ヴ ・ホン・ニュン
VU HONG NHUNG
ヴ ・ホン・ニュン
VU HONG NHUNG
Profile & Message
2010年 ベトナムの国民経済大学を卒業。
2010年~2014年 卒業後は保険会社の経理部に勤務。
2014年9月 家族滞在ビザで来日。
2014年~2021年 子育てを最優先に。
専業主婦として家庭を支えながら、日本語能力試験にも挑戦。
子どもの学校行事や、学校活動にも積極的に関わってきた。
2021年12月~現在 ビザ関連書類サポート・コンテンツ作成(アルバイト)。
婚活支援プロジェクト「FamiCre」担当。
一日一歩でいい。少しずつでいい。速く進む必要はありません。立ち止まらずに歩き続けていれば、ある日きっと、自分自身の成長に驚く瞬間が訪れるはずです。
不安を抱えて始まった日本での生活
私は、二人の子どもを育てながら、日本で暮らして10年以上になる母親です。現在は、1日5時間ほど、在宅リモートで事務系のパートタイムの仕事をしています。ベトナムから家族滞在ビザで来日した当時、私は保険会社の経理部の仕事を辞めたばかりで、長女はまだ1歳でした。日本での生活は、期待よりも不安のほうがずっと大きかったのを今でも覚えています。日本へ持ってきた荷物のほとんどは子どものためのもので、自分のために持ってきたものは、たった一冊の『みんなの日本語Ⅰ』だけでした。しかも、その時点で勉強していたのは、まだ10課までという状況でした。
来日から半年後、私は第二子を妊娠し、そこから日本での「フルタイムの母親」としての5年間が始まりました。仕事もなく、会話の相手もいない、日本語を教えてくれる人もいない環境の中で、夫婦そろって日本語がほとんど分からないまま、それでも生活は待ってくれませんでした。病院への通院や各種行政手続き、そして子どもの成長とともに増えていく学校や教育に関する悩みまで、すべてを手探りで、夫婦二人だけで乗り越えてきました。そんな中でも、私の中で最初からはっきりしていたのは、「どんな状況でも日本語だけはきちんと身につけよう」という思いでした。最低でも日本語能力試験N2、日本語ができれば仕事の選択肢も広がり、たとえ働かなかったとしても日本で生活していく以上、日本語は欠かせません。そして何より、子どもが成長するにつれて、日本語でしか表現できない気持ちや出来事が増えていきます。そのとき、母親である私が日本語を理解できれば、子どもの気持ちを受け止め、それをどう言葉にすればいいのか、一緒に考えてあげることができる。それが、母として、日本で生きる自分にできることだと思ったのです。
挫折しないために、目標を細かく分ける
日本語の勉強を始めたばかりの頃の正直な気持ちは「圧倒される」、という一言であらわせます。しばらく勉強して振り返ってみても、まだスタートラインのすぐ近くにいるような感覚。何度読んでも理解できないことがあり、何度聞いても聞き取れないことがある。街で日本人の会話を耳にしても、スピードについていけない。意味は何となく分かっても、どう返事をすればいいのか分からない。そんな日々の繰り返しでした。
そのたびに、「もう無理かもしれない」と感じたこともあります。でも、あるときふと思いました。歩かなければ、どこにもたどり着けない。道のりが長いなら、無理に急がず、ゆっくりでも続けられる歩き方を選ぼう、と。早く進める道ではないかもしれないけれど、自分が最後まで歩ける道を選びたかったのです。
そこで私は、目標をできるだけ小さな段階に分けることにしました。N5、N4、N3……。それは、赤ちゃんが寝返りを覚え、はいはいをして、立ち上がり、少しずつ歩けるようになるのと同じだと思っています。目標を細かく分けることで、その時々に「今、何をすればいいのか」がはっきり見えるようになりました。
それぞれの段階に期限を設けました。例えば、3か月で『みんなの日本語Ⅰ・Ⅱ』を終える、6か月でN3レベルの内容を一通り身につける、というように。そして、N2やN1の勉強に入ってからは、あえて先に試験に申し込みました。自分に逃げ道を作らず、覚悟を決めるためです。そうすることで、自然と気持ちも引き締まり、勉強に向き合う姿勢も変わっていきました。
日常の「すき間時間」を最大限に活かす
