グエン・   チュン  ・ズン

NGUYEN  TRUNG DUNG

Profile & Message

2008 ハノイ工業大学に合格

2010     ロボットコンテストで第二位(準優勝)

2012   工業大学卒業、日本へ留学

2014年 旅行・ホテルの専門学校へ進学

2016年4月   名古屋の会社へ入社

2016年7月        名古屋の会社を退職後、東京に戻り、昔アルバイトしていたレストランのマネージャーとして勤務、ワクワク旅を設立         

2017年10月        神奈川県秦野でレストランを開店

自分は何がやりたいのか、どういう道に進みたいのかをいつも明確にすることだと思っています。たとえ、みちに迷っても自分の夢や目標を明確にしておけば、道に迷っても自分の進みたい道に戻ることができます。時間があるときにやろう、お金があるときにやろうとは思わず、今から少しずつ、自分の夢を叶えるための努力をし、経験を積み重ねるべきです。やりたいと想う夢はいつか叶うでしょう。

夢を追いかけるために留学を決意

私が小さい頃、家族は貧しかったので、母は借金をして市場で商品を販売し、家計を助けていました。私も学校の登校前や下校してから、母の手伝いをしていて、小さいころから母の手伝いをしていたので自分でも商売をしてみたいと考えていました。

大きくなってからは、自分でクリスマスにハンドメイドのクリスマスカードを売ったり、お正月には盆栽を売ったりと自分のできる範囲で商売を行いました。高校を卒業してから、私はどの大学に入るか迷っていました。本当は商科大学に入学してビジネスについて勉強したかったのですが、母は技術の大学に入って安定した会社に就職してほしいと願っていました。そのときはまだ18歳で、将来のことはしっかり考えることができませんでした。小さい頃、家族が貧乏だったことから、安定した仕事に就職することが自分の将来のためだと思っていました。なので、母のアドバイス通り、自分の夢を諦めて工業大学へ入学することにしました。

工業大学入学後も母は仕送りをしてくれたので、私も頑張って勉強していました。2年生の時にはロボットコンテスト2位になりました。また、在学中に、大学で様々な会社が企業選考会を開催していたので、私も選考会に参加しました。このように大学生時代は勉強や様々な活動を精力的に行っていました。


就職の選考を受けた際、ある海外の大きな石油会社から内定をいただきました。その会社の内定を承諾したら、卒業後は海外で働くチャンスがありました。その時は22歳で、いろいろと考え、悩んでいた時期でした。このまま内定を承諾してその会社で働くのではなく、やはりビジネスを勉強したい。4年間、大学で技術について勉強していましたが、ビジネスへの情熱は消えませんでした。せっかくのチャンスだったのですが、その石油会社の内定を辞退し、留学してビジネスを勉強しようと決めました。

母は、私が大学入学する前の18歳の時は反対していましたが、技術大学を卒業したので、何かあっても就職には困らないだろうと考え、今度は私の夢を後押ししてくれました。そして私の留学費用を用意するために親戚からお金も借りてくれました。

私が留学に日本を選んだ理由は、日本への留学資金がそれほど高くなく、私の経済状況でも留学できる唯一の国だったからです。日本にいる6年間で、困ったこともたくさんありました。しかし、日本は成長できるチャンスを与えてくれ、自分の夢を叶えてくれた国です。

自分の進む道・方向性に迷う日々

日本語学校の2年間は、他の私費留学生と同様に、日中は学校の授業を受け、夜はレストランでアルバイトをして、生活費と授業料を稼いでいました。最初はビジネスを勉強したいと思って来日しましたが、学校とアルバイトで毎日が忙しく大変だったので、途中、諦めようと思ったことは何度もありました。ビジネスの勉強をするのではなく、日本語学校卒業後は就職しようと考えた時期もあり、技術の専門知識を生かせる会社から内定をもらいました。しかし、やはり自分はビジネスや経営を勉強するために日本に来たのだと、目標を思い出して、その会社の内定を辞退して、再び、自分の選んだ道を進むことにしました。

 

日本語学校卒業後に進学した学校は、観光・ホテルに関する専門学校です。私は日本の大学へ進学する経済的な余裕も時間的な余裕もなかったので、専門学校を選びました。学校を選ぶ際には、学校の先生や周りの人たちの意見を聞いて、卒業後に就職しやすい学校を真剣に探しました。

専門学校の時も、学校に通っている傍ら、空いている時間にはアルバイトだけでなく、東京にあるグループやコミュニティの活動に積極的に参加しました。コミュニティに参加することで、多くの人たちと接し、将来、ビジネスを行うときの仲間の輪を広がっていきました。

