グエン・チュン・ザン

NGUYEN   TRUONG GIANG

Profile & Message

2015年 貿易大学ホーチミン市校経済学部 卒業

2015年~2016年 法律事務所で勤務

2017年9月 ADB奨学金を受け、国際関係学を専攻しAPUの大学院に進学

2018年7月 JLPT N1取得

2019年1月     就職活動のため上京

2019年10月   日本の教育法人に就職

2022年2月   川崎外国人市民代表者会議の代表者を務める

誰でも来日や就職したばかりの時は、以前の私のように様々な問題に直面すると思います。

楽な道は平坦で良いかもしれませんが、困難を乗り越えることで成長があるので、みなさんも前向きな考え方で、日本で生活する毎日を大切に過ごしてください。

中学3年生からの日本語との縁

父が日本と関係する仕事をしていたこともあり、私が中学3年の時に、家の近くの外国語センターで日本語と韓国語の教室が開催された際に、母から日本語の勉強をしてみることを進められ、受講してみることにしました。半年ほど勉強し、基本知識が身に付いた頃、高校の受験勉強が忙しくなったのでしばらく休むことにしました。

貿易大学に進学し、第一言語は英語を選択していたので、日本語は別の外国語センターで勉強し直すことにしました。勉強すればするほど、不思議と日本語と日本への縁を感じたのです。大学在学中は週3でセンターに通い、卒業時にはN3を取得していました。

もう少し頑張ってN2まで取得したら、日本語教師のバイトもでき収入も増えるかなと思い、昼間は法律事務所でフルタイムで働きながら、夜はN2取得を目指し日本語を勉強し続けました。

私が働いていた法律事務所は、主に英語を使用していましたが、時々日本人のクライアントとのやり取りもあったので、コミュニケーションの中で日本語を使ってみると、とても反応が良かったので、日本語を使っていけたらいいなと思うようになりました。

小さいころから教育関係の仕事に興味がありましたが、卒業後すぐにはその仕事に就くことは難しかったので、まずは法律事務所で働き、社会人を経験した後、大学や専門学校で講師などをやりたいと考えていました。法律事務所で働きながら、奨学金についても調べ、修士課程に進学するための留学を考えていました。

留学先を探しているとき、日本が一番最適かなと感じていました。やはり、父が昔から日本に関係する仕事をしていることで、日本文化に触れていたので親近感があります。また、自分の性格も思いやりがあり、几帳面で、競争心が強くないところなどが日本人っぽいと感じているからです。

私が日本に行くために選んだ奨学金は、日本の文部科学省奨学金と ADB 奨学金の 2 つです。どちらの奨学金も英語での学習が可能で、奨学金の金額は同じですが、文部科学省の方は、事前に教授に連絡する必要があり、ADBは直接大学に申請できます。文部科学省の方は教授から返事がありませんでしたが、ADB側の申請は既に合格していたAPUに受理され、無事に日本への切符を手に入れました。

大学院1年生から就活準備スタート

私はベトナムにいた時からN2は持っていましたが、初めて日本に来た時、みんなが何を言っているのかほとんど分かりませんでした。 周りの人たちの話すスピードはとても速く、本で習った大分の方言とはかなり違っていたので、最初はとてもショックを受けました。

毎月の奨学金は十分にあったので、アルバイトをしなくても良かったのですが、日本人と関わってコミュニケーションを取る機会を増やすために、アルバイトを始めました。

アルバイトは、家の近くのコンビニで週2〜3日していました。それに加え、教授にお願いされ、3年生に数学と英語を教えるためのTA(ティーチングアシスタント)として働きました。

時々、3年生の学生が就活のため授業を休むことがあり、私はとても驚きました。ベトナムでは卒業して2〜3週間してから就活がスタートするが、日本の学生は在学中にはじめることにびっくりしたのです。もっと日本の就活について情報が欲しいと思い、色々調べたところ、日本の学生は卒業の1年くらい前から就活をしていることを知り、自分も早く準備をしなければならないと思いました。この情報は私にとってとても有意義で、今後のプランを立てるきっかけになりました。

就職活動に専念できるように、必須科目は1年目に全て取り、修士論文も1年目でできるだけ終わらせることを目標にしました。また、就活に有利になると考え、卒業までにN1も取得することにしました。

2年で取得するべきものを1年で勉強することと、N1を取得することは簡単ではありませんでした。

夜はN1取得のための勉強に費やすため、宿題は授業の直後に終わらせるようにしていました。論文などは、バスの中で構成を考え、家に着いたらすぐ書けるようにしました。

APUではN1取得のためのクラスはないので、自分で試験対策をする必要がありました。

そのためスケジュール管理をしっかりしなければならなかったのです。

帰宅して食事やお風呂を済ませて、12時まで勉強し、一旦寝て、4時に起きてまた勉強をしていました。努力が実を結び、2018年7月にN1にちょっとぎりぎりの点数で合格できました。

出光興産株式会社の社員である英語学習者たちと

教授の助手として英語で講義をした様子

ADB奨学金候補者歓迎会に出席

ADB奨学金候補者歓迎会に出席

就活のために上京

 N1の合格結果を受けた後、2018年の残りの期間は就職活動をするために上京しました。

その頃はM2になっていたので、毎日学校に行く必要はなく、ゼミに出席するために月に1回のみでした。卒業するまでの9ヶ月間は東京にいたので、月に1回は大分に帰るため、東京でのコンビニアルバイト代は、航空券に充てていました。

