チャン・キム・ニャット

TRAN KIM  NHAT

Profile & Message

2012年:         母の家族滞在ビザで日本に入国

2012年~2014年:    1年半日本語学校で日本語を学ぶ

2014年~2015年:    日本語学校を卒業後、家族滞在のビザでアルバイトをする

2015年4月:       名古屋経済大学に入学

2015年:        結婚

2017年8月:       第一子誕生

2019年1月:       第二子誕生

2019年3月:       大学を卒業

2019年~現在:     二人の子供の成長を見守る生活を送っている

2022年11月:      家族についてや日本での生活経験を共有するサイトを立ち上げる


計画を立てていても、人生は思わぬことが起きるものです。

日本語をしっかり勉強しておくことで、得ることのできる情報も増えるので、困難も乗り越えられます。日本で子育てをするお母さんは、家族と子供のためにも、しっかり日本語を勉強しましょう。

来日当初の日々

2012年、高校を卒業した後、私は当時日本で働いていた母親の家族滞在ビザを利用して来日し、家族と一緒に暮らしていました。最初の一年半は近所の日本語学校に通い、日本語を学びました。当時の日本では、留学生の大学進学を案内する団体やウェブサイトはまだ少なく、大学入試に関する情報は主に学校の先生から得ていました。地元の名古屋では、私が知る限り、家族滞在ビザを持つ留学生の特別枠入試がある大学はほとんどなく、一般入試を受けるには日本語能力が足りず、難しいと感じていました。そのため大学には進学せず、1年間はアルバイトをすることにしました。

その1年間、私はスナックのスタッフ向けの小さな居酒屋でアルバイトしながら生計を立てました。この仕事を通じて多くの日本人と会話する機会が増え、日常会話の日本語も大幅に向上しました。しかし、居酒屋で聞いた話を通じて、学歴がなく高校卒業後にただアルバイトをしているだけでは、将来的に日本で生活していくのは難しいのではないかと感じました。そのため、再び大学入試を受けることを決めました。色々と調べていくうちに名古屋経済大学という大学を見つけました。この大学は、家族滞在ビザを持つ外国人留学生が、特別枠で受験できる制度を導入していたため、私は入試を受け、無事に合格することができました。

母になる

私は居酒屋とは別に、近所のベトナムレストランでもアルバイトをしていました。

そのベトナムレストランには、VYSA東海支部の方々がよく集まっていたので、私もその活動に参加していました。そこで今の夫と知り合い、大学に入学してすぐに結婚しました。

皆さんはどうかわかりませんが、大学在学中に子供を出産すれば、卒業の時にはもう子供がある程度大きくなっているので、産休育休を取らずに済むのでキャリアを中断することもないし、安心して仕事ができると考えていました。そのため、大学入学時からたくさんの科目を受講し、3年生で子供を出産しても卒業できるよう、最初の2年間で単位をしっかり取るようにしました。

予定通りに2017年8月、私が3年生の夏休みに入った頃、第一子が誕生しました。ちょうど長期休暇中に出産したので、学校をあまり休むことなく、十分に休んで、夏休みが終わると同時に学校に行くことができました。

夫は働き始めたばかりで残業が多かったので、私は家事と学校と育児のバランスをとるのに苦労していました。

娘が生後2か月のとき、保育園に通わせようとしたのですが残念ながら空きがなく、受け入れてもらえませんでした。仕方なく、私は娘をおぶって学校へ行っていました。娘はまだ小さかったので、講義中に泣いてしまうこともあり、周りにとても迷惑をかけました。そんな状況を見ていた教授が、心配して、学校を辞めるようには言わず、在宅での勉強を許可してくれたり、定期的に電話相談をさせてくれたりしました。おかげで私はいくつかの科目の単位を取得することができました。娘が生後6か月になる頃には、家の近くの保育園に空きが出たので娘を預け、これまで取得できなかった単位を取るために勉強に励みました。

娘が初めての保育園に通い、体力もつき始めた頃、私は4年生になり、日本の大学生は就活の時期になりました。周りは就活のための準備を始めていたので、私も同じく準備を開始しました。ちょうどその時、第二子の妊娠が発覚しました。一番大切な時期である妊娠9ヶ月目と、就活の大事な時期が被ってしまい、就活を同時にすることはできないと思い、2013年の3月に卒業することだけを目標として、就活は諦めました。

周りの大学生と同じように就活ができないことを残念に思いましたが、とにかく予定通りに卒業することだけに集中し、準備しました。当初の予定は変更を余儀なくされましたが、その当時はまだ、就活をしばらく延期するだけで、第二子の子育てが少し落ち着いたらまた挑戦するつもりでした。しかし、人生はいつも計画通りに進むとは限らないので、私の母親としての人生の困難はここから始まりました。

人生を変えた思わぬ出来事

 母親としての経験が無かった1人目の出産の時は、念のため大きな病院で出産をしました。しかし、混んでいて診察にも時間がかかり大変だったので、2人目の時は近所の小さなクリニックで出産することにしました。

クリニックは家から近いので、通院がとても便利でしたが、医療設備は大きな病院に比べて充実していないので、いつも問診や尿と血圧の検査、エコーだけでした。そのため、赤ちゃんが産まれるまで、先天性疾患があることは分かりませんでした。出産後すぐに、心臓病を患っていることがわかり、近隣の大きな病院に搬送されたので、しばらく離れ離れになってしまいました。

