ドゥ・バン・ニー

DO VAN NGHI

Profile & Message

2009年 ベトナム国立土木工学大学に入学

2012年        F.L.Y英会話クラブを創設

2014年3月   土木工学大学を卒業

2014年4月 日本の建設会社と関連のある会社に入社

2015年9月        東京理科大学大学院 修士課程の奨学金に合格

2017年9月        東京理科大学大学院の火災化学分野を卒業

2018年            技術研究職として大手建設会社に入社

どこにいても、自分にとって一番現実化したい目標を決めてほしいです。目標さえあれば、どれだけ辛くても迷わずに進むことができます。

20歳の誕生日と日本との縁

マンガをはじめ、テレビ番組や新聞から日本のことを知りました。日本にはきれいな景色や多彩な文化があり、日本製品は世界中で人気があります。私は日本への興味を持つようになり、日本へ行きたいと思っていましたが、大学生の間は日本へ行くことは実現せず、ただの夢でしかありませんでした。

ある日、日本へ行く夢が強くなる出来事がありました。それは2011年3月11日、日本人には忘れられない東日本大震災です。そしてこの日は私の20歳の誕生日でした。1日中、テレビや新聞で日本の様子が流れていて、地震の混乱の中でも日本人が秩序を守り、お互いに助け合っている姿を見ました。日本人の姿ももちろんですが、私はそれよりも震災後の日本の復興スピードや壊れた建物を修繕していく技術力に感動し、日本へ行く夢が一段と強くなりました。

日本へ行く夢を抱きながら、英語の勉強に励む

日本へ行くことを決心した日から、日本の大学院の学校探しや奨学金をもらうための勉強の計画を立て始めました。私のようなエンジニアには、日本へ行く道はいろいろとあります。例えば私費留学生として、日本語学校へ入学して日本語を学んでから就職する道や、大学へ進学する道です。しかし、私の家族の経済状況は十分でなかったので、一生懸命勉強して奨学金をもらう道を選びました。


私の周りにいた日本留学を希望する人は日本語を中心に勉強していました。しかし、私は英語を選びました。その理由は、他の言語を勉強する前に、世界共通言語である英語をしっかり理解することが大切で、日本以外の国で働くのであれば英語が必須だと考えたからです。さらに、修士課程や博士課程の奨学金の条件は英語だったので、一生懸命英語を勉強しました。


私は英語の勉強で一番大切なものは会話力だと考え、ハノイにいるさまざまな学生たちとともにF.L.Y英会話クラブを創りました。忙しい大学生活の合間をぬって、毎週日曜日、仲間とともに外国人の観光客に観光地を英語で案内しました。自分たちが案内するだけでなく、お客さんとの話の中でその国の文化や人のことを知ることができ、とても楽しかったです。多くの外国人と交流したことで、英語の語彙力がつき、自信が高まりました。そして、会話力が十分身についてから、読み、書きなどの勉強をしました。

英会話クラブで他人と交流することで、自分の強みと弱みがわかり、留学の目標に対しても自信を持って進むことができるようになりました。

初めての工場勤務

東日本大震災の3年後、大学を卒業したものの、日本へ留学する奨学金はまだ見つかっていませんでした。しかし、私には日本へ留学するという夢があったので、卒業後も英語の勉強を続け、奨学金情報を得るため大学の国際センターと連絡を取っていました。

また、夢を叶えるための活動と並行して、私は日本の建設会社と関連のある会社に就職しました。最初の数か月はハノイの事務所で設計の仕事をして、その後はじめて現場である工場で働きました。工場での仕事は大変でしたが、実際に工場で仕事をすることで設計上のトラブルなどが分かりました。また、工場では学校では勉強できない専門知識や人間関係、コミュニケーション力なども身につけることができました。厳しい環境で仕事を行うことで、自分がやりたいこと、自分の大切なものを知ることができ、大変ありがたく思っています。仕事を通じて精神面も強くなったので、奨学金の厳しい選考に対する恐怖も無くなり、入社して1年後には、念願の日本への留学が決まりました。

来日、新しい道

来日後、私も他の留学生のように、近代的な都市での日本の生活スピードや、満員の電車などに驚き、他の世界に来てしまったように感じました。そして、私の一番の不安もみんなと同じく日本語でした。来日前には、ベトナムで日本語の勉強をして準備はしていましたが、日本人との会話が全くできませんでした。日本で生活するうえで、日本語力は必須です。そこで、英語の勉強方法と同じように日本語の勉強をし始めました。最初は、聴いた日本語をすぐに繰り返し言い、その言葉の発音と意味を理解します。そして、言葉の意味が理解できたら、文法を勉強するという方法です。


幸運なことに、大学院の研究室には外国人留学生を応援してくれる日本人のおじいさんがいました。そのおじいさんはよく私に話しかけてくれ、いろいろなことを教えてくれました。私も毎日、新聞やテレビで見た日本のニュースの内容をおじいさんと話していました。そのことが功を奏し、私はどんどん日本語が理解できるようになり、人生が面白くなってきて、他の言語を習得するということは、自分の世界が広がることだと感じました。


日本語が上達してくると就職活動を始めました。当時は来日してまだ1年半しか経っておらず、日本の文化などはそこまでよく理解できていませんでしたが、早目に取り掛かった方が準備をする時間も増え、良いチャンスに巡り合う機会も増えるだろうと思い、就職活動を始めました。ベトナムとは違い、日本では卒業する1年前に仕事を探し始めます。

業界研究をしながら履歴書、面接や資格なども準備をして、学校の勉強もきちんとしないといけません。日本人の学生にとっても大変な時期ですが、外国人留学生にとっては、より大変です。普段、友達に使う日本語とビジネス日本語は全然違い、またベトナムと日本の考え方、就職活動の仕方も同じではありません。

周りの人の意見を聞いたり、インターネットと就職の本などを読んだりしてきましたが、うまくできませんでした。読んだことを活用できなかったり、そのまま言ってしまったりして、自分の長所を強調できませんでした。しかし、何回か失敗を重ねていくうちに、言葉の使い方を調整できるようになっていき、テレビのニュースを会話に入れたり、英語の能力をアピールしたり、自分の短所や長所をスムーズに説明できるようになったため、いくつかの会社の内定をもらうことができました。日本での就職活動は、あきらめずに努力した人が成功すると感じました。

メッセージ

日本へ行くこと決意してから7年後、日本の建設大手企業に入社して、勉強と仕事をする目標がやっと現実化しました。7年の間に色々な困難がありましたが、目標をきちんと決めて、それに進んでいくように毎日頑張ってきました。どこにいても、自分にとって一番現実化したい目標を決めてほしいです。目標さえあれば、どれだけ辛くても迷わずに進むことができます。

東京、2018年3月