グエン ドック タイン

Profile & Message

2007年      ダナン工科大学の建設学部を中退

2005年          来日し、幕張日本語学校へ入学

2017年          専門学校国際ビジネスカレッジへ入学

2018年          日商簿記1級合格に合格

2019年          株式会社マナティーチを設立し、CEOに就任

僕は今、マナティーチという会社の代表取締役をしています。「僕の人生を変えてくれた簿記を今度は留学生のみんなに伝えたい」という想いから、この会社でベトナム人留学生のキャリアアップを支援しています。

専門学校で「簿記」に出会い、この出会いが僕の人生を変えました。日本語だけでなく、「簿記」というビジネススキルを積み上げていくことによって、あなたに明るい未来が待っていますよ。

母を号泣させ、父からは勘当されたヤンキー時代

高校生の時、僕はほとんど学校に行っていません。授業をさぼっては不良仲間とゲームやビリヤードなどで毎日遊びまわり、学校の担任の先生からはしょっちゅう母へ連絡がありました。高校の卒業式では、不良仲間と大量の爆竹で大騒ぎしたので、警察沙汰にもなりました。両親は僕のことにいつも頭を悩ませていました。高校を卒業したあとは地元のゲアンを離れてダナンの大学の建設学部に入りました。父が建設会社の社長だったので、両親は僕が大学で建設の勉強をすると聞いてとても喜んでいました。とくに父は、「どうしようもないダメ息子でも地元も離れ、大学で勉強すれば更生するだろう。そしてゆくゆくは自分の会社を継いでくれる」と期待してくれていました。


しかし、今までの習慣は簡単には直りませんでした。建設の勉強も退屈で面白くなかったので、徐々に大学に行かなくなり、高校時代と同じように悪い仲間と遊び惚けていました。さらに両親に相談せず、たった1年で大学を勝手に退学しました。退学後、半年間は両親に内緒で遊んでいたのですが、退学した事実をずっと隠しておくこともできず、両親にばれてしました。母は号泣し、父は激怒しました。挙句の果てに、父からは「こんなにダメ人間とは思わなかった。もうお前には期待してない。ベトナムから出ていけ」と言われてしまいました。

知っている単語はたった3つ、そして、ひたすら段ボールを潰す日本での日々

僕はこのままではダメだと考えました。「人生をリセットしたい…」と強く思いました。そんな時小学校からの友人が日本に留学していることを知りました。でも日本なんてそれまで全く知りません。でもぼくはどこでも良かったのです。とにかく環境を変えて一から頑張りたい。そして日本に留学することを決めました。


来日当初、とても苦労しました。実はこの時、ひらがなもカタカナも書けず、知っている言葉も「飲む」、「食べる」、「お金」の3つの言葉だけで、挨拶もできない状態だったのです。留学生は日本に来る前、日本語センターなどで日本語の勉強をしてから来るのが普通ですが、僕は日本語センターの授業もさぼってほとんど出席してなかったのです。相変わらずのダメ人間でした。


学校以外の時間は、生活費を稼ぐためにアルバイトをしていました。日本語が全く話せないのでまずはお弁当工場で働きました。仕事内容は段ボールから食材を出して、その段ボールを手で潰す仕事でした。延々とその繰り返しです。気が狂いそうになりました。でも、日本語が話せない僕にはその仕事しかできませんでした。そして周りを見たら自分と同じように日本語を話せない外国人、もっと言うと、話せるようになる努力もしない外国人ばかりでした。


そこで、僕ははっと気が付いたのです。「俺は何をしに日本に来たのか。段ボールを潰すためじゃない。今度こそ変わらないと、、、人生がこのまま終わっちゃう」。

今こそ、「変わらなきゃ!!」と心に決めたのです。

僕が、簿記1級受験すると言ったらみんなが笑いました。でも、6か月後、合格通知を見せると―!

まず、僕は日本語力を上達させたいと思っていました。そのため、多くの日本人と話すことができる飲食店のアルバイトを探しました。でも働きたい気持ちだけでは採用してくれず、十数店の面接を受けましたが全て落ちました。「やっぱり自分じゃだめなのか…」そう諦めかけた時に、家の近くのラーメン屋の求人が貼ってあるのを見つけました。これが最後だという気持ちで面接に臨み、下手な日本語でしたが、全力で気持ちを伝えました。そうしたらなんと採用してくれましたのです。夢のようでした。


後日、面接してくれた店長に、なぜ僕を採用したのかと聞いたところ、「ちょうど深夜ラストまで働いてくれるバイトを探していて、面接の時にラストまでできるかって言ったら“はい”って言うから採用したけど、働き始めたらラストまでできないっていうし…」。僕は日本語が分からないので面接の時、すべての質問に大きな声で「はい!」と答えていました。このときばかりは自分の日本語力の低さに助けられました。またアルバイトでは、たくさんの日本人の仲間ができました。時々、アルバイトが終わった後にみんなで飲みながら朝までおしゃべりしていました。このおしゃべりが楽しくて、みるみる僕の日本語力は向上していきました。

日本語学校2年生になり、進路を考える時期になりました。僕はベトナムでは大学を中退しているので、専門学校へ行かないと就職できません。先生にどこか良い専門学校がないか聞いたところ、「東京国際ビジネスカレッジ」を紹介してくれました。


