グエン・  ティ  ・リン・チー

NGUYEN  THI LINH   CHI

Profile & Message

2009 日本政府の奨学金で日本へ留学する

2012     友達と商社を作り、ベトナムから日本へ商品を輸出する

2013   結婚する

2014 第一子誕生、”isenpai.jp"を友人たちと立ち上げる

2016     大阪大学大学院のMBAを卒業する。双日株式会社に入社し、ベトナムミニストップ事業の主担当になる

2017年         財務部に移動し、案件審議及び財務全般を担当する

2018年         第二子誕生

「もしあなたが自分はできると思ったら、あなたは正しい。できないと思ったらそれも正しい。だから全部自分次第なのです。」日本で生活していると、仕事と家庭のワーク・ライフ・バランスを取ることはとても難しいです。けれども決してバランスを取ることができないわけではありません。できるのか、できないのかではなく、本当に自分がしたいかです。

日本に来てから最初のレッスン

日本政府の奨学金の試験と面接に合格し、2009年に初めて留学生として日本へ来ました。この奨学生のプログラムは、最初の1年目に東京外国語大学か大阪外語大学のどちらかで勉強し、2年目は志望校と試験の結果によって国立大学の進学先が決まるというプログラムでした。私は第一希望の大阪大学に合格し、大阪大学の経済学部に入学しました。私はいろいろな人と交流することが好きで、大阪大学にはさまざまな課外活動をする時間が取れるため、選びました。

私は日本政府からの奨学金をもらっていますが、自分の日本語能力を高め、そして将来のために経験を積みたいと考えていたので、大学1年生の時から商社で通訳のアルバイトをしていました。2ヶ月勤めているうちに、能力が認められ、貿易の輸入業務も任せてくれるようになりました。私はこの輸入業務に携わっていくうちに、ベトナムから日本へ輸出できる商品はもっとあると確信するようになりました。このことを上司に提案したのですが、上司からはいくつかの理由でそれはできないと言われてしまいました。私はこのチャンスを逃したくないと思い、友達と一緒にベトナムに商社をつくりました。そして、日本のパートナー企業を探し、例えば100円ショップのような値段が安いティッシュ、ナプキン、ごみのフィルター、不織布バッグなどをベトナムから日本へ輸出したら売れるのではと思い、ビジネスとして始めました。

この商社を始めたときの経験はとても印象が強く、今の私の糧となり仕事にも生きています。

私たちの商社ではしばしば、ベトナムのタイビン県にあるとても貧しい村で作られた織物を輸入して売っています。この村は、農業の時期が過ぎると織物を織って生計を立てるといった農業と織物しか仕事がないような村です。しかも、実はこの村には織物を織る機械が約3000台もあるのですが、織物を販売するルートや市場がないため、ほとんどの機械が使われずに無駄になっているのです。そのため、村の人たちの仕事も増えず、貧しいままとなっていました。

そんな時、2010年に “チャイナ・プラス・ワン”が起こり、ベトナムに投資する日本企業が増えました。その影響もあり、私たちの会社への受注も増え、タイビンにあるその村の織物がたくさん売れるようになりました。そして仕事も増えたので、村の人々の生活がだんだんと良くなっていきました。加えて、私たちと一緒に仕事をしている日本のパートナー企業も利益が上がっていきました。

このことから私は考えたことがあります。ビジネスの“win-winの関係”は双方の関係が良好なので、長期的な利益を双方にもたらすことができます。しかしその一方で、ボランティアなどによる片方だけの活動では、政府の支援なしには継続させることは難しいです。私たちが今行っているビジネスは“win-winの関係” です。なので、このままこの関係を維持し、もっといろいろな人とって良いものにしたいと思うようになりました。

将来につながるマイルストーン

大学卒業前の2013年に、その商社をいっしょに創った男性と結婚しました。そして大学院のMBAへ進学しようと考えていました。多くの人は、大学院の卒業後に子どもを出産すると思いますが、私は在学中に出産したら卒業後には子どももある程度大きくなるので、仕事に専念できる時間が増えるだろうと思い、そのように計画を立てていました。幸いにも、私の計画通りに物事が進み、2014年4月に大学院に入学後、6月28日に1人目の子どもが生まれました。

大学院入学してからの3か月間は、ちょうど出産3か月前でもあったので、妊娠している私にとっては大変な時期でした。さらに、この時期に1年間に必要な単位をすべて取り、後期は子育てや就職活動に時間を費やそうと考えていたので、論文の準備をしながら大学院へ通っていました。


