ダン ティ トゥイー

Profile & Message

2010年     ハノイ工業大学に入学

2011     土木大学建築学部に入学

2013     ハノイ工業大学を卒業

2015     JPCAREER(日越人材開発雇用促進プロジェクト)の第一期生として参加

2016年6月    土木大学を卒業

2016年11月   日本の建築会社から内定をもらう

2017年8月    来日し、建設会社へ入社

      この4年間で、私はチャンスを掴むためには、ずっと同じところにいるのではなく、達成したい目標を設定してモチベーションを高め、努力し続けることや、同僚とも積極的にコミュニケーションを取り、お互い試行錯誤できる環境をつくることが大切だと学びました。このASEAN SEMPAIの記事を通してみなさんにも私の経験を伝え、少しでも皆さんに日本で有意義な経験をしてもらいたいです。

運命の出会い

 4年前、私がまだ大学3年生の時、将来はまだ何をしたいかはっきりとした目標や夢はありませんでした。ただ漠然と卒業したら給料が高いので外資系の企業で働きたいなと思っていたぐらいで、「日本へ行きたい」という気持ちはありませんでした。 


将来についてどうしようかと思っていたとき、偶然Facebookで “JPCARRE(日越人材開発雇用促進プロジェクト)” が土木大学で開講されることを知りました。今まで日本で働くためには、高いお金をエージェントに払って行く方法しか知りませんでした。私の家はそんな経済的な余裕はなかったので日本へ行くことは全く考えていなかったのですが、JPCAREERのことを知り、これはチャンスかもしれないと思い、迷わずに説明会に参加しました。参加後、このプロジェクトを通して日本で働きたい気持ちが高まりました。そして書類選考や面接を経て、晴れてこのJPCAREERの 1期生として60名のメンバーとともに日本語の勉強が始まりました。

    

このプロジェクトは半年から1年で日本語N3相当の日本語力を身に付けることが目標なので、カリキュラムはどんどん進んでいきます。クラスが始まった当初は日本語が新鮮で、尚且つ頑張って勉強したら日本へ行けるチャンスが目の前にあったのでワクワクしていました。


ところがだんだんカリキュラムのスピードが早くなり、勉強が難しくなってきました。私はもともとあまり外国語が得意ではなく、また大学3年生だったので、午前中は大学の授業を受け、午後は家庭教師のアルバイト、そして夜はプロジェクトのクラスで日本語の勉強という毎日でした。朝から夜の11時までとても忙しく、日々のストレスやアルバイトの疲れが溜まり、毎日の日本語の勉強が追い付かなくなってきました。クラスの他のメンバーと比べても、私の日本語能力は下の方だったので、勉強へのモチベーションはどんどん下がっていきました。


ある時期、日本語の勉強が嫌になり、とうとうクラスに行かなくなってしまいました。クラスの先生が私のことを心配してくれて、何度も何度もメッセージをくれました。私は日本語の勉強を頑張ってもどうせダメだと思っていたのですが、先生たちやプロジェクトの人たちが心配してくれたり、励ましてくれたりしたので、このまま辞めたら申し訳ないという気持ちになり、もう一度頑張ってみようとクラスに戻ることに決めました。


このプロジェクトは日本語のクラスだけでなく、日本の建設会社を集めたジョブフェアも行っているので、ジョブフェアに参加して日本で働くチャンスがあります。

第1回目のジョブフェアが来ました。私はまだ『みんなの日本語』の25課までしか終わっていないので、できることとしたら挨拶と簡単な自己紹介だけで、その当時、会話力はほとんどありませんでした。それでも企業との面接を体験してみたかったので参加を申し込みました。結果は予想通り、1社からも内定をもらえませんでした。ダメもとで参加していたのですが、同じクラスの人の中には内定をもらっている人がいると知り、とても落ち込みました。自分も同じクラスで勉強していたのに1社も内定をもらえなかったのは、自分に足りない部分があるからだと反省して、本気で日本語の勉強を頑張ろうと心を入れ替えました。

内定への道

第1回目のジョブフェアが終わってから数か月後、第2回目のジョブフェアが開催されました。今回は準備時間が長く、頑張って日本語を勉強していたので自信をもってジョブフェアに臨みました。その時に来ていた企業は6社でした。私はたとえ全部の企業の面接を受けて内定をもらえなかったとしても、自分の実力を知る良い機会になるだろうと思っていました。真剣に日本語の勉強を頑張ってきた努力が報われたのか、結果として3社から内定をもらいました。


