グェン ・ ヴァン ・ ダー
NGUYEN VAN DA
グェン ・ ヴァン ・ ダー
NGUYEN VAN DA
Profile & Message
2010年06月 貿易大学卒業
2011年03月 日経新聞奨学生として来日
2013年~2015年 目白大学大学院卒業
2015年02月 結婚
2015年~2021年 大手不動産会社に入社
2020年12月 宅地建物取引士資格取得
2021年04月 第2子誕生、育児休暇1年間取得
2021年11月 不動産会社 Estate Plus を設立
2025年11月 日本でインテリアブランド「Eco Life」を立ち上げ
お客様に選んでいただくためには、まずはサービスを提供する側が自分たちの基準を上げることが何より大切だと、私は常に感じています。 「価格の安さ」だけで勝負するのではなく、より高い品質、わかりやすいプロセス、そして揺るぎない信頼を積み重ねていくこと。
そして、ここ日本で暮らすベトナム人の皆さんにも、ベトナム人が提供するサービスをもっと身近に感じ、もっと積極的に利用してほしいと願っています。 そうすることで、私たちのコミュニティ全体が支え合い、より強いエコシステムを築いていけるはずです。
4年前、VOICE OF ASEAN SENPAIでは、新聞配達の奨学金で来日した留学生から就職、そして起業への挑戦を描いた、Nguyen Van Da さんのストーリーをご紹介しました。
そして今日——あれから4年が経ち、私たちはDaさんを大きな節目のタイミングで再び迎えることになりました。Daさんが立ち上げた不動産会社は設立4周年を迎え、15名の仲間とともに、住宅購入サポートと賃貸サポートの両軸で事業を展開しています。
さらに、11月22日には、ベトナムで製造した家具を日本で暮らすベトナムのご家庭へ届ける家具ブランド「Eco Life」も正式にローンチされました。
この記事は、Daさんの起業の軌跡、企業文化への想い、ブランド認知拡大への取り組み、そしてその裏側にあるリアルな体験をお届けします。
ぜひ最後までお楽しみください。
起業の道のり
4年前、VOICE OF ASEAN SENPAIでのインタビューを「1年間育児休業を取り、家族と向き合いながら、不動産分野での独立準備を始める」という決断で締めくくりました。あの時、頭の中にあったのはただひとつ。「本気で起業するのであれば、徹底的に準備し、丁寧に積み上げていくべきだ」という思いでした。
そして2021年11月、長い準備期間を経て、ベトナム人の方々の住宅購入をサポートする不動産会社「Estate Plus」を立ち上げ、代表としての歩みを正式にスタートさせました。
立ち上げ当初から、私の中で明確にしていたことがあります。
ひとつ目は、専門知識がなければ、この日本の不動産業界では長く続けることはできないということ。
ふたつ目は、会社として長い時間軸で価値を提供していくためには、「文化」と「方向性」を共有できる組織づくりが必要で、単なる仲間の集まりではいけないということ。
その思いから、創業時の2名体制の頃から、そして2年目に初めて社員を採用してからも、継続して専門資格の取得をサポートし、働き方の基準や業務プロセス、お客様との向き合い方をゼロから丁寧に作り上げてきました。
私にとって、会社の役割は「家を購入する手続きを手伝うこと」だけではありません。お客様が、自分の選択に確信を持ち、安心して未来を描けるように、情報もリスクも透明に伝えること。その信頼の積み重ねこそが事業の土台になると考えています。
そのため、お問い合わせをいただいたお客様とは、初回の面談に最低でも1時間は時間を設け、オンラインでも対面でも、しっかりと対話をするようにしています。背景や家族構成、希望、そして不安に思っていることを丁寧に伺う、プロセス全体の流れや注意点を明確に説明する。
すべてをクリアにすれば、お客様は自然と前に進む決断ができるようになります。
最初の一年―自宅がオフィス
創業から一年目は、メンバーは私と大学時代の後輩の二人だけで、オフィスは自宅そのものでした。当時、日本在住のベトナム人の間で住宅購入への関心が徐々に高まり、私自身もSNSで情報発信をしていたこともあって、Facebookのメッセージには毎日のように多くのお問い合わせが届きました。表面だけ見れば順調に見えるかもしれませんが、実際は全く余裕がありませんでした。
メッセージの数に対して返信が追い付かず、見落としてしまうことも多々ありました。専門的な相談対応から契約書類の作成まで、全ての工程を自分一人で担わなければならず、電話もひっきりなしに鳴り続けました。お客様、銀行、関係会社…携帯を手放せない毎日でした。
