ファム コック トアン

PHAM QUOC THOAN

Profile & Message

2010年      ベトナムの電気専攻の大学卒業

2011      ベトナムの建設会社で技術スタッフとして働く

2013年      日本へ建設業界の技能実習生として来日

2016年            ベトナムへ帰国しベトナムで働く

2018年           結婚後、家族滞在として来日

2019          千葉にある建設会社で正社員として勤務

今、技能実習生などいろいろな問題に直面して落ち込んでいる人は、周りの人に相談したらきっと良い方法が見つかります。諦めずに頑張ってください。辛く険しいことも、回り道もすべては自分のためになるのです。

新しい道が広がる

2010年にベトナムの大学の電気専攻を卒業後、技術スタッフとして建設会社に入社し、変電所の電線工事の仕事をしていました。この仕事は自分の専門を生かせる仕事で、給料も生活するには十分の額だったのですが、3年間この仕事をしていてもあまり貯金もできず、仕事も変化がほとんどなく退屈でした。将来性も見えなかったので、私はチャンスを掴むために新しい道を探し始めました。

私は日本か韓国へ行って働きたいと思っていましたが、日本に行くことに決めました。この当時は2010年代で、ベトナムには日本企業がたくさん進出していて、技術力がある人は高い給料で採用されていました。なので、日本へ行って経験を積んでからベトナムに戻ったら日本語もできて技術力や経験もあるので、条件の良い仕事があるだろうと思いました。なので、私は韓国ではなく日本に行こうと決めました。そしてハノイの技能実習生の送り出しとエンジニアの人材紹介事業を行っている人材紹介会社に登録しました。


大学を卒業していたので、最初はエンジニアとして日本で働くつもりでしたが、なかなか電気エンジニアの求人がありませんでした。来る日も来る日もずっと待っていましたが、一向に求人が来る様子はありませんでした。ちょうどその時、日本の建設会社で塗装の技能実習生の求人がありました。もともと技能実習生として行くつもりはなかったのですが、ずっと勉強してきた日本語の力をはかることができ、今後、エンジニアの求人が来た時の練習にもなると思って会社の面接を受けたところ、合格しました。この当時はインターネットに日本の会社の給料や税金、保険、ビザなどの情報はなかったので、基本給15万円/月に満足して、技能実習生として来日することに決めました。

技能実習生として来日

技能実習生として来日した人たちはみんなそうだと思いますが、『みんなの日本語』の第20課までしか勉強していないので、来日当初はわからないことばかりでした。来日後の1か月間は、すぐには仕事に行かず、組合で日本語の勉強やマナー、仕事のことなどを勉強しました。1か月という時間は日本語を覚えるのに短く、会社に入ってからは日本人社員が何を言っているのかわからず、私も言いたいことが言えず苦労しました。しかし会社の中には、言葉だけで説明するのではなく、実際に見せて説明してくれる良い先輩もいました。道具を見せながら説明してくれたり、仕事のやり方も実際にやって説明してくれたりしたので、日本語がわからない私にとって分かりやすかったです。その一方で、正直に言うと、良い先輩ばかりではありませんでした。技能実習生である私たちに会うたびに怒り出す人や文句、悪口を言う人もいて、最初は悔しい、悲しいと思っていました。なぜエンジニアの求人が来るまで待たなかったのか、とても後悔しました。けれども、どこの会社にも良い人も悪い人もいます。自分で決めた道を後悔しても仕方がないと思い直し、悪口や文句は聞き流して日本語の勉強や仕事を一生懸命やろうと心に決めました。


技能実習生の自分には、留学生たちのように日本語を集中して勉強する時間も環境もありませんでした。なので、勉強できるときに集中して勉強していました。例えば、仕事のときはいつも小さなメモ帳とペンを持って、新しい道具のことや仕事の説明をメモして、一生懸命覚えました。それでも足りず、もっと日本語を勉強したかったので、事務所の人から紹介されたボランティアの日本語クラスにも参加していました。ボランティアの日本語クラスは週2回ありました。仕事が終わったら急いで家に帰り、夕食を食べてから夜の7時から9時まで日本語クラスで勉強し、翌日は朝5時30分には起きて仕事に行くという生活を3年間続けていました。この日本語クラスの授業は日本人の先生1名に対して生徒1名という1対1の授業で、『みんなの日本語』で勉強した文法や、わからない言い方や会話など、いろいろなことを教えてもらえました。先生たちはご年配の方もいたので、何と言っているのか、聞き取りにくいこともありました。それでも一生懸命集中して聞き取ろうとしていたので、聴解力はとても伸びたと実感しています。この1対1の授業で先生とも良い関係を築くことができ、クラスの授業内容も連続している内容だったので、勉強を楽しかったです。私は技能実習生の契約期間満了の3年間、ずっとこのクラスで日本語を勉強し続けました。

辛く険しい壁が立ちはだかる

技能実習生の仕事だけの生活はつまらないので、インターネットでベトナム人のグループやコミュニティのイベントを探して、週末、参加していました。私はベトナムにいたときにダンスを習っていたので、日本にベトナム人のダンスサークルがあることを知ったときはとても嬉しかったです。このサークルは1か月に2回集まり、みんなでお金を出し合って場所を借りて活動をしていました。メンバーがお互いにダンスを教えたり、時々、在日ベトナム学生青年協会(VYSA)のイベントなどでダンスのパフォーマンスを行ったりして、楽しかったです。


このサークルを通して、私は今の妻とも出会うことができました。妻は出会った当時から日本で正社員として働いていました。私はもともと、技能実習期間の3年間が終わったらベトナムに帰って働くつもりでしたが、私は妻と結婚してずっと日本で一緒にいたいと思い始めました。妻との出会いが私の人生の大きな転機になりました。しかし、ベトナムに帰国してからまた日本へ来るチャンスを掴む道は長く険しい道のりだったのです。


