずに頑張ってください。

ハノイ、2017年11月