「メッセージを送っても返事がこない」とお客様から指摘をいただいたこともあります。その言葉を目にしたとき、自分の力不足を痛感しましたし、申し訳ない気持ちと悔し気持ちが入り混じりました。このままでは提供できる価値にも限界がある、そう強く感じました。
そしてその頃から、「より良いサービスを届けるためには、自分一人ではなく、仲間とともにチームとして取り組む必要がある」と、会社としての次のステップをはっきり意識するようになりました。
忙しくても定期的に運動する
採用の決断――プレッシャーと覚悟
しかし、「人手が足りないから採用する」という単純な話ではありませんでした。私にとって、採用は非常に重い決断でした。人を雇うということは、毎月の固定費が増えるということでもあり、同時に、その人の将来に責任を持つという覚悟が必要になります。採用してみて駄目なら仕方ない、という考え方は決して通用しません。
「売上が思うように伸びなかったら、全員の給与を責任持って支払えるのか。」
「もし最悪の状況になったら、どうやって会社を守り抜くのか。」
何度も自問自答しました。いざという時は、ベトナムにある家族の資産を売却してでも会社の運転資金に回す――そんな選択肢まで頭の中でシミュレーションしていました。でも、この不安を妻には話せませんでした。これ以上心配を増やしたくなかったからです。
2年目には、3名の仲間を迎えることができました。とはいえ、当時はまだオフィスもなく、会議は地域のコミュニティセンター(公民館)を借りて行い、借りられない日はカフェを渡り歩きました。営業時間が終わると別の店に移動しながら話し合いを続ける、そんな日々でした。決して整った環境ではありませんでしたが、全員が「今は土台を作る大事な時期だ」と理解し、前向きに取り組んでくれました。
私は、創業期こそオンライン中心の働き方に頼るべきではないと考えています。新しい文化を作る段階では、顔を合わせ、同じ空気の中で議論し、失敗も成功も共有する必要があります。対面で議論するからこそ、気づきが生まれ、アイデアが育ち、チームの方向性がひとつになっていく。そう信じています。
実践から学ぶ――失敗の連続が成長の近道
不動産の専門知識については、新しく入ったメンバーの多くが十分な経験を持っているわけではありませんでした。だからこそ、会社として「現場で育てる」方針を最初から明確にしていました。物件を見に行き、お客様と直接話し、銀行や売主との交渉に同行し、実際のプロセスを体験することで、机上の知識では身につかない感覚を掴んでもらう。そのために、できる限り「現場」に連れて行くようにしました。
もちろん、その過程において失敗は避けられません。提案まで進んだお客様と契約に至らなかったケースもありましたし、フォローが遅れて他社に決められてしまったこともありました。営業経験が浅く、言葉選びひとつでお客様の気分を損ねてしまったこともあります。
経営の視点で見れば、それらはすべて「成長コスト」です。私は必要な投資だと考えています。大切なのは、失敗の事実そのものではなく、その後にどう向き合うか。案件が終わるたびにチーム全員で振り返りを行い、「なぜうまくいかなかったのか」「次はどう改善するのか」を真剣に話し合う。そうした積み重ねが、チームを確実に強くしていくと信じています。
オフィス探しの道のり――必要だったのは、時間と粘り強さ
メンバーの人数が増えるにつれ、自宅をオフィス代わりにしたり、毎回カフェで打ち合わせをする働き方を続けるわけにはいかなくなりました。社員が落ち着いて働けるスペース、お客様が安心して相談や契約ができる場所――その両方が必要だと強く感じ、オフィス探しを本格的に始めました。
不動産の仕事をしているのだから、物件探しは簡単なのではないかと思われがちですが、現実はまったく違いました。立地も条件も理想的な物件は、当時の会社の財政状況では手が届かず、逆に予算内で借りられる場所は、私が外国人であることを理由に断られてしまうケースも多く、永住権を持っていても事情を説明する機会すら与えられないことがありました。
「申し訳ありませんが、ご希望には沿えません」という返答を受け取るたびに、一度深呼吸をして状況を整理し、条件を見直し、また一から探し直す――そんな毎日が続きました。
それでも探し続けた結果、大学時代の先輩のご協力で、ご自身の所有する物件をオフィスとして提供していただけることになり、ようやく拠点を構えることができました。看板を掲げ、荷物を運び入れたあの時の空気は、今でも忘れられません。長い旅の末、ようやくチーム全員が荷物を下ろせる場所を見つけたような、そんな感覚でした。
最初のオフィス
差別化への挑戦――購入サポート、賃貸、そして家具へ
創業から3年目に入り、会社として一定の認知をいただけるようになりました。しかし、私は常にこう考えていました。「他と同じことをしているだけでは、いずれ価値が埋もれてしまう」。そうならないためには、自分たちなりの強みと役割をはっきりさせる必要があると感じ、事業の幅を少しずつ広げていきました。