この内定をもらった企業は、ホーチミンにも支社がある建設会社や今働いている建設会社です。私はジョブフェアに臨む時「最初に内定を出してくれた企業へ入社する」と決めていました。この時最初に内定をいただいた企業は、ホーチミンに支社がある建設会社で、この会社はまず3年間は日本にあるお客さん先の企業で働き、その後、ホーチミン支社で働くというキャリアプランだったので魅力的でした。私は迷わず内定を承諾し、私の日本の派遣先を待っていました。


内定承諾してから1か月後、その会社から派遣先との交渉が上手くいかず、日本へ行かずにホーチミン支社で働いてほしいと言われました。私の日本へ行く夢が立ち消えてしまったのです。せっかく日本語を一生懸命勉強したのに、日本へ行くために今まで頑張ってきたのにと悔しい思いが募りました。どうするか考え、やはりその会社の内定は辞退しました。

内定を辞退することをプロジェクトの担当者に伝えたところ、前回、内定をもらった建設会社が次のジョブフェアにも参加するからもう一度挑戦してみようと言われました。第3回目のジョブフェアは、内定を辞退した日の翌日でした。プロジェクトの担当者の人たちがその会社に話をしてくれたので、面接してもらえることになりました。ただ、内定辞退した翌日がジョブフェアで準備期間がほぼありませんでした。


第3回目のジョブフェアの日は私にとって忘れられない1日でした。日本へ行くチャンスがなくなったことへのショックを受け、何とかチャンスが巡ってきたけれども準備時間が短すぎて間に合わないことへの焦りでなかなか寝ることができませんでした。どうしても眠ることができないので、面接で今途中になっているプロジェクトを見せられるように完成版まで仕上げることにしました。この突如舞い込んできたたった1%しかないチャンスをただ口を開けて待つのではなく、何とか自分の手で掴むために、明け方1時から4時間集中してプロジェクトを完成させ、面接会場へ持って行きました。


第3回目のジョブフェアの面接会会場は土木大学でした。集合時間に間に合うように走っていた時、ちょうど前回内定をいただいた企業の面接官の方2名に会いました。私は前回内定を辞退して他の会社を選んだので、あまり良い印象を持たれていないだろうと緊張したのですが、面接官の人たちから「Thuyさん、おはよう」と優しく声をかけてくれたのです。まさか自分のことを覚えてくれていたとは思わず、緊張していた気持ちが解け、落ち着いて面接に臨むことができました。


面接では「なぜ、前回の内定を辞退したのか」と聞かれると思っていました。事前にその質問への回答も考えていましたが、やはり聞かれ、初めに内定をもらった会社に入社したいと考えていたことを素直に伝えました。頑張って完成させたプロジェクトの資料もアピールすることができました。私は日本語能力N4で、面接の時には通訳の人にところどころ手伝ってもらいましたが、なんと2度目の内定をいただきました。とても嬉しくて、この会社の内定を承諾しました。会社の人との約束で、まず今から1年間は日本語能力N3が取れるように頑張って勉強して、1年後に日本へ行くことになりました。

来日後、最初のショック

1年間、その会社へ入社するためのビザ書類を準備したり、日本語を勉強したりしていました。日本語能力試験のJLPT N3やNAT-TEST3級をなかなか取得できず、何度も試験を受けました。そして来日直前にやっとNAT-TEST3級に合格し、会社との約束を果たすことができました。


ちょうど日本へ行く1週間前、バイクを運転していた時にひったくりに遭いました。獲られたカバンには、日本へ行くためのパスポートや在留資格認定証明書が入っていたので、とてもショックでした。私は日本へ行く運がないのだと落ち込んでいたのですが、幸運にもひったくり犯がカバンを投げ返してくれたのです。日本へ行くために必要な書類は盗まれておらず、全部ありました。そして2018年7月、いろいろと大変なこともありましたが、やっと来日できました。

私と同じく4名のベトナム人が来日し、入社しました。私はその中で一番日本語が下手だったので、会社の人が空港へ迎えに来た時に心配して優しく声をかけてくれました。「わからないときはわからないと言ってください。わからないのにわかった振りをして、結局仕事ができなかったら、仕事ができない人だと周りは評価してしまいます。だからわからないときは素直にわからないと言ってくださいね。」この言葉は今でも忘れられません。