技能実習生は帰国後、最低1年は国で技術移転に努めないと再び日本へ行くことができないという決まりがあったので、帰国後は技能実習生に日本語を教える仕事をしたりしながら貯金をし、日本語の勉強も続けていました。そして今回はエンジニアとして日本へ行くチャンスを探していたところ、電気エンジニアを募集している日本の会社がありました。会社のSkype面接受けて内定をもらいました。ビザの申請も来日後の住居も会社が手配してくれるということで、すべてがスムーズにいくと安心していたところ、ビザの結果は不許可でした。不許可の理由は、技能実習生のビザ申請のときに、大学の入学・卒業年度に誤りがあったからです。

また、帰国して1年経たずにエンジニアのビザの申請してしまったことも理由だと考えられます。これらの経緯を説明して再申請する方法もあると教えてもらいましたが、当時私のビザ申請を代行している会社は、技能実習生だった人が、帰国後にエンジニアのビザ申請をするという手続きが初めてで、帰国後の技術移転のことなどを上手く説明できないので、会社の方が再申請できないという判断でした。結局、せっかく内定が取り消しになってしまい、とてもショックでした。何より、私の専門が仕事との関連性がない、会社の書類不備という理由だったらビザの再申請の気持ちも持つことができたのですが、書類内容に相違点があるということは、前に噓をついていたと入国管理局に思われているということなので、今後もビザ申請しても許可される可能性が低く、日本へ行く道が閉ざされてしまったと暗い気持ちになりました。 


2か月間、ずっと落ち込んでいましたが、これ以上落ち込んでいてもしょうがないと気持ちを切り替え、ベトナムで新しい仕事を探し始めました。新しい仕事は日本の雑誌の編集の仕事でした。私の大学の専攻とは関係していませんが、文章の構成、メールの書き方、仕事のスケジューリングなど初めて学ぶことが多く、今の仕事に大いに役立っています。


ベトナムに帰国してからの2年間、日本にいる妻と遠距離恋愛を続けていました。けれどもこのまま遠距離恋愛を続けていてはいけないと思いました。エンジニアの正社員として働くことができなくてもいいので、妻と結婚して家族滞在のビザで日本へ行こうと決め、結婚後に家族滞在のビザ申請をしましたが、また不許可でした。私も申請を代行してくれていた行政書士もショックを受けていました。不許可の理由は、前回エンジニアのビザを申請した時期から今回の申請までの時間が短く、妻と結婚している証拠も足りなかったので、偽装結婚だと疑われたからだと思います。このとき妻は妊娠5か月でした。もうこれが最後のチャンスだとお互いに励ましあって、もう一度申請しました。このときは母子手帳や付き合っているときや結婚後の写真などの証拠をたくさん集めて申請したので、最後の最後に入国管理局が信じてくれ、半年後、やっと日本へ行くことができました。

念願が叶う

家族滞在として日本に戻り、週28時間という制限がありますが、アルバイトをしようと思い、いろいろな面接を受けました。実際に面接に合格する割合は50%で、流暢に日本語が話せない、履歴書が上手く書けないという自分の弱点に気が付きました。このことを妻に相談したところ、MPKENの就活支援勉強会を紹介してくれました。この勉強会は自分の求めていることを学べるのでさっそく申し込み、参加しているときに良い求人に出会いました。この求人は自分の専門である電気の知識を生かすことができ、尚且つ技能実習生のときの建設の経験も生かせるので応募したところ、書類選考が通過し、面接となりました。日本で直接、会社の面接を受けることが初めてだったので、 “これはチャンスだ、頑張ろう”と思い、面接で質問される内容をリストアップして、家で面接の練習を行いました。面接当日、家でたくさん練習していましたが、やはり緊張して声が小さくなってしまうこともありましたが、話が進んでいくうちに次第に自信が出てきて、大きな声でしっかり受け答えできました。


その後、とんとん拍子に2回面接に呼ばれ、最終面接で内定をいただきました。内定をいただいたときは、夢じゃないかと思うほど嬉しかったです。日本に戻ってきてから4、5か月でエンジニアとして正社員で働ける仕事が見つかり、会社は自宅からも通いやすく、仕事内容も私の専門とピッタリで、こんな夢のようなことがあるのでしょうか。内定をいただきましたが、まだ浮かれるわけにはいきませんでした。私の前には家族滞在から就労ビザへの変更という壁が立ちはだかっていました。ベトナムでの辛い経験があったので心配になり、ビザ申請を手伝ってくれる行政書士に今までベトナムで申請した際のことなどの経緯を論理的に説明しました。そしてビザ書類を作成し、申請した2週間後、申請結果が届きました。無事に就労ビザを取得できたのです。まさかこんなに早く結果が出て、就労ビザを取得できるとは思わなかったので、思わず泣きそうになりました。

技能実習生として日本で3年間働き、日本へ行くためにいろいろと辛く、険しい道のりがありましたが、今は堂々と胸を張って正社員として働いています。

メッセージ

日本にエンジニアとして行くつもりでしたが、技能実習生、ビザなど回り道をして6年後、ようやくエンジニアとして働いています。今考えるとこの回り道は決して無駄ではありませんでした。妻にも出会え、日本語も上達し、いろいろな経験、知識を得ることができ、この6年間があったからこそ今の自分があります。

今、技能実習生などいろいろな問題に直面して落ち込んでいる人は、周りの人に相談したらきっと良い方法が見つかります。諦めずに頑張ってください。辛く険しいことも、回り道もすべては自分のためになるのです。

東京、2019年2