まず、「家を買うサポート」で終わらせないこと。実際には、購入後にこそ多くの課題が発生します。住宅ローン、税金、各種登録、修繕、賃貸運用など、長期的に寄り添っていくサポート体制を整えるために、チーム全体で税務やアフターフォローの知識を磨き続けています。
さらに、単身者や来日直後の方への賃貸サポートも開始しました。これは、将来的にお客様がビル一棟を投資目的で購入された際に、賃貸運営まで含めて会社として責任を持って支えられる体制を作るための準備でもあります。
加えて、全国各地に足を運ぶことも大切にしています。現在までに47都道府県のうち40以上の地域で、住宅購入のサポートを実施してきました。移動や経費は決して小さくありませんが、地域の実情を深く理解し、現地の方々との信頼関係を築くためには必要な投資だと考えています。地方の不動産会社では、永住権の有無や国籍で対応を制限されるケースもありますが、事前に丁寧に相談を重ねることで、喜んで協力いただけることも多く、非常に意義を感じています。
会社のシェアハウス
また、会社として資格取得の支援にも力を入れています。宅建資格の学習費用は50%を会社が負担し、合格した場合は全額補助します。その他の資格や学びについても、本人の将来像と会社の方向性が一致する場合は積極的にサポートしています。社員一人ひとりと定期的に1on1面談を行い、半年、1年、3年、5年の目標を確認し、その実現に向けて伴走していくことを大切にしています。
現在、仲間は15名となり、東京以外での拠点開設も視野に入れながら、全国のベトナム人コミュニティをより幅広く支えていく体制づくりを進めています。
社員数がどんどん増加
広島でのイベントに会社として出展
ベトナムで開催された日本向け投資イベントに参加
E+ 創立4周年記念
E+ 創立4周年記念
新たな転機――日本に暮らすベトナム人のための家具づくり
住宅購入をサポートする中で、私はひとつの明確なニーズに気づきました。それは、仏壇や硬めのマットレスなど日本の住まいに合わせつつもベトナムの暮らしの感覚に寄り添った家具を求める声が非常に多いということです。
調べていくうちに、日本の大手家具ブランドの多くが、実はベトナムで製造していることを知りました。しかし、日本に住むベトナム人の生活スタイルに合わせた家具を、本格的に展開しているベトナム企業はほとんど存在しませんでした。そこで、「Made in Vietnam、そして在日ベトナム人の生活に最適化した家具を届けたい」という思いが形になり、新しいプロジェクトが動き始めました。
構想から実現まで、およそ2年をかけました。私は実際にベトナムの工場を訪れ、職人の方々と細かな仕様について何度も議論しました。日本市場で求められる完成度―強度、角の仕上げ、床材との相性、丁番の静音設計など、細部まで妥協しない品質を追求しながら、一方で日本市場で受け入れられる価格とのバランスも徹底的に考え直しました。原材料管理、原産地証明、輸出入のプロセスについても、ひとつずつ整えていきました。大学時代に学んだ国際貿易の知識が、年月を経てここで活きることになりました。
日本では倉庫の確保から始まり、家具は写真だけでは決めにくいという特性から、実物を見られるショールームの準備も進めました。リリース後はすでに多くのお問い合わせをいただいており、手応えを感じています。ただ、配送や設置の無料対応に関しては、人的負担もコストも大きく、今後どう最適化していくかが大きな課題となっています。お客様からの声を受け止めながら、少しずつ改善していく方針です。
メッセージ
この4年間を振り返ってみると、日本で活躍するベトナム人が提供するサービスは、以前よりもずっと幅広く、そして確実にプロフェッショナルになってきていると強く感じます。この流れはきっと、これから先さらに多くのベトナム人経営者やサービスが日本のさまざまな分野で存在感を高め、コミュニティの中に新しい価値を生み出していくことにつながると信じています。
お客様に選んでいただくためには、まずサービスを提供する側が自分自身の基準を引き上げることが必要だと思っています。ただ「価格が安い」だけでなく、より良い品質、透明性のあるプロセス、そして信頼を積み重ねていく姿勢こそが大切です。
そして、在日ベトナム人のお客様にも、ぜひベトナム人が運営するサービスを前向きに受け止めていただき、互いに支え合いながら、コミュニティ全体をもっと強くしていけたらと願っています。
もちろん、私自身の挑戦もまだまだ道半ばです。やるべきことはたくさん残っていますが、スタートした日の気持ちは今も変わりません。誠実に、全力で取り組めば、物事は必ず前に進んでいく。そう信じて、これからも歩んでいきます。
東京、 2025/11