専門学校に入って出会ったのが「簿記」でした。たまたまその専門学校が「簿記」に力を入れていたのです。正直「簿記」が何かはよく分かりませんでした。しかし、、勉強していくうちに簿記の面白さに取りつかれていき、毎日毎日、猛勉強しました。2週間の勉強で「日商簿記3級」合格、1か月で「日商簿記2級」合格と、とんとん拍子に合格しました。これがさらにやる気につながり、簿記の最難関「日商簿記1級」にチャレンジすることに決めたのです。周りからは、「絶対無理だよ」、「時間の無駄」、「バイトした方がいい」などいろいろ言われました。しかし、僕は、絶対変わってやる!絶対合格する!という強い心を持っていました。だからこそ、毎日の睡眠時間を削って勉強し、時には15時間以上も勉強しました。ついには、勉強し始めてから6か月後に「日商簿記1級」の合格通知が僕のもとに届いたのです。すると、先生は仰天し、「おそらくベトナム人で簿記1級を合格したのは君が初めてだよ! 」と喜んでくれました。とても嬉しかったです。この成功体験で自信を持てるようになりました。


僕が簿記の勉強に熱中しているとき、周りの同級生たちは就職活動に明け暮れていました。僕は周りから見ると就職活動を始めたのは遅かったのですが、「日商簿記1級」合格が強みとなり、内定をもらうことができました。その一方で、早くから就職活動就活を始めていた同級生たちは内定をもらえない」、「何を準備したらいいのかわからない」、「周りに良い先輩がいない」とよく嘆いていました。その当時、僕は簿記1級も受かったこともあって学校ではちょっとした有名人でした。ですから、いろいろな人からの相談を受けていました。そこで気が付いたことは、その人達が目標の見つけ方や達成の方法がわからないのだということでした。


このように相談を受けているくうちに、だんだん、自分のためではなく留学生の人たちのためにに何かできないかという考えが僕に生まれてきました。自分の得意な「簿記」を生かせば、何かできるのではないだろうかと感じていたのです。とはいうものの、実際にはどうしたらよいのかわからず、悶々とする日々でした。  

諦めかけたその時、ベトナム歴8年公認会計士の永井さんと奇跡的に出会った。

自分が留学生たちのために何かできることはないかと悶々としている中、ハノイで8年間働いていた永井さんという会計士さんに出会いました。永井さんも日本にいるベトナム人留学生の就職問題や技能実習生の問題を知りしり、簿記で支援をしたいと考えて日本へ戻って来たのです。このタイミングで同じ夢を持つ日本人の永井さんと出会えたことはまさに奇跡でした。


僕たちはたくさん語り合い、お互いに共感し、その結果、簿記の可能性を見出すことができました。日本の簿記検定は毎年50万人もの人が受験をする最も有名な資格で、日本人なら誰もが知る資格です。ですから、ベトナム人が、簿記資格を取得することができれば就職活動で有利になります。ところが、ほとんどの場合、簿記の授業は日本語で行われ、ベトナム人が簿記3級や2級を取りたいと思っても難しいのです。そういう訳で、僕がベトナム語で授業をして、日本の簿記資格を通じて留学生、実習生のキャリア支援をしようと決めました。

生徒5人、全員日本で就職!何がその違いを生じさせたのでしょうか?

簿記の授業をやろうと決めたのはよかったのですが。実績も何もない中では簡単には生徒も集まりません。最終的には同級生の友人5人が僕たちの最初の生徒になってくれました。教室は秋葉原の小さな貸し会議室です。みんなアルバイトもしているので、授業だけでなく、深夜1時にFBライブ授業もしたりしました。授業やFBライブ、カウンセリングなど、いろいろなサポートしました。その結果、1期生の5名全員が日本で事務の仕事に就職することができ、4月から働いています。


「先生のおかげで人生変わりました。ありがとうございます。簿記の勉強をしてなかったら今頃は就職できずにベトナム帰国していました。」最初の生徒であるハインさんから就職が決まった時にもらった言葉です。誰かに感謝されるなんて、昔の自分からは想像できませんでした。僕の人生も日本に来て本当に変わりました。

その一方で、就職できず、泣く泣くベトナムに帰った友人もいます。何がこのような違いを起こさせるのか?と僕とは考えました。その違いは、簿記というプラスアルファのスキルと、人より努力したかどうか。です。正しい方法で努力し、簿記というスキルを身につければ、きちんと評価してくれる社会があるのです。


それでも、日本で就職できず困っている留学生や目標がなく将来も見えず不安な留学生は、まだおよそ30万人もいます。僕たちが簿記を教えた1期生の5人はみんな就職もできましたが、留学生全体で考えるとチャンスに恵まれた人たちなのです。この5人のことがベトナム人の中で知れ渡り、日本やベトナムにいる人たちからの問い合わせが増えました。僕たちはどうすればこの状況を変えられるのだろうかと常に悩み考えました。というのも僕の体は一つだからです。その結果、行きついたのは「オンラインの簿記学校」の設立です。それが「株式会社マナティーチ」なのです。このマナティーチは2019年2月に創業し、今では名古屋や大阪、広島、神戸、新潟、ハノイなど各地へオンラインの簿記の授業を提供しています。  

メッセージ

先日、兄の結婚式に参加するために久しぶりにベトナムに帰り、父親と久しぶり会いました。今の僕の仕事をたくさん話しました。父は喜んでくれて、今ではとても応援してくれています。


今はビジネスの立ち上げでいろいろと大変ですが、生徒たちといっしょに頑張るので、幸せでワクワクしています。生徒たちから、「合格しました」や「就職できました」という喜びの声を聞くと、自分のこと以上に嬉しいです。


今、いろいろと不安を抱えていて、将来や目標を持てなくなっている人もいると思います。目の前にある目標1つに全力をかけて、どんなに小さくてもいいので成功体験をしてみてください。それが思いがけないチャンスや運命の人と出会うきっかけになるかもしれません。僕のように人生が変わるかもしれません。僕の経験が少しでもみなさんのお役に立てれば嬉しいです。

東京、2019年4