語彙や文法は、一朝一夕で身につくものではありません。覚えたと思っても、また忘れる。その繰り返しです。だから私は、自分で小さな単語カードや文法カードを作り、いつも持ち歩くようにしました。子どもを公園に連れて行ったとき、赤ちゃんを抱っこしながら、上の子が砂場で遊んでいるのを見守りつつ、カードを取り出して、心の中で何度もつぶやくように読んでいました。机に向かって「勉強する時間」を取るのが難しい時期だったからこそ、こうした短いすき間時間が、私にとってはとても大切でした。
テキストでの勉強だけでなく、YouTubeで文法解説の動画もよく見ていました。当時よく視聴していたのが、Dũng MoriチャンネルのDũng先生とThanh先生です。説明が分かりやすく、少しユーモアもあって、堅くなりがちな文法の勉強でも続けやすかったのを覚えています。
参考書については、私が勉強していた頃は『新完全マスター』や『耳から覚える』などが評価の高い教材としてよく使われていました。ただ、個人的には「どの教材を使うか」よりも、「一冊をどれだけ徹底してやり込めるか」が一番大事だと思っています。たくさんの教材に手を出すよりも、一冊を何度も繰り返し、体に染み込ませること。それが、遠回りのようで、一番確実な近道でした。
日本語の本や新聞を読んで、語彙を増やす
ある程度の基礎ができてから、私は「読むこと」を通して、日本語に触れる時間を増やしていきました。最初は漢字もあまり分かりませんでしたが、毎日目にすることで、完全ではなくても、少しずつ内容が入ってくるようになりました。教材や試験対策の本だけでなく、身の回りにあるものは何でも読むようにしました。
まずは、子どもに読む絵本です。日本語の本も、ベトナム語の本も読みました。幼稚園児向けの絵本は簡単そうに見えて、実はとても難しい。すべてひらがなで書かれていて、語彙も十分ではなく、どこで文を区切ればいいのかも分からない。でも、絵があって、文も短く、文法もシンプルなので、何とか読み進めることができました。読んでいて楽しい本もあれば、心を打たれる本もあり、「いつかこの本を訳せたらいいな」と思ったこともあります。
学校から届く手紙やプリントも、できるだけ読むようにしました。最初は見出しや、太字・斜体で書かれた日付や持ち物くらいしか分かりませんでしたが、少しずつわかる漢字が増えるにつれて、読むこと自体がだんだん楽になっていきました。
その後、NHK Easyを読み始めました。漢字にふりがながあり、文法も分かりやすく書き直されているので、当時の私にはちょうどよかったです。さらに慣れてくると、子ども向け新聞にも挑戦しました。子ども向けとはいえ、内容は時事、経済、政治など本格的なものです。N2レベルだった頃は、1週間に1~2本の短い記事を読むのが精一杯でしたが、それでも購読を続け、親子3人で一緒に読む時間を大切にしていました。
そして最後に、いわゆる「大人向け」の本を読むようになります。特に、子育てに関する本です。最初は1日に1~2ページ読むのが限界で、辞書を引きながら進むのは本当に大変でした。それでも少しずつ読み続けていると、ある日ふと、「あれ、前より辞書を引かなくても内容が分かる」と感じる瞬間がでてきました。積み重ねはゆっくりでも、確実に力になっている。そう実感できた経験でした。
聞く・話す―できるだけエネルギーを使わない学び方
日中は子どもの世話で手一杯で、テレビを見る時間はほとんどありませんでした。夜になると疲れてしまい、本を開く気力もない。そんなとき、私が選んだのが日本のドラマや映画を見ることでした。楽しみながら、気分転換をしながら、自然に「聞く力」を鍛える。いちばん負担の少ない勉強法だったと思います。Amazon Primeで視聴し、ベトナム語の字幕はあえて付けませんでした。字幕を付けると、どうしても「耳」ではなく「目」で追ってしまうからです。
最初は『ちびまる子ちゃん』や『ドラえもん』などのアニメから始め、その後、恋愛ドラマや日常を描いた作品を見るようになりました。ある時期には医療ドラマにもハマりましたが、専門用語ばかりでほとんど理解できません。それでも、繰り返し聞いているうちに、病院で耳にする言葉が少しずつ分かるようになり、実生活でも役に立ちました。また、時代劇を見たこともあります。内容をすべて理解できなくても、日本の歴史に触れられたことは、今振り返ると貴重な経験だったと思います。