初めて親になって、いろいろと子どものビザの申請やパスポート、保険などの手続きをしなければなりませんでしたが、どうやって子どもの手続きをするのかわかりませんでした。インターネットでも調べてみましたが、ベトナム語で書かれた情報はあまりありませんでした。この経験から、私は日本で暮らすベトナム人や日本に関心のあるベトナム人のための必要な情報を共有するウェブサイトを作ったら役に立つのではと思い、友達を誘ってウェブサイトと Facebookのページを作りました。それは、日本の生活で必要な情報や経験などシェアする “isempai.jp(良い先輩.jp)”というサイトで、今でも日本の情報を伝えるサイトとして役に立っています。その後、コミュニティが広がっていったのでみなさんのニーズに合わせて、“i-tabi”という旅行のサイトと “isempai Job”という仕事を紹介するサイトを作りました。子どもが生まれてから57日、およそ1か月半になった頃、大学院の夏休みもちょうど終わったので、毎日絞った母乳を持ち、子どもを保育園に預けることにしました。

 私は大学院に戻ってから、商社を経営していた経験を生かして働こうと他の大学院の2年生と同じように就職活動をしていました。就職活動をしながらも、私には心配なことがありました。それは、もし仮に内定をいただいても、子どもがまだ小さく、自分は家族と仕事の両立が上手くできるのか、どうやったら両立することができるのかといったことが心配でした。どうしたらいいのだろうか…と心配で迷いながらも、私は専業主婦になることやパートタイムで仕事をすることはしたくなかったので、就職しようと一生懸命、就職活動を頑張っていました。この頑張りが実り、証券会社やコンサルティングの会社、商社など、6社から内定をいただきました。

面接のときは、自分自身や家族のことは質問されなかったので、思い切って内定をいただいてから家族のことや子どもがいることを伝えました。その際、すべての会社は規模が大きく、上場している企業で、福利厚生の制度も整っていたこともあり、いくつかの会社からは給与額を変えずに時短勤務で働くことはどうだろうかと提案をいただきました。数日悩んだ末、日本のある商社の内定を承諾し、ミニストップベトナム事業に関する業務を担当することになりました。

2016年4月、大阪大学の大学院を卒業し、会社へ入社するために東京へ引っ越しました。少し前まで留学生だったので、子どもを保育園に入れるための点数が低かったので、家から遠い保育園しか預かってもらえるところなく、毎日夕方5時半までしか預かってもらえませんでした。私は新入社員だったので、後輩に保育園のお迎えを頼んだりしていましたが、ずっとは後輩に頼めなかったので、毎日定時になるとすぐに会社を退社しなければなりませんでした。

しかもその当時、私がいた部門には女性は一人もおらず男性ばかりで、日本人の先輩社員たちは、一番若くても私の7歳年上、多くは14~20歳以上も年齢が上の人たちでした。そしてほとんどの方の奥さんは専業主婦なので、自分だけいつも早く会社から退社して、いたたまれない気持ちでした。それでもすごく仕事を頑張って、アピールしたいと思っていましたがなかなかそうもいかず、任せてもらう仕事のほとんどは小さいものだったので、私はこのまま仕事を続けるかどうするかを長い間悩んでいました。また、働きながら子ども・家族との生活のバランスを取ることも難しく、日本では仕事と家庭とのワーク・ライフ・バランスは難しいのだなと実感し、どちらかを一方を選ぶべきなのかとも悩みました。しかし、私の強い希望は自分の会社を経営することなので、自分の夢を叶えるために、仕事も家庭も一生懸命頑張り続けました。

自分を変える

仕事と家庭とのワーク・ライフ・バランスを取ることが難しく、このまま仕事をし続けるか、それともどちらか一つを選んだ方がいいのか迷っていました。この迷っている状態から、正しい道へ進むために、一度、自分の頭の中を整理したいと思い、自分のことを知ったり、能力を理解したりする無料セミナーの受講から、いろいろなセミナーを受講するようになりました。


ある時、無料セミナーで出会った人から、17年前あるセミナーを受けたら自分自身を変えることができたと教えてもらいました。そのセミナーは今でも続いていて、受講料が1回あたり3万6千円と高いセミナーでした。そのセミナーのことを聞いて、興味はあったのですが、私は今までずっと奨学金をもらっていたので、これほど高い受講料を払ったことがなく、参加したいけどどうしようとずっと悩んでいました。けれども、もしこのコースを受講して本当に効果があったら、今、自分の迷っている状態から正しい方向へ行ける良いチャンスだと思い、万が一、効果がなくても3万ちょっとのお金を失っただけなので、何もしないよりもやったほうがいいと思い、参加することに決めました。

そのセミナーは「セルフヘルプ」をテーマに、『7つの習慣』、『金持ち父さん貧乏父さん』などを用いて総合的に勉強するセミナーです。参加者はおよそ300人でした。内容自体に特に新しい知識がたくさんあったわけでないのですが、セミナーに参加することでいろいろな人とお話しでき、ポジティブに物事を考えている人やとても熱心な人たちと出会うことができ、とてもエネルギーをもらいました。その他にもどうやってコーチングというコミュニケーション能力 も勉強することができ、私もセミナーに参加して物事をポジティブに考えられるようになりました。


