第二外国語とのゆかり

2011年、高校卒業後、貿易大学に進学しました。私は経済や貿易にそれほど興味はありませんでしたが、その当時はまだ 18 歳で、社会についてあまり知識も情報も無かったので、就職がしやすい貿易大学への進学を親に勧められ、特に何も考えずに入学を決めました。


入学して、学校での勉強に慣れた頃、多くのことを経験したいという思いと生活費を稼ぐために、アルバイトを始めることにしました。ちょうどアルバイトを探し始めたタイミングで、学校の近くに日本語センターが新設され、アルバイトの募集をしていました。開校当初はあまりお金がなく、アルバイト代が出ない代わりに、アルバイトをすると無料で初級日本語コースを受講することができました。売り上げが安定したら、給料を支給されるという条件でした。私の専攻していた外国語は英語だったので、日本語も勉強できればいいなと思い、日本語センターでのアルバイトを決めました。これが私の日本語との出会いでした。


私が日本語センターで働き始めて約9ヶ月が経った頃、私の日本語能力は N4 程度にまでなっていました。もっと日本語を使える環境でアルバイトができるように、日本語センターの人が日系のホテルチェーン店を紹介してくれました。ほとんどベトナム人としか接しない日本語センターの仕事とは異なり、ホテルの受付の仕事は日本人と交流する機会がたくさんありました。


しかし、当時の私の日本語能力はまだかなり低く、初めてお客様の対応をしなければならない時は、会話をするのにとても苦労しました。幸いなことに、担当のマネージャーはみんな良い人で、コミュニケーションを上手く取れるように、日本語の勉強を続けるよう励ましてくれました。そのおかげで、日本語の勉強とホテルでのアルバイトを続けたいという気持ちが強まり、大学卒業までアルバイトを続け、卒業前には日本語能力検定N2を取得できました。


卒業前になって、自分の進路について考え始めました。貿易大学で学んだ外国語は英語でしたが、英語を使う仕事は競争率が高すぎるため、英語と日本語の両方を活かす道が良いと思い、日本へ留学することにしました。


N2は合格したものの、当時の私の会話力では、すぐに日本語を使って仕事ができないことを自覚していました。また、日本の文化を知らないまま、日本語を使って仕事をしても意味がないと考え、まだ若いうちに色々経験をしたいと思い、留学に行くことを決めました。


私は様々な留学センターを検索して連絡し、情報収集を始めました。そこで、大阪にある日本語学校を見つけました。通常は入学前に1年分の授業料を支払わなければならないが、この学校は半年分だけの支払いで良かったのです。また、成績が良かったらJassoの奨学金が出るので、最初にあまりお金をかけずに留学する機会を得ることができました。



日本での新生活


2016年4月、手続きの完了を半年近く待った後、私は日本に留学することができました。大阪は賑やかな町だと思っていましたが、とても静かで寂しい感じがしました。

ハノイは窓を開ければ賑やかな音が聞こえてくるが、大阪で賑やかなのは駅の周りだけでした。先輩方は学校に行ったり仕事をしたりと忙しく、私は学校に行ったあとは何もせずに家にいるだけだったので、とても退屈で、最初の二週間はベトナムに帰りたいと思っていました。


2ヶ月後には学校にも慣れてきて、語学学校でのアルバイトも始めたので、少し退屈でしたが日本で暮らしていけそうと思うようになりました。


日本語はすでにN2レベルだったので、学校での勉強はそんなに苦労しませんでした。学校での時間のほとんどは、N1試験の勉強に集中して、専門の勉強と就職の準備に備えていました。さらに私の学校には、様々な国からの留学生が多かったので、交流をすることで、国際的な視点を得ることができました。


私は大学時代から英語が得意だったので、日本語を学ぶにあたって、ベトナム語ではなく英語の日本語教材を使って勉強していました。ベトナム語の教材に比べて、英語の教材の種類は多く、説明も理解しやすく内容もよかったので、良い教材を見つけるたびに、それを要約してベトナム語に翻訳し、知識を個人ページやコミュニティ グループで共有していました。グループでの私の投稿は、皆さんからとても反響がありました。日本に住んでいてあまり、他のベトナム人とも交流する機会が無かったので、コミュニティーでの反応や交流が、楽しみでした。