友人からは、大分にいながらオンランで面接して、必要があれば東京にいけばいいのではないか?とよく言われましたが、やはり東京にいた方が説明会に参加できたり、求人の情報も入ってきやすいので、よりチャンスがあると思い上京することに決めたのです。

 東京にいる間、ハローワークなどが開催するワークショップなどにたくさん参加しました。どれも大きな差は無いので、プロセスを理解するために1〜2回の参加で十分だと思います。あとは、実践を重ねることで就活や面接のスキルを向上させることが重要です。

N1を持っていても、面接官の質問が聞き取れなかったり、質問がわかったとしても、その意図が読み取れなかったり、自分の意見を上手くまとめて伝えられないことが多かったです。

面接後には必ず、質問されたことをメモし、その答えが良かったかどうか振り返りました。改善するためにもう一度質問に自分で答えてみて、それを録音し、発音を直す練習をしました。回を重ねるごとに少しずつ良くなり、6社目で内定をもらいました。この会社は教育関係の大企業で、語学学校や専門学校なども運営しています。この会社なら自分の興味がある教育の分野で、成長できる機会があると考え内定を承諾しました。

日本人教授の助手を務めた 

アメリカ人指導教員と

東京でのセミナーで開発経済学の教授と

日本人教授の助手教師

就職後に直面した課題

入社してみたら、また自分の日本語レベルに落ち込みました。新卒社員は電話を取らなければなりませんでしたが、それは私にとって悪夢でした。電話先の方が何を言っているのか聞き取れず、怒ってしまう方もいたりクレームもありました。

さらには、上司の言っていることがすぐに理解できなかったり、正しく答えることもできず、毎日必ず何か指摘される日々でした。

何か言われるのが怖いと感じるようになって、電話を避けたり、改善することを避けていました。このままではダメだと思い、直面している問題に向き合うために、改めて日本語のコミュニケーションやビジネス日本語を勉強するのに、力を入れなければならないと思いました。

それから、毎日仕事が終わって帰宅してから、社会人の1日についてのビデオや自分の趣味に関する猫や鳥などのビデオをYoutubeで見て、日本人の日本語スピードに慣れる練習をしました。昼休みや休日には、会社の若い同僚をご飯に誘って、コミュニケーションを取る練習をしました。努力を続けた結果、聞き取りや会話力も大幅に向上し、仕事にも慣れてきたのでミスも少なくなり、徐々に軌道に乗ってきました。

しかし、平和な日々はそう長く続きませんでした。2年目で仕事にも慣れてきた頃、突然交通事故に遭ってしまいました。ランチを買いに行った際に、車にはねられて足を骨折し、2ヶ月入院しました。ちょうど軌道に乗っていた時に、9ヶ月間も仕事を突然休まなければならなくなりました。コロナの時期とも重なり、ベトナムにいる両親も日本に来れず、1人で大変でした。

しかし落ち込んでいても仕方がないと思い、楽観的に考えようと思いました。

会社の保険で100%給与も出るし、金銭的に困っている訳でもなかったので、この休みを利用して、自分自身を成長させるための資格取得に励みました。その結果、自宅療養中の9ヶ月間でアメリカの英語教育資格や、日本の健康管理に関する資格を取得しました。

また、仕事を休んでいる間に、たまたまポストに案内が入っていたことから、川崎市の外国人市民会議に興味を持ち、代表者のポジションにも応募して面接も受けました。

私がこの活動に参加することを決めた理由は、日本の制度や政策についてもっと理解を深めることは、日本に住んでいる外国人にとって必要なことだと思ったからです。

会議は月に1回、週末に開催され、外国人日本人ともに優秀で知識が豊富な方が多かったので、様々な意見交換を通して、自分自身も良い意味で刺激をたくさん受けました。

9ヶ月近く休職し、2ヶ月のリモート勤務を経て、昨年10月末にようやく会社に完全に復帰することができました。社会人になった最初の1年目は、お客様や上司に怒られるのではないかと思い、会社に出社するのが怖かったです。しかし、今は新しいことをたくさん学べて、出社するのが幸せだと感じています。1年近くの自宅療養を経験したことで、普通に出勤できたり、毎日同僚と話すことができるのは当たり前ではなく、貴重で素晴らしいことなので、大切にしなければならないと思っているからです。

社会人になって1ヶ月目の頃

川崎市長から外国人市民代表者に任命される

外国人市民代表者と川崎市長との記念撮影

メッセージ

来日して約5年になりました。決して長い期間ではありませんが、成長できていると感じています。前より前向きな考え方で、人生に向き合って、毎日のささやかな幸せを大切に楽しみながら、毎日を送れています。

今後、2〜3年は今の会社で教育に関する知識を積んで、その後は博士過程に進学したいと考えています。より専門的な知識を得て、日本の専門学校や大学で英語を教えることができるように頑張っていきたいです。

誰でも来日や就職したばかりの時は、以前の私のように様々な問題に直面すると思います。

楽な道は平坦で良いかもしれませんが、困難を乗り越えることで成長があるので、みなさんも前向きな考え方で、日本で生活する毎日を大切に過ごしてください。

東京、2023年4