 アルバイトがオーバーワークとならないように気をつけながら、普段のアルバイトのほかに、ベトナムからの観光客へのガイド・通訳の仕事をインターネットで見つけ、行っていました。このアルバイトでは、自分の知識や日本語を使う機会となるだけでなく、新しいベトナム人の友人の輪も広がっていきました。彼らの多くは富裕層の人たちで、後に私のビジネスを助けてくれるかけがえのない人たちとなりました。


専門学校の卒業時期が近くなり、私はまた就職活動を始めました。今までのように苦労せずに決まるかと思っていたのですが、現実は思っていたほど甘くありませんでした。専門学校の専門である「ビジネス」で仕事を探すことは難しく、何社も受けては失敗し、受けては失敗しの繰り返しでした。ビザの在留期限も迫っていて、このままではビザが切れてしまうと思い、工業大学の専門である「技術」の仕事を探すことにしました。私の日本語能力も悪くなく、大学の成績も良かったので、「技術」の仕事に方向転換してからすぐに名古屋のある会社から内定をいただくことができました。そして2016年4月にその名古屋の会社に入社しました。

自分が18歳のころに抱いていた「ビジネスの勉強をする」という夢は叶いましたが、やはり日本で就職して暮らしていくためには大変な壁があり、大学の「技術」の知識を使わないといけないという現実に引き戻されました。このまま、自分のやりたいことではないけれども、入社した会社で安定した仕事を続けていくのだろうと思っていました。

 

入社3か月を過ぎたころには、この仕事は自分に向いていない、朝早くに会社へ出社し、夜まで自分の好きではない仕事をすることは辛いと感じていました。まだ入社して間もないので、すぐに退職することは会社に対して申し訳なく、自分自身の経歴にもよくないと思い、とても悩みました。しかし、このまま自分が来日するときの夢を忘れたままでいいのか、結局、日本での4年間、ビジネスの勉強をしていただけになって、目標を叶えないままでいいのか、日々自問自答していました。何日も思い悩んだ結果、やはり今の仕事は自分のやりたいことではないと思い、思い切って会社を退職し、自分の夢を叶える道へ戻りました。

 

退職後は東京に戻り、留学生時代の4年間アルバイトをしていたレストランに店長・マネージャーとして入社し、そこでレストランの運営に関する勉強をたくさんしようと決めました。転職してレストランで働いていた1年間は、自分のレストランを持つための準備や「ワクワク旅」というコミュニティの設立で充実した1年間でした。「ワクワク旅」とは、旅行が好きな人たちのためのコミュニティで、日本の旅行スポットの紹介や実際に旅行ツアーの企画・実践を行い、多くの人たちと友達になりました。この人々とのつながりや経験があったからこそ、1年後にベトナムレストランを開くことができました。

夢を実現させる

実は日本でレストランを開くことは、来日してからの夢でした。その時はまだ知識も資金もなくもちろん人脈もないので、それは夢のままでした。何度も方向を変えたり、迷ったりしていましたが、思い切って名古屋の会社の仕事を辞めて今度こそ夢を叶えようと心に決めました。名古屋の会社を退職したとき、まだビザの期限が残っていたので、本来はよくないのですが、その就労ビザの資格のままレストランのマネージャーとして働き、経験を積みました。

レストランで働いた1年間では、シフトの管理・調整、材料の調達、経理、集客のためのキャンペーンの企画・実施など、たくさんのことを学ぶことができました。他にも、まとまった休みの時にベトナムに帰国して自分のレストランで出すベトナム料理の調理方法を勉強したり、東京や神奈川周辺の物件を探したりと、自分の夢につながる期間でした。

 

ビジネスを行うことのほかの私の夢は旅行へ行くことです。お店を開店する準備をしながら、友達といっしょに「ワクワク旅」というFacebookページでコミュニティを作りました。この「ワクワク旅」は、日本国内の旅行の情報を共有したり、旅行のツアーを企画して、みんなで旅行に行ったりするコミュニティです。この活動を続けていくうちに徐々に「ワクワク旅」が軌道に乗り、参加者も安定して集まるようになりました。このコミュニティで知り合った人たちとも親しくなっていくなかで、オンラインでみんなが交流できる場を作るだけでなく、オフラインで直接、みんなが集える場所があればいいだろなと思っていました。そして私が思い描いている「レストラン」が、みんなの交流の場として機能する場となればよいのではと思いつき、私がレストランを開きたいなと思っているタイミングとみんなで集まる場が欲しいというタイミングが合致したので、レストランを開店することにしました。

 