私がJLPTの対策について勉強したことを整理して、ベトナム語でまとめた書類がコミュニティの中で、役に立つと評判になり広がっています。



新しい専攻への挑戦


語学学校で約2年間勉強した後、すぐに就職するのではなく、日本のIT専門学校に入学することにしました。


最初にもお話ししましたが、私が貿易大学へ入学をしたのは、その分野に興味があったからではなく、親に勧められたことが理由でした。4年間の留学を経て、自分は社会経済の分野には向いていないと考えていたので、卒業後すぐに、理系に進もうと思いました。まだベトナムで学生をしていたとき、FPT で 2 か月間のインターンシップに参加し、そこでの仕事は自分に向いていると思っていました。もともとパソコンが好きだし、ベトナムのアウトソーシング市場はこれからまだまだ拡大する傾向にあり、今後ますます日本語も英語出来るIT人材の需要が高まると思い、ITへの進学を決めました。


日本にはITの専門学校がたくさんありますが、いい学校ばかりではありません。日本のIT専門学校を卒業した多くのベトナム人留学生が、学校で学んだIT知識の量が少なすぎて、就職ができなかったという話を聞いたことがあります。そのため、日本でIT専門を学ぶことを決めたとき、せっかくだからいい学校へ進学したいと思い、慎重に調べて学校を選びました。


私が入学を決めた学校は、日本人からも評判が良く、学生の9割 が日本人でした。実際にその学校に通っている先輩に相談したところ、設備も就職支援も充実しているとのことでした。評判の良い学校だったので、入学試験も簡単ではありませんでしたが、ベトナムで良い大学を卒業し、日本語と英語の能力もあったおかげで、無事に入学することができました。


在学中は、学校の勉強だけでは足りないと感じ、今後の就職にも有利になるので、IT PassportやJava, Cプログラミング言語関連などの資格も取得しておきました。


専門学校での勉強と資格取得のための勉強で、日本語学校の時よりも忙しくなったが、コミュニティグループで日本語学習の知識をシェアすることは続けていました。


また、日本語学習に関するWebサイトも開設しました。学んだIT知識を実際に活用してみたいという思いと、就職のときにポートフォリオにもなるので一石二鳥だと考えました。

いままでのコミュニティグループだと情報が流れてしまっていましたが、Webサイトを作ることでドキュメントを整理することが出来ました。

Webサイトへの誘導のために、「日本語を学ぶことは山を登るのと同じくらい難しい」というFacebookページを作成し、日本のニュースや自分の見解を共有し続けました。

現在はWebサイトは閉じてしまいましたが、Facebookページは今も定期的に更新しており、5万人以上の方に応援してもらっています。



貿易大学生がBrSEになる


約2年間ITを専門的に勉強し、IT業界への就活を始めました。


私は、日本企業よりもベトナム企業の環境の方が、自分には合っていると思い、日本にあるベトナムのIT企業の就職先を探していました。私は FPT に入社し、現在は BrSE の役職に就いています。


日本のIT業界での勉強や就職活動の経験を通じて、英語や日本語を身に付けておくことは大切だと感じました。また、新しい知識を学ぶ姿勢を企業側に見せる必要があると思います。IT業界は常に変化しているので、どれだけ学ぶ意欲があるかが重要だからです。しかし、努力や情熱は口だけでは証明できないので、ポートフォリオや資格などでアピールしましょう。


私は FPTに入社して3 年目に入ったばかりですが、ITのスキルだけでなく学ぶべきことがたくさんあります。お客様とのコミュニケーションや、会議を効率よく進めるための方法など、様々なスキルを身に付けるため、勉強して実践しています。将来はコンサルティングなどのポジションへキャリアアップしていきたいと考えています。



メッセージ


日本語を独学し始めてから、ちょうど10年間が経ちました。


第二外国語の日本語を諦めずに勉強してきたおかげで、日本に留学することができ、日本で仕事をするチャンスも得ました。コミュニティに自分の日本語の学習経験や、日本語の勉強の仕方をシェアすることで、新しい人との繋がりができました。


外国語をしっかりと勉強することはとても大切です。なぜなら、その後の日本での生活や仕事に繋がってきたからです。


学校の授業だけに取り組んでいても、言語は大幅に成長しないので、会話を練習するチャンスを得るなど、自分で機会を作って勉強していくことが重要です。これは日本語だけでなく、英語など全ての言語学習に当てはまります。


また、私のように文系出身でもITの道に進みたい場合は、真剣にそして慎重に学校を調べたりすることや、はじめからその分野を学んでいる人に追いつくように、しっかりと勉強に励んでください。


私の10年間の日本語学習の経験と、4年間のIT業界での経験をこの記事にすることで、これからこの様な道に進もうとしている方が、少しでも勇気が出たり、役に立つ情報をお届けできたら嬉しいです。


皆さんが日本での生活で良い経験ができるように応援しています。



東京、2022年9