出産したばかりで、自分の赤ちゃんを抱く前に、先天性疾患を患っており、入院が必要であるという衝撃的な知らせに、私は混乱して不安になりました。最初の4か月間は毎日赤ちゃんの面会のために病院に通っていましたが、それでもその現実を受け入れることができませんでした。病院の人から「もし準備ができていないなら、このまま病院に預けてもいいよ」と言われ、このまま預けてしまおうかと思ったこともありました。私は毎日世話をしに来ていますが、このように何ヶ月も何年も病院で過ごさなければならない先天性の病気を持った赤ちゃんの世話をする自信がありませんでした。

しかし、そんな考えが完全に変わり、自分たちで世話をすることに決めました。その理由は、私が病院に行った際に、私の子供と同じ病気に苦しんでいる子を見たことがきっかけでした。その子の両親は病院に預けて、時々訪問するだけでした。その子には看護師が付き添っており、必要な情報をすべて知っていて、丁寧に世話をしてくれていますが、それは看護師の患者に対するケアであり、家族の愛ではありません。子供には温かい家族の愛や気持ちが必要です。その時、私はふと、どんなに大変でも自分たちで面倒を見なければならないと思いました。自分以上に子どもの世話をし、愛を注いで育てることができる人はいません。

私は就職しようと考えていましたが、大変になる未来が見えていたので、とにかく2ヶ月後に必ず卒業して、2人の子供を育てることに集中しようと思いました。

子供と共に成長する日々

出産時、赤ちゃんは治療のために4ヶ月間入院し、その後2年間は入退院を繰り返し、様々な手術を受けました。

入院と治療を継続的にしなければならなかったので、私たち夫婦は適用する保険や補助金、子どもが大人になってから受け取れる年金の額などについて調べました。詳しく調べてみると、日本には病気の子供を持つ家族をサポートするための補助金がたくさんあることがわかりました。ただし、すべての補助金について特に病院が教えてくれたりサポートしてくれるわけではありません。そのため自分で調べたり準備したりする必要がありました。病院で子どもの世話をする中で、同じように子どもが病気で長期入院しなければならなかったベトナム人の方にも会いましたが、日本語があまりできないため、サポートが理解できず、本来受けられるはずだった補助金を受けれらなかった話を聞きました。そのため、日本で子育てをする母親は、家族や子供のためにも、日本語をしっかりと学ぶように努めるべきだと思います。

2人目の補助制度に加えて、私たちは1人目の補助制度についても調べ始めました。

上の子が3歳の時、他の子たちに比べて話すのが遅れているのを見て、私は市の支援制度を探し、ホームヘルパーサービスや子ども向けの補助金制度を知りました。しかし、私が初めて市の支援窓口に相談に行ったとき、娘はまだ幼く、同世代の子供とのコミュニケーションの違いを明確に確認できる年齢ではなかったため、このサービスを利用することはできませんでした。

サービスを利用できない間も、私たち夫婦は粘り強く子どもに付き添い、夫も育休を取り、育児に力をいれました。上の娘が4歳になった時、市のサポート制度の使用を許可するのに十分な条件が整ったので、すぐに承認されました。それ以来、私の家族には毎日、日本人のヘルパーさんが毎日1時間半ほど家に来て、私の日本語を話す練習を手伝ってくれたり、家事を手伝ってくれたりしているので、少し楽になりました。

2人目の出産からちょうど3年が経ちましたが、未だ仕事を探す余裕はなく、2人の子供の育児に追われています。2人目の子も保育園に通い始めましたが、時々ご飯を食べれず先生が困っていたので、私は呼び出されて保育園に通っていました。しかし段々と慣れてきて、しょっちゅう呼ばれることもなくなりました。上の子もだいぶ大きくなって、来年には小学校へ入学するので、まだ教えられていないことを教えておこうと思っています。

私は今は仕事をしていませんが、2022年11月に、夫と一緒に家族や日本での生活経験を共有するサイトを立ち上げました。元々ベトナム人の友達からの質問に個別に答えていたのですが、もっと効率的に情報を共有するために、このサイトを立ち上げました。するととても好評だったので、皆に役立つ情報なのだと思い、さらに拡大して発信を始めました。 

日本語が分からない人にも役立つような情報を、サイトでアップして、FBグループでシェアしたりして、分かりやすくまとめています。

サイトを立ち上げてまだ半年ですが、前より多くの方と繋がるようになりました。

今後もいい情報を発信していけるように、夫と一緒に頑張っていきます。

サイトを立ち上げる

病院で迎えた1歳の誕生日

看護師さんは週に4日健康状態の定期チェックのため自宅へ訪問してくれます。

PT さんと STさん は毎週子供たちに歩き方、食事、話し方の練習をしてくれます。

4歳になった時の初めての一歩

ホームヘルパーさんが家事のお手伝に来てくれます。

お散歩

ホームヘルパーさんのおかげで助かっています。

メッセージ

計画を立てていても、人生は思わぬことが起きるものです。

日本語をしっかり勉強しておくことで、得ることのできる情報も増えるので、困難も乗り越えられます。日本で子育てをするお母さんは、家族と子供のためにも、しっかり日本語を勉強しましょう。

これからはウェブサイトで役立つ情報を発信することで、誰かの助けになれたらいいと思っています。そしてそれが自分の仕事に繋がると良いなと考えています。

大変なのは自分だけではないので、何が起きても前向きに進んで行ってほしいです。

名古屋、2023年5