私のベトナムレストランは神奈川県秦野市にあります。この場所は東京から遠いので物件の賃料が安いです。また、周りには日産の自動車工場があり、ベトナム人の留学生が多い日本語学校も近くにあります。そしてベトナムレストランがこの地域にはありません。物件を探しているときにこれらのことを知り、この地域には潜在的なお客さんが多いだろうと考えて決めました。

 立地が決まった後は、ビザの変更手続きやお店の内装準備を行いました。私たちのレストランは外部に内装などを依頼せず、ワクワク旅で知り合ったコミュニティの友人たちがお店の内装や開店準備を手伝ってくれました。母も私の夢を実現させてくれるために開店資金を出してくれました。

 

レストラン開店時、友人のつながりで1人の女性と知り合いました。彼女は岡山で何件ものレストランを経営していて、わざわざ岡山から神奈川に来て、無償で私たちの手伝いをしてくれました。彼女は、私と友人がベトナムの貧しい人たちのためにボランティア活動をしていることを知ってくれていて、私たちを手伝うことで、そのボランティアに貢献することになると考えて、無償で手伝ってくれました。彼女のおかげで開店前の困ったことやわからないことが解決し、何とか開店までこぎつけることができました。他にも、レストランで使うための調理道具は、私が留学生時代の観光客への通訳のアルバイトで知り合った方が支援してくれました。店内の内装や修理、装飾なども友人たちが手伝ってくれたので、費用もあまりかかりませんでした。友人たちのおかげで開店するための準備が整い、2017年10月に私たちのベトナムレストランがオープンしました。

小さなベトナムレストランですが、友人たちと創り上げたこのお店は私の夢が実現したものです。開店時は順調に進んでいきました。もちろん、最初は大変なことがたくさんありました。たとえば、資金がなかったのでアルバイトを雇うお金もなく、友人と私で材料調達から仕込み、調理、ホール・接客、片付け、経理まで、何から何まですべて分担して行っていました。レストランの近くにはベトナム人留学生の多い日本語学校があるので、学生たちの朝ご飯を提供するために朝7時にはレストランを開けていました。そのためには朝5時に準備を開始するので、前日に遅くまでお客さんがいたときは、レストランに泊まり込んで早朝から準備をする日々が続きました。

 

時間があるときには、新しいメニューを考えたり、今ある料理の意見をみんなから聞いて、それをもっとおいしく作ることができるように練習したりしていました 。今までのつながりのある友人たちも来てくれますが、それだけではダメなので、新しいお客さんを集めたり、リピーター客をつくるためのキャンペーンを常に考えたりしなければなりませんでした。開店したばかりのときはいろいろ大変で休めませんでした。でも、やりたいことができている気は満々でした。仕事を通じていろいろな人との新しい出会いもあり、友人の輪もさらに広がり、とても充実していて満足でした。

 

そのほかにも、みんなが気軽に交流でき、食べなくてもみんなで話をしたり、歌ったりすることができる空間をつくりたいと思っていたので、オープンのカラオケスペースも作り、コミュニティの輪も広がっていきました。ワクワク旅の友人たちにとっても、私たちのレストランは集まりたいときに集まれる場所になりました。私の夢は少しずつ実現していきました。レストランに来てくれた人たちは、いつのまにか私の第2の家族のような存在となりました。

 

私にはビジネス以外にモーターバイクが趣味です。趣味とビジネスが合わさり、ハーレーのイベントでお店を出展することができました。バイクを見ながら、ベトナム料理を提供し、ベトナムの食文化を宣伝することもできました。

 開店して1年後、お店もある程度軌道に乗り、やっとアルバイトを雇うお金もできたので、前よりも自分の時間を確保できるようになり、やりたいことができたり、行きたい場所に行けるようになりました。

メッセージ

来日前、だれもが夢を抱いています。しかし、学校の授業料や生活費の負担が大きいので、自分の夢を実現できないまま、自分の道を見失って、お金を稼ぐことばかりになってしまう人もいます。また、やりたい専門ではないことを勉強する学校を選ばなければならなかったり、専門とは関係のない仕事に就職せざるを得なかったりする人もいて、日本での生活や嫌になってしまう人も中にはいるかもしれません。しかし、一番大切なことは、自分は何がやりたいのか、どういう道に進みたいのかをいつも明確にすることだと思っています。たとえ、みちに迷っても自分の夢や目標を明確にしておけば、道に迷っても自分の進みたい道に戻ることができます。時間があるときにやろう、お金があるときにやろうとは思わず、今から少しずつ、自分の夢を叶えるための努力をし、経験を積み重ねるべきです。やりたいと想う夢はいつか叶うでしょう。

神奈川、2018年11