「話すこと」は、私にとっていちばん難しいスキルでした。もともと口数が多いタイプではありません。でも、日本で生活する以上、話さないわけにはいきません。幼稚園の送迎で日本人のお母さんたちと会話をしたり、学校行事に参加したり、年始年末の飲み会にも、知り合いがいなくても思い切って参加しました。
住んでいる地域の日本語ボランティア教室にも通ったことがあります。短い期間でしたが、そのおかげで近所に住む日本人の方と知り合うことができました。さらに、シャドーイングの練習を続け、会話に自信が持てないと感じたときには、会話クラスを受講して改善を図りました。少しずつでも、確実に。「完璧に話す」ことよりも、「話し続ける環境に身を置く」ことを大切にしてきました。
専業主婦だった私が、いつの間にか“縁結び役”に
日本語の勉強を始めてから4年後、私はJLPT N1を取得しました。N1が取れたことで、少しずつ自信がつき、アルバイトへの応募にも前向きになれました。その中で選んだのが、在宅リモートが可能な事務職の仕事です。日々の業務は、ビザ関連の書類対応や、ウェブサイト用の文章作成など。
そしてここ2年ほどは、オフィスの新しいプロジェクトも任せてもらえるようになり、相談業務だけでなく、マーケティングに関わる仕事も経験するようになりました。
私が現在担当しているのは、FamiCreというプロジェクトです。FamiCreは、日本で暮らす人たちの「愛」「結婚」「家族」を支えることを目的に活動しています。今は特に、独身の方々が安心して出会い、誠実につながれる環境づくりに力を入れています。
一般的なマッチングアプリのような仕組みだけでなく、月1回、あるいは季節ごとに、さまざまなイベントを開催しています。料理を一緒に作ったり、ワークショップをしたり、お茶を飲みながらゆっくり話したり。ときには和歌山や那須など、少し遠出をすることもあります。
これまでに、FamiCreを通じて結婚したカップルが3組、結婚準備中のカップルが1組、すでに両家の顔合わせを終えたカップルが1組、そして今まさに関係を育んでいる方々もたくさんいます。
幸せな報告を受け取るたびに、胸が熱くなります。幸せを見つけ、形にしていったのは、すべて本人たち自身。でも私は、その大切な物語のそばにいられたことを、心からありがたいと思っています。
もちろん、まだ悩みもありますし、構想だけで終わっているイベントも少なくありません。それでも私は信じています。人生は、いつか花を咲かせる。愛も、きっと花開く。FamiCreが、そんな「静かであたたかな場所」であり続けられるように、これからも歩み続けたいと思っています。
ファミリのイベント
メッセージ
うちの二人の子どもも、今ではすっかり大きくなり、昔のように毎日の送り迎えに追われることはなくなりました。でも今は、受験を控え、次のステージに向かう大切な時期。学びの道のりにしっかり寄り添ってあげたいと思い、今も1日5時間という働き方を選んでいます。今はもう、週の労働時間に制限はありませんが、あえてこのペースを続けています。
パートタイムで、しかも在宅リモートの仕事ではありますが、毎日新しい知識に触れ、多くの方と会話を交わす機会があります。それは日本に来たばかりの頃、家での独学が決して楽ではなかった中でも、毎日少しずつ日本語を積み重ねてきた自分自身のおかげ。心から「ありがとう」と言いたくなります。その積み重ねがあったから今の仕事があり、そしてこれからも子どもたちの歩む道に寄り添っていけるのだと思っています。
フルタイムで母として過ごした日々は、確かに大変でした。でも同時に、忘れられない思い出にあふれた、かけがえのない時間でもありました。私はいつも、「永遠に続くものはない」と自分に言い聞かせています。子どもはいずれ成長し、この時期もいつか終わる。だからこそ、次のステージに向けて、自分自身も準備をしておく必要がある。
一日一歩でいい。少しずつでいい。速く進む必要はありません。立ち止まらずに歩き続けていれば、ある日きっと、自分自身の成長に驚く瞬間が訪れるはずです。
横浜、 2025/12