仕事と家庭とのワーク・ライフ・バランスを取るためには、まず効率を考えたスケジュールを立て、それを管理する必要があります。セミナーに参加後には、時間管理やお金の管理などの他のセミナーにも参加しました。いろいろなセミナーに参加したことで、様々な知識やスキルを身につけることができ、そしてコミュニケーション能力も上がったと思います。

仕事と家庭とのワーク・ライフ・バランス

入社時から同じ部門でずっと働いていましたが、このままではあまり自分が貢献できないと思っていました。そこで人事の人にご相談し、ファイナンス関連部署への異動をお願いし、財務部に異動することになりました。

財務部は前の営業部署とは違い、社員12名のうち5名は子どもがいて、みなさんとすぐに打ち解けることができました。さらに良いことは重なり、近くの保育園への入園許可が区から下り、そこは長い時間子どもを預けることができるようになりました。働く環境が変わり、子ども預かってもらえる時間も長くなったので、今まで以上に仕事に集中することができるようなりました。決算時期は仕事が忙しくなるので、朝7時15分から夜8時まで働いて、子どもを夜9時に迎えに行く日々でしたが、まったく疲れを感じず、むしろ自分の力を発揮することができる環境だったので、とても充実していました。

朝から晩まで仕事で忙しくなる半面、子どもと一緒にいる時間が減ってしまいました。子どもの様子を知るために保育園の先生からの連絡帳をよく読み、先生とも相談しました。そして週末は親の愛情をしっかり感じてもらうために家族みんなで過ごして、一緒にいろいろな思い出を作りました。

新しい部署で働き始めてから徐々に仕事に慣れてきたので、同じ仕事量でも短い時間で効率よく行う方法を考えていました。その一つとして、必要な時に会社のパソコンを持ち帰り、自宅から仕事の対応をしました。自分が会社にいなくてもみなさんで仕事ができるようにマニュアルを作成し、すぐに代わって対応してもらえるよう チーム内の報告、相談、連絡などを徹底して、子どもが急に熱を出して病院に行かなくていけなくても対応できるようにしました。私の新しい働き方は、同僚たちも賛同してくれ、限られた時間の中で一番効率よく勤務することができたと思います。


私は短い時間しか社内におらず、夜の飲み会にも行けないので、周りの人たちと良い人間関係を築くため、昼休みに同僚たちとよくランチするようにしました。普段、あまり仲良くないときは中身が浅い話しかできませんが、一緒に食事をすることでいろいろな話をすることができ、心を開いてくれるようになりました。セミナーで学んだコミュニケーション能力も役に立ち、良い関係を築くことができるようになると、周りの人たちから信頼してもらえるようになりました。

私は事業投資の審議をし、財務役員にアドバイスをする仕事をしていました。ある時、営業部が持ってきたベンチャー企業の買収の審査を行う、投資のプロジェクトを担当していました。この審査期間は短いのですが、とても多額のお金が動きます。会社へ損失を出さないように、営業部の担当者と綿密に相談しなければならず、専門知識が必要になるのですが、私はそれほどたくさんの専門知識を身につけてはいませんでした。しかし、セミナーで身につけたコミュニケーションスキルを生かして、担当者といろいろと相談していくうちにやり取りがスムーズになり、正確な情報をもらうことができました。


家庭では、家族の生活スケジュールと習慣に合わせて、家事を調整し、時間を管理しました。私たち家族はあまり外食が好きではなく、いつも晩御飯は手作りです。平日に晩御飯を作る時間を短くするため、毎週末スーパーへ行って1週間分の食材を買い、下準備をしたうえで小分けにし、冷凍庫で保存します。その日の晩御飯に合わせて、朝、冷凍庫から冷蔵庫に移しておくので、帰宅してからたった30分で晩御飯を作ることができます。他にも、洗い物や掃除は食器洗浄機や掃除機を使うので、時間を短縮することができます。もちろん、夫も家事を手伝ってくれます。このように時間をうまく管理しているので、子どもと一緒にいる時間が増え、子どもと遊んだり、本を読んだりする時間を作ることができるようになりました。

メッセージ

自分が変わり、そしてスケジュールや時間の管理ができるようになったので、仕事と家庭のワーク・ライフ・バランスが取れるようになりました。2018年の9月末には2人目の子どもも生まれ、育児休暇を取りながら他の投資も始めています。今は子育てや投資で忙しいですが幸せです。数か月後には仕事に復帰する予定です。

「もしあなたが自分はできると思ったら、あなたは正しい。できないと思ったらそれも正しい。だから全部自分次第なのです。」

日本で生活していると、仕事と家庭のワーク・ライフ・バランスを取ることはとても難しいです。けれども決してバランスを取ることができないわけではありません。できるのか、できないのかはなく、本当に自分が何をしたいか次第だと思います。

東京、2018年10