来日後の2週間はいろいろと入社のための手続きや準備をしました。本格的に仕事が始まり、最初の図面を任されたとき、トラブルが起きたのです。ある一人の先輩社員から私は一つの図面を任されました。その先輩から「明日までにお願いします」と言われ、私は仕事に取り掛かりました。それほど難しい仕事ではなかったので翌日の午前中には終わっていたのですが、午後に渡してもいいと思い、そして何より初めての仕事だったので完璧にやろうと思って修正をしていたので、先輩から図面のことを聞かれたときには「まだです」と答えました。するとその先輩社員から、みんなの仕事の進捗に影響するから締め切りを守らないとみんなに迷惑がかかると怒られてしまいました。その社員は、翌日の午前中に提出してほしいと思っていたようですが、私はわかりませんでした。怒られている私とその社員さんを他の人たちがまだ初めてのことだから仕方がないとフォローしてくれましたが、入社したばかりなのにもうトラブルを起こしてしまったので、私はこの会社で仕事を続けることができるのだろうかと不安になり、頭が真っ白になってしまいました。そして会社を辞めさせられるかもしれないととても心配になりました。


トラブルを起こしてしまったのは金曜日でした。その週末は心配と不安が頭から離れず、何も手に付きませんでした。ベトナム人の先輩に相談したところ、起こしてしまったことは仕方がない。今の自分の気持ちをそのままにせず、素直に話したら不安がなくなって、仕事への恐怖心もなくなるだろうから、今のうちに解決した方がいいとアドバイスをもらいました。


私は自分の気持ちを正しく伝えることができるように、日本語を一生懸命調べて話す準備をしました。そして週が明けた月曜日、朝のミーティングの時にトラブルのことを自分から報告し、自分の気持ちも素直に伝えました。「私は日本語がまだできないので、仕事を任せるときはゆっくり日本語を話してほしい。いつまで、何時までとはっきり指示してほしい。」とお願いしました。私も仕事を任されたときにすぐわかりましたと言わずに、わからないときは確認するようにしたので、少しずつ仕事は順調に進んでいきました。


トラブルが起きてから、怒られたその社員さんには何となく近寄ることをためらってしまい距離ができてしまったのですが、それも解決しました。ある時、ベトナム出張にその社員さんといっしょでした。その時に、「Thuyさんはまだ入社したばかりだったけど、締め切りを守ることの大切さを知ってほしくて厳しく指導した。ごめんなさい。」と話してくれました。今ではお互いの距離が縮み、いつもいろいろと教えてくれ、一番お世話になっている人です。

新しい目標

私の仕事は建築の外装と内装の設計、2Dと3Dの図面を描くことです。もともとこの会社は建築施工がメインの会社で、建築の設計はここ数年で拡張していった事業です。なので、図面を描ける先輩はいませんでした。図面を描くソフトを使えるのは自分だけなので、他の社員の人に教えないといけません。大変なことですが、良いチャンスです。自分は会社で必要とされていると実感し、頑張らなければと自分で調べてみんなに教えました。


今では入社して2年が経ちました。日本語能力はまだN2ぐらいですが、仕事にも慣れて、今は「 2級建築士」に合格することが私の目標です。日本では何をやるにも資格が必要です。私の会社でもほとんどの人が資格を持っていて、持っていないのは私たちベトナム人社員だけです。資格に合格しないと図面に名前を書くことはできません。「外国人社員は日本人社員に負けているとは思われたくない」とベトナム人4名で頑張って資格に合格しようと決めました。

次の目標に向かって一生懸命勉強に取り組んでいます。すごく難しい試験ではないですが、頑張って勉強しないと合格できないので、毎日の始業前と終業後に勉強しています。会社も応援してくれています。週末にはみんなで勉強会を開き、相談したり、質問し合ったりしながらお互い切磋琢磨しています。

メッセージ

私にとって日本との縁は偶然見つけたFacebookの投稿から始まったものですが、来日し、今のように自分の専門を活かしながら好きな仕事ができるのは長い間努力続けた結果で、偶然のものではありません。


 4年間の日本語の勉強と日本での2年間の経験。これは他の先輩方に比べると短いかもしれませんが、私にとって大人になってからのこの4年間はとても中身が濃く、有意義な時間でした。


この4年間、自分のための目標を設定してその目標に向かって頑張ってきました。また、ベトナムから遠い離れた地で病気になったり、一人ぼっちで心細くなったりしたときも乗り越えてきました。会社と自宅との往復だけの毎日にならないように、今ではフィットネスジムへ通うことや英語の勉強を始め、少しでも生活を充実させようと思っています。日本に来なければ、短い期間でこれほどたくさんの体験をして、たくさん成長する事はなかったでしょう。


この4年間で、私はチャンスを掴むためには、ずっと同じところにいるのではなく、達成したい目標を設定してモチベーションを高め、努力し続けることや、同僚とも積極的にコミュニケーションを取り、お互い試行錯誤できる環境をつくることが大切だと学びました。このASEAN SEMPAIの記事を通してみなさんにも私の経験を伝え、少しでも皆さんが日本で有意義な経験をしてもらいたいです。